第2章「アメーシスのモーゼス」第2話
「ここは……」
ノブコは驚いて辺りを見回した。
どこまでも続く草原が彼女の目に映った。遠くには靄がかかったような山脈が連なり、草原の所々には緑の木々も見える。
まるで、地球のサバンナのような光景だとノブコは思った。だが、彼女はほとんどニホンから出たことがなかったので、それも映像や書物でしか知らなかったのだが。しかも、地球とほとんど変わらない風景ではあるが、たったひとつ間違えようがない違いがあった。
それは、空がラベンダー色だったからだ。
ごく薄い紫色をしていて、地球の抜けるような青い空とはまた違う心地よさを感じる。
(スペーススーツはもういらない)
すると、またしても声が頭に響いた。
「モーゼス…といったわね。ねえ、ここは本当にアトランタなの?」
(その通り。たった今、貴女は惑星アトランタに転送された)
ノブコは、おそるおそるスペーススーツを脱いだ。息をとめたまま、しばらくそのままでいたが、決心したように深呼吸をする。
「なんていい匂い!」
まるで花の香りを嗅いでいるかのような、甘く芳しい香りが辺りを漂っている。彼女は何度も何度も息を吸った。
それから、改めてノブコはつぶさに辺りの風景を吟味し出した。
やはり、どこまでも黄金色の草が広がるだけで、何も建造物など見当たらない。
ここら辺りにはないのかもしれないが、それでもモーゼスの言葉が本当ならば、近くに建物があってもよさそうなものなのに。
「モーゼス。どこにも都市なんてないわよ」
(都市はある)
すぐさま返答するモーゼス。
「どこにあるのよ、そのアメーシスっていう都市は。私をそこに連れて行ってくれるの?」
ノブコは、いつのまにかこの状況を楽しんでいるようだった。
突然、火星からこのような行ったこともない遠くの惑星まで、自分の意思に関係なく連れてこられたら、普通ならばパニックに陥るはずである。だが、彼女はまったく動じるようでもなく、いたって平静であった。
そんな彼女に、アメーシスの守人モーゼスは心話で声をかける。
(案内してあげてもよいが、貴女は私の質問に答えていない)
「ああ…あれね。そうね。あなたに会ってから質問に答えるわ」
しばらく沈黙が流れた。ノブコの周りを風が吹きぬけて行く。
(よろしい。では、こちらに転送しよう。準備はよいか)
「ええ。いつでも、どうぞ」
次の瞬間、ノブコは光り輝くフロアに立っていた。
このフロアには、ランダムに一段高い円盤状の台座が設置してあり、それが百近くあるようだった。その一つにノブコも乗っていた。
どうやら、これらの台座は転送装置で、ここからいろいろな場所に転送されるらしい。そういうものを、確か大学の研究所で研究している者がいたはずだと、彼女のフィジカルサイエンティスト(物理学者)としての知識が教えていた。
これほど立派な転送装置があるということは───
「ここは地下なのかしら…」
地上で転送装置を使うというのも考えられないことではないが、大体において転送装置などというものは、宇宙船から地上へ、あるいはその逆で使われることがほとんどで、地上で使うには人間の身体へのリスクが大き過ぎる。
とすれば、地上から海底都市などを行き来する場合には便利だろう。だが、ノブコが地上で見た風景では、とても近くに海などがあるという感じではなかった。そうなると、残るは地下である。
そんなことをぼんやり考えていたノブコに、モーゼスが声をかけた。
(右手のドアを出て、まっすぐ歩いてきなさい。私のいるセクションに続いている)
見ると、なるほど透明なドアが見える。
彼女はそこを出て、どこまでも白く続く楕円形の廊下を歩き始めた。何の変哲もない廊下を歩きながら、ノブコは思った。
(自分のほうから迎えにくればよいのに。身体でも弱い人なのかしら…でも、ちょっと待って…? 何か大事なことを私忘れているような…?)
ノブコはモーゼスのことについて、彼との会話の中で何か気になることを聞いたように思うのだが、いかんせん思い出すことができずにいた。だが、すぐに諦めてしまった。
「モーゼスに会えばスッキリするわよね」
そして、彼女は五分ほど歩いた。すると、灰色のドアに辿りついた。そこがきっとモーゼスのいる場所へと続いているのだろう。
彼女はそのドアの前に立った。
──シュ…
微かな音と共にドアが開く。
「ようこそ、アメーシスへ!」




