EPI.010 2026年7月某日 -北海道旅行・起- 閑話パート
七月某日。
何の前触れもなく、宇佐美瑞希は新千歳空港に立っていた。
「さすが北海道。東京と比べるとかなり涼しいわね」
「竜ケ崎ィ、ここから目的地まではどれくらいなんだ?」
「車で15分くらいよ。外にタクシーを待たせてあるから、準備が終わり次第出発しましょう」
「了解。ということだ、宇佐美。トイレとか催してたら今のうちにすませておけよ」
まりあと顧問の巳波が、阿吽の呼吸で何かしらの段取りを進めている。
ひとり状況を呑み込めていない瑞希は、いまだに前後不覚の状況を整理するため記憶の糸を辿る。
今朝はいつも通りの時間に起きて、朝ごはんを食べて、ソファでだらけながらアニメを見ていたはずだ。そこで母から声を掛けられ、暇だったらお使いに行ってきてちょうだいと頼まれた。アニメがいいところだったので内心かなり億劫だったのだが、夏休みにかまけてぐうたらしていたという負い目があったため、しぶしぶ承諾した。そして、財布と買い物メモを受け取り、家を出たところで白いミニバンに横付けされてあれよあれよと拐かされて気が付けばここに立っている。
「……だめだ。何度思い返しても途中から訳が分からない」
「ご気分がすぐれませんか?」
不意に、隣に立っていた壮年の男性に声を掛けられる。
「あ、いえ。大丈夫です。ただの精神的な疲労で、もうしばらくしたら諦めと一緒に納得できると思うんで」
「そうですか。なにか不都合がありましたら遠慮なく申し出てくださいね」
「あ、はい」
それだけ言うと、男性は一礼して瑞希の一歩後ろへと控えた。
男が身にまとっているのは、ダークカラーのスリーピーススーツ。夏も真っ盛りなこの季節ではあったが、しかし、立ち居振る舞いが細部に至るまでスマートであるためだろうか、暑苦しさをまったく感じさせなかった。
上背もかなり高いほうなのだが、不思議と、大人の男性と話しているとき特有の威圧感のようなものを感じない。むしろ、大樹のような安心感がある。
「瀬場、瑞希パイセンは長時間のフライトで少しお疲れのようだから、荷物はあなたが持ってあげて」
「かしこまりました」
「お疲れの原因は、飛行機じゃなくてたぶんまりあちゃんだと思うんだけど」
「あら、サプライズは嫌いだった?」
「あのね、まりあちゃん。庶民にとってのサプライズってのは、お小遣いのやりくりで準備できるようなちょっとしたプレゼントだったり、何かの記念日やお祝い事のときに贈られるメッセージカードだったり、そういうかわいらしいものなの。いきなり拉致されて飛行機に乗せられてサンダルのまま北海道の空港に連れてこられるっていうのは、どちらかというと犯罪に巻き込まれている気分だとか、人権が侵害されている気分だとか、そういった心的外傷後ストレス症と紙一重の不安が勝つの」
「勉強になるわ。覚えておくわね」
「ママも、グルだったんだね」
「気のいいお母さまね。事前に計画を伝えておいたらノリノリで準備してくれたわ。二泊三日の旅行セットはすべてそのキャリーに入っているそうよ」
瑞希が今更のように買い物メモを見ると、ここぞとばかりに北海道土産のリストがずらりと並んでいた。
ただただ、ため息だけが出る。
「それで、私はこれからどこに連れていかれるのかな」
「そう警戒しないで。到着したら、きっと瑞希パイセンも喜んでくれると思うから」
「言っておくけど、私いま気分最悪だよ? 何を企んでいるのか知らないけれど、よほどの楽しいことが起きないかぎり、今日一日笑顔を取り戻せないよ?」
「大丈夫。そんなパイセンにぴったりの場所よ」
そう言って、まりあは一冊のカタログを瑞希の目の前に掲げる。
「これから向かう先は、言わずと知れた北海道を代表する観光スポット。ノーザンホースパークよ」




