38:そして帝都へ
翌日、レオノーラはルーテシア王国の使節団とともに、トルネア辺境伯領へと帰途についた。
一行はトルネア領に一泊し、その後、王都へと戻る。
戦地から兵がすべて撤収するまでには、約ひと月を要するという。道のりはまだ遠いが、夏の始まりまでには、ルーテシアで出会ったクリステンの父も、家族のもとへ帰れるかもしれない――そう思うと、この会談にも、どれほどの大きな意味があるのかと胸に沁みた。
◇◇◇
夏の終わり、巡回中のクロイエムが深刻な面持ちで相談を持ちかけてきた。
「春の祭りの後にフィオナに結婚を申し込んだんだ。でも、返事は『待ってほしい』って。最近は前よりも距離を感じるんだよ。もしかして……断りたいけど、言い出せないのかもしれない」
昨夏の祭りでクロイエムが勇気を出してフィオナを誘って以来、二人は少しずつ距離を縮めていた。
「フィオナ、あの事件のことを気にしているのかもしれないわね」
レオノーラがそう呟くと、クロイエムは眉をひそめ、思案に沈んだ。
「俺……あの事件を『気にしてない』って伝えたんだけど……それって、まずかった?」
不安げなクロイエムに、レオノーラは少し考えてから言葉を返した。
「フィオナは、哀れまれたって感じているかもしれないわね」
「そんなつもりじゃなかったんだ! 事件に関係なく、俺はフィオナのことが好きだって言いたくて――」
その言葉に、レオノーラは穏やかにうなずいた。
「わかってるわよ。きっと、フィオナも。でも、彼女はまだ誰かと恋人になったり、将来を考えたりすることに、不安を抱いているのかもしれない」
「レオ、お願いだ。フィオナに、さりげなく気持ちを聞いてみてくれないか? 返事を急かすつもりはないんだ。ただ……何もわからないままだと、どうしていいかわからなくて」
「いいわよ。でも、結婚の返事までは聞かないわ。それは、二人にとって大事なことだから」
クロイエムは感謝の気持ちを込めて、レオノーラの手をぎゅっと握った。
「ありがとう、レオ。本当に、頼りにしてる」
◇◇◇
それから三日後。ルグレンの屋敷を訪ねた帰り道、レオノーラは村の工房から出てきたフィオナと偶然出会った。
「レオさん! 今日はお休みですか?」
工芸品の仕事を終えたばかりの少女たちがフィオナのまわりを囲んでいた。皆、手には編み物や刺繍の道具を持っている。
「ええ、アーロンにお土産を持ってきたの。きのこの形の帽子を編んでね」
「きのこ!」と少女たちがいっせいに声をあげて笑う。
「このあいだ、アーロンくんの靴下も見ました。馬の顔がついてて、すごく可愛かったです。あれもレオさんの手作りなんですね?」
「ええ、ちょっと遊び心でね。後ろにたてがみをつけてみたの」
「レオさん、私にも編み物を教えてください!」
その声に他の少女たちも「私も!」「やりたい!」と続く。レオノーラはしばらく考えてから、にこりと笑った。
「迷惑でなければ、あとでフィオナの家に寄ってもいい? みんなに教えたいんだけど、場所がなくて。お母さんに相談して、台所を貸してもらえるか聞いてみるわ。それから日程を決めましょう」
「やったー!」という歓声とともに少女たちが飛び跳ねる。その後、彼女たちと別れて、レオノーラとフィオナは木立の道を並んで歩きはじめた。
「ねえ、フィオナ。クロイエムのこと、好き?」
唐突な質問に、フィオナは一瞬きょとんとし、それから顔を真っ赤に染めて立ち止まった。
「な、なんで急にそんなことを……」
「ごめんね、驚かせた? でも最近、クロイエムがフィオナのことでずっと悩んでるから。どうしても聞きたくなって」
フィオナは両手で顔を覆い、鼻の頭まで真っ赤にしながら呟いた。
「好き……かもしれない。あっ、でも……もしかして、レオさんもクロイエムのこと?」
フィオナは今度は青ざめた顔でレオノーラを見た。
「ないない、それは絶対ないわ」
きっぱりと言い切ると、フィオナはほっと息を吐いて胸をなでおろす。
「よかったぁ……去年のお祭りで一緒に踊ってから、少しずつ仲良くなって。工房の帰りに迎えに来てくれたり、一緒に馬で町まで行ったりして……本当に、楽しい時間だった」
思い出を語るうちに、頬がうっすらと色づいてゆく。
「帰り道に、クロイエムが『もし嫌じゃなかったら、結婚してほしい』って言ってくれて……すごく嬉しかったの。でも……まだ、返事をしてないの」
「嬉しかったんでしょ? どうして返事ができなかったの?」
フィオナはうつむき、唇を噛みしめた。
「クロイエムと結婚できたら夢みたいって思った。でも……私は、誰かのお嫁さんになる資格なんてないんじゃないかって」
彼女の唇はかすかに震えていた。
「……レオさんは、知ってるよね。あのとき、助けてくれたから」
遠くを見るような目で、ぽつりとそう言った。
「フィオナ……あなたは十分、幸せになる資格があるわ。どうしてそう思っちゃうの?」
レオノーラの問いに、フィオナは涙を浮かべながら、声をしぼり出した。
「あのことを思い出すたび、胸が苦しくなるの。ちゃんとは覚えていないのに、なぜか怖くなる。でも、クロイエムがそばにいると、不思議と怖くなくて……彼と一緒なら、全部忘れられる気がするの。あの……そういうことも、もう怖くなかったし……」
その言葉に、レオノーラはゆっくりと微笑みかけた。
「ねぇ、フィオナ。過去にどんなことがあったって、幸せを選ぶことに遠慮なんてしなくていい。苦しい思いをした人が、ずっと苦しまなきゃいけないなんて、そんなのおかしい。誰かの声で、自分の幸せを疑っちゃだめよ。あなたは、自分の未来を自由に選べるのよ」
その一言に、フィオナはこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえて、震える声で言った。
「ありがとう……。可哀想な子って思われてるのが怖くて、自分でもそう思い込んでた。でも……そうじゃないんだよね」
レオノーラはそっとフィオナを抱き寄せ、背中を優しく叩いた。
「あなたの周りは、みんなあなたを大切に思ってる。だからこそ、あなたが幸せになってほしいのよ」
フィオナは涙を拭きながら、微笑みを浮かべて言った。
「クロイエムって、本当に優しい人なの。私を笑顔にしてくれる、たった一人の人……私、彼のこと、大好き」
レオノーラもまた、笑顔で彼女を抱きしめ返した。
「うん、あなたたち、本当にお似合いよ。レースのベールだって、赤ちゃんの産着だって、全部私が作ってあげる。楽しみがいっぱいね」
フィオナは「レースのベール!?」と目を輝かせ、嬉しそうにはしゃぎながら頷いた。
◇◇◇
短い夏が過ぎ、秋風が辺境の森を渡り始めたころ。レオノーラはベリテア伯爵に執務室へと呼び出された。
「ヘバンテス、王都から正式な辞令が届いている。今回の休戦協定における通訳・書記としての働きが高く評価され、皇宮騎士として再び帝都へ戻るようにとの命だ。今後は、皇宮にて外交任務に専念することになる」
しばらく音沙汰のなかったアビエルのことが脳裏をよぎる。きっとこの件で、水面下で動いてくれていたのだろう。
「本当によく尽力してくれた。帝都に戻るのは惜しいが、皇太子殿下の懐刀として、この国の未来に寄与してほしい」
伯爵は、皇太子の封蝋が施された書簡を静かに差し出した。
「過分なお言葉、光栄に存じます」
レオノーラは深々と頭を下げ、伯爵の労いに感謝を示した。
出立は、雪の降り始める前がいいだろう。
執務室を後にしたレオノーラは、さまざまな思いを胸に抱きながら、ゆっくりと空を仰いだ。
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