VI-1 プロデューサーギルド
アイドル市場BGM:Boney M.「I'm Born Again」
CMが明けると、俺はベイシュテルンの街の通りを、少女と共に歩いていた。
俺ははっとして、思わず後ろを振り返る。公園は既にはるか彼方へと後退していた。
「どうしたのですか、プロデューサー?」
肩までかかる黒髪をなびかせながら、アヤメルという名前の少女アイドルが不思議そうな顔で俺に尋ねた。
俺は驚きはしたものの、とっさにツバを飲み込んで、辛うじて動揺を隠すことには成功する。冷や汗は、出ていない。大丈夫だ。
そうして少女の質問をきっぱり無視し、俺は無言で歩みを進める。当然だ。俺はプロデューサーではないのだから。
空の大部分が赤に染まりつつあった。もう太陽は建物の向こう側に隠れて見えない。俺はアロハシャツの胸ポケットからスマ-トフォンを抜き取り、メニュー画面を出して時計を見た。辺りは暗く、明かりは眩しい。五時半になろうとしていた。今に夜が訪れる。
ああくそ、CM中の意識が無い。俺の身に何が起こったのか、全く状況が把握できない。
確かなことは、俺は、作者の術中にまんまと嵌まったということだ。あの猫耳は俺の注意をそらすためのオトリだった。どうせ猫耳が来るんだろうという、俺の思い込みを逆手に取られたのだ。そして結局、俺は台本通りに作者推薦の黒髪アイドルを押しつけられたのである。黒い箱に黒い引換券。そしてこのタイミングでのCM。全て作者の思い通りに事が進んだというわけだ。
「ふっ」
俺は思わず吹き出してしまった。これが笑わずにいられるか。
「何がおかしいのですか、プロデューサー?」
「別に何でもない」
少女に見られている事に気付いて、俺はすぐさま無愛想な表情に戻る。とにかく時間がないのだ。野宿なんてしたくない。物語の初日から野宿する主人公なんて嫌すぎる。俺はベイシュテルンの街路を足早に歩きながら、さっき以上に建物の看板をつぶさに調べていった。
「あの……何を探しているのですか?」
「冒険者ギルドだよ」
俺は少女と目を合わせることもせず、吐き捨てるように言った。
冒険者ギルド。
それは中世ファンタジーの世界ならば例外なく存在する民間の施設である。たまに官営でやってることもある。言うまでもなくそこには冒険者がおり、冒険者を束ねるギルドマスターがいる。彼らは弱者の味方だというイメージが一般的には定着しており、実際、職の無い人間、金の無い人間、住む所の無い人間に対して、最初は優しく接してくれる。最初だけは。
冒険者という選択肢を最初から知っていたのにそれをここまで口に出さなかったのは、もちろん俺は冒険者になんぞなりたくないからである。究極のマンネリ。ステレオタイプ。テンプレ展開。たとえ俺が冒険者として成功し(もちろん成功するのだ、なぜなら俺は主人公だから)、なんか伝説のドラゴン的なモンスターを倒し、一国一城の主となり、ハーレムをかこい、最終的にこの世界の支配者になった所で、そんなの当たり前すぎて何の面白みもない。そんな没個性すぎる物語を、今さら誰が求めているというのか。そんなんじゃあアニメ化なんて夢のまた夢だ。俺はこの物語の主人公だが、ただ主人公であれば良いという問題ではない。俺はあくまで、画期的で独創性のある激烈に面白い傑作物語の主人公でなければならないのである。したがって、巻き込まれ型主人公になんかなりたくもないし、冒険者になってひたすらモンスターを狩るだけの主人公にもなりたくない。全くそんなの、時代遅れも甚だしい。前世紀の化石だ。
しかしもう贅沢を言っていられる状況ではなかった。俺はここに至り、あるべき理想と眼前の現実に折り合いをつけねばならなかった。なにしろ中世の店舗ときたら、コンビニのような一部の例外を除いて二十四時間営業などやってくれはしないのである。中世だから仕方がないのだが。なので、誠に残念なことながら、現状俺が頼りにできるのは冒険者ギルド以外に無いのであった。危険な賭けだが、あそこの連中は、とりあえず最初の一回だけは無料で助けてくれる。冒険者ギルドとはそういう所だからだ。その点がコンビニとは違う。その最初の一回を賢く利用しよう。だが二度目を頼ったらもう泥沼だ。それは死だ。決して抜け出せない一本道のお使いテンプレ地獄が始まってしまう。底辺。奴隷。派遣。それだけは避けねばならない。とにかく俺としては、冒険者になるつもりなどさらさら無いという事だけは強調しておきたい。とはいえ、プロデューサーになるつもりはもっと無いのである。だいたいプロデューサーって何する仕事なんだよ。
長く伸びたビルディングの影が、街路の石畳を黒く染めていく。時間経過にしたがい、中世の街灯が少しづつ点灯し始める。「水銀灯」と呼ばれる、円筒形のガラス管に気体化した乳酸菌を封じ込めたもので、電気を通すことで白い光を発する古式ゆかしい照明器具だ。その透き通るような純白の発色は、現代のものと比べても決して遜色無い美しさをたたえていたが、なにぶん中世の電気なので、内部の乳酸菌がすぐ死滅してしまうという難点を抱えていた。結局、中世の時代にこの問題が解決される事はなかった。
道を歩きながら、俺にはどうも気にかかる事があった。街にたむろする人々の視線である。すれ違う人々が、常に俺の方向に顔を向けてくるのだ。すれ違ったあとも足を止め、振り返って俺の方を見てくる。微笑みとも違う、どこか気の抜けた、惚けた表情で。所詮はNPCであるが、あまりいい気分にはなれない。向こう側の通りを歩く人々も立ち止まり、こちら側を歩く俺たちをじっと眺めている。不愉快だ。はっきり言って気味が悪い。
もちろん俺はすぐに理解した。彼らは俺を見ているのではない。俺の隣を歩く黒髪の少女、アヤメルを見つめているのである。理由は分からないが。
「なあ」
俺は言った。
「お前、アヤメル、っていうのが名前でいいのか?」
「はい、プロデューサー。それとも名前を変更しますか?」
「……ええと、何だって?」
「名前を変更しますか、と訊きました」
「は? いや、そういうんじゃなくてだな……」
なんで連中はお前のことを見てくるんだ、と俺は言いたかったのだ。会話のキャッチボールが上手くいかない。この件に関しては俺は何も悪くないはずだ。
猫耳のようなケモノ耳も無いし、背中から羽を生やしているわけでもない。だから一目見た限りでは、彼女は単なる、普通の人間の女の子にしか見えない。それだけではない。彼女からは手かせ足かせをはめられて広場に立たされていた彼女たちのような、鼻につくアイドルの匂いがしなかった。完全に人間の少女の姿形なのだ。言われなければアイドルとは気付かない。
俺は後ろを付いてくるように歩くアヤメルをちらりと見やった。少女は、俺のアロハシャツのテールをぎゅっと握りしめながら、俺の歩幅に追いつくために急ぎ足で歩いていた。端的に言って、美少女だった。もちろんアイドルはみな美少女だが。髪は流れるようなストレートで、背の高さは5フィートちょっと。表情はよく分からない。不安そうな顔にも見えるし、微笑んでいるようにも見えるし、無表情のようにも見える。女のことはよく分からん。女について語るための語彙を俺はあまり持ち合わせていない。ましてや彼女はアイドルなのだ。装飾性に乏しい漆黒のドレスは確かに異様な感じを漂わせているが、街を歩く人々の格好も陰陽師だったり、ランツクネヒトだったり、セーラーマーキュリーのコスプレだったりして大概奇抜なのである。だから街のドレスコードからそこまで逸脱しているわけではない。髪飾り、イヤリング、ペンダント。少女は装飾具の類を何も身につけていなかった。半袖のドレスで、丈はそれほど長くなく、膝下から白い足が露出しており、靴下も靴も履いておらず素足だった。
「えっ」
俺はぎょっとした。なんで裸足なんだ。CM中の俺はその事に気付きもしなかったのか? だが記憶がない。CM中に何が起こったのか分からない。顔に傷持つ大の男が、裸足の未成年少女を連れ回して夕暮れの街を二人して歩いているのである。事案発生ではないか。これはセーラー服を着た男が街をほっつき回っているよりよほど深刻な事態だ。そりゃ人間どもが俺の方を見てくるに決まってる。通報されてもおかしくない。こんな光景をアニメにすることは出来ない。
いかん。早く何とかしなければ。少女を置いて逃げ出すべきだろうか? いや、さすがにそれは主人公の振る舞いではない。
うん、そうだな。ギルドに着いたら置いていこう。そして速攻で逃げよう。
ガタガタと、車輪のきしむ音が聞こえた。二頭立ての荷馬車を操る御者が、すれ違いざまに胴体をひねって俺たちのことを目に焼き付けようとしていた。もちろんアヤメルを見ようとしていたのだった。他の通行人と同様に、目尻を下げて、鼻を伸ばして、何とも惚けた放心状態で。
俺はその時はじめて、馬車に人が乗っている事に気付いた。そして馬車のスピードが駆け足より少し速いくらいの、極めて現実的な挙動になっている事にも。既に何度も確認してきた通り、俺が公園の広場でテントに入るまで、言い換えればCMに入る前まで、馬車に御者など乗っておらず馬は全速力で道路を爆走していたのである。馬車はもう、一分間に一度ほどの間隔でしかやって来ない。喧噪が聞こえる。NPCたちが、口を開けて喋っている。笑って、怒って、身振り手振りのジェスチャーをしながら感情をあらわにしている。
それからすぐに、俺はもう一つの事実にも気付いた。街門をくぐってから五十メートルごとに見かけたコンビニという名のダンボール箱を、公園を出てからは一度も見ていないことに。いや、違う。俺は後ろを振り向き、暮れなずむ街の通りを遠目に眺めた。あれほど頻繁に見かけたダンボール箱が見当たらない。消えたのだ。いつの間にか別の建物に置換されたのだ。
シナリオが進んだから? 作者が仕事をしたから? フラグが立ったから? アイドル少女が付いて来ているから?
「どうしたのですか、プロデューサー?」
やれやれ。俺は肩をすくめた。世界の設定は時々刻々と変化しているのだ。
まあそれはそれとして、冒険者ギルドが見つからない。