19:辺境の日々5
ゴルネアの特使として訪れたのは、中央政府を束ねるゴーダ族の族長の息子、タニア族の族長、そして中央軍の将軍という三名の高官だった。
中でもゴーダ族の族長の息子であるカニキオは、華奢な体躯に気弱そうな面持ちの若者だった。ゴルネアは複数の騎馬民族が連合する多民族国家であり、ゴーダ族を中核とする中央政府が 名目的に統治してはいるものの、それぞれの民族が独自の主張を持ち、一枚岩とは言い難い。
帝国は、過去にゴルネアの兵士が帝国内で起こした犯罪行為に対し、正式な賠償を求めていた。しかし、ゴルネア側が提示した賠償金額は、到底受け入れがたいほど微々たるものだった。これに対し、「脱走罪に問われる兵士であれば、帝国内で法に則って裁くことも可能だ」との提案を行った。
だが、ゴルネア側は強い口調で兵士の返還を要求してきた。おそらく、前線に送る兵員の不足が深刻なのだろう。彼らを見せしめに処罰することで士気を維持するか、あるいは形式的な裁きを経て再び戦場へと送り出す意図があるに違いない。
交渉の場では、名目上の最高位者であるはずのカニキオはほとんど発言せず、実質的な主導権は中央軍の将軍ザカリヤが握っていた。一方で、タニア族の族長マムカは「兵士よりも、民の返還を優先してほしい」と要望したが、将軍によって「その話は脱走兵の件が片付いてからだ」と一蹴されてしまう。
――ゴルネア側でも意見が統一されていない。それが、交渉初日の停滞に如実に表れていた。
◇◇◇
初日の会談を終えた夜、クレイン領の城内では、二日後に予定されている第二回会談に向けた事前協議が行われていた。レオノーラも、資料翻訳のためその席に同席していた。
「どうやら、今のゴルネアの戦争は、軍部主導で進められているようですね」と口を開いたのは、クレイン領主の嫡子、ゴドリックだった。それに応じたのは、父である辺境伯ベルトルドである。
「察するに、中央政府は軍に対して有効な牽制ができない状態にあるのだろう。戦況の悪化に加え、経済の逼迫も、軍が国内事情を顧みずに突き進んできた結果だと見て間違いない」
そのやり取りを聞いていたアビエルが、静かに言葉を継いだ。
「……できれば、カニキオと二人きりで話す機会を持てないだろうか。彼自身の言葉から、中央政府の本音を探ってみたい」
会談で終始控えめだったカニキオの存在が、アビエルに強い印象を残していた。
「すぐに中央政府が動くとは思わないが、国を変えるには、まず内側から揺さぶることが必要だ。もし彼が本気で国を変えようとるなら、その兆しを見極めておきたい」
協議の末、次回の会談では、アビエルとカニキオが個別に会話する機会を持つよう、帝国側から正式に提案する方針が決まった。
◇◇◇
二日後、二回目の会談が別邸で開催された。双方が持ち寄った修正案が文書として提出され、それを互いに確認する。レオノーラは原文と翻訳文書を丁寧に照合し、内容に齟齬がないことを確認した上で、帝国側の三名に翻訳文書を提示した。
賠償額に関して大きな変更はなかったが、新たに「帝国内で犯罪を犯した者は帝国の裁きに委ねることを認める」旨が追記されていた。また、流入した農民の帝国内での定住を認めないよう求める文言も加えられていた。
この点について質問を向けると、マムカが口を開いた。
「紛争地帯に住んでいた農民が土地を追われ、国外に逃れてしまう現状は理解しています。しかし、家族が逃げれば、兵士の士気が下がり、さらなる脱走を招く。ゴルネア国内にも避難区域が設けられているため、農民たちにはまず自国に戻ってもらいたいのです」
だが、すでに帝国内で労働し、生活の基盤を築いている者も少なくない。これについては、本人の意思を尊重するという方向で意見がまとまった。
人道的観点から譲れない部分であるとし、ベリテア伯爵は静かに告げた。
「ご承知の通り、帝国内でも流入者への受け入れは決して一様ではありません。我々から積極的に滞在を勧めることはありませんが、定住に至った者たちに対して強制的に帰還を求めることもまた、道義的にはできかねます」
この言葉に、ゴルネア側も定住者については個別に対応することを了承した。
そこでアビエルが、穏やかな口調で切り出した。
「賠償額について、もう少し具体的に話し合いたいと思います。もし可能であれば、カニキオ殿と二人でお話しする場を設けていただけませんか?」
将軍ザカリヤは、明らかに不快げに眉をひそめる。
「兵士の返還に関わる話を、私を介さずに進めるというのは承服できない。これは軍の管轄です」
それに対し、アビエルは揺るがぬ口調で応じた。
「帝国は、ゴルネアとルーテシアの紛争に深入りするつもりはありません。我々の関心は、賠償額の妥当性と、その背景にある中央政府の考えを確認することにあります。軍事的な判断ではなく、外交上の話し合いとして、カニキオ殿と話をしたいのです」
皇太子の言葉に、将軍も最終的には黙して頷くしかなかった。こうして、アビエルとカニキオの個別会談が許可されることとなった。
その間、残された会議室では、両国の代表者たちによる兵士返還の具体的方法についての議論が続けられた。タニア族のマムカ、将軍ザカリヤ、そして二人の辺境伯たちが、国境の情勢と処遇の在り方について丁寧に意見を交わしていた。
ゴルネア側の通訳が残る中、レオノーラはアビエルとともに部屋を後にした。
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