寵姫の契りと薔薇の舞
黄泉姫との戦闘後、脱力感に苛まされながらも、ぎりぎりのラインで復活した薔薇姫と呼ばれていた黒髪の女性に連れられて館へと戻っていた。
することもなく座敷の上でぼんやりしていると彼女は口を開いた。
「それで、どうなさるおつもりですか」
絶望に多少の怒りが見え隠れするその声音にレインは逃げるように視線をそらした。
「生かすも殺すもあなた次第です」
不機嫌に告げる彼女にレインは首を振った。
あの時は気が昂っていたからか黄泉姫相手にああいう反応をしてしまったが、どうしてもそういう気にならない。
そっと彼女を盗み見てため息をつきながら考え込む。
彼女を抱く以外の方法で助け出す方法はないのだろうか、と。
「あれだけ黄泉姫様に啖呵を切っておいてその反応ですか」
呆れたと侮蔑の視線を送って懐から小瓶を取り出して中身を一気に煽った。
そのまま視線を脱力させて宙に彷徨わせる。降り始めた雨のようにポツリポツリと何かうわ言のように何か恨み言を呟き始めた。
理不尽だとか不本意だとか、やり場のない怒りを誰に言うでもなく天井にぶつける。
一通り口にしてからレインに視線を戻した。
「どなたか好きな女性でも?」
「ああ、うん。まぁ……」
歯切れ悪く頷く。
「初めてをその子に捧げたいとか阿呆なことを考えているわけですね」
馬鹿にしたように罵って家畜を見るような視線を送る。
「一応言っておきますが、寵姫の仮の契りをおこなった後、その者を自分のものにできなかった姫はどうなったと思いますか?」
ゾクリとするほど軽薄な声音で続ける。
「契りをしそこなった寵姫ごと死んでしまいましたわ」
「他に方法がないのか?」
「往生際が悪いですわね。それともあなたにとって私は褥を共にするに値しないというわけですか」
他人からではなく本人から言われると急に彼女を女性として意識をしてしまった。
うろたえながら視線を彷徨わせる。
「えーっと……」
急に激しく打つ鼓動に戸惑いながら彼女から距離を取るように後ろに下がる。
「まぁ私も二十ですし。行き遅れの女などどうでも良いということでしょうね」
「こ、この国では二十で行き遅れなのか」
ひっくり返りそうな鼓動を押さえつけながら呟くと若干殺意が含まれた目で睨まれた。
「そうですわ! 結婚適齢期は十三! 婚約にこぎつけたと思えば強すぎるからなどと意味不明な離縁状をたたきつけられるわ、薔薇姫とわかると視線すら合わせないわ!」
わめき散らしてじたばたと畳の上を転がる姿は、どう控えめにとらえたとしても残念すぎた。
「仕方がないと諦めてみれば、身分剥奪の上に流刑ですって!? しかも好みでもない男に抱かれて!? ふざけんなー!」
「あ、壊れた……」
「それもこれもあなたのせいですわよ!」
そもそも興味をもって後をつけたりしなければこんなことにはならなかった事実を棚に上げてまくし立てた。
高鳴る鼓動に胸を押さえながらじりじりと後退する。
「まぁ、不本意であったとしても私はあなたに犯されるわけですが」
気が付くと黒髪の女の顔が目の前にあった。
挙動不審になりながら周囲に視線をやる。
彼女は動いていない。
近づいたのは自分だった。
そんなことをするつもりはないと否定しようにも、口をパクパクさせるだけで言葉にならなかった。
彼女の声を聴くほどに。彼女の姿を捉えるほどに。
「だってあなたも私も。結局のところ黄泉姫様に踊らされているのだから」
抗えない感情に従ってそう終わる頃には思わず彼女の唇を奪っていた。
自分が何をしているのか何をしようとしているのかレインはよくわからなかった。
ただただ奥から湧き上がってくる欲求が体を支配していくのを必死で止めようとしても体はそれに反して彼女の胸をつかみあげていた。
『香は霊力を流す媒体の一つだから自制心でどうにかすることもできるんでしょうけど、単純に薬物として摂取された場合は結局のところ抗えない』
苦悶が混じる声が頭の中に響く。
『好きになさい』
抑えきれない欲求。
本能。
彼女の言葉を最後にレインは自身の中に巣くう野獣を解き放った。
気が付くと薄暗い部屋の中で横たわっていた。
痛む頭を押さえながらレインは起き上がろうとして、腕が何かの下敷きになっていることに気が付いた。
「────!?」
声にならない悲鳴をあげる。動転しそうな頭の中を必死で鎮めながら現状の把握に努めた。
まず自分は衣類の類を着ている様子はなかった。肌に直接感じる畳の感触。腕の上に頭をのせている女を見下ろす。
薔薇姫と呼ばれていた女。
外から差し込む月の光が彼女の体を青白く染め上げていた。
元御霊喰らい。
名もなき者。
「ど、どうする……!?」
完全にパニックに陥っておろおろしながら呻く。
「逃げる? このまま? どうやって?」
真っ先に考え付いたのがその選択肢。不意に元の世界での言葉が浮かぶ。
ヤリ逃げ。
「いやいやいやいやそれはダメだろ」
かぶりを振ってぐったりとしているとその騒々しさに彼女も目が覚めたようだった。
気だるげに目を開いて、こちらを認識すると一言。
「けだもの」
侮蔑しきった声音に冷たいものが流し込まれるような錯覚に陥った。
「いくら薬の影響とはいえ……人格を疑いますわ」
そう吐き捨てて素早く体を起こすとテキパキと服を着込み始める。
その様子を半ば呆然と見ているとそれに気が付いたのか剣呑な声音を上げた。
「さっさと服を着てください。その粗末なものを見せられると本当にトラウマになってしまいますわ」
ハッとして体を起こして周囲を探る。
わたわたとしていると追い打ちがかかった。
「まさか起き抜けにどうにかしようと考えているのではないでしょうね?」
(どこまで彼女の中で僕は下種なんだよ)
内心で毒づきながら服を着ていると戸が開け放たれる音がした。
(玄関からか)
コートを羽織って油断なく視線を向ける。玄関から部屋に入ってきたのは意外なことに黄泉姫だった。
「その様子だとうまく契りを交わしたか」
(どこがだよ!)
喚きたくなるのを必死でこらえて上目遣いに睨みつけると軽くて振った。
「それで、名をもらったのか?」
「いいえ」
どこまでも不機嫌な彼女の声に呆れたような黄泉姫の視線が突き刺さった。
「この甲斐性なしめが」
「いやいやいや! 今起きたところだから!」
半ば地団太を踏みながら、今度こそ声にして喚いた。
「逃げようか迷う声も聞こえたようだが?」
「そうなんですね」
黄泉姫の言葉を聞いて冷たかった声はさらに温度を下げ凍てつくような視線を向けてくる。
のそのそと大鎌に手を伸ばすのを見てレインは慌てた。
「気が動転してたんだよ! 気が付いたらお互い素っ裸だったし! ていうかどうやって聞いたんだよー! もう!」
髪を振り回して呻いてぐったりとした様に畳に倒れこんだ。
「そなたがどうしてそこまで受け入れたくないのかわからんが……そうかやはり行き遅れは嫌だったか」
「……もうなんていうか、からかってるだけじゃないか」
ため息交じりにそう呟いて立ち上がる。
にやにやと笑う黄泉姫にこの悪趣味がと悪態をつくとさらに上機嫌に笑っていたが、まじめな顔に戻した。
「それで先ほどから名を考える時間もあったであろう? 早う名付けを行え」
「名前か」
急に言われたところで思いつくものでもない。
本来であればこの屋敷に戻るまでに何らかの名を考えておくべきだったのだろう。
思いうかぶ人名はすべて故郷のものだった。
この国に生まれ育ったものの名前には似つかわしいものではなかった。
先ほどまで体温を共有していた寵姫をみるとハッキリと不快感を浮かべていた。
心証は最悪なのであろう。
この国においてすべてを剥奪された娘。
薔薇姫と呼ばれていた者。
奪ったのは自分。
薔薇姫。
この国の町並みや家屋はどことなく、召喚前の世界に似たところがあった。
薔薇。
召喚前の人格などもうほとんどない今の彼の意識からすると、以前いた世界の方が異世界だった。元の世界に戻りたいなどという気持ちは思い浮かばなかった。
埃をかぶりつつある知識や記憶でしかない世界。
今の彼の感覚では異世界召喚されたというよりも転生したといわれた方がしっくりくるほどだった。
和の国。
そう。自分があの頃いた国の名は何と言ったか。
和。
そう。和名ならしっくりくるだろう。
薔薇姫と呼ばれていた者。
薔薇の花。
元来外来種である薔薇の花の名前は殆ど外来語だったはずだ。
薔薇の名前を称号に三人の女性が活躍する物語が不意に思い浮かんだ。
その時に薔薇について何か調べたはずだ。
薔薇。薔薇の花。和名。
「十六夜」
「そうか」
呟く少年に黄泉姫は軽く頷いた。
「夜が明けるまで時間もない。その娘にその名を与え、口づけをするがよい」
そういって黄泉姫は彼女から大鎌を奪い取るとレインの前に押し出した。
険悪そうな表情を隠すでもない寵姫となった女に名を告げて口づけた。
これですべてが終わったらしい。
満足そうに黄泉姫が頷いて、そういえばといった様子で聞いてきた。
「それなりに長考だったようだが十六夜という名に何か由来でもあるのか?」
「彼女に会った薔薇姫の称号と、かなり昔に調べた辞典にのっていた十六夜薔薇という薔薇の花の名前からだよ」
それを聞いて十六夜は大きく目を見開いた。
若干見直したといった様子にレインは安堵した。
「そうであるか。てっきり十六夜月と行き遅れ娘をかけたものかと思ったのだが」
「頼むから! 混ぜっ返さないでよ」
黄泉姫の余計な言葉に温度を下げていく彼女をみて半泣きになりながら懇願する。もちろん聞き入れない様子をみて頭痛と腹痛止めの魔法はあっただろうかと現実逃避をすることにしたのだった