第264話 猛虎の失策
下層入り口の洞窟から、数キロほど離れたところにある荒野。
広大な下層の中でも異様に地面が均された一角で、猛虎とティガーの組手は始まっていた。
彼女達の多くは知らない事だが、ここはオーマ=ヴィオレットがかつて実施した大型コラボの途中、乱入したチヨとの戦いで彼女の重力魔法によって整地された場所だった。
超重力によって圧縮され、競技場の様にツルツルとなった地面は非常に硬く、ダイバーが使う武器でもそう簡単には傷付かない。
しかし、そんな地面に思いっきり足跡を刻む勢いで暴れまわるダイバーが一人いた。
「──隙だらけや」
「しま……っ!」
超人的な脚力を更に【マジックステップ】で強化する事で実現する、驚異的な速度での踏み込み。
ティガーの持つ訓練用の短剣が猛虎のダイバーの首元を掠めるように振り抜かれると、『パンッ』と軽い破裂音が響く。
その音と視界に舞う無数の紙の断片が、彼女の『命』が割られた事実を示していた。
「紙風船割られた奴はさっさと離れェ! 巻き込まれてももう責任持たんでェ!?」
「はっ、はい!」
今回の組手に際して用意するように言われた、拳ほどの大きさの紙風船。彼女が自らの首に付けていたそれが割られた時点で、彼女は今回の組手に於いてルール上『死人』扱いになる。
これ以上後にティガーに万が一攻撃を当てられてもそれは有効打にならず、ティガーも『死人』が妨害をしようものなら攻撃を当てようと敗北とならない。出来る事は精々、戦場の外から声援やアドバイスを送る程度だ。
今しがた『死人』となったダイバーは、今も声を張り上げて声援を送る『死人仲間』達の下へと慌てた様子で駆けて行った。
「さて……今ので確か十五人目やな。これで残りは丁度四十人……ホンマ、よぉけ集めたもんや」
「く……っ!? まさかここまで差があるなんて……!」
五十五対一……自分達が圧倒的に有利な条件で始まったとばかり思っていた、この組手。
しかし戦闘が始まってから直ぐ、猛虎達は自分達のリーダーが如何に実力的に隔絶していたかを思い知る事となった。
「どしたどしたァ! ウチはこっちやでェ! ちゃんと、しっかり追わんかい!!」
「く……!?」
ティガーは女性の中でも特に小柄な体格を活かして猛虎の一団に飛び込み、人混みの中にも関わらず縦横無尽に駆けまわる。
その上彼女は生まれついて関節の可動域が広く、この状態でも器用に、且つ的確な斬撃を放つ事が出来た。
一方で猛虎側はどうだ。数では圧倒的に勝っていても、それが災いして味方の間を動き回るティガーを上手く補足できず、仲間に当たるのではないかという躊躇が攻撃の手すらも緩めてしまう始末。
ティガーの身体のどこでも良い。攻撃を一度当てれば彼女達の勝ちだというのに、それが果てしなく遠く、困難な目標だったのだと、猛虎はこの段階に至ってようやく理解した。
「十六人目! 死人は早よ、外に出とけ!」
「く……っ、そ……!」
防御の隙間を縫うように放たれた一閃が、胸元に揺れる紙風船を正確無比に切り裂いた。
新たに一人退場した事実をティガーの宣言で知った猛虎のダイバーは、確実に近付く敗北の気配に頭を抱えたい気分だった。
「くそっ、なんでや! なんで攻撃が当たらへんねん! ウチらの作戦が読まれとったんか!?」
「作戦、やとぉ……?」
「な……っ! いつの間に──」
そう吐き捨てた彼女の声に、直ぐ近くから返答が聞こえた。
振り向いた先に居たティガーが腰に揺れる紙風船を狙って放った一閃を、彼女は自身の左腕に装着していたバックラーで辛うじて防ぐ。
その一撃の威力に思わず足が止まり、その隙を突いたティガーは次の瞬間彼女の背後に回り込んでいた。
「──っ!?」
「お前の言う作戦っちゅうんは、どれの事や? 人数を揃える事か? それとも──」
背後から伝わる殺気に、咄嗟に武器を振るう。
しかし、彼女の振るった武器──革製のバラ鞭はティガーの持つ訓練用の短剣に容易に弾かれ、その身体に届く事は無い。
だが、それはいっそ当然とすら言えた。何故なら──
「この、使い慣れん武器でウチを狙う事が作戦か?」
「あ──」
彼女が普段使っている武器は長剣だ。
しかし、ティガーが提示した『お前らはウチの身体に一撃でも当てれば勝ち』という条件を重視するあまり、彼女が攻撃を当てやすいと思う武器を今回持って来ていた。
他の猛虎も同じだった。当てる為の武器を各自が今回の組手の為だけに用意しており、それを使いこなす為の訓練もそこそこ止まり。
元々猶予は二日間しかなく、使いこなせるようになるほどの練習を積むのはほぼ不可能だったにもかかわらずだ。
「──舐めんなや。このティガーに、そないな小細工が通用するかい」
腰に揺れていた紙風船がいとも容易く割られる。
侮られた怒りからか冷たく低い声でそう告げるティガーに、周りの猛虎達がたじろいだ。
「く、くそっ! 怯むな! 攻撃を続けるんや!」
まさに今風船を割られて『死人』となったダイバーが、そう指示を飛ばしながら戦場から離れていく。
彼女の背後ではティガーに挑みかかったのだろう仲間の声が響くが、しかしその胸の内には確信があった。
(……勝てへん。このままやと、全員で一斉にかかったところでティガーさんには届かん……!)
今回、とにかく攻撃を当てやすい武器で戦いを挑もうという作戦を考えたのは彼女だった。
それに賛同した猛虎のダイバーは彼女と同じようなバラ鞭や、三節棍、フレイル等、とにかく攻撃を避け難い武器や、防ぎ難い武器を用意した。
それらが特に扱いに難しい類の武器であるにも関わらず。
(何とか、何とかせな……!)
自身の浅はかな考えがこの事態を招いたと考える彼女は、何か打開策が無いかと周囲を見回す。
……すると、猛虎達が戦う場所から少し離れたところに、炎が舞う一角が存在することに気付いた。
(アレは……百華の……)
それは百華と魅國の組手の光景だった。
百華は全員が物理ジョブで構成される猛虎と異なり、半数ほどが魔法使い系のジョブで構成されたクランだ。
当然戦いの花形は魔法となり、組手であるにも関わらずああして魔法が当然のように振るわれる。
流石に威力は抑えめの魔法に限定しているのだろうが、その派手な光景は中々目を引く物だった。
しかし飛び交う炎に照らされた百華の表情は非常に鬼気迫るものとなっており、彼女達の攻撃が魅國に届いていないことを如実に語っている。
彼女達の条件を直接聞いた訳ではないが、恐らく勝敗の条件やその結果訪れる未来に関しては自分達の物とそう変わりないだろう事は想像に難くない。
一撃でも攻撃を当てれば勝ちだろうに、それが出来ていない理由はただ一つ。『魅國もまた炎の魔法が扱えるから』だ。
雷の魔法による感電が同じく雷の魔法で防げるように、魔法で生み出した炎には同じく魔法で生み出した炎で干渉が出来るのだ。
魅國が生み出した炎の壁は、百華が浴びせる炎の攻撃の尽くを防いでいる。
そして近接ジョブの攻撃は魅國の鉄扇で防がれ、巻き起こす風で吹き飛ばされ……とどめに僅かな隙を突いて放たれた無詠唱の炎弾が、繊細なコントロールで紙風船だけを燃やしているのを確かに見た。
(向こうも敗色濃厚やな……まぁ、魔法使いに魔法で挑んでもそら勝ち目薄いわなぁ。猛虎にも数人でええから魔法使いが居れば、ティガーさん相手にも有利に動けたかもしれんのに……)
視線を自分達の戦場へ戻すと、思わずため息が漏れた。
魔法を正面から防げるのは魔法使いだけ。そしてティガーは近接ジョブだ。
魔法による攻撃を向けられれば、今回の組手のルール上、彼女は回避に徹するしかない。一撃でも攻撃が当たれば、彼女の負けなのだから。
そう思考する彼女の胸にふと、何かが引っ掛かった。
「魔法が当たれば……?」
その途端、彼女の脳裏にティガーの言葉が一気に反芻された。
『また一から始め直すんもありかも知れん』
『……多分、今頃向こうでも同じ話しとるとこやろ』
『お前らが勝てば、ここで言うた事全部撤回したる』
『ま、そっちが協力したい言うなら、それは止めへんけどな?』
「──!」
慌てて百華達の戦場に視線を戻す。
戦場の少し離れた場所には、今の彼女達と同じく『死人』扱いのダイバーが十三人ほど並んでいるのが見えた。
(百華は最初六十人近く居ったはず……! あそこに居る『死人』が全員魔法使い系やったとしても、まだ生きた魔法使いは十七人くらいは残っとる計算……!)
脳裏に降りて来た天啓。これしかない『勝ち目』を前に、迷いが生じる。
何せ、百華はこれまでずっと敵対してきた相手だ。無駄に高いプライドが、その選択を強く拒絶していた。
しかし……
(──いや、これは今の内にしか出来ん事や! 迷っとる暇なんて、あらへん!)
もしもこうして迷っている内に百華の魔法使いが全員『死人』になってしまえば、この方法は使えない。
彼女はこのまま一方的に負けるのを見ているより、プライドを捨てる選択肢を取った。
「──おい、百華!! ウチらと手を組めェ!!」
「!?」
「な、何言うとるんや、お前!!」
突然立ち上がり叫んだ彼女に、周囲の『死人仲間』から非難の言葉が向けられる。
百華と協力なんて出来ない。そんな意思が伝わって来るような目で睨まれ、しかし彼女はなおも声を張り上げた。
「お前らだって余裕ないんやろォ!! お前らがウチのティガーさんを魔法で攻撃すれば、ティガーさんは猛虎に残る!! そうすれば、魅國も『虎華呼居』の結成は出来へん! 結果的に百華に残らざるを得ない筈や!!」
「……!」
◇
「──ほォ……? 多少は考える頭は残っとったようやなァ……」
乱戦の最中、耳に届いたその声にウチの口が弧を描く。
確かにウチのジョブはバーサーカーや。魔法の攻撃を防ぐ方法はそう多くは持っとらん。
特に百華が得意とする炎なんて、防ぎようもないわな。
(折角親切心でやったヒントを感情論で無為にされた時は、もうホンマにどうしようもないと思ったもんやけど……これなら、まだ何とかなるかも知れんな。……そうやろ、魅國──)




