その35
## 大神官
第四王子殿下への質問攻めが、ようやく一段落した頃。
私は今が頃合いだろうと判断し、殿下へ声を掛けた。
「第四王子殿下」
「はい?」
「聖女様が、殿下とお話ししたいとおっしゃっております。少々お時間をいただけますでしょうか」
第四王子殿下は、少し驚いたように目を見開かれた。
「聖女様が……私とですか?」
「はい」
「分かりました」
殿下はすぐに表情を整えると、周囲に集まっていた令嬢たちへ爽やかな笑顔を向けた。
「皆様、申し訳ありません。少し席を外します。どうぞそのまま、お茶会を楽しんでください」
「はい、殿下」
「いってらっしゃいませ」
さすがに、相手が聖女様では誰も引き止められない。
私は第四王子殿下をご案内し、そのまま聖女様たちの席へ向かった。
正直なところ。
この時の私は、何の疑いも抱いていなかった。
聖女様がお話ししたいとおっしゃった王子。
それは当然、第四王子殿下である。
あれほど格好いいと褒めておられたのだ。
顔まで赤くされていた。
間違えるはずがない。
――そう思っていた。
「聖女様」
私は少し誇らしい気持ちすら抱きながら声を掛けた。
「第四王子殿下をお連れいたしました」
聖女様が笑顔で顔を上げる。
そして――。
「…………」
固まった。
「…………?」
私も固まった。
聖女様の表情は、照れているわけでも、緊張しているわけでもない。
半目だった。
それも、
『誰だこいつ』
と言わんばかりの、見事な半目である。
(……え?)
背中に嫌な汗が流れた。
おかしい。
これは、恋する乙女が憧れの王子を目の前にした時の表情ではない。
少なくとも、私の知る限りでは違う。
私は恐る恐る、聖女様の隣にいる四人へ視線を向けた。
ヘレナ嬢。
スージー嬢。
ニーナ嬢。
ルナ嬢。
「…………」
全員。
同じような半目だった。
特にヘレナ嬢など、
『大神官様、何をしているの?』
と目だけで語っている。
(…………)
嫌な予感がした。
いや。
もう予感ではない。
私は、やらかしたらしい。
(……もしや)
非常にゆっくりと首を動かす。
(聖女様がお話ししたかった王子とは……)
視線の先。
ビュッフェの一角。
そこには第五王子殿下がいた。
周囲の大騒ぎなど気にも留めず、幸せそうな顔でプリンを食べておられる。
「……美味しい」
実に幸せそうだ。
(あっ)
全身から血の気が引いた。
(終わった)
完全に理解した。
私が間違えた。
聖女様が気にしておられたのは――第五王子殿下だったのだ。
第四王子殿下ではない。
私が勝手に、
『あれほど格好いいのだから第四王子殿下に決まっている』
と思い込んでいただけだった。
(お待ちください、殿下)
私は慌てて止めようとした。
しかし。
時すでに遅し。
第四王子殿下は一歩前へ出られた。
「聖女様。初めてお目にかかります」
(殿下!)
「第四王子、エドワードと申します」
(そこまでで結構です!)
もちろん、心の声が届くはずもない。
第四王子殿下は、完璧な王族の微笑みを浮かべていた。
「本日は私どものお茶会へご出席いただき、誠にありがとうございます。王家を代表し、心より御礼申し上げます」
「…………」
聖女様は無言。
だが殿下は、それを緊張されているのだと受け取ったらしい。
「これからも王家と神殿が強い絆を民へ示し、共にこの国を豊かにしていければと思っております」
「…………」
「今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
完璧だった。
挨拶の内容。
立ち振る舞い。
笑顔。
声の調子。
どこを取っても、王子として満点と言っていい。
そして最後に。
第四王子殿下は、王族として令嬢へ礼を示すため、聖女様の右手をそっと取った。
(あ)
嫌な予感がした。
いや。
今度こそ。
本当に。
まずい。
「殿下、それは――」
間に合わなかった。
第四王子殿下は、その手の甲へそっと口づけた。
「…………」
聖女様の瞳が大きく見開かれた。
一秒。
二秒。
三秒。
静寂。
そして――。
「いやーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
聖女様の絶叫が、王宮中へ響き渡った。
次の瞬間。
ドゴォォォォォォォン!!
「…………え?」
第四王子殿下の姿が消えた。
いや。
消えたのではない。
吹き飛んだ。
ものすごい勢いで。
一直線に。
大広間を抜け。
開け放たれていた庭園側の扉を通過し。
約三十メートル先にある、王家が夏場に使用する大きなプールへ――。
「ドボォォォォン!!」
巨大な水柱が上がった。
「…………」
会場は静まり返った。
誰一人として声を出せない。
国王陛下も。
王妃殿下も。
先ほどまで第四王子殿下を囲んでいた令嬢たちも。
近衛騎士も。
侍従も。
料理人も。
皆。
大きな水柱が上がった方向を、呆然と見つめている。
私も動けなかった。
(……三十メートル)
そんな数字だけが頭に浮かんだ。
よく飛んだ。
いや。
そうではない。
今はそんなことを考えている場合ではない。
ただ一人。
聖女様だけが大慌てだった。
「だっ、だっ、だっ、大神官!」
「は、はい!」
「大神官!大神官!」
「ここにおります!」
私は即座に駆け寄った。
聖女様は右手を突き出し、半泣きになりながら訴えてくる。
「アイツ!」
「はい!」
「私の手に!」
「はい!」
「キッ、キッ、キスしたわ!」
「……はい」
しました。
確かに。
私が連れてきた第四王子殿下が。
「消毒!」
「はい?」
「早く消毒して!」
「しょ、消毒でございますか?」
「アルコール! 石鹸! 熱湯! 全部持ってきて! 早くーーー!」
「熱湯はいけません!」
そこだけは全力で止めた。
私はすぐ近くにいた神官たちへ振り返る。
「消毒液を至急!」
「はい!」
「それから石鹸と、ぬるめのお湯を!」
「承知いたしました!」
数人の神官が一斉に走り出した。
その横で、ヘレナ嬢が頭を抱えている。
「だから……違うと思ったのよ」
「…………」
スージー嬢も大きなため息をついた。
「大神官様」
「……はい」
「第五王子様でしたよね」
私は静かに頷いた。
「……そのようですな」
今となっては明白だった。
ニーナ嬢は遠い目をしている。
「これは……完全な人選ミスですね」
「返す言葉もございません」
ルナ嬢だけは、いまひとつ状況を理解できていないらしい。
「えっと……」
おずおずと手を上げる。
「手の甲にキスされるって、そんなに嫌なことなんですか?」
ヘレナ嬢が小声で答えた。
「嫌というより……」
「はい」
「聖女様、好きな人以外の男性に触られるのが、すごく嫌なのよ」
「あぁ……」
ルナ嬢が納得したように頷く。
私はさらに項垂れた。
知りませんでした。
それを事前に知っていれば。
いや。
そもそも私が王子を間違えなければ済んだ話である。
その頃。
三十メートルほど先のプールでは。
第四王子殿下が、ずぶ濡れになったまま水面から顔を出していた。
近衛騎士たちが慌てて救出へ向かっている。
殿下は水面に浮かびながら、呆然と空を見上げていた。
「…………」
やがて。
ぽつり。
「私は……」
もう一度、空を見る。
「何を間違えたのでしょうか……」
お気の毒である。
第四王子殿下は何も間違えていない。
間違えたのは――。
「大神官」
背後から、国王陛下の声が聞こえた。
「…………はい」
私は非常にゆっくりと振り返った。
陛下が立っておられた。
笑ってはいない。
怒ってもいない。
ただ、何とも言えない顔で私を見ている。
「一つ聞いてよいか?」
「……何なりと」
「聖女殿が話したいと申していた王子とは」
「…………」
「本当にエドワードだったのか?」
私は答えられなかった。
代わりに。
静かに腕を上げた。
指差す。
ビュッフェ会場。
その先では。
第五王子殿下が、何事もなかったかのようにプリンを食べていた。
いや。
二個目へ突入している。
「美味しい……」
一個目より幸せそうな顔だった。
国王陛下は第五王子殿下を見る。
次に。
まだ消毒を要求して騒いでいる聖女様を見る。
もう一度、第五王子殿下を見る。
そして。
ゆっくりと目を閉じられた。
「……そうか」
「…………」
「そういうことか」
「……申し訳ございません」
ようやく。
すべてが繋がったらしい。
陛下は額へ手を当てる。
私も同じように額を押さえた。
つい先ほどまで私は、
『聖女様は第四王子殿下へ一目惚れされた』
などと確信していた。
第四王子殿下との結婚後の生活まで勝手に心配し。
神殿を離れられたらどうしようなどと悩み。
しまいには第四王子殿下へ心の中で、
『聖女様を泣かせるな』
とまで忠告していた。
その結果が。
これである。
第四王子殿下はプール。
聖女様は手を消毒中。
第五王子殿下はプリン。
私は胃痛。
「…………」
何とも言えない気持ちになった。
そしてその日。
大神官である私は――。
人生で一番長い、長い、長い。
ため息をついたのであった。




