零時の時報とピンクの暴君
その夜、東京の片隅にある小さなアパートの一室は、静寂と青白い光に包まれていた。
壁に掛けられた時計の針は、すでに午後十一時四五分を回っている。
本来であれば、健康的な大学生であるハルは、とっくにベッドの中に入り、夢の世界の住人になっているべき時間だ。
しかし、彼女は今、画像をよく見れば分かる通り、ソファの上に座り、ノートパソコンのキーボードをリズミカルに叩いている。
ハルは美術大学に通う二年生だ。
将来はイラストレーターになりたいという夢を持っているが、昼間は講義や課題、そして慣れない人間関係に追われ、自分の描きたい絵に向き合う時間がなかなか取れない。
彼女にとって、夜の静寂だけが、誰にも邪魔されずに創造の翼を広げられる、唯一無二の「聖域」だった。
「よし、この線の角度をもう少し……」
ハルは画面に映し出されたラフ画の、キャラクターの目の形にこだわっていた。
彼女の瞳は、画像の通り、集中と興奮でらんらんと輝いている。
昼間の内気な彼女とは、まるで別人のようだ。
夜という魔法の時間が、彼女の隠れた情熱を引き出しているのかもしれない。
そんな彼女の集中を、突然、低い声が遮った。
「おい、ハル。お前の『あと五分』は、人類の歴史における『あと五分』とは別の時間軸にあるみたいだな」
ハルは心臓が口から飛び出すかと思った。慌てて隣を見ると、ソファの背もたれに立てかけられていたピンクの豚のぬいぐるみが、画像の通りの真ん丸な目で彼女を睨んでいた。
このぬいぐるみこそが、ハルの夜更かしの唯一の目撃者であり、そして最大の理解者(?)である「トンちゃん」だ。
昼間はただの動かないぬいぐるみだが、夜更かしをするハルのために、こうして彼女にしか聞こえない声でしゃべり、毒舌を振るう。
「トンちゃん! びっくりさせないでよ」
ハルは小声で叱る。
「びっくりしたのは俺の方だ。アラームが鳴ったのに、お前がまだ起きてるからな」
トンちゃんはソファで体勢を変えた。
「お前、明日も一限から授業だろ? 教授の『中世美術史』の講義中に、また白目を剥いて寝る気か?」
トンちゃんの毒舌は、ハルの痛いところを正確に突いてくる。
確かに、昼間の講義中に寝てしまったことは一度や二度ではない。
「だって、今夜はアイデアが止まらないんだもん」
ハルはキーボードに指を置いたまま、言い訳をする。
「このキャラクター、今日中に完成させないと、明日には忘れちゃうかもしれない」
「忘れちゃったら、それはその程度のアイデアだったってことだ。俺は、お前の健康の方が心配だぜ」
トンちゃんは腕(?)を組んだ。
「お前が倒れたら、誰が俺の着ぐるみを洗濯してくれるんだ?」
トンちゃんの心配は、常に彼自身の利益に直結している。
しかし、ハルはその言葉の裏にある、彼なりの優しさを感じていた。
彼がしゃべってくれるからこそ、ハルは深夜の静寂の中でも寂しさを感じずに、作業を続けられるのだ。
「大丈夫だよ、トンちゃん。このキャラクターが描けたら、すぐに寝るから」
ハルはトンちゃんをなだめるように言い、再び画面に向かう。
画像のハルの表情は、集中と、そして少しだけトンちゃんとの会話を楽しんでいるような、明るさに満ちていた。
零時の時報が、部屋の静寂の中に静かに響いた。夜更かし同盟の、長い長い夜が、今始まったのだ。




