9話 遊びましょ 4
四勤日目。
いつもの仕事の古本屋の店番をしながらも、アレックスはソワソワとしていた。
本より手鏡を見ている時間のほうが長いほどだ。
客がドサッと購入する本をカウンターに置いて、初めて我に返る。
「あ、いらっしゃいませ……」
「仕事より自分の見た目が気になるか?」
イライラした客の一言は一理あって、返す言葉に困ったアレックスは、本を袋に詰めて、値段を打ってレシートを渡すのが精一杯だった。
カランとドアベルを鳴らして出ていく客の背に、なんとか「ありがとうございましたー」と声をかけて、大きくため息。
「やっちまったー……」
窓の外の夜空を見上げると、輪のかかった月。
明日は休日。ウキウキしている自分が隠せない。
◆◆◆
「いやはや、大っ嫌いな社交界がおしゃれの見本市に変わるとはね」
同日、社交界後のウィルゲンシュタイン邸では、クローディアがドロシーを傍らに控えさせ、まとめた髪を解いておしゃれに勤しんでいた。
服は母親のものがそのまま使えた。控えているドロシーは眼鏡を輝かせており、レンズの反射で、その目元は見えなかった。
「それはようございました」
「センスは持ち帰らせてもらおう」
男装を解いたクローディアは姿見の前で母のドレスをハンガーごと合わせてみる。
「黒は……、悪女感強いな……」
自分の髪の色と青銀色の瞳が女傑感を強めていた。
「ジュルッ……紫にします?」
ドロシーは何度も固唾をのんでいた。文字通りよだれだ。
「紫も派手だね。……さっきから聞こえるよだれの音は何なんだ……」
「お気になさらず……ジュルッ」
「気になるって……」
結局、白のシルク地のドレスを選ぶ。光を反射して青銀色に輝くのは瞳に合わせた形だ。
「しかし、男装を解いてまで会いに行くというのも、何を思ってのことですか?」
「順序が逆だよ。先に了承出しちゃったから、僕は義理を通す必要が出た」
「なるほど。ドライですね」
「こんなことを続けられるかはわからないさ」
一応、ドロシーは忠告だけは発した。
「バレるような行為は避けてくださいよ?」
「わかってるよ。猫被るのは上手なんだ。知ってるだろ?」
「存じております。常に被ってますものね」
そしてドレッサーの前で自ら化粧を施すクローディア。
ドロシーは櫛で髪を梳き、枝毛を見つけては鋏を入れる。
「化粧もいつの間にか板につきましたね」
「公務で表に出るとき、化粧されてた経験が生きてるね。とはいえ今のこれは練習中なわけだけど」
「なんでそんな気合い入れてるんですか? 公務より本気じゃないですか」
「なんでって……、絶対ロバートには言うなよ? アレックスのヤツこっちの僕に向けて“憧れの人”とか言ったんだぞ? それなりに仕上げなきゃ」
その言葉を聞いて、ドロシーは停止した。
そして数秒停止すると──
「お花摘みに行ってまいります」
──と言うと、櫛と鋏を置いて廊下の奥に消えていった。
「行ってらっしゃい」
──と送るのはクローディア。
想像はつくだろうが、ドロシーの言葉は嘘だった。
「書き留めなきゃ……! このエモを書き留めなきゃ!!」
彼女は自室に向かっていた。
◆◆◆
休日の朝。まだ空気が冷たく心地の良い時間帯。
待ち合わせ場所はクロードから聞いていた。
アレックスは街の噴水のある広場でソワソワとしていた。
懐中時計を取り出し、時間を確認。
(いくらなんでも早すぎた)
内心、彼は後悔していた。
あくび。
(眠いな……、気合い入れすぎた)
昨日の晩、仕事の終わりにヘアワックスを買い、家で服を見繕ってもいた。
一番マシな組み合わせを探っていたが、もともと裕福ではないこともあり、結局どれも似たような服装だと結論をつけたのは、朝日が昇る直前だった。
週末はとにかく授業よりももっと早く、もっと早くと、自分を追い立て、机に向かう時間だった。
それが今や、遊びの誘い一つで浮かれている。時間の使い方がまるで逆だ。
(一日まるごと遊ぼうと思ったのは、いつ以来だろう……)
過去の自分のストイックさに、申し訳が立たないでいた。
(ダサいなぁ俺……)
自嘲気味に青空を見上げたときだった。
コツ、とヒールの足音。
その方向に目を向けると、彼は一気に目が覚めた。
通行人の視線を集めながら、白いドレスをまとった栗色の長い髪の美女がこちらに歩いてきていたからだ。
「早いのね、アレックス。待たせたかしら?」
その一言だけで、アレックスはしどろもどろになった。
「あ、そ、その……」
そんな様子を見て──
(いやー、君が僕にそんな顔するの? 面白いなー)
──と内心ほくそ笑むのはクローディア。
なんとか、アレックスは言葉を発した。
「く、クローディアさんこそ、早いですね」
「クローディア、でいいわよ。同い年くらいでしょ?」
彼女がニッコリと微笑むと、アレックスはボンと顔から火を吹いた。
それを見て、クローディアの中に罪悪感が芽生えた。
(……やめろよ、そこまで照れられると、予想外だ。
茶化せなくなるだろ。やりすぎないようにしないと……。
それはそうと、こいつにさん付けされるとくすぐったいんだよな……)
自分を戒めていると、アレックスは勇気を出した。
「く、く、クローディア……」
「そう!」
願いが通じたことで、クローディアは大きくうなずいた。
彼女はそのままアレックスの手を引いて、街路を走り出した。
「クローディア! どうしたの!?」
「折角の休みだもの! 早く遊びましょ!」
クローディアも、自分の顔が紅潮しているところを見られたくはなかった。
そして、そんな彼女を追いかけている細身の女もいた。
「ジュルリ」
──よだれをすすりながら。
つづく。




