37:アビエルの焦燥
「アビエル殿下、どうなさったのですか? 何か問題が……?」
ただならぬ様子の彼の表情に、背後から思わず問いかけたその直後、部屋に入った瞬間、背後の扉に押しつけられ、激しい口づけを奪われた。
「……っ、ん……」
まるで怒りにも似た衝動に支配されているような熱に、レオノーラはなす術もなく飲み込まれる。けれど、次の瞬間にはその唇が優しく名残を惜しむように離れた。
「どうして、私の傍にいない?」
彼の声は低く震えていた。レオノーラは驚きながらも、そっと彼の頭を抱き寄せる。
「ごめんなさい……もうお役目は済んだと思って、少しだけ食事を……」
彼女の言葉にアビエルは再び静かに口づける。今度は、確かめるような、慈しむようなキスだった。
「どこにも行かないでくれ。ずっと傍にいてくれ。私が望むのはそれだけなんだ」
「私は、ずっとアビエルの傍にいるわ。あなたの望む限り、離れたりしない......」
そう囁いたレオノーラの声に、アビエルは安堵したように、今度は優しく唇を啄む。
「……ドミニクと話している君の笑顔に、どうしようもなくなって。つまらない嫉妬をしている自分が、情けなくなるな」
そう打ち明けて、彼は彼女の額に静かに口づけた。
「アビエル、黙って晩餐会を抜けて出てきてしまったわ」
アビエルの首筋から背中を撫でながらレオノーラは掠れた声でそう聞いた。
「今日は皆浮かれているから大丈夫だろう。きっと居ないことにも気づかない」
「さすがに皇太子がいないのには気づくと思うわよ」
小さく笑いながら言うレオノーラ抱きしめる。
「もう、挨拶も終わったし、いなくても大丈夫だ」
「本当? ウィレム王太子のお相手は? 部屋に下がるなら、伯爵様たちには何かお伝えしないとダメじゃないかしら」
心配そうにレオノーラは告げる。
「......レオニーは真面目で正論を言い過ぎだと思うよ」
ため息をついて憮然とした表情でアビエルはそう言うと、レオノーラの方に額を置いてしばらく黙った後、顔を上げ「ここで待っていてくれるか?」そう言ってじっとレオノーラの目を見つめた。
レオノーラはその頬に手を当てて優しく撫でながら微笑んで答えた。
「はい、お待ちしております」
その返事に満足したように、アビエルは最後にもう一度唇を重ね、足早に部屋を出ていった。
窓辺に立ち、外の暗闇とその静けさに耳を澄ませる。遠くに灯る松明の光だけが、まるで浮かぶようにぼんやりと見えた。レオノーラはゆっくりとソファに腰を下ろした。
ソファに座ってこれまでを振り返る。三年前の夏のアビエルの辺境伯領視察から今日に至るまで、怒涛のように色々なことが変化した。
アビエルの行動力と治政力には並々ならぬものがあると感じる。彼は望んでいないかもしれないけれど、やはり彼は皇帝になるべくして生まれた人なのだ。
「私は、何になるべくして生まれてきたのかしら……」
ふと呟いたその言葉が、自分でも可笑しくて思わず笑う。
「アビエルに出会うため……なのかもね」
そんな想いに包まれながら、彼女はいつしか眠りに落ちていた。
◇◇◇
アビエルは広間に戻るやいなや、ウィレム王太子やルーテシアの外務大臣に掴まってしまった。なんとか話の区切りで、疲れたので部屋に下がりたいと意思表示をしようとしたがうまくいかず、次々と他の要人からも話を求められ。
結局、そろそろ晩餐会をお開きにしようというところまで足止めをくらい、ベルトルドから最後に参列者への挨拶まで求められた。
――ようやく広間での挨拶を終え、部屋に戻ると、静かに開かれた扉の向こうで、眠りこんでいるレオノーラの姿を見つけた。
頬をそっと撫でて囁く。
「……待たせてしまって、ごめん」
ん......という様子でゆっくりと体を起こして、焦点の合わない様子で自分を見つめるレオノーラは、頬を撫でる手のひらに顔を乗せるようにして「大丈夫。......寝てました」と子どものように答えた。
使用人が湯桶を持って現れた。いつもなら飛び上がって姿を隠すのに、まだ半分眠っているのか、レオノーラは座ったままぼんやりしている。
使用人が下がった後、「湯を使うか? それとも、もう休みたい?」と聞くと、しばらくの沈黙ののち、レオノーラは目を閉じたまま、ぽつりと呟いた。
「一緒が……いいの」
まるで眠くてたまらないのに頑張って何かを話そうとしている子どものようだ。
「じゃあ、一緒に湯に入ろう。そのほうがゆっくり眠れる」
彼女の靴を脱がせ、衣服を脱がせると、そっと抱きかかえて湯へ運んだ。
湯の中でまどろむレオノーラは、まだ夢の中にいるかのようだった。アビエルの胸に寄り添いながら、ぼんやりと湯を眺めながら彼女はぽつりと言葉を落とす。
「......川......」
「川?」
聞き返すと、口元に笑みを浮かべて、ふふ、と笑う
「川の中みたい……ガラスに包まれてるみたいで、綺麗だった」
「覚えているよ。あの時、初めてレオニーを女の子だと知って、その後ずっとそのことばかり考えてた。あの時から私はずっとレオニーが大好きだよ」
彼女の微笑みに、アビエルも思わず笑みを漏らす。
「じゃあ、私の勝ちね」
嬉しそうに微笑みさらにアビエルの体にすり寄る。
「勝ちって何の勝ち? 男の子だって思わせていたこと?」
掠れた声で聞く。
「私はアビエルが初めて厩舎に来た時からずっと好きなの。だから私の勝ち」
そう言って、さらに得意げに口元を弓なりにして微笑んだ。その愛しい姿にアビエルの理性は崩壊した。微笑む唇に深い口づけを落とす。レオノーラを抱いたまま湯桶から出て、そのまま床が濡れるのも気にせず寝台へと向かう。
――そうして二人は、静かに、温かく満たされた夜を共に過ごした。
早朝、レオノーラは、濡れたシーツに気づき、思わず叫んだ。
「大変、どうしましょう……!」
そして、どうやって乾かせばいいか悩み、テラスの方を見て、本気でシーツを干そうと考え始めたところで、アビエルは笑いながらその体を引き寄せた。
「大丈夫。ベッドサイドのデカンタの水をこぼしたって言えばいい」
レオノーラは言われたことを理解すると、今度は慌てていた自分が恥ずかしくなったのか肩の先までほんのり赤くなった。それがまた堪らず可愛くて笑いが溢れる。
笑い続けているアビエルの体を押しのけながら眉間に皺を寄せてレオノーラが不愉快そうに言う。
「私には、いつでもなんでも使用人にしていただけるという感覚がないのよ。もう!」
やってきた使用人に、水をこぼした詫びをレオノーラが告げている間も、そのぎこちない嘘が可笑しくて、アビエルはずっと笑い続けていた。
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