第3章「恋人たちの惑星」第7話
「落ち着いたか」
「……ん」
そう答えてノリコは急にいろいろと焦ってきた。
なんでこうなった。
そして、どうして自分はハヤトに抱きしめられているんだ、と。
もぞりと身体を動かす。
すると、ハヤトは抱きしめたままの腕を解こうとはせずに言葉を続けた。
「初めておまえを見た時、不思議な感覚を覚えたんだ」
「え……」
彼の声がいつものからかうような声とは違っていた。
何だか真剣さを感じて、ノリコは落ちつかない気持ちになる。
「懐かしいというか、胸がざわつくというか、そんな感覚…」
それから、彼はゆっくりと抱きしめていた腕を緩めると、彼女の身体を解放した。
じっと顔を見つめてくる。
ノリコもハヤトをじっと見つめた。
「俺の家には代々受け継がれてきたあるモノがあるんだ」
「あるモノ?」
「今回、それをおまえに見て欲しいと思って持ってきた。見てくれるか」
彼はそう言うと懐から古ぼけた手帳のようなものを出した。
「それって…」
「そうだ。これはおまえのいた時代の生徒手帳だ。しかも、おまえが通っていた中学の」
「ま、まさか…」
「そのまさかだよ」
その手帳にはハヤトと同じ名前が書かれていた。
彼はその手帳をノリコに渡した。
彼女は恐る恐るそれを受け取ると、震える手でその手帳を開く。
『彼女は死んではいない』
目に飛び込んできた文字がそれだった。
生徒手帳はメモ用紙として使えるようになっていた。
当時、ノリコもとりとめないことを書いていたと覚えている。
冷凍される事故の時には私服だったし、もちろん生徒手帳も持って行ってはいなかったから、当然、彼女の手帳も時の流れとともに失われてしまったことだろう。たとえ当時の父母が行方不明になった娘の遺品として残してくれていたとしても、父母が、あるいは当時いた弟がいなくなれば、ただのガラクタとして親戚から処分されただろう。
「でもどうして?」
だからこそ、不思議だった。
なぜ、当時の同級生の生徒手帳がこんなに長い間保存されていたのか。そのことが、彼女には不思議でしかたなかったのだ。
「……読み進めてみろよ」
ハヤトは一言ボツリと言った。
ノリコは再び手帳に目を落とした。
『彼女は死んではいない。それは彼女の親友が言ったことだった。彼女は言った。典子はあんたのことを好きだったんだよ。夏休みが終わったらあんたに告白するって言ってたんだから、絶対家出なんてするはずがないし、たとえ誘拐されたとしても、典子は絶対に殺されることはない。それは絶対保証する、と。あれだけ強く言うのだから何か俺にはわからない事情があるのかもしれない。だから、もし俺が彼女を見つけられないまま死んだとしたら、彼女の親友が彼女のことを信じて戻ってくると言っていたことをここに書いて残しておく。これを読んだ誰かはきっと大切にこれを残して、いつか彼女に、黒見典子にこれを見せて欲しい。心からそう願う。』
「そ、そんな…」
こんなことがあるだろうか。
確かにあの頃、14歳の誕生日を迎えた7月、1年生の時の恋心を忘れて、2学年から新しくクラスメイトになった彼に仄かな気持ちを持つようになった。それは親友にも打ち明けていた。
だが、自分がいなくなってから、その親友と彼が自分のことをそんなふうに思っててくれたとは、しかも、ハヤトの方は仲良くなりかけていただけのただのクラスメイトでしかなかったのに、そんなふうに思ってもらえていたなんて。
「でも、よくこの時代まで残せたものよね。当事者としてはとてもありがたいことだけど」
「まあ、それこそ270年以上前の代物だからな。博物館行きな代物だと思うよ。だが、俺の祖先たちは律儀だったのか、ロマンチストが多かったのか、今の時代まで大切に受け継がれてきたんだよ。それが事実だ。俺も子どもの頃に父親からこれを見せられた。何だろうな。その時幼心にも思ったもんだったが、この黒見典子という人に会ってみたいと思った。それがまさか大人になって本当に本物に会えるとは。これはもう運命だと俺は思ったね」
「……あんたもずいぶんとロマンチストじゃん」
ノリコはからかうような口調で言った。
「う、うるせー。そういう家系なんだよっ!」
すると、意外と真っ赤になってハヤトは叫んだ。
それを見たノリコは一気に心拍数が上がり、顔が熱くなるのを感じた。
や、やばい、これは惚れてしまうかも。いや、もう惚れてしまってる!
彼らはあれからそのまま床に並んで座ったままだった。
何となく居心地の悪さを感じ始めて、ノリコは言葉を続けた。
「あの日は前日が私の誕生日だったの」
「………」
ハヤトは静かに聞き入っていた。
「母にはステキなお洋服を買ってもらったの。近所の洋品店で。父は相変わらず何もくれなくてね。弟も。それでもケーキ食べて楽しかった。で、次の日は冷凍倉庫をトミーと一緒に見に行って、それから帰ってきたらトミーや友達を呼んでうちでパーティをするはずだったの。それがあんなことになって…」
彼女の目からポロリと涙が流れる。
「ノリコ…」
「でも、この時代に目が覚めて、過去のことを思い出すたびに、それがすべて実際にあったことなのか実感できなくなってきているの。そう思うと、まるで自分が自分じゃないような気がしてきて……ものすごく怖くなってくる。私、本当に私なのかしら、私っていったい誰なんだろうかって…」
ポロポロと涙があふれる。
すると、ハヤトが再びノリコを抱き寄せ、強く抱きしめた。
「泣くな、おまえはおまえだよ。今ここにちゃんと存在してるじゃねえか。それだけが事実だ。それを信じろ。ちゃんとおまえはここにいる。おまえが誰であろうとも、おまえはおまえだ。俺が好きになった女だ。それだけでいいじゃねえか!」




