第2章「アメーシスのモーゼス」第1話
「ここの空はラベンダー色だわ───」
少女が一人、佇んでいた。
空は確かに薄い薄い紫色をしており、彼女の故郷の、抜けるような群青色ではない。
大地に生える木々も、あまりにも儚く弱々しい。
あたりはとても静かで、彼女の耳に痛くなるほどの静寂を感じさせていた。
「ああ…私はとうとうひとりぼっちになってしまった……」
彼女はノブコ。
そう。ヨナゴ・スペース・ユーニガースティで彼女の右に出る者はいないとまで言われた天才少女タナカ・ノブコである。
意志の強そうな目の輝き、真ん中からキッチリ分けられた黒髪からは賢そうな秀でた額があらわになり、まっすぐな黒髪は肩のところで揺れている。
キュッと閉じられた唇は薄く、それほど高くない鼻は、アジア系特有のかわいらしい小さめの鼻だった。
「私は……いったい何のために生き続けるのだろう……」
広大に広がる草原を目の前にして、彼女は呟く。
ノブコは、実はノイローゼになっていたのだった。
ある時、それを癒すために火星に傷心旅行に出かけたのだ。
自分はいったい何をするために生まれてきたのか、自分の存在理由とは何か───そういうことを心行くまで追及したいと思っていた。
「私は、学問は嫌いじゃない……」
彼女は火星の赤い大地に立ち呟いた。
様々なことを覚えたり、知ったり、研究するのは小さい頃から好きだった。
誰に強制されて勉強したわけでもない。
自分にとって学門は、義務であると同時に遊びでもあった。そして、只一人の親友でもあった。
だが、ユーニガースティに入って、テラザワ・シンゾウに出会い、ライバル意識を植え付けられた。
生まれて初めて「人」という存在を感じた。
「そして…あの人……」
彼女の脳裏に浮かんだのは───優しい面差しに穏やかな物言いの、同じ年であるのに妙に大人びた彼───ワタナベ・コウイチ。
直接の面識はなかったけれど、彼女もまたコウイチと同じく遠くから彼の姿を見知っていた。なぜかとても気になる存在だった。
彼はスペース・パイロット・セクションのトップで、女学生の憧れの的だった。
そういった世界にもまったく縁のなかった自分。
子供の頃のように学問だけが自分のすべてではなくなってしまった。
その瞬間から、ノブコの苦しみが始まった。
「学問が私を苦しめるわけじゃない……」
苦しそうに呟くノブコ。
何かわからない───自分の中で、心の奥底で何かが叫んでいる。
──私はいったい何のために生きているの───と。
「あ……」
ノブコはよろめいた。
それもそのはず。彼女はそこに2、3時間は立ち尽くしていたのだ。
彼女は赤い土の上に座ると、荒涼とした広がりを見つめていた。すると───
「永遠と広がる宇宙の中に
すばらしい星が瞬いている
真珠の輝きにも似たその光には
誰もがみなため息をつく」
彼女は歌を口ずさんでいた。
静かで美しい曲だが、どこか葬送曲を思わせる暗い感じの曲調だった。
と、そのとき───
(その音声はいったい何か)
ノブコは驚いて立ち上がった。
それは彼女の頭に直接に響いていたからだ。
「誰? いったい誰なの?」
(私はモーゼス)
「モーゼス?」
(惑星アトランタの都市アメーシスの守人だ)
「惑星アトランタですって?」
彼女は吃驚して叫んだ。
「だって…だって…アトランタって言えば……そんな…」
惑星アトランタ───
大マゼラン雲方面から移動してきたといわれている移動性星雲アトランタの中に存在する小星雲の中で最大規模の恒星がアトランタで、その第一番目の惑星がアトランタであった。
長い長い時間をかけて太陽系の近くまで移動してきて、地球からも無人調査機が送りこまれたことがあるが、人は住んでいないはずだった。
それに──
「そんな遠くにある星から、人のテレパシーが届くなんて……そんなバカなことが……」
太陽系内ワープで移動できる場所まできていたとはいえ、それでもけっこうな距離がある。
(私は人ではない)
「ええっ?!」
(貴女は私の質問に答えていない。私は貴女をアトランタに転送する)
「なんですって?」
そう叫んだのもつかの間、ノブコは赤い大地から、一転して自然溢れるラベンダー色の空をした惑星アトランタへと瞬間移動させられたのであった。




