エピローグ:泥の中で咲く花
季節は巡り、冬が近づいていた。
収穫を終えた畑は静寂に包まれ、冷たい風が土の表面を撫でていく。
俺は、縁側に座って温かいお茶をすすっていた。
隣には、毛布にくるまったセレスティアが、俺の肩に寄りかかってうとうとしている。
「……風邪引くぞ」
「んん……アレン様が温かいから、大丈夫です……」
セレスティアは寝言のように呟き、さらに身を寄せてきた。
相変わらずの甘えん坊だが、その体温が、冬の寒さを少しだけ和らげてくれる。
ふと、空を見上げた。
システムが支配していた頃の、あの不自然なほど澄み切った青空ではない。
雲が重く垂れ込め、今にも雪が降り出しそうな、鈍色の空。
それが、本来の自然の姿だ。
「……なぁ、セレスティア」
「はい……?」
「お前、本当に後悔してないか? 俺みたいな、泥まみれの農民と一緒にいて」
俺の問いかけに、セレスティアはゆっくりと目を開け、俺の顔を見上げた。
その青い瞳には、迷いも曇りもない。
「後悔なんて、するわけありません。……アレン様は、私に『心』をくれました。この泥まみれの世界で、アレン様と一緒に生きること。それが、私の全てです」
「……そうか」
俺は、セレスティアの頭を優しく撫でた。
彼女の髪は、泥の匂いがした。
それが、今の彼女が「生きている」証だった。
世界は、少しずつ癒えていた。
システムが崩壊した直後に各地で発生した異変は、もうほとんど収まっている。
シオンやルミナス、そしてヴィクトリア。クロエの意志も、彼らの中に生きている。
彼らが後始末に走り回ってくれたおかげで、今は新しい秩序が根づき始めている。
俺の戦いは、あの王宮での一撃で終わった。
これからは、この小さな畑を守り、育てていくだけだ。
それが、俺の選んだ「特異点」としての生き方なのだから。
「アレン様、雪……」
セレスティアが、空を指差した。
鈍色の空から、白い雪が舞い降りてきた。
それは、システムが降らせる規則的な雪ではない。
風に流され、不規則に舞う、本物の雪。
「……積もるかな」
「積もったら、雪だるま作りましょうね」
「ああ。……でかいのを作ろう」
俺たちは、縁側に座ったまま、静かに降り積もる雪を見つめていた。
泥まみれの畑は、やがて真っ白な雪に覆われ、春の訪れを待つ。
その下で、新しい命が静かに息づいていることを、俺は知っている。
完璧な世界なんて、いらない。
不揃いな野菜のように、泥だらけで傷がついていても、食えば美味い。それだけでいい。
雪は、静かに、優しく、世界を包み込んでいく。
傷ついた畑を覆い隠し、春の種蒔きに向けて土を休ませるように。
……。
…………。
………………。
王都の地下深く。
完全に破壊され、泥に埋もれたはずのシステムの最深部。
暗闇の中で、生き残った微小な基盤が、微かな緑色の光を点滅させた。
『……ピピッ。システム再起動シークエンス、開始。……接続ヲ試ミマス』
それは、誰にも聞こえない、無機質なノイズ。
機械の残骸が、最後の力で世界を再び計算式に組み込もうとする。
だが——。
ズズッ……。
基盤の隙間に、ドロリとした「泥」が流れ込んだ。
それは、アレンが放った、生命の源たる本物の泥。
泥は基盤の回路を侵食し、ショートさせ、その無機質な光をゆっくりと飲み込んでいく。
『……エラー。……泥ニヨリ、再起動不可。……計算……不能……』
緑色の光が、チカチカと不規則に明滅し。
『……オヤスミナサイ』
プツン、という小さな音と共に、システムは完全に沈黙した。
もう二度と、この世界が機械に支配されることはない。
残されたのは、全てを育む温かい泥と、静かに降り積もる雪だけだった。




