#番外編 ザクロ
イラスト
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早朝、小鳥の囀りが聞こえる頃。
客間にぎぎぃ、と重い蓋が開く音が響き渡る。
「ふぁー…、いい朝デスね。さて…」
彼の1日のルーティーンは、棺桶の蓋を開けた所から始まる。
まず、1階のカーテンをすべて思いっきり開ける。
「あっ、寝ぼけて忘れてマシタ!危ない危ない…」
…その前に、ひと工夫。
「せーのッ!ハァ〜ドッコイショッ」
太陽光から己を守る、その次に流水に耐性を得る魔法を全身にかけてやる。…吸血鬼は意外と弱点が多いのだ。
※ちなみに、こういった簡単な魔法に詠唱など必要ない。ドッコイショなんて詠唱もない。完全に彼の気分である。
「太陽光にも流水…まぁ水道水くらいなら大丈夫デスけど雨にも。人間界には天界から降り注がれる〈奇跡〉が混じってマスからねぇ…我々にとっては猛毒デス…」
やれやれ。とひとりごとを呟きながら、適当に顔を洗って普段着に着替える。次は朝食の用意。
さて、何を作ろうか。無難にハムエッグでも…いや、昨日安売りしていた鮭を焼くのもいい。昨日の朝はパンだったし、今朝は白米。和食にしよう。昨日余った野菜も味噌汁に入れてしまえばいい。
そう決めるや否や、ササッとエプロンを装着し、彼はせっせと朝餉を作り始める。そのうち、焼鮭のいい匂いがふわふわとキッチンに広がる。
「ンー、やはり素晴らしいデスね日本の和食文化は…ってヴァッーーー!!」
「ジュッ」
咄嗟に目からビームを出して焼き払ったものは、そう。台所に住まう黒い悪魔である。
「ッハァーッ!アナタ達はほんっともういつでもどこにでも現れてッ…!主婦の敵デス…!殲滅しなければ…あー恐ろしい…」
吸血鬼の王子様も、あのGには弱いらしい。
「…げっ」
悪魔がいたはずの場所…壁を見ると、そこには立派な焦げ跡がついていた。
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「…今はひとまずこれで許して下サイ…」
百均に売っていた貼るタイプの壁紙を焦げ跡に貼ると、王子はがっくり項垂れる。
実は先月も同じような事をやらかして、焦ってなんとかなるアイテムやアイデアが無いか街を探し回っていた所、偶然発見したのがコレである。
「魔族は回復魔法が使えマセンからね…あぁ、なんて脆いのデショう人間界のモノは…お義父様になんと言い訳すればいいか…」
魔界のものはすこぶる頑丈で、ちょっとやそっと…さっきの目からビーム程度じゃ傷1つつかない。
彼は1年後、自分が破壊した分の費用を纏めて支払うつもりでいるようだ。…その頃まで、家が無くなっていなければいいのだが。
「流石の私も先が思いやられマス…」
「…どうしたの?頭抱えて」
「ワーーーッ!!!」
いつの間にか背後にいた愛しい存在に、思わず後ずさりしてしまう王子。
「おっ!おはようございマスッ!!えっと…今日は随分お早いんデスね…っ?」
実を言うとこのねぼすけのお姫様は、普段ザクロが起こさないと中々起きないのだ。時折アラームも止めてしまうくらい、寝起きが悪い。
「なんか、叫び声が聞こえたから…」
「あっ」
…しまった。と張り付いた笑顔になる王子。彼は考え事をしていると、笑顔で固まる癖がある。今は頭をフル回転させて、事件の跡を隠す最もらしい言い訳を考えている最中だろう。
この王子、こういう所が小賢しい。
「…あぁ!スミマセン、ちょっとその…小指ぶつけちゃって…いやぁお恥ずかしい」
「え、痛そ…怪我してない?」
この子もちょろい。疑り深いようでいてあっさり信じる。
「ぜ、全然!そ、そんなことより。朝ごはん出来てマスよ、ささっ!冷めないうちに食べマショう!」
「あ、うん…」
どうにか誤魔化せたようだ。
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「忘れ物はありマセンか?」
「…うん、大丈夫」
「いーや、1個忘れてマスねぇ」
「何?」
大学に行く彼女を玄関で見送る。これも彼の日課のうちのひとつだ。
「…じゃーん!お弁当作っちゃいマシタ!」
「えっ…」
「ンッフッフッ…中身は開けてからのお楽しみデス…!お弁当作りも楽しいデスね〜!」
実は朝食を作る際、ついでに弁当も作っていたのだ。元々ハイスペックで何でもそつ無くこなす彼だが、家事炊事に関して特に目を見張る才能があるようだ。…王子なのに。
「…あの」
「なんデス?」
「どうして、ここまで…」
どこか申し訳なさそうに、自分がこれを受け取るなんて烏滸がましいとでも言うように、彼女は少し俯く。
(…フム)
彼女の自己肯定感の低さは、彼の想像以上に地の底にあるようだ。どれだけ愛を口で行動で伝えても、必ず。どうして私なんかに?という疑問の目を向けられている事に気づかない彼ではなかった。
こんな時、どう答えるべきか。
普通の人間なら愛しているから好きだから当たり前だの、自分を卑下するなだの、チープな言葉で丸め込むのだろう。
だが、彼は違う。
「ーだって、また隠れて菓子パン食べられたら嫌なんデスもん!」
「え」
「私の方が絶対菓子パンやスナック菓子より美味しいものを作れマス!…だから、大学のある日は毎日お弁当作ってもいいデスか!?」
彼必殺の、トンデモ理論展開…というか、駄々こねである。
「お菓子に対抗意識持つとか…ふふっ」
そんな風に言われてしまっては、卑屈な彼女も彼の好意を受け取らざるを得ないだろう。
「わかった、お願いしようかな。…でも、ほんとに、無理のない範囲でね」
「…ええ、勿論!」
「じゃ、そろそろ行くね…あ、ザクロ」
お弁当を受け取り外に出た彼女が、ドアを閉める間際に少しだけ彼の方を振り向く。
「…いつも、ありがと」
…その頬はいつもより少しだけ、赤らんでいる気がした。
ードアが閉められ、パタパタと。少し小走り気味の足音が遠のいていく。
「…ええ、行ってらっしゃい」
そう言いながら、胸に秘めた感情が滲み出ている顔を覆わずには居られなかった。
こんな顔、彼女には見せられない。
だって、きっと今、自分は
ー逃げる獲物を前に瞳孔が開いた、獣のような表情をしているから。
「…ン、フフッ。少しずつでも心を開いてくれて、嬉しいデス」
ゆらゆらと上機嫌に体を揺らしながら、彼が向かう先は。
ー彼女の部屋。
彼はベッドの横にある伏せられた写真立てを、おもむろに手に取った。
「あと少し。もうすぐ、きっともうすぐデスよ」
紅く紅く光る眼光が捕らえているのは、中心に写る幼い少女。
「約束、果たしてみせマスからね」
つぅ、と艶めかしく、まるで獲物に爪を立てるように。少女の輪郭をなぞる爪先。
「ーね、杏サン?」
男の口の端と目元が、ニマリと不気味に三日月を描いた。