16. 婚約者は暗躍する
現実を知ってしまったマリージュは、激しく動揺していた。
(うわああああぁ! しまったあああぁぁっ! どうしよう…どう戦う? …っていうか、あれ何?? とりあえず、体を張って楯を全うするしか術がない…!)
己の体で敵からの攻撃を阻むべくリュカの前に立ちふさがったまま、マリージュは飛んでくる黒いものを凝視する。
結構なスピードで飛んで来てはいるが、見えない速さでもない。ただ、数がかなり多い。
大きさは、リンゴかオレンジ程度に感じる。
羽と思しきものが動いているように見えるので、かなり大型の昆虫か、小型の鳥か、とにかく生物。
それなら現実的な話、よっぽど当たり所が悪くない限り、喰らったところで命の心配はないはず。心置きなく楯に注力できるってもんである。
顔付近には、目や眉間、喉といった急所があることを考えると、本当は背中で受けたいところなのだが、そうすると飛んで来ているものの動きが見えない。
しかも、リュカはマリージュより遥かにデカいので、どう考えても頭などがはみ出てしまい、マリージュの背中だけではガードしきれないだろう。
覆い隠せるのであれば攻撃が止むまで耐え凌げばいいが、それが難しい以上は敵の出方を見て臨機応変に対応しなければならないのに、敵から目を離すなぞ論外だと結論付けたマリージュは、真正面から受けて立つことを選択する。
数が多い割には動きを追えているし、マリージュの動体視力と反射神経はなかなかイケてそうだ。このあたり、格闘ゲーマーとしての経験が活きているに違いない。こんな時だけど地味に嬉しい。
一匹残らず何とかしようと思ったら無謀でしかないが、対象を『リュカの顔面付近に向かってくるもの』に絞れば概ね対処できそうな気がする。
黒いものの正体は定かではないが、ヘラクレスオオカブトみたいなもんだと思えば、特段恐れはない。
貴族のご令嬢は往々にして虫が苦手なものだが、マリージュの前世らしきJKは、家の中を走り回る黒茶けた害虫の猛威に際して、殺虫スプレー片手に奮然と立ち向かっていたのだ。ちょっとデカいくらいでビビりはしない。
マリージュは目を逸らすことなく、飛んでくるものの動きを注意深く追っていた。
―――――その時
「マリージュ」
背後からふわりとマリージュの肩と腰にそれぞれ手がかけられたかと思うと、くるりと体の位置が回転した。
マリージュがリュカに抱きすくめられ、リュカの背に庇われる格好になった瞬間、バチバチバチッと激しい音がマリージュのすぐ近くで鳴った。
「きゃあああっ 痛っ…なに!?」
ヒロインは悲鳴をあげながら、地面にうずくまる。
「リュカ様!!」
護衛さんが、リュカとマリージュの前に立ち、壁になりつつ飛んでくるものに対峙する。
周囲は騒然となり、リュカ教徒の皆様も悲鳴をあげながら逃げ惑っている。
「リュカくんっ!?」
マリージュも、思わず悲鳴に近い叫び声をあげていた。
リュカの楯になろうと、リュカの腕から脱け出すべく懸命にもがいたが、リュカはびくともせず、マリージュを抱き込んだ姿勢を保ち続けている。
「大丈夫。じっとしてて」
リュカの声は落ち着き払っていて、恐怖どころか動揺すらも感じ取れないが、その間も耳の近くではバチバチと引っ切り無しに音が鳴っている。飛んでくる黒い生物がぶつかって来ているのだろう。
音こそ聞こえるが、マリージュには少しも当たらない。
どのくらいの数がぶつかっているのかもわからないくらい、マリージュには掠りもしない。
―――――リュカが、防いでくれているから―――――。
(…なん…で……?)
マリージュは混乱していた。
だってマリージュは、楯としてリュカの側にいることを求められていたはずなのに。
それなのに、いま、マリージュはリュカに庇われている。
リュカは、身を挺してマリージュを守ってくれている―――――。
「なんで……っ」
無意識のうちに声がこぼれ
マリージュは、何故だか泣きたいような気持ちになった。
リュカの背が高いことは勿論知っているが、いま自分を包んでくれている背中は、それ以上にとても大きく、そして温かく感じた。
そんなこと、マリージュは今の今まで知らなかった。
子供の頃から、一緒にいたのに。
助けてくれたことだって、これが初めてじゃないのに。
それでも、それだけど、それなのに、
(……どうして知らなかったんだろう―――――)
「リジュが健気に俺を守ろうとしてくれるのが、もう可愛くて可愛くて、堪能したいがために対処を先送りにしてきた俺のせいでもあるからね」
いつもなら鳥肌が立ってしまうはずのリュカの甘さを含んだセリフも、今は何だかすっと耳を通り、マリージュは弱々しくリュカの上着の裾を掴んだ。
それに気づいたリュカは、ふんわりと頬を緩める。
(わたし、何かもう色々ダメじゃないの…。ほんと情けない…)
戦うつもりだったのに、戦えると思っていたのに、結局は何もできなかった。
気持ちばっかりで、それだけで何故だか勝てる気になっていて、何の準備も対策もしていないことに気づいてさえいなかった。
その結果、守るべきリュカに、自分を守らせてしまった―――――
「ごめんリュカくん、ごめんね…ありがとう…っ」
リュカは半泣きのマリージュを宥めるように、
「これでも鍛えてるから、たまにはカッコつけさせて」
と、マリージュの背中を優しく撫で続けていた。
一方、公爵家の護衛は、飛んでくる黒い生物を叩き落としながら、リュカがどさくさに紛れて、手に持っていた何かをさり気なく石の上に落として…というか叩きつけてヒビを入れた後、靴の踵で念入りに踏みつぶして破壊したことに確と気づいていた。
黒い生物は次第に方々に散って行き、しばらくして周囲は静けさを取り戻す。
「…コウモリ…か…?」
自分が叩き落した数匹を眺め、護衛が呟く。
そして、リュカとマリージュの無事を確認するべく背後に目を向けた護衛は、マリージュを腕におさめたままのリュカが満足そうににんまりと笑う姿を、するっと見なかったことにする。
リュカの手の中にあったはずの、なにかのことも。




