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終・榾火の謡

 焚き火のようなぬくもりを。

    灯火のような導きを。

       絶望を拭い去る光を。



 ――半年後。



 少年は一人、立っている。ボロきれのようなマントをまとい、刃の欠けた鉄の剣を握り締めて、立っている。

 片腕はとうにない。片目もない。全身がボロボロだ。それでも彼は立っている。

 向かう先は、最後の場所。

 大きな建物。そこで最後だ。ここさえ失くせば、ここにいる重要人物さえいなくなれば、あの楽園のような優しい場所は護られる。

 ――『虫の里』。そこにいる彼女も護られる。

 背のカブトの羽はかなり前にちぎれ、今はもう空を飛ぶことは出来ない。投薬と手術で改造された身体はこの半年の戦いでそろそろ限界だろう。

 だが、これで最後だ。

「……リンカ」

 少年……アシトは彼女の名を呟く。彼女は幸せでいるだろう。きっと、今も笑って過ごしているだろう。

 脳裏に宿るのは、あのときのナンナと、その後のキアラ。そしてラクラレン。

「護る、よ……」

 警戒音が響く。少年は地面を蹴った。これで最後だ。最後だから、もう少しだけ力を貸して欲しい。祈るように虫族たちに願う。

 少年の身体を炎が包む。壁の上から放たれた弾丸は、全てその炎に溶かされた。

 硬く閉ざされた鉄の門に、彼は剣を振るった。白い炎が放たれ、一瞬で鉄の門は消え失せる。

 アシトは迷わず溶けた門を飛び越えた。壁の内側は広く、庭のようになっており……そこには数限りない兵士がいる。

 彼がここへ来ることは見越されていたのだろう。この半年の行動を見ればすぐに理解できることだから、警戒されていることくらいの予測はしている。

 アシトは完全に包囲されていた。向けられている銃口は、無数にあり、その中のいくつかはただの銃ではない。アシトはそれを見取ってわずかに顔をしかめた。

 鉄の弾丸ではなく、(レーザー)を放つものだ。まだ実用化されるレベルではないはずなの に、アシトを恐れて使うつもりだ。いつ暴発するかも分からないのに。

 それだけここにいる人物はアシトを恐れているということで、向こうにも後がないということでもある。


 撃て!

 声がした。いくらアシトでも、光はかわせない――。


 瞬。

 

「……!?」

 紫の光が、放たれた光を歪めて消した。

 見覚えのある光――雷に、少年は目を見開く。

 今、何が起きた?

 雷が収まる。

 ふたつの人影が見える。

 それぞれの背には羽。

 チョウと……トンボ。

 ふたつに結んだ紫がかった髪が。

 その胸元にあるお日様の首飾りが。

 確かに、彼女で。

「何故……」

 思わず呟く彼に、彼女は輝くような表情で告げた。

「見つけた、アシト!」

 言ってから、少年の様子に目を見張る。

「うわあ! なにその怪我っ!?」

「ほら見なさい! やっぱりわたくしがついてきて正解でしたわね!!」

 胸を張るのは、チョウの羽持つ少女、チニュ。

「うー、早く治してあげて、チニュ」

「言われなくとも治しますわ。あなたはあの辺の人間をどうにかしてくださいましっ」

「言われなくてもどうにかするよっ」

 仲が良いのか悪いのか分からない会話もそのままで。

 走り寄ってくるチニュは、彼の体に手を触れる。


 瞬。


 温かい光が身体を満たし、失った腕も目も、背の羽もが瞬間で元に戻る。激しい戦いで弱った身体すら綺麗に癒してのけ、傷跡すら残さない、優しくて強い力。

「何故、ここにいる!?」

 アシトは思わず声を上げてチニュの肩を掴んだ。

 彼女はチョウの姫長。

 命すら蘇らせる癒しの姫だ。こんなところにいていい存在ではなく、それはもう一人の少女にも言えることだ。

「何故って、見たでしょう? リンカの力ですわ。彼女、どうも限界まで練り上げた雷の力なら、空間を飛び越えることが出来るようですの。わたくしたちの里に来た発端も、雷の力で山の上に移動したからのようですわよ。昔の話ですけれど」

 リンカは目にも留まらぬ速さで次々と兵士たちを倒していく。彼女を狙って弾丸が飛ぶが、どれもが届かないまま少女に打ち倒されていく。

「そういう意味じゃない! お前たちは長になったんだろう!? 何故あの里を出て、ここにいる!?」

 チニュは焦るアシトに、可愛らしくにこやかに微笑みかけ、それから少年の頬を打った。

 

 ばしん。アシトの頬に手形が残る。


 少年の目が点になっていた。

「その言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ。あなたも今は、長ですのよ」

 少年が背負ったカブト族の羽。長であることを示すもの。

「全くもう……後継もお決めにならないまま里を出て行かれても困りますわ。リンカはアシトがいないと泣き出すし……この半年、ほんっとうにわたくしもリンカも困りましたわ」

 先ほどまでの微笑を消し、半眼になり、チニュはアシトを見ている。彼女は、怒っている。

「里の者も皆あなたを心配していましたの。お分かり?」

「……おれ、を?」


 アシトが出て行ったことで、里の者は心配したのか。

 アシトが出て行ったことで、彼女たちは困ったのか。

 アシトが出て行ったことで、リンカは泣いたのか……?


「そうですわ。半年かかってようやく雷の力で自由に移動できるようになりましたのよ。それはもう、リンカはがんばったんですわ。一言もなく出て行ったあなたを捜すために――あなたを迎えにいくために」

 アシトは視線を向けた。強く雷が炸裂し、風が舞い上がり、その中を彼女は飛び回っている。

 半年。アシトと同じように彼女もずいぶんと力を使いこなせるようになったようだ。

 兵士は彼女一人の行動で全てが打ち倒された。

 舞い戻ってきた彼女、リンカはアシトの眼前に降り立ち、やったことはチニュと一緒だった。


 ばしん。もう片方のアシトの頬に手形が残る。


「アシトのばかっ! きらいっ!」

 言ってから、唖然としている少年を見上げる。

「すごくすごく心配したんだよっ!! 怒ってるんだからね!!」

「そうですわ、もっと言っておやりなさい」

「黙って行っちゃって、どうしてるのか皆皆心配してたんだよっ!!」

「その通りですわ。もっと言ってもよろしいですわよリンカ」

「ナンナやキアラみたいに……ゼンダやネーディアやラクラレンみたいに……アシトも帰ってこないのかと思って、心配、したんだよ……?」

 リンカの瞳が見る間に潤む。

「う、あ」

 呻いてアシトはチニュを見た。助けてくれと目が言っているが、チニュはそ知らぬフリでそっぽを向いている。

 アシトはどうしたら良いのか分からない。どうしてこんなことになったのかも分からない。

 リンカを護りたくて取った行動が、どうして彼女を泣かせることになるのか分からない。

「な、泣くな」

「アシトのばか……きらいー」

「う、うぅ」

 人間兵器、心底から困る。慌てふためき、なだめることも出来ない不器用な少年に、チニュは押し殺した声で笑っている。

「笑うな、助けろ……」

「おほほほ、面白いですわ、アシト」

「笑うな、助けてくれ……」

 懇願が入り始めたので、チニュは噴き出しそうになりながら言う。

「わたくしもリンカも、あなたからまだ聞いていませんわよ」

「何をだ……?」

 困惑する少年に、虫族の少女は楽しげに告げる。

「答えは簡単でしょう? 謝罪、ですわ」

 アシトはチニュを見た。彼女は楽しそうに笑っている。

 リンカを見た。涙を湛えた目で、恨めしそうにアシトを見ている。

「……す、すまん」

「誠意がないですわっ!」

「アシトのばかー」

 即座に飛んだ言葉に、少年は困惑する。

「ど、どうしろと、言うんだ……」

「謝る言葉は『ごめんなさい』っ!」

 リンカが睨んでくる。アシトはチニュを見た。チニュは楽しそうに彼を見ている。

 

 逃げ場は、なかった。


 ある意味どんな戦場よりも恐ろしいところに立たされている気分で、少年は何とか口を開く。

「……ご、ごめんなさい」

「うん。もうしないでね」

「よろしいでしょう、許してさしあげます」

 一言口にしただけで、少女たちは彼を許した。とても簡単に、彼を許した。

 彼女たちが心配していたことを、彼は理解しただろうから、それ以上責める気はないのだ。

 ごしごしと瞳をぬぐって、リンカはようやく笑った。

「ねえ、なんでアシトこんなところにいるの? 人間の里に帰りたかったの?」

「い、いや、ここは……その、おれに……虫族の力を手に入れて来いと命令したやつが、いるところで」

 アシトの言葉に、チニュは目を見開いた。即座に振り返って物々しい建物を指差す。

「何ですって!? リンカ、やっておしまいなさい。わたくしが許します。傲慢で悲しい人間に、痛みを教えてさしあげて」

「……チニュ、命令しないでよー。やるけどさ」

 リンカは建物を睨む。恨みよりも怒りよりも憎しみよりも、戻ってこない大切なヒトを、悲しく思う。奪われた幸せな時間を何よりも愛しいと思っていたから。

「キアラの、皆の痛み、教えてあげる。もう戻ってこないんだからね。皆、皆……戻ってこないんだ!!」


 怒りよりも、悲しみを含んだ紫の光が、人間の愚かさを砕くように降り注いだ。


 少しだけ待っていてくれと言い残し、リンカとチニュを外に置いて、アシトは崩れた建物に入っていった。

 多分どこかに避難する場所があるだろう。秘密裏に動く立場だったアシトは知っている。

 ざり。

 瓦礫を踏み越え、たどり着いた人の気配があるところに剣を突き立てる。壁の向こうに突き出ただろう剣先から、炎が吹き出た。

 くぐもった悲鳴が聞こえる。アシトは剣を離さない。

 気配がなくなるまで、少年はそうし続けた。

 こんなに汚い連中の血で手を汚すのは、自分でいいと思うから。

 彼女にさせられないと思うから。


「アシト、遅いね」

「そうですわね。何をしてらっしゃるのかしら? は! まさかまた逃げようとしているのでは!?」

「ええ!? そんなのやだ! ダメ! 一緒に帰るの!」

 騒ぐ彼女たちに苦笑を浮かべてアシトは近寄る。

「……待たせた」

「遅いですわよ、アシト」

 チニュはつんとそっぽを向き、リンカはホッとした笑みを浮かべている。

「おかえり」

 彼女はそう言って、アシトに手を差し伸べる。

「帰ろ?」

 あの優しい場所へ。

 優しい虫族たちのところへ。

 『虫の里』へ。

「……うん」

 アシトは、はにかむように微笑み、少女の手を取った。


         ***


 昔、彼女は恐れられ、人の里を追われた。

 彼女に手を差し伸べてくれたのは優しい虫族だった。

 その手のぬくもりを、あの日見たお日様の光を、彼女は忘れたことがない。

 受け入れてくれた虫族たちの優しさに、いつのころからか彼女はこう思うようになった。

 幸せを知った。ぬくもりを知った。優しさを知った。

 与えられた大切なものを、いつか自分も誰かに与えてあげたいと。


 少年は知らなかった。何も知らなかった。

 何一つ持たなかった彼に、光が差した。

 何も分からなかった彼に、手を差し伸べるヒトがいた。

 奪うだけだった自分に、与えてくれるヒトがいた。

 奇跡のような光が差した。

 護りたいと想うものが、やっと彼にもできたのだ。


 そこにあるのは、確かな榾火ほたび

 彼女に与えられたぬくもりが、彼に伝わった瞬間。


 チョウの羽持つ彼女が謳う。

 花畑の中で唄を謳う。

 長い冬が明け、春を告げるかのように。

 寒い夜を暖める、確かな榾火ほたびのように。


 遥かな山の高み、人間の知らない場所が在る。

 ここは『虫の里』。優しい虫族たちの住むところ――。


これにて『榾火の謡』は完結です。まだまだ幼いリンカと不器用なアシトに、チニュは笑いながら過ごすのでしょう。相変わらず仲が良いのか悪いのか分からないまま、アシトを不思議がらせて。優しい虫の里で。

長らくお付き合いありがとうございました。

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