19. いたずらではございません
その日の帰りは、リュカが「今日はどうしても俺がマリージュを送り届ける」と言い張って、梃子でも動かないどころか、お城の礎ばりの不動っぷりを発揮したため、埒が明かないであろうことを悟ったマリージュが大人しく受け入れて、公爵家の馬車で侯爵家まで送ってもらうことになった。
馬車が学園を出発すること数分。
マリージュはウトウトとしていた。
おかげさまでマリージュは、どこでも、どんな状況でも、どんな体勢でも眠れるという太っとい神経の持ち主なため、侯爵家の馬車よりも快適でくつろげる公爵家の馬車の座面と、心地よい馬車の揺れの前でなど、ほとんど秒殺であった。
「マリージュ?」
対面に座っていたリュカが声をかけるが、マリージュは起きる気配を見せない。
「マリージュ。妹思いな兄上殿のありがたい忠告を忘れたのかな?」
リュカが少しだけ不穏な気配を漂わせ始めるが、それでもやっぱり、マリージュは起きる気配がない。
舟を漕いでいると言っていいかわからないレベルに、ぐらんぐらんと揺れているマリージュを前に、リュカは無言で立ち上がると静かにマリージュの横に腰を下ろした。
そして
「―――――ねえリジュ? イタズラしてもいいってこと?」
リュカが何某かのフェロモンのようなものを放ちながら、ぐらぐら揺れまくっているマリージュの頬にそっと触れたとき
「リュカ様。さすがに意識のないご令嬢に無体を働くのは如何なものかと」
と、同乗していた公爵家の護衛さんが制止の声をかけた。
「―――――無体にあたるのか? これが?」
「まあ、一般的には」
主人に対して怯む様子も見せず、ハッキリと告げる護衛に、リュカは不機嫌そうな表情を隠さない。
「…俺は、相当はっきりと気持ちを示しているはずなんだが」
ぼそっと独り言のように零すリュカ。若干ふてくされているっぽい雰囲気なのは、この護衛には素を出せるからなのだろう。
リュカのそんな様子にも慣れているのか、護衛も静かに受け止める。
「そうですね。明け透けにもほどがありますね」
「俺がどれだけ誠心誠意伝えようとも、無意識のうちに有耶無耶にしてのけるマリージュには、多少の実力行使はやむを得ないと思わないか?」
「まあそうですね。ですから、惜しみなく協力してるじゃないですか」
賛同が得られたリュカは、居直ったかのように強気に言い切った。
「しかも俺は、正真正銘マリージュの婚約者だ。責任なら今この場ででも取る。駄目な理由が何処にあると言うんだ?」
(いや、意識のない女性に好き勝手したら駄目に決まってると思いますが…)
一言で言ってしまえばそれに尽きるのだが、護衛は、伊達に長年リュカの側に付き従っているわけではない。リュカに届く伝え方というものを心得ている。
「意識がないということは、マリージュ様の中ではなかったことになってしまいますよ? リュカ様はそれでいいんですか?」
するとリュカは、あっさり退いた。
「いや、良くないな」
まあ実際のところ、そんなことはリュカにだって分かっているのだ。
ただ、少しだけ。
今までずっと、もどかしい思いしかしてきていない中、僅かにかもしれないけれど進展する気配を感じ取ってしまったから。
畳みかけたくなってしまう気持ちは、汲んであげたくもなるのかもしれない。
「せめて、意識があるときにして差し上げてください」
ここにきて護衛が、物凄い譲歩を見せる。
やっぱり護衛さんは、どこまでもリュカの共犯者なのだ。
「…意識があればいいとかいう問題なのか…?」
「本気で嫌だったら抵抗することが可能ですからね。マリージュ様なら、やってのけるでしょう?」
そもそもの話、恋愛的な意味では、マリージュは大概に酷い。
リュカの腹の中は真っ黒だし、マリージュ以外の人間に対して一切の容赦がなく、なんともまあこっぴどい男とは言え、婚約者としては大変誠実であり、そして何より一途だ。
そんなリュカの真っ直ぐな愛情表現を、よくわからない理論で捻じ曲げて解釈してのけるマリージュに問題がないとは言えない。
甘い空気を漂わせただけでは、無反応どころか鳥肌で震えて明後日の方向に全力で走り出すマリージュに、ちゃんと「溺愛スイッチがオンの状態に入った」ということが伝わるようにと、「愛称で呼ぶ」というはっきりとしたサインを送っているというのに、そのサイン自体、きっと伝わってはいない。
こうなると、多少の実力行使は致し方ないような気はする。
でも、だからこそ、『マリージュに抵抗の余地を与える』という誠意を示してあることが重要になるのだ。
―――――例え、抵抗する隙を一切与えなかったとしても。
リュカは、小さく溜息を吐くと、名残惜しそうにマリージュの頬から手を離した。
馬車の揺れにともなって、ぐわんぐわん揺れているマリージュのあどけない寝顔を見つめながら、「仕方ないな」と言いたげに少し眉尻を下げると、マリージュを自分の肩のあたりに寄りかからせる。
「今日のところは肩にしておくが、膝枕の方が寝顔がよく見えていい気がするな。膝枕は無体にはあたらないってことでいいか?」
「……膝にヨダレがついてもよろしいのなら」
「ヨダレ程度で怯むようじゃ、端からマリージュの婚約者なんて務まらないんだよ」
そんな、年頃の女子に関するものとは思えないような話題に気づくこともなく、「むにゃ…」などと、何の意味もないただ呑気なだけの寝言を零すマリージュに、リュカは穏やかに微笑みかけると、馬車の揺れに身を任せた。
(兄上殿の前で意味深な空気でも醸し出して、憂さ晴らししてやろう)
などと考えていたことは、護衛すらも気づいてはいなかった。




