20:次代の国主たち
先ほどの会議室よりもややこぢんまりとした、領主の執務室を兼ねた応接室に通された。
アビエルとカニキオが向かい合ってソファに腰を下ろす。レオノーラは、二人の間に置かれたティーテーブルの奥に、小さな椅子を引き寄せて座った。
「カニキオ殿。互いに次代を担う者として、意見を交わし、今後の国交に活かしたいと考えている。今回の会談に関して、あなたご自身のご意見をお聞かせ願えないだろうか」
アビエルが穏やかに口火を切った。
その問いかけに、どう応えるべきか――カニキオは少し逡巡しているようだった。レオノーラは彼にそっと視線を向け、"伝えたいことがあれば、どうぞご自由に"というように微笑んだ。
その表情を見たカニキオは、驚いたように目を見開き、次いで少し耳を赤らめた。けれど、その微笑みに励まされたように、ゆっくりと口を開いた。
「……中央政府としては、人民が他国へ流れてゆく現状を、このまま看過することはできません。民が国を去るということは、国の威信が損なわれている証でもあります。できることなら、貴国へ流出した者たちを速やかに帰還させていただきたいと考えています」
「帝国としても、決して望んで受け入れているわけではありません。あくまで、助けを求めてやって来た者たちを、放置できなかっただけのこと。……それにしては、提示された賠償額があまりにも見合っていないように思えます。法外な請求をしているつもりはないのですが、どうお考えでしょうか」
アビエルの言葉に、カニキオは一瞬、戸惑ったように俯いて黙り込んだ。しばらくの沈黙ののち、顔を上げたその苦し気な表情に、レオノーラは思わず口を挟んでしまった。
「何でも率直にお話しください。私がきちんとお伝えいたしますから」
会談の場で、通訳が個人的な言葉を挟むのは慎むべきだと分かっていたが、あまりに心許なそうな様子のカニキオに、思わず手を差し伸べたくなったのだ。
その言葉に、彼はまた耳を赤らめたが、今度は少しだけ笑みを浮かべ、再びまっすぐアビエルに向き直る。
「……賠償額については、中央政府として出せる精一杯の金額です。ご承知の通り、紛争が長引いており、我が国の経済は深刻な状況にあります。正直なところ、これ以上悪化させないためにも、民を帰国させ、生産に従事してもらうことが急務なのです」
「しかし、民が戻り、生産が再開されたとしても、その実りは再び戦争に費やされてしまう。……それでは堂々巡りです。人民も、疲弊するばかりではありませんか」
アビエルの冷静な指摘に、カニキオは言葉に詰まりながらも答える。
「確かに……その通りです。ですが我が国には、それ以外に手段がありません。現在、国交を結んでいるのは貴国と、遠く西にある共和国のみ。鉱山資源を輸出するにも、労働者の多くが戦に駆り出されており、貿易による収益は微々たるものなのです」
それを聞いて、アビエルが身を乗り出すようにして言葉を投げかけた。
「ならば、我が国との交易を拡大すればいい。もっと大規模に、互いに利益を得られるような関係を築くべきです」
思わぬ提案に、カニキオは目を見開いた。
「し、しかし……貴国はルーテシアと友好関係を保っておられるでしょう? 簡単に貿易を拡大できるとは思えません」
その返答に、アビエルはやや皮肉めいた笑みを浮かべて言う。
「我が国はルーテシアと友好関係にありますが、同盟を結んでいるわけではありません。交易に制限があるのは、これまでゴルネア側が交渉に応じてくださらなかったためです。今回をきっかけに状況が変わるのであれば、我々もいくらでもこれを好転させる用意があります。ただし、条件として――ルーテシアとの休戦が前提になります」
“休戦”という言葉に、カニキオの表情が強張る。
それを見て、アビエルはさらに問いかけた。
「この長い紛争の果てに、貴国が得るものは何でしょう? その土地を取り戻した後、実際に運河を有効活用し、国益に繋げる体制がすぐに整うと思われますか?」
返答に窮したカニキオが沈黙する。
アビエルは続けた。
「現在、我が国では、ルーテシアを通り、帝国の南にあるホールセン港へ至る幹線道路を建設中です。すでにトルネア領からの道は完成間近で、クレイン領からも道を繋ぎ、帝都で合流させる計画があります。これが完成すれば、陸路で南へ抜ける交易ルートが確立します。もしこれを活用することができれば、貴国にとっても大きな利益となるはずです」
その言葉に、カニキオは驚きを隠せなかった。
「……ですが、休戦など。これほど長く続いた戦争を、軍が簡単に止めるとは到底……」
「分かります。戦いを始めた者にとって、引き際は最も見えにくいものです。…ですが、カニキオ殿、本当にこの戦争は、必要なものだとお考えですか?」
そう問いかけながら、アビエルは、身を引いて深くソファに身を沈めた。
「……正直、分かりません。私が生まれたときには、すでに戦争は始まっていた。私は戦場を知らず、ただそれを見て育ってきただけです」
その答えにアビエルは深く頷いた。
「私も同じですよ。帝国では、先の皇帝方の賢明な選択によって、長く戦争のない時代が続いています。だからこそ、私は信じているのです。武力に頼らずとも国益を得られる道があると。そして、戦をしない国の在り方を、私の手で体現していきたいと願っています」
彼はカニキオの目をまっすぐ見据え、ゆっくりと言葉を重ねた。
「この提案を、ぜひ一度国に持ち帰り、ご父君や政府の重鎮方と話し合っていただけませんか。戦争が終われば、人民の流出は止まり、国交は広がる。民の暮らしも、豊かになるでしょう。――もちろん、容易ではありません。しかし、もしあなたに変えたいという意思があるのなら、私は次代の国を担う者として、あなたを支える覚悟があります。この話は、両国の後継者同士の約束として、どうか心に留めておいてください」
そう語って、アビエルは静かに微笑み、手を差し出した。
カニキオはその手を見つめ、一瞬の迷いののち、強く握り返した。
「……アビエル殿。私は族長の息子でありながら、実際には何もできない存在だと思っていました。軍部の力があまりに強く、自分にはどうにもならないのだと。でも、今日あなたと話す中で、自国のために、自分にできることを考え始めています。この話を国に持ち帰り、真剣に検討してみたいと思います」
カニキオの口から初めて、自らの言葉で語られる意志があった。そして、その表情には柔らかな笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
会議室へ戻る道すがら、カニキオが耳を赤くしながらレオノーラに話しかけてきた。
「あなたは……ゴルネアのご出身ですか? ゴルネア語の発音があまりに完璧で。……それに、あなたの笑顔に随分と救われました。おかげで、殿下とも落ち着いて話すことができました。本当に感謝しています」
カニキオのその育ちの良さそうな表情には、彼自身の本来の実直さが見えた。
「いいえ。私は帝都で生まれ育った、帝国人です。でも……私の言葉が、あなたと殿下の会談の橋渡しになれたのだとしたら、これ以上の喜びはありません」
そう答えて微笑むと、カニキオはさらに顔を赤らめながら言った。
「もし、これから国交が盛んになり、あなたがゴルネアを訪れる機会があれば……またお会いしたいですね」
そう言って、彼はそっと手を差し出した。
その手を取ろうとした瞬間、アビエルが間に入り、会議室へとカニキオを促した。
ふと見上げると、彼の顔には、わずかに眉間に皺が寄っていた――それに気づいたレオノーラは、何とも言えぬ熱を胸の内に感じながら、そっと目を伏せた。
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