第3章「恋人たちの惑星」第3話
二人の男女が静かに歩いていた。
コウイチとノブコである。
「都市内は広いので、ひとつひとつ案内していると何ヶ月もかかっちゃうから、今は私が居住しているあたりくらいしか見せられないけど…」
ノブコは隣を歩くがっしりとした体格のコウイチに目を向けた。
(ああ、こんなに傍にあの彼がいる)
ノブコはドキドキが止まらなかった。
遠くから眺めるだけの憧れの男性が手を伸ばせば触れられるところにいる。
その事実に彼女は感激がとまらなかった。
「うん。そうだね。これからここで僕も暮らしていくんだから、おいおいに自分でも探検していくよ」
コウイチはそう言って溌剌とした笑顔を彼女に向けた。
「!」
お願い、そんな無防備な笑顔を向けないで、と、彼女は心で叫んだ。
これでは自分の心臓が持たない。
すると、そんな彼女の心の葛藤など想像もしてないかのように話を続けるコウイチ。
「そうだな。今は色々と君と話したいこともあるし、できれば外界のどこか静かな場所を案内してくれないかな。そこでゆっくりこれからのこととか話そうよ」
ということで、二人は都市内から出て、外界へと行くことになった。
ということで、ノブコはアトランタに初めて来た場所にコウイチを連れて行った。
「ここは本当に変わらないわ」
ノブコは呟く。
どこまでも続く草原。
ラベンダー色の空。
もちろん、これも作られたものではなく、長い時間の末に変わっていく風景なのだ。
それでも、少なくとも自分が生きている間は、それほどここは変わらないのだろう。
それはここだけでなく、故郷である地球もそうなのだ。
そして、それらすべてを含むこの宇宙も。
「んーーーー!」
隣に立っているコウイチのことをすっかり忘れて物思いにふけっていたノブコは、はっとして彼に視線を向けた。
コウイチは盛大な伸びをしている。
「ここはすごい気持ちいいとこだね。何だか空気にも甘い香りが含まれているような気がするよ」
彼はそう言うと、さらに満面の笑みをノブコに向けた。
「…………」
その笑顔にノブコの頬が紅潮する。
そんな彼女の様子を見てコウイチはさらに笑みを深める。
「ノブコさん」
「はい」
「どうか結婚を前提にお付き合いしてくれますか?」
「………は?」
突然の言葉に一瞬何も考えられなくて変な声を上げてしまった。
今、この人は、なんて言ったの?
え、結婚?
ええええっ??
「まあ、びっくりするのもしかたないよな」
コウイチはガシガシと頭をかきながら申し訳なさそうな表情を浮かべる。
その姿が、犬がシュンとしたような姿に見えて、少なからず好意を寄せているノブコはキュンとした。
すると、コウイチはたどたどしく話し始める。
ノブコが大学にいた頃から気になる存在であったこととか、ノブコが失踪してからも本当は自分も探しに行きたかったことなど、以前から憎からず思っていたことなどを。
だから、今回、この話が出た時に、何が何でも自分もアトランタに行って彼女にこの気持ちを伝えるぞと決心してここまでやってきたのだということも。
(そ、そんな……)
戸惑いの気持ちを持ちつつも、それでもそれを嬉しく思ったノブコは、こんな奇跡があっていいのかと少々怖くも思った。
それでも。
「嬉しい、です…」
消え入りそうな声で彼女はそう答えた。
「どうぞ、よろしくお願いします…」
「やった!」
子供のようにガッツポーズをするコウイチであった。
そんな二人に優しく風が吹き抜けていく。
初々しいカップルの成立である。
アトランタの大地も二人を歓迎したことだろう。
それから、アトランタ移住計画は着々と進んでいった。
一方ノリコはというと、西暦2253年の春、大学3年生になった。
ある晴れた日のワタナベ家にノリコの甲高い声が響き渡る。
「ハイハイ博士、そこのそれ、そっちにやってくださいな。あ、あ、違う違う
そっちだったら。そうそうそこそこ、あ、それからあれね、こっちにもってきて」
その日、ノリコは朝から忙しく家中の片付けに奔走していた。博士も休暇を取って家にいたために、ノリコにこれ幸いとこき使われていた。
それというのもその日はアトランタからコウイチが帰ってくることになっていたからだ。しかも、ノブコも一緒にくるという。
コウイチは本格的にアトランタへの移住の為の手続き等を今回の帰省ですませるつもりであり、それにともなって何でも博士やノリコに報告もあるということだった。
ノリコはノブコを連れてくるという彼の言葉に、何となく想像はついていたようだったが、それがまさかあんな報告までなされるとはこの時は思ってもみなかったのだが。
さて、昼も過ぎた頃、博士はソファで一休みし、ノリコはコウイチたちのためにとキッチンで昼食の準備をしていた。すると「ただいま戻りました」と、玄関からコウイチの声がした。と、同時にキッチンからノリコが飛び出してくる。
「おかえりなさーい、コウイチくん、そして、いらっしゃい、ノブコさん!」
そこには誇らしげな表情を浮かべたコウイチと、頬を染めて恥ずかしそうな表情のノブコが立っていた。
「よくきたね」
いつのまにかノリコの傍に博士が立っていた。
「あ、コウイチさんのお父さまですね。初めてお目にかかります。タナカノブコです」
「遠い所をよく来て下さった。さあさあ、疲れているだろう。おあがりなさい」
4人が居間に落ち着くと、ノリコは「食事を運んできます」と席を立った。
その後、食事が終わり、ノリコはみんなの前に食後のコーヒーを並べ、彼女は博士の隣に座った。
二人の前にはコウイチとノブコが仲良く並ぶ。
沈黙が続く。
そんな張りつめた空気でノリコのドキドキは止まらない。
だが、このままでは何も進展がないということもあり、ノリコが口火を切った。
「ええっと…あ、そうだ。博士、なんか話があるって言ってなかったっけ?」
すると、博士がノリコの話とはまったく違うことを言いだした。
「それよりもコウイチ。何か私に話があるのではないかね?」
ええええー私の言ったことは無視ですかーとノリコはむすーっとした表情を博士に向けた。
「お父さん……」
コウイチは一瞬言葉につまった。
そして、いったん下を向くと、再び顔を上げ勢いよく言った。
「お父さん、ノブコさんが僕の子供を身ごもりました。僕は彼女と結婚します」




