第一話 『海のくらげ』の海域
#第一話 『海のくらげ』の海域
私は広い海に漂っていた。
正確には、潮の流れに乗って流されていた。
海ガメが私を食べる。
私は浅い海にいた。
正確には、陸に向かう波に流され漂っていた。
イルカが私をつつく。
イルカが口から気泡を吐く。
それが大きな細いチューブ状の輪っかになり、私を巻き込む。
イルカが私で遊ぶ。
私は温かい海にいた。
私を食べる海ガメも、私で遊ぶイルカもいたが、私が食べるプランクトンもいた。
私はこの海で生きる。
陽に照らされ温められた水が私の心を温める。
光が波で四方八方に散らばり明暗しか分からない私の目でも世界の美しさを理解した。
今を生きる私には波に揺れる事しか出来ない。
揺れて流されて、いつの間にか陽は落ち月の柔らかな光が波を照らす頃になって私の心は落ち着いた。
この大きな世界が出来てから何度も何度も繰り返された明るい今と暗い今を私は「昼」と「夜」と名付けた。
昼は世界が活発に活動し、夜は静かになる。
私も同じように昼と夜を過ごしている。
私も世界の一部だと理解した。
海はどこまでも続いている。
潮の流れに乗って何度も昼と夜を繰り返した。
数の概念のない私にはどれくらいなのか分からないけれど、あんなに活発だった昼が少し大人しく感じるほどに。
そうして遠い遠い旅をしても、やはり私は何も変わらず、ただくらげであった。
大きな塊が水を掻き分けて近付くのを感じる。
水面に浮かぶと、耳のない私には音は分からないけれど空気と水の振動が伝わる。
それは何かの活動だ。
私にはそれが何なのかは分からないけれど、多くの振動が楽しそうに思えてくるから不思議だ。
その振動に別れを告げ、流れに身を任せる。
冷たい水が私の心を冷やす。
陽の光から逃げるように流れはゆっくりと進む。
振動がほとんどないような世界。
世界の中に自分しかいないような感覚さえする。
けれど私は世界の一部だ。
だから寂しくはない。
これは世界が私を拒絶したわけではなく、世界にはこのような所もある、という事を示しているだけ。
ゆっくり、ゆっくりと私は流されて、段々と冷たくなっていった。
不意に暗闇の中に熱を感じた。
陽の光よりも遥かに強い熱さで、小さな無数の泡の振動が上に向かって登っていく。
流れもその泡に乗り急に上に方向を変えた。
あっと言う間に懐かしい月明かりの波の煌めきまで到達し、再び波に揺られた。
温かな水も冷たい水もこの広い海を旅するにはちょうどいい。
あてのない旅人、それがくらげ。
くらげは通常雌雄あり、受精卵にて増える。
増えるけれど、波に流されるくらげには性交は無理だ。
あんな高度な行動はどうしたって無理。
ではどうするのか?
答えは簡単で、くらげは地球の一部だから地球を利用する。
月の満ち欠けでタイミングを図り、微弱なフェロモンを察知して異性がそばにいる事を知る。
そしてタイミングよく海の中にそれぞれの性を放出する。
雄は精子を、雌は卵を一斉に放出すると、水の中で出会い、そして受精卵となる。
地球は優しくくらげを守り、受精卵は幼生となり海底を目指して泳ぐ。
長い旅の末にたどり着いた岩に身を固定させると、自分を分裂して増え続ける。
進化の結果、卵と分裂という二つの増え方で数を保っている。
人間も細胞分裂をするのでほとんど同じ仕組みだ。
私は、くらげをもっとじっくりと観察したくなった。




