12. いたずら
マリージュが学園の廊下を一人で歩いていたところ、どこからか、
「リュカ様~!」
という、ヒロインちゃんの声が耳に届いた。
マリージュが目線を上げてみると、ヒロインちゃんは中庭の木の上にいた。
腕に猫を抱えていることから、「下りられなくなった猫の救出のために木登りした」とか、平民出身ヒロインにありがちなアレだろうと思われた。
いや、「人間が梯子も使わずに登れる高さと枝ぶりなら、猫は苦も無く自力で下りられると思う…」とか無粋なことを言ったら演出が台無しになっちゃうに違いないから、マリージュは口を噤んでおこうと思う。
無邪気な笑顔を振りまきながら、猫を抱えていない方の手を大きく振っているヒロインちゃん。ヒロインちゃんが顔を向けている先にマリージュも目線を動かしてみると、渡り廊下を有料の個室方向へと足早に進むリュカの姿があった。
「リュカ様~っ」
ヒロインちゃんはしきりに声をかけているが、リュカが足を止める気配はない。
颯爽とした足取りは、なかなかのスピードながらやたらと優雅で、かすかな風を受けた銀色の前髪がさらさらと横に流れ、陽の光にキラリと輝く様は、加工ソフトでエフェクトでも足したのかと思いたくなるほどの光量を放っている。
マリージュの好みとは少しもかぶっていないというのに、そんなマリージュですらそう感じるんだから、好みどストライクな人にはどれだけ眩しく光り輝いて見えているのだろう。そりゃ神様扱いしたくもなるよね…なんて、信者の皆様の気持ちがわかるような気がしてしまうほどだ。
「リュカ様~……?」
ヒロインちゃんが何度声をかけようとも、リュカの歩みは一向に止まらない。
(リュカくんにはヒロインちゃんの声が届いていないんだろうなあ…)なんてマリージュが思い始めたとき、リュカの斜め後方を歩いていた護衛さんが、ちらりとヒロインちゃんに視線を向けると、控え目に会釈をした。
(あ、聞こえてないわけじゃないのね…?)
それなら、リュカの行動の意味するところはと言ったら…。
(―――――つまり、ガン無視しているということなのでは……?)
ヒロインちゃんも、その可能性に思い至ったらしい。
ショックを受けた顔をしたのが、マリージュのいるところからでも見て取れてしまった。
(…あ~………。もしかしてナニか君がいる限り、ヒロインちゃんがリュカくんと距離縮めるのって無理なんじゃない…?)
思い返してみると、リュカは熱狂的信者に囲まれ、黄色い絶叫をその身に受けまくっていても、女性関係にまつわる、いわゆる浮いた噂は耳にしたことがない。
実際リュカは、一応現役で婚約者という立場にいるマリージュに配慮してくれているように思う。
これから芽生えるかもしれない心華やぐ色鮮やかな恋心よりも、穏やかな友情で結ばれている婚約者を立てられるリュカの自制心は、揺るぎないレベルだと言えるんじゃなかろうか。
そこを打ち破るには、『ナニか君』は相当な壁のように感じる。
ナニか君がいる限り、『最愛の婚約者』というコンセプトが活きるマリージュには楯としての需要があり続けるわけで、例え『楯として』であったとしても、婚約者の名を冠するマリージュがすぐ目の前にいる限りは、きっとリュカは自制心を保ち続けるのだろうと思うのだ。
ナニか君に対する怯えとか恐怖とか嫌悪だけに留まらず、リュカの理性やマリージュへの誠意までもが、ヒロインちゃんの前には立ちはだかってくるのだ。
大変残念なことに、未だにマリージュにはナニか君が見えない。
姿も現してくれないナニか君が、マリージュに助けを求めているわけがない。
きっと、ヒロインちゃんに助けを求めているからこそ、ナニか君はヒロインちゃんに取り憑いているのだ。求められているということは、ヒロインちゃんには何とかできる力があるってことなんだと思う。
異世界系の漫画や小説で『ヒロイン』といったら、なかなかの確率で聖女的な尊い力を持つ存在だったように思うし、恐らくこの世の者ではないであろうナニか君と相対するに相応しい能力があるってことなんだろう。
(ヒロインちゃん、まずはナニか君を浄化してあげてね…)
マリージュが真理っぽいモノに辿り着いた瞬間、突然リュカがぴたりと足を止めた。
ヒロインちゃんのことを無視していたわけじゃなくて、考え事か何かしていて声に気づいていなかっただけなのかもしれないと思いながら眺め続けていたら、リュカはくるりと振り返った。
ヒロインちゃんの方には目もくれず、マリージュの方に。
そして、マリージュと目が合った瞬間に、ふわりといつもの微笑みを浮かべると、マリージュの許へと踵を返したのだ。
「マリージュ、授業は終わった?」
ヒロインちゃんのことは放っといていいんだろうかとは思いつつ、リュカが気づいているんだかいないんだかな態度だというのに、蚊帳の外のマリージュが口を挟むのもどうなんだろうという思いもあり、とりあえずそこには触れずに、さりげなく楯の役目だけ果たしておくことにする。
「うん。国史ねむかった~」
「じゃあ濃い目にコーヒー淹れようか? それとも昼寝しておく?」
ヒロインちゃんのいる木の前らへんをあっさりと通り過ぎ、駆け寄るかのようにマリージュの前に到達したリュカは、それが当然と言わんばかりに、マリージュをリュカ専用個室へと促す。
「う~ん…お昼寝は駄目だからコーヒーお願いしようかなぁ」
促されるまま足を進めながら、マリージュはさりげなく恙なく、ヒロインちゃんのいる木がある側にポジション取りをした。
そこそこ距離があるため、今この場でナニか君が何某か仕掛けて来るとはあんまり思っていないのだが、マリージュが間に挟まることで若干なりとも牽制になってくれれば、最低限は楯として役目を果たしたと言えるだろう。
「なんで昼寝は駄目なの?」
「『寝てる間にイタズラされちゃいそうだから、そろそろリュカくんの前で寝るのは止めときなさい』って、お兄様が」
マリージュの言葉に、リュカの反応が一瞬止まる。
「…なるほど。兄上殿、なかなか鋭いな」
ぽそりと呟くように零したリュカを前にして、マリージュは驚愕に目を見開いた。
「やっぱりリュカくん、わたしのカオに落書きするつもりだったんだ!? 瞼に目とか書いちゃうつもりだったんだっ!?」
「いや、落書きではないけどね」
「じゃあなに!?」
「……………それは内緒」
たっぷりとタメを作りながらニヤリと意味深に笑うリュカに、腹黒いリュカが考えるイタズラなぞ想像もつかないマリージュは、もう気が気ではなくなってしまった。
すっかりそっちに気を取られてしまったマリージュは、そのままリュカ専用個室でのコーヒータイムになだれ込むと、絶対に微笑ましいものではないであろうリュカのイタズラを阻止することに全力を注いでしまった結果、木の上で存在をアピールし続けていたヒロインちゃんのことをすこーんと忘れ去ってしまったのだった。
ヒロインちゃんは、その後、一人ひっそりと木から下りた模様である。




