5 ただの少年な僕の幸せ
「あたし、死ぬかとおもったけど。あの帝国の皇子があたし達を助けてくれるなんて思わなかったわ」
そう明るく話す、元『聖女』のセーラは何も知らない。
何も知らないから彼女はこんなにもすっきりとした様子で話しているが、真実を知っている僕からすれば苦笑いが精いっぱいだ。
セーラの中ではリディアが亡命先の帝国に嘆願し、帝国の皇子が親切に協力してくれたお陰で、元凶である教会は一掃され、悪評が広まって民衆に狙われた俺達が死んだと偽装してくれ生かしてくれたという話になっているのだ。教会の不穏さにこそ気づけたものの、裏で糸を引いていた帝国のことはなにも知りやしない。
正直、何があったのか教えてあげたい気もするけれど、それをしたら僕はこの帝国の皇子に秘密裏に殺される。また、何も知らない方がセーラには幸せだと、リディアに怒られるかもしれない。
彼女の髪は今や銀ではない。リディアと同じ黒色に染まっている。それは僕も同じで、黒く染まった自分の髪色を見て何とも言い難い感情になるが、適当に笑って感情を消化する。
「ま、王子じゃなくて、えーとヴィン様だっけか?」
「そうだな、なんなら様もやめとけ」
ずっと聖女、じゃなくてセーラは僕のことを王子様と呼んでたからその癖が抜けないのだろう。僕も散々聖女と呼んでたから間違えそうになる。それに僕は名前も変わったからな。
僕はもう王子としては生きてはいけない。王子はあの時に死んだことになっているから。ここにいる僕はなんの特権も持たない、ただの少年に過ぎないから。
「あたしは別に元通りっつーか、収まりのいいとこにいったって感じだけどさ。ヴィンさん? は色々と失っちまったから複雑だろ。でも、やっぱあたしは生きてリディア様に会えたから嬉しいって思っちまうんだよな……教会のクソ共も帝国によってお縄にされたしな」
彼女にしては気難しい顔をするものだ。おそらく、僕に気を遣ってくれようとするものの、嬉しい気持ちがあって複雑といったところだろう。別に僕に気を遣わなくてもいいのに。
「僕は確かに色々失ったけど、命までは取られなかったし、リディアも助かったし、今こうして話せてるから別に気にしなくていい」
「そっか、まあ流石に死ぬかと思ったもんな。リディア様と帝国の皇子様が助けてくれてほんと良かったですよね」
にぱっと子供のように笑うセーラに僕は返答に困る。確かに結果的にはそうだったし、リディアの行動にも驚いたし感動した。けれど、帝国の皇子については、そもそもの元凶が帝国なものだから困る。
けれど、事実を話せばリディアが折角した帝国の皇子との取引を不意にすることになるから、「ああそうだな」と返答する。
「リディア様には起きたら、『二度と今回みたいに自分の命を犠牲にする真似はしないで』って怒られちゃったけど、結果オーライって感じ」
命を犠牲にという言葉に僕の心臓が痛む。そうだ、僕はセーラに謝らなくてはいけないことがある。今は助かったからって自分の罪を忘れてはいけない。
「あ、あのなセーラ。僕はお前に謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「はい?」
なんのことだとばかりにセーラが眉を顰める。こういった仕草からは聖女ではなく図太い平民の少女、いや少年ぽさを感じる。彼女は本当に向いていないことをやらされていた。
「本当はリディアを睡眠薬かなんかで眠らせて荷物かなんかと一緒に国外へ逃がすっていう方法もあったんだ。その場合、お前はあんなことしなくて、命の危機にさらされずにすんだんだ……だけど、僕は自分勝手でお前も巻き込む方法でリディアを逃がすことにしたんだ。つまり、その……お前が馬鹿なのをいいことに利用したんだ。許されないことだが、すまん」
自分で口にしていて自分が嫌になってくる。帝国の皇子云々は取引の関係は言えないが、言える分だけは言う。
セーラは怒るだろうか、それとも軽蔑するだろうか。なんにせよ、僕は嫌われるに違いない。だって、僕は彼女に酷いことをしたから当然だ。彼女の優しさを理解せずに利用した。
「………………そっか」
沈黙の後に彼女はそうぽつりと言った。緑の瞳が真っすぐ僕を捉える。
「あたしは今の謝罪を受け取らないよ」
「……ああ」
拒絶されて心臓が凍る。でも、それはされても当然のことで全部、僕が悪い。
「だって別にそんなんお互い様だもん」
「え?」
予想外の言葉に僕は驚く。
「あたしだって王子が死ぬって分かって話に乗った訳だし。それに今の方法だとリディア様が後で暮らすのに困るじゃん、おまけにその方法だとあたしは教会の連中に一生いいようにされるんでしょ、そんなの勘弁」
まあ確かにセーラも僕が死ぬことを了承した上で話に乗った訳だが、それでもやっぱ違うだろう。自分が生きてられる方の選択肢を説明もしなかったんだぞ。
「まあ、それはそうだが、死ぬよりはマシだろ」
「そんなの今生きてんだからいいじゃん。それに『僕は生き残るけど、お前は死ね』っていう奴だったら、お前が死んで来いよってなるけど。あんた自分も一緒に死ぬつもりだったじゃん。あたしは自分だけが損するような取引だったら引き受けなかったもんね」
「………………」
それはそうだが……僕はそもそもあの状況から自分が生きていられるなんて微塵も考えなかっただけで、他に方法があったのに僕に生き残れる選択肢を消されたセーラとは話が違う。
「強制じゃなくてちゃんと計画全部話して死ぬことも教えてくれて、それにあたしが乗ったんだから。あんたの責任じゃなくて、あたしが決めたことだよ。あたしの責任だ」
「………………」
真剣な顔で自分の責任と言い切る彼女が妙に格好よく見えた。顔や見た目は華奢でどちらかと言えば可愛い系に分類されるだろうけれど、真剣なまなざしも、その生き様も格好いいとしか言いようが無かった。
「だからさ、そんなに気にしなくていいよ」
「でも」
僕に気負わせない為だろう、一転してケロッと明るい笑顔を見せてきた。それでも、それだからこそ僕は申し訳ないのだけど。
僕がまだ気にしているのを彼女も分かったのだろう、「うーん」と唸った後にあることを提案した。
「じゃあ、そんなに気にすんなら。謝る代わりにあたしと友達になってくんない? 元王子様に図々しいかもしれないけどよ」
「と……ともだち?」
予想外の言葉に僕は言葉を詰まらせる。謝る代わりに友達になってくれなんて。僕は嫌われるだろうなと思って話を始めたのに、むしろセーラはもっと仲良くしたいと言ってきた。
「そ、ま、嫌だったら別にいいけどよ。あたし、あんたに嫌われてるしな。リディア様との時間奪ってたしな」
「なっ」
そんなことまで気付かれてたのか。確かに僕はあの時までセーラという人間をあまり好きでなかった。なんせ嫉妬の対象だからな。しかし、それが当人にバレてた上、今ここでこうして言われるとなんというか気まずい。
「でもさ、同じリディア様大好きな者同士、これから新しい人生生きていくもの同士で仲良くできたらなって思っちまうんだよ。あたし、ずーっとあんたと友達になりたかったんだよ」
純粋なその願いに僕は少し怖気づいてしまう。それでも、深呼吸してから僕は右手を差し出した。
「……じゃあ、その、よろしく頼む」
「おう、よろしく!」
握ってきたその手は小さいけれど、込められた力は思っていたより強かった。
「あら、二人ともここにいたの」
歌う鳥のように美しい声に僕とセーラは振り向く。
「リディア様! あ、ついでに皇子様もこんにちは」
ついではダメだ、ついでは。注意しようかと思ったけれど、その前に帝国の皇子の視線が僕らの手に向けられていたので、そっちを急いで離す。
「ついで……元気そうで何よりだ、セーラ、ヴィン。セーラ、俺のことはゲルトでいい」
「うおう? じゃあゲルト様で。あのねあのねリディア様、あたし、王子じゃなくてヴィンと友達になったんだ」
そう彼女はあっさり帝国の皇子を流すと、リディアの元に駆け寄っていく。
豪胆というか鈍感というか馬鹿というか、セーラのこういう部分にはいまだに度肝を抜かれる。帝国の皇子をここまでないがしろに出来るのは彼女くらいしかいないだろう。僕だって彼には色々と恨みつらみはあるものの、そんな対応は出来ない。
正直、セーラにないがしろにされて少し曇った顔をする彼の顔を見ていると、気分がいい。あの帝国の皇子でさえままならないことがあるのだと、少し安心してしまう。
「あらそうなの? 大好きな二人が仲良くなって嬉しいわ」
「リディア様大好きな者同士だし。あ、そういや髪色3人共真っ黒で今お揃い!」
「二人とも綺麗な銀髪と金髪だったから少し勿体ない気がするわ」
「仕方ないですよ。だって、あたしも王子もあの髪じゃ目立つもん。まあ確かにリディア様みたいな綺麗な黒髪には出来なかったけどさ」
お互いの髪を触りあって話すもんだから、リディアとセーラの距離が恐ろしく近い。ああいうのを見たから嫉妬してたんだろうな。でも、今じゃ、セーラとリディアが生きて幸せそうにしているのを見られてなんだかとても心中穏やかだ。いつの間にか隣に来ていた御仁はそうでないのか、どこか不満そうにしている。
「お前の女の趣味は凄まじいな。あんな女狐、妻にしようとする者の気がしれん」
「女狐とは少し失礼ではありませんか?」
「女狐だろ、あんなん。いきなり乗り込んできたと思ったら『世論の印象操作には勿論、セーラにもこの件の全容を誤魔化して殿下に悪印象どころか好印象抱くようにして協力して差し上げますから、無実な私の婚約者と聖女を助けることに協力して下さらない?』だぞ。強かすぎて引いた」
「そういうところが好きなんですよ、僕は」
婚約者になった時に「一緒に最期を共にしましょうね」なんて死を連想させる言葉ではなく、「一緒に生きましょうね」という生を連想させるような言葉を投げ掛けてくれた彼女だから僕は好きなのだ。だから自分が愚か者扱いされて死ぬことになろうが、知らなかったとはいえ優しいセーラを利用しようがリディアを生かそうと思った。だから、あんな馬鹿なことをした。
でもリディアはそんな僕の行動さえも糧として全員で生き残る道を切り開いてみせた。
皇子のセーラへの執着心を利用して、僕とセーラを救うように取引を持ち掛けた。
リディアは世論の印象操作で帝国の思い通りの流れに持っていくことの協力と、セーラに帝国が今回裏で糸を引いていたことを隠し、むしろ親切で皇子が助けてくれたんだと説明する。
その代わり帝国の皇子は、「王子」と「聖女」は表向きでは亡くなったことにし、僕とセーラには新しい立場を与えることと、僕とセーラとリディアの安全安定した暮らしを提供する。
そんな取引だ。
「まだ、このくらいしか出来なくて申し訳ないわね」と彼女は言っていたけど、このくらいなんてもんじゃないと思う。おまけに「その内、中枢入り込んで、王国の領土の権利取り返してみせますからお待ちくださいね」なんて微笑んで見せるから本当に彼女には驚かされてばかりだ。本当に、僕には勿体ないくらいだ。
「よく分からんな。俺だったらあんな女、傍にいたら食い殺されそうだから勘弁だな」
「彼女は身内には優しいです。食い殺されるような真似をするのが悪いんです」
「おやおやヴィンは俺に文句があるようだな」
人の国を侵略しといてよくもいけしゃあしゃあと言えたものだ。前から思っていたがこいつは面の顔が厚い。まあ侵略国家の帝国の皇子らしい傲慢さではあるが。
「むしろ無い方がおかしいのでは。本音を言えばセーラにバレて嫌われてしまえと思ってます」
いや本当に。今回の件の実情を知ったら間違いなくセーラはこいつを軽蔑するし、「聖女なんかにしやがって」とか殴りかかりそうだ。まぁ、セーラを聖女にしたことはこいつなりの善意だろうが、見事に空回っているので意味が無い。
「その場合、契約違反ということでお前とあの女の命の保証が出来なくなるな」
「だから言わないです。僕らは死にたくないですし、セーラも悲しませたくありません。それにあの調子じゃセーラは殿下よりもリディアを優先すること間違いなしなので、そこまで心が荒まずに済みそうです」
リディアも「可愛いセーラを帝国の皇子に簡単にやるものですか」と言っていたのでなかなか難航すること間違いなしだ。
流石にセーラが帝国の皇子を好きだと言い出したら止めるが、基本的には妨害してやると僕もリディアも思っている。
今の所、セーラは帝国の皇子は「リディア様と王子と私を助けてくれた、よく分からんけど良い人」という認識なので全く恋愛的な意味で興味は持っていない。おまけにセーラは帝国の皇子はリディアのことが好きだと思っている。どうしてそんな怖い勘違いをしているんだと思うが、そのまま鈍感でいて貰った方がこちとら万々歳だ。
「……以前、会った時と比べて随分嫌味をいうようになったな」
「怒りの矛先は間接的にではなくて直接向けるべきだと今回よく学んだもので。僕は貴方のことが大嫌いですから。恨みつらみしかございません」
「おやおや」
なにせこっちはあんたに国を滅ぼされたも同然だ。いや、確かに戦争と比べて損害の少ない方法ではあったが、その損害には僕らが含まれていたし、そもそもこっちは何もしてないのに侵略してくるなって話だ。
そんな恨みもあってセーラを利用したが、よくよく考えてみたらセーラもこいつの被害者だ。善意とはいえ彼女がやりたくもない『聖女』という役割をやらされたのはこいつの所為だ。
おまけに嫉妬はともかく帝国の皇子に好意を向けられているからということや同じ銀髪ということで僕はセーラを目の敵にしていたが、完全にそれはとばっちりだ。本当に申し訳ない。
何もともあれ本来そういった恨みを向けるべき対象はこいつなので、これからはきちんとした対象にお恨み申し上げようと思う。流石に立場が違いすぎるので敬語の形はとらないとはいけないがな。生意気だと何か罰を与える可能性も無きにしもあらずだが、こいつに僕の発言を気に留める繊細さは無い気がするのでいい。現に今だって面白そうだとニヤニヤ笑っているだけだし。
本当に碌でもないな。リディアが「あの銀狸、いつか潰す」と意気込むのも分かる。
何か褒められるとしたらそうだな……、
「ああでも一つ良かったと思うことがあります。殿下の趣味は大変よろしいかと、なにせ僕の友達を好きに なったのですから」
「彼女を危機に晒しておいて友達とはよく言えたものだな」
笑い交じりにそう言われ、心臓が凍る。帝国の皇子の水色の瞳もきっと氷のように冷たいことだろう。
「それに関しては返す言葉がありませんが……それでも彼女は僕の友達になりたいとのことなので」
僕の言葉に皇子が不満そうに眉を顰めるがどうでもいい。何を言われようと、セーラに友達になりたいと言われたのだから僕はそれに応えるがまでだ。
しばらく僕ら二人の間に微妙な沈黙が流れていたが、それを引き裂くものがいた。
「おーい、ヴィン! リディア様が今度遠乗りに行こうだってさ。お昼ごはん何が良いと思う?」
背が低いのを気にしてか飛び跳ねながらセーラがこちらに手を振る。いつの間にそんなに距離を取ってたんだ。まぁ、おそらくはリディアなりの気遣いなんだろうけど。
「セーラはとにかく肉なんですって、私はそれだからサラダもバランスをとって入れたいのだけれど」
「ええ? サラダって食べると最後の方飽きるじゃないですか」
「ちゃんとバランスを取らないと体に悪いわよ」
「リディア様はあたしの母親なの?」
「あら、こんな愛らしい娘がいるなんて幸せ者ね」
そうリディアが笑ってセーラを抱きしめれば、セーラはきゃっきゃと笑う。
地下室であの時願った光景を、実現できるどころかまさかこの目で見ることが出来るなんて思わなかった。色々、帝国の皇子への不満や、セーラへの罪悪感などはあるが、それ以上に僕は、リディアとセーラがこうして幸せそうにしているのが嬉しくて仕方ない。
「だったら肉と野菜が入ったサンドイッチとかはどうだ?」
そう今やただの少年な僕は、青空の下でリディアとセーラに駆け寄っていった。