第3章「恋人たちの惑星」第6話
「アテンションプリーズ。御到着の皆様に御案内申し上げます。18時発火星行高速船に御搭乗の方は3番ゲートまでお急ぎください」
ここは金星。
その第一都市であるヴィーナス・シティのエアポート。
金星は元来、厚い雲に覆われた高温多湿の惑星である。自転速度は247日。しかも逆回転である。表面温度は摂氏400度以上。大気圧は60~100気圧。大気の90パーセントが炭酸ガス。残り10パーセントの中に窒素5パーセント、酸素2パーセント、水蒸気1パーセントが含まれている。
現在では、アメリカのある科学者の提案によって、金星大気改造計画が進められているが、それもまだ先のことである。
とりあえず人間が居住できるようにと、特殊ガラスで造られた巨大ドームの中に都市を建造し、そういった都市がヴィーナス・シティの他にあと5つほどこの金星には存在していた。
その金星にノリコたちはやってきたのであった。
「じゃあ、今日はいったんホテルに泊まりましょう」
リエの言葉に全員が賛同した。
「あー早く見たいよな。金星っていったらあれしかないじゃん」
カズが子供のように両手をあげて叫んだ。
「巨大宇宙船!」
それを聞いて皆が目を輝かせた。
「そうよねー。我々人類の造ったものではない未知なる宇宙船。いまだに研究されても解明されていないほとんど遺跡みたいなものだものね」
「地球のストーンサークルみたいなもんだよな」
彼らは口々に宇宙船について討論しながら一路ホテルへと向かった。
そして、その夜。
(ノン!)
ノリコはホテルのベッドで跳ね起きた。
「………」
その声は寝ていた彼女の頭に突然響いた。
あの時と同じ、自分を「ノン」と呼ぶ声が聞こえた。
あれから一度もその呼びかけを聞いたことはなかったが、忘れもしないその声。何故か懐かしさを感じる、その声もその名前も。
ノリコはあたりを見回した。
常夜灯が部屋をほんのり明るく照らしていた。
彼女は起き上がるとガウンをまとい、窓辺に近づいた。
窓ガラスに顔を近づけ、外を眺める。
そこは人々の眠るシティだ。
この星は夜間に外に出る者は一人もいないので、ホテルの窓から見る街並みは誰一人、何一つ動く物はなかった。
そんな生きとし生けるものが感じられない景色をぼんやりと眺めながらノリコは呟く。
「いったい誰が私を呼ぶの」
その声は不安に満ちていた。
それもそうだろう。
自分では制御できない頭の中に響く他人の声なのだ。誰が何の目的で彼女に語りかけているのか。それも「ノン」という自分の名前ではない名前で。だが、彼女は思い出していた。
(そういえば、かつて自分が生きていた時代に、親友からそう呼ばれていた気がする)
かつての親友。
確か彼女の名まえは──
「トミー」
思わずついて出るその名前。
「そうだわ。彼女の名前はトシエ。そして、愛称がトミーだったのよ」
そこまで思い出して、ノリコは考える。
そうだとしたら、もしかしたらこの世界にトミーの子孫がいるかもしれない。
そう思うことで、自分に語りかけるその人がそうなのかもしれない、と。
ただ、さらにノリコは思う。
「でも、それでも、何だか私、おかしいかも。何かとても重要なことを忘れているよう気がする」
コールドスリープをして目覚める前の、あの懐かしい時代での記憶は決して忘れたわけじゃない。
だが、この時代に目覚めてから、あの懐かしい少女時代の思い出が、急速に色あせたものに感じられてきているのだ。
まるで映画の中の出来事のように、まるで現実感が感じられないというか、そんな心もとない感じなのだ。
「私は本当にノリコという人間なんだろうか」
そして、彼女はその場にズルズルとうずくまってしまった。
その時、彼女の部屋の扉をノックする者がいた。
「……どうぞ」
彼女のその声が聞こえたはずはない。
本来なら各部屋にはインターホンが設置されており、内部と外部ではそれで対話ができるようになっており、部屋に尋ねる時は部屋をノックするやり方もあるにはあるが、基本的にはそのインターホンで内部と外部で会話をするようになっているからだ。
だが、扉は開いた。
彼女は部屋に鍵をかけていなかったのだ。
「ほんとに不用心だな、部屋に鍵もかけずに」
「!」
ノリコは弾かれたように振り返る。
鍵はかけたように思っていたが。どうやら本当にかけ忘れていたようだ。
だが、それでもインターホンで会話もせずに勝手に入ってくる者もたいがいなものだ。
そして、その不埒な人間は何とハヤトだった。
「ハヤト…どうして…」
彼は常夜灯をバックにして立っていたので、ノリコからは彼がどんな表情をしているか見えなかった。
「おい、なんだ、おまえ、泣いてたのか?」
ハヤトは驚いて声が高くなった。
彼女に素早く近づくと、頬に手を添えた。
そんな彼をノリコはじっと見つめる。
彼もノリコを見つめた。
「どこか痛いのか? おまえが泣くなんてよっぽどのことだからな」
彼の声はとても優しかった。
いつもの皮肉さがなく、ただただ優しかった。
ノリコはその声に誘われるように、彼の胸に飛び込んでいた。
「!」
ハヤトの身体は一瞬硬直した、が、すぐにノリコの震える身体を支えた。
「ああ、ああ、気が狂いそう……助けて、お願い、私、怖いの」
「何をそんなに怯える。おまえを苦しめているのは何だ? 言ってみろ! 俺がおまえを守ってやるから」
ハヤトは力強くそう言うと、ノリコの身体をきつく抱きしめた。
だが、ノリコは泣きじゃくるばかりで、それ以上何も言わない。
「ノリコ…」
ハヤトももう何も聞かず、ノリコを抱きしめ続けるだけだった。




