氷の心を持った奴(The ice boy)
よろしくお願いします。
翌日、コーヒーとトーストの軽い朝食を取ってから、いつも通り6時半にアパートを出た。出がけに「早くここから消えろ!鍵はポストに入れとけ!」と典子に吐き捨ててやった。牝猫は思いっ切り顔をしかめ、舌を出して返しやがった。クソビッチめ!さっさと移転先を見つけて来い!
昼休み、いつものように同期の市橋悟と工場内の検査室でタムロする。缶コーヒーを片手に、ちょっと悩まし気に切り出してみた。
「なあ悟、実は昨日から牝猫が居ついてるんだけど、バイトの口ってないかな?お前の実家コンビニやってるんだろ?」
悟は首をかしげて聞き返してくる。当然の反応だ。
「さっぱり意味わかんないんだけど。洸ってさあ、いつもハッキリ言わないんだよな。知らぬ間に女が出来てたの?それが寮から出た理由?」
これくらいの誤解は想定内だ。いちいち説明するのも面倒だけど、野良猫に出て行ってもらうためにはしょうがない。俺は飛び込んで来た疫病神の顔を思い浮かべ、口元を歪ませて答えた。
「実はさあ、施設に居た時の妹分なんだよ。十八になって施設を出たはいいけど、アッサリとプーになって飛び込んで来やがった。金も無けりゃ住むところも無いので、せめて働き口だけでも示してやらないと追い出せないんだよ」
「へえ、洸にしては珍しいよね。唯我独尊のお前らしくないじゃん。まあ、らしくない行動に免じて兄貴に聞いといてやるよ。言っとくけど、平気で仕事に穴を空ける女はダメだぞ!俺の信用に傷が付くから」
俺はホッと安堵した。あくまで取りあえずだけど。でも、コンビニバイト程度で一人暮らしは出来ないよな。クッソー!バカ女め!少しは先を見て行動しろってえの!苦虫嚙み潰したような俺を見て、悟はいぶかしげに続けた。
「それで、保証人は洸でいいんだな?いくらバイトとは言え、何か起こした時のケツ持ちは必要なんだし」
ゲッ、それじゃ牝猫に居座られちゃうじゃん。この際、悟にヤらせちまおうか?
「とにかく帰りに俺のアパートへ寄ってくれよ。悟だって話してみなくちゃ不安だろ?もしかして気に入るかも知れないぜ」
「アパートに寄るのはいいけど、何か作為的だよなあ。ところで洸は、もうその女とヤっちゃったの?」
「ヤってねえよ!彼女じゃないんだからさ。まあ、誤解されてしまうのはしょうがないんだけど、悟にだけは信じて欲しいな」
「一応信じてやるけどさ。洸、まさか厄介者を俺に押し付けるんじゃないだろうな?」
「違うって!俺は典子に自立して欲しいだけなんだ」
悟の顔を観察していると、絶対こいつは半信半疑だとわかる。まあいいや。取りあえずの連続で何とかなって行くもんさ。
「ふーん、典子って言うのか。いったいその女はいくつなの?」
「まだ十八才だよ。高校出て二ヶ月も経ってないのに無職で宿無しのクソビッチ!でも、見てくれは悪くないから精々可愛がってやってよ。頭には期待するなよ。あと何があったっけ?まだ未成年だから成年後見人は園長先生がなってくれてると思うし……。あッ、そうだ!俺から先生に連絡入れておかなくちゃ。どうせ典子は怒られるのをイヤがって、コンタクトを無視してるに決まってる」
その時、学卒同期入社の麻宮菜緒子が検査室に入って来た。俺を一瞥してからクスッと笑って言いやがる。
「やっぱり検査室で正解だったわね。特別な用でもない限り絶対市橋君と一緒なんだもの。さすが恋人同士!あのね洸君、小川さんって女の子から事務室に電話が掛かってるわよ。望月さんって言わずに洸君お願いしますって言うんだもん。カワイイね。彼女なの?」
「お前なあ、それを早く言え!」
麻宮を睨んでから事務室に駆けて行った。
昼当番の片割れ女子が俺の姿を見て受話器を指差す。保留ボタンを解除し、焦った感じで話し始めた。
「いったい何やってんだ?お前にケイタイ教えてなかったのは悪かったけど、何か急用でも出来たのか?」
「うん、園長先生から電話が有ったので洸と一緒に暮らし始めたと言っといた。一度二人で来るようにと返されたので早く報告しなきゃって思ったの。机の周りを漁っていたら洸の会社のパンフを見つけたので即行連絡したってわけ」
「お前なあ……、帰ったら覚悟しとけよ!晩メシの支度でもしながらおとなしく待ってろ!典子、わかるか?俺は平穏に暮らしたいんだ」
「うん、わかった。じゃあ切るけど、洸、私のためにもお仕事頑張ってね」
そのまま受話器をガチャンと乱暴に収めた。ビッチの分際でふざけやがって!お陰で園長先生に連絡する手間は省けたけど。いや、もっと面倒なことになっただけだ。ホントにあいつはお行儀の悪い野良猫だ。ところ構わず喰い散らかしやがって。
苦々しい顔で溜め息をついたら、通話中に戻って来ていた麻宮にクスクス笑われてしまった。
「掛けて来たのは洸君の彼女なの?その割には憂鬱そうな顔をしてるけど。もしかして一緒に暮らしてるとか?でも、ケイタイも知らないって変よね?」
「彼女じゃねえよ!一緒に暮らしてもいねえ!俺は彼女なんて作りたくない。ただ、事情があんだよォ!」
「へーえ、きっと珍しいんでしょうね。あなたって感情を表に出さない人だと思ってるから。私で良かったらいつでも相談してね。洸君に限って乗ってあげるわよ」
「そいつはどうも。でも、悟で間に合うからいいよ。わざわざ麻宮女史の手をわずらわせるなんてしません!」
プイと麻宮に背を向けて検査室へ戻った。缶コーヒーを飲み直したところでチャイムが鳴ったので、悟に一緒に帰る約束だけして受け持ちラインへ戻った。
終業後、タイムカードの横で悟を待っていたら麻宮がやって来た。
「あれ?一人でどうしたの?もしかして私を待ってたとか?」
「あのなあ、どうしてそう思えるわけ?悟を待ってるだけだよ。一緒にアパートへ帰る約束がしてあるんだ」
「ねえ、私も連れて行ってよ。洸君の暮らしてる部屋なら見たいわ。お茶を飲むくらい彼女も許してくれるでしょ?」
「彼女じゃねえってのに!」と言おうとしたけど飲み込んだ。こいつに弁解しても意味が無い。そうだ!麻宮に臨時の彼女になってもらおう。そうすれば典子も近日中に出て行かざるを得なくなるだろう。思い付きだけど、何もしないよりはマシなはずだ。
「麻宮、悪いけど今夜は俺の彼女として振る舞ってくれない?今度メシ奢るからさ」
「何なのよ?急に態度を変えちゃって。そうねえ、ご飯じゃ足りないからデートしよう!それが今夜の絶対条件だわ」
こいつ、バカじゃねえの?公立の四大出でもこの程度かよ。こんな軽い奴だとは思わなかったぜ。
「ああ、わかった。とにかくよろしく頼むよ。恋人らしく菜緒って呼ぶからさ。住み着きたがってる野良猫を追い出してやってくれ」
「不思議だね。放り出すだけならこんな手の掛け方しなくてもいいと思うけど。とっても洸君らしくないところが意味深だわ」
俺が返す言葉に詰まったタイミングで、悟が着替えを済ませてやって来た。
「悟、悪いな。麻宮も俺の彼女として連れて行くから、うまく合わせてよね」
急に言われて戸惑う悟に構わず駐車場へ向かった。菜緒子はバス通勤なので俺が乗せて行くことにした。もちろん、アパートから自宅へ送ることも約束した。
青いボロヴィッツの後ろを悟の白いプリウスが連いて来た。アパートに隣接する駐車場は未舗装だが広さだけは充分にあるので、俺の横に駐めておけばいいと悟に伝えておいた。ちなみに料金は月三千円だが駐車位置は決まっていないし、来客はタダで勝手に置けばいいという田舎特有のアバウトさである。長期放置はもちろんアウトだけど。
部屋に入ろうと207号室のドアノブを捻ったらロックが掛かっていた。ノックをしても応答が無い。おかしいなあ、部屋で待ってろと言っといたのに。何処へ出掛けたんだろう?しょうがないのでポケットから合鍵を取り出しロックを解除する。
ドアを開けたら牝猫が茶ぶ台の横に寝転がってタバコを吸っていた。部屋に居るのに中からロックを掛け返事もせず、借主の俺をコケにするクソっぷりに呆れた。
通勤用のビジネスバッグを顔面目がけて投げつけてやった。とっさに構えた典子にバッグは叩き落とされたが、タバコの火の粉は飛び散ってしまった。クソビッチはビックリしたのと怒った複雑な表情を見せやがった。
「いきなり何すんのよ!危ないじゃない!」
それからやっと起き上がり俺の背後を見て顔を引きつらせる。
「洸!もしかして私を追い出すの!?」
「そうさ。元々一泊二日の約束だろ?行くところが無かったら後ろのお兄さんにでも泊めてもらいなよ。俺は依存体質の奴って大嫌いなんだ。典子も昨日俺のことアイス・ボーイって言ってたじゃん。お前を見てるだけでボコボコにしたくなるね」
冷めた目で牝猫を睨みつける俺に、悟と菜緒子は少なからず驚いている。決して会社では見せない俺の本質的な眼差しだ。そのまま身体を寄せて頬をグイと掴んでやると、小刻みに震える典子の目から涙が溢れ出した。
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