04. マリージュだけが知らないこと
「なんでわざわざ学園でまでお茶なの?」
リュカの個室に辿り着くなり、マリージュは侯爵令嬢モードを解除した。
子供のころからの付き合いということもあり、実はマリージュとリュカは気安い関係で、人の目がないところでは砕けた話し方をするのが当たり前だった。
ちなみに、リュカには常に公爵家の護衛さんが付き従っており、リュカ専用個室の中であっても二人きりになることはない。
「最愛の婚約者に学園でも会いたいからに決まっているだろう?」
リュカはソファに腰を下ろしながら、さも当然だとでも言いたげに、平然と悠然とマリージュに微笑みかける。
(うがあぁぁ!)
両腕をさすりながら、マリージュは何とかみっともない叫び声だけは堪えた。
マリージュは、歯の浮くセリフが苦手である。
なんというか、耐えられない。背筋がぞわぞわする。
「リュカくん、いま何のスイッチ入った?」
「溺愛スイッチ?」
「わわっ…鳥肌立ったっ」
リアルにぞわっと、マリージュの背筋に何かが走った。
発言ひとつで悪寒をまとわせるリュカ、なんとも空恐ろしい男である。
「今までは、穏やかに関係性を築いていければいいと思っていたんだけど、
これから結婚して家庭を築いていこうとしているというのに、
何だかマリージュは、俺のことを男だと思っていないようにしか感じなくてね?
これは、俺の接し方からして、変えていかないとダメだなと思って。
だからこれからは、俺の愛を全力で伝えていくことにするよ」
マリージュは、更に激しく背筋に走る悪寒に顔面蒼白になりながら、酸欠の魚みたいに はくはくと口を動かすことしかできない。
「背筋が。背筋がぞわぞわする。寒くて凍死しちゃう」
「…なんで? こういうときって顔が火照ったりするものなんじゃないの?」
「わたし熱そうに見える…?」
「見えないねえ。青ざめてるねえ。不思議だねえ」
マリージュにしてみれば、不思議なのはリュカの言動の方である。
さきほどリュカは、『マリージュから男だと思われていない』というようなことを言ったが、マリージュはリュカが男じゃないなんて思ったことは一度たりとてない。
子供の頃から今日に至るまでずっと、マリージュとリュカは正式な婚約者だったわけで、それはつまり結婚の約束をしているということ。
この国は同性婚は認められていないので、マリージュが女である以上、結婚相手のリュカは男でなければ成り立たない。
いくらリュカが傾国の美女であるお母さま生き写しの中性的な顔立ちの美人であろうとも、『実は女でした』なんてことはありえないってことくらい、マリージュとてわかっている。
(なのに、それを理由に鳥肌もののセリフを吐くって、どういう脈絡…?)
マリージュの性格形成のベースとなっているJKの記憶は、初恋も経験しないまま16歳前後で終えており、マリージュははっきり言って完全なるお子ちゃまである。
リュカの『異性として意識して欲しい』という、結構あからさまに語られたはずの思いは、残念ながらマリージュにはさっぱり届いていなかった。
そして、潔さを良しとするマリージュは、悶々と悩み続けるよりスパーンと割り切ってしまう傾向が強くあり、理解できない脈絡について考えることを早々に放棄した。マリージュに言わせれば、それよりも自分の要望をさくっと伝えた方が建設的ってもんなのだ。
「リュカくん、リュカ教の皆様は喜ぶんだろうけど、わたしは遠慮していい?」
「リュカ教って……」
「だって皆さん狂信者ってカンジなんだもん。
しかも他の教えを認めないんだから、あれはもう邪教だよね」
「…邪教……」
「リュカくんからご神託下してくんない?『他教徒を愛せよ』で伝わると思う?
うーん伝わる気がしないなあ…」
リュカは苦笑を浮かべていたが、マリージュは全く気にすることなく、お茶を口にした。
おいしい。さすが公爵家の用意した茶葉。
温度も適温。蒸らしもいいカンジ。
そういえば、このお茶はリュカが自ら淹れてくれていた。
「リュカくん、お茶おいしい。淹れてくれてありがと」
素直にお礼を言うマリージュに、リュカは表情をふっと緩め、
「どういたしまして」
と、穏やかに微笑んだ。
マリージュは知らない。
リュカは基本的に無表情で、人前で微笑みなぞ浮かべないということを。
だって、マリージュの前では、いつも微笑んでいるのだから。
マリージュは知らない。
リュカの、マリージュ以外の人間の扱いは、甚くぞんざいであることを。
たとえ相手が王族であっても、遠慮も配慮も尊重もしないということを。
マリージュだけが、知らない。




