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カルミナオンライン  作者: 森
プロローグ
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 6月25日 大型アップデートメンテナンス終了のお知らせ


 カルミナオンライン運営チームです。

 いつもカルミナオンラインをお楽しみいただき、誠にありがとうございます。


 6月25日10:00~18:00 大型アップデートvol9「クラウィス・リベラ」終了をお知らせします。


 今回のアップデートでは、新エリア「リベルタ共和国」の実装をはじめ、

 レベルキャップを開放(99→128)。

 3つの新シナリオ、複数の新クエスト、数々の新アイテム、新装備などの

 各種要素も追加いたしました。


 →大型アップデートの詳細はこちら







「メイちゃん! メイちゃん! どこ!?」


 人でごった返した路地に、テノールの低い声が響く。


 本日の大型アップデートで追加された新エリア、リベルタ共和国。その中心都市であるサベレコリスは、物見遊山のプレイヤーと、建国祭を祝うNPCで異様なほどの賑わいを見せていた。すでに日は沈んでおり、平常であれば人々は眠りについている時間なのだが、これからが本番とばかりに盛り上がる一方だ。


 ヨーロッパ風とアラビア風を混ぜ合わせたようなデザインの新市街は、通りこそ広いものの、小道となると軽自動車一台がようやく通れるほどしか幅がない。そんな狭い路地にさえ露店が広げられており、足の踏み場もない有様だ。NPCの露店は、平素は決められた場所、決められた時間にしか営業を許可されていないのだが、今日ばかりは例外なのだろう。


 その喧噪に包まれる小道を、涼はフレンドのメイを探しながら歩いていた。


 フレンドチャットのおかげで大体の場所は分かっているのだが、こうも人が多いと簡単には見つけられない。


 旧時代のPCを介したMMORPG(多人数同時参加型オンラインRPG)とは異なり、カルミナオンラインのようなVRMMORPGは『Virtual Reality(仮想現実)』の言葉通り、プレイヤーの全感覚を仮想世界のキャラクターに反映させる。もう一人の自分が、もう一つの現実の中に存在していると考えると的確だ。


 ゆえに、プレイヤーの視点は鳥瞰ではなく、現実と同じものになる。


「肩車してれば良かった……」


 後悔しても遅いと分かっているが、愚痴らずにはいられなかった。


 涼の分身であるキャラクター『リョウ』の身長は180cm。そしてヘビー級のボクサーか、あるいはプロレスラーもかくやと思わせる筋骨隆々の肉体を誇る。


 その堂々たる体躯と、褐色の肌に黒い道着を纏った姿には異様な迫力があり、この混雑の中でも周囲にはわずかな隙間ができていた。だから、メイには帯の端を握らせていれば大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。しかしメイは、人ごみに流されてしまった。


「メイちゃ~ん!」


 涼はさらに声を張り上げる。


 その大音量に、周囲の人々は一斉に耳を抑えた。


 涼は謝罪の言葉を繰り返しながら、ぺこぺこと頭を下げる。その度に、背中の中ほどまである獅子のたてがみのような金髪が揺れた。大柄な体を縮めて謝る様はどこか滑稽で、人々の笑いを誘う。


「キーウェスのお方、お連れさんとはぐれてしまわれたのですか?」


 串焼きカバブ売りの中年男性が、笑いをかみ殺しながら話しかけてくる。


 着物のような丈の長い上着に、ズボンを着用し、腰は帯で止めるというアラビア風の服装。周囲の男性も上着の色や刺繍こそ違えど、ほぼ同じだ。


 涼が男性の顔を注視すると、頭上に白文字で「アサド」という名前が表示された。白文字ということは、彼はNPCだ。プレイヤーならば黄色で表示される。


「そうなんです。小さな女の子だから心配で……」

「それはいけない!」


 アサドの顔がさっと青くなる。


 カルミナオンラインのNPCは、商人や貴族などの一部を除いて、基本的に勤勉な善人として設定されている。そんな彼らにとって、小さな女の子が迷子になっているのは、まさに一大事だ。


「なんて可哀想に。私もお探しますよ。ご心配でしょう」

「いえいえ、お手間を取らせるわけにはいきませんから」

「袖触れ合うも多少の縁です。この人出では、小柄な方を探し出すのは大変ですよ。おおい、みんな!」

「リョウちゃーん! ここ、ここー!」


 アサドが周囲の人々に声をかけはじめると同時に、涼の名を呼ぶ甲高い声が響いた。


 涼が声の方向を見ると、人々の頭の上で時折手のひらが覗く。居場所を知らせるために飛び跳ねているのだろう。


「メイちゃん!」

「リョウちゃーん!」

「ああ、良かった。見つかったようですね。それでは、良い一日を!」

「ありがとうございました! あなたも良い一日を!」


 アサドに急いで別れを告げると、涼は人を掻き分けながら進む。


 露店の脇の僅かな隙間。そこには人ゴミの息苦しさからか、頬を上気させた少女が立っていた。


「メイちゃん、見つかって良かった」

「ごめんね。人に押されてリョウちゃんから手を放しちゃった」


 少女はうるんだ目で涼を見上げた。


 145cmの小柄な体に、大きな緑色の目、栗色の長い巻き毛、象牙色の肌、背中には風妖精族カエリムの特徴であるトンボのような澄んだ羽根。そして、舌足らずな高い声。


 身に纏うのは、ベルベッドに似た光沢を放つダークグリーンの膝丈ドレスだ。本来は魔法職の装備品であるそれは、エプロンやヘッドドレスをコーディネートすることによって、見事なゴシックロリータファッションに仕上がっている。一目見ただけで頬が緩むこと必至の、まさに人形のように愛らしい少女である。


「肩車しようか。手をつないでてもはぐれそうだもんね」

「すーるー!」


 涼が腰をかがめると、少女は大きな背中をえっちらおっちらとよじ登る。


 肩車するとスカートから足が見えてしまうのでは、と涼は考えたが、どうやらペチコートの下には膝上丈のズロワーズを履いていたようだ。それも『見せる』用途のもので、贅沢なレースがふんだんにあしらわれている。白のハイソックスもはいているし、これなら肩車をしても可愛らしい膝小僧しか見えないだろう。


「立ち上がるから、しっかり掴まってね」

「はーい!」

「よいしょ、っと」


 涼がゆっくり立ち上がると、少女はきゃっきゃと歓声を上げた。周囲のNPCも、その微笑ましい光景に目を細める。


 涼は内心、苦笑した。


 どこからどう見ても完璧な美少女である『メイ』。


 しかしそのプレイヤーは、28歳の男性である。


 本名を指宿(いぶすき) 明(あきら)という。


 涼と明は、従兄弟同士の間柄だ。母親同士が姉妹なのだが、父親同士も結婚前からの親友という、輪をかけて濃い人間関係にある。さらに仕事で留守がちな父親たちは、残しておく妻子が寂しくないようにと、隣合って家を建てた。


 涼の母は産休明けから直ぐに職場復帰したため、涼は日中、叔母である明の母に預けられていた。当時4歳の明は兄弟の末っ子であったため、涼の誕生を大いに喜び、叔母と共に育児に励んだらしい。


 定番の「おむつを替えてやった」どころではない。哺乳瓶での授乳、げっぷ、寝かしつけ、離乳食の作成、トイレトレーニング、魔の2歳児のいやいや期の相手までこなしている。大きくなってからもなにくれと面倒をみてくれた明は、涼にとって年の離れた実の兄達よりもよほど近しい存在である。


 涼をカルミナオンラインに誘ったのも明だ。


 明にとって『メイ』は、カルミナオンラインにおける2人目のキャラクターである。


 高レベルプレイヤーが低レベルプレイヤーの育成を手伝う、いわゆる『パワーレベリング』が難しいカルミナオンラインで、涼の成長に合わせるために新キャラクターを作成したのだ。そのため、キャラクターの『メイ』のレベルこそ低いが、明本人はベテランプレイヤーなのである。


 ついでに、涼がリアルでの名前を呼ぶミスを犯さないようにと、普段からの仇名である『メイ』をキャラクターネームとして採用した。


 今では『メイ』に慣れてしまった涼だが、最初に明が『メイ』として現れた時は、天地がひっくり返るほどに驚いた。そして、これまで明の真の姿に気づかず申し訳なかったと土下座で謝った。


 カルミナオンラインのようなVRMMORPGは、VR技術の特性から身長と性別の詐称が極めて難しい。


 VR技術において最も重要にして、最も障害となるのは、五感ではない。


 人間の固有感覚(運動感覚)だ。


 固有感覚とは、無意識のうちに働く自分の体に対する知覚である。目を閉じても自分の手足がどこにあるか理解できるのは、固有感覚があるためだ。スイカ割りや福笑いなどの目隠しをする他愛ない遊びでさえも、固有感覚がなければ不可能な芸当なのである。


 VR技術では、プレイヤーの固有感覚を元にキャラクターの肉体を構築する。VR技術の黎明期は大がかりなカプセル型スキャナで全身を精査していたが、現在は固有感覚を利用することにより、脳波のみでキャラクターの構築が可能になった。


 身長の伸縮は、この固有感覚にきわめて深く影響する。


 ハイヒールやシークレットシューズを履いても走り回れるように、多少の伸長であれば問題ないのではと考えた者もいた。しかし、ヒールやソールによって一部が一時的に伸長した状態とは異なり、身長の伸縮は手足の長さ自体が変わってしまう。ほんの数センチの違いでも、うまく物を掴めない、手足をぶつけるなどの現象が多発する。日常の些細な動作にさえ不具合を感じるのだから、武器を振るう戦闘などとても出来ない。伸縮は、最大でも3cm程度までと言われている。


 身長の伸縮と同様に、男性プレイヤーが女性キャラクターを、女性プレイヤーが男性キャラクターを操る性別の転換にも様々な問題がある。


 多くのVRMMORPGでは、トランスセクシャルなどのセクシャルマイノリティーのために、プレイヤーとキャラクターの性別逆転が可能になっている。しかしそういった事情のプレイヤーを除き、『本来はない(ある)器官がある(ない)』という状態は、形容しがたい違和感、喪失感、不安感を伴う。


 それに加えて、男性と女性では骨格や肉付きが全く違う。これは重心、軸芯のズレに繋がる。最も単純な『歩く』という運動をはじめ、『走る』『回る』『跳ぶ』など、実に様々な行動に支障をきたすのだ。


 キャラクターを演じるロールプレイ以前の問題で、身長の伸縮と性別の転換は、感覚の混乱と錯誤、脳への影響を考慮して、注意勧告もなされている。


 もっとも、あくまで注意であって禁止ではない。なぜならば、VR世界は精神的、肉体的にハンディキャップを抱える様々なマイノリティーにも門戸が開かれているべきものだからだ。いずれは規制されるかもしれないが、脳への影響については長期的な障害に至るのかといった実際的な立証が未だなされていない。


 しかし、特に男プレイヤーが女キャラクターを演じるいわゆる『ネカマ』は、変態野郎もしくは他の男プレイヤーからの『善意の施し』を目当てにする卑怯者として蔑視される。


 VRMMORPGは、主にテキストチャットでコミュニケーションを取っていたMMORPGとは異なり、現実世界と同じくボディランゲージと発声でやり取りする。人間は、余程の役者でもない限り、咄嗟の場面で自分を演じることが難しい。そしてカルミナオンラインは、モンスター(Mob)との戦闘などの『咄嗟の場面』の連続だ。よって、性別の詐称は比較的容易に露見してしまうのである。


 これらの障害とリスクを乗り越えてまで、わざわざ身長と性別を偽る酔狂な人間は稀である。『メイ』を見た涼が、従兄弟の真の姿はこちらだったのかと誤解してしまったのも無理はない。


 明曰く、『メイ』は涼に対する悪戯心から作成したキャラクターとのことだ。悪戯ごときでVRの難関に挑んでしまうのが彼の凄いところであり、悪質なところでもある。涼は24年間の人生の中で初めて、心臓が止まりそうなほどの驚くという経験をした。


 そしてその悪戯は、現在も継続中である。『メイ』にも慣れたとはいえ、たまに明は一体どんな心境でロールプレイしているのだろうと想像すると、大変微妙な気持ちになってしまうのだ。


「今日はすごい人だね」

「リョウちゃんはいつも村にいるから知らないと思うけど、新エリアが追加されたらだいたいこんなだよ」

「へ~、そうなんだ」


 涼は改めて辺りを見渡した。


 リベルタが属する東方オリエーンスには珍しい金髪碧眼の人族や、森妖霊族エルヴン、海妖霊族マリースなどの、普段はまず人里で見かけることのない種族のNPCも多い。それらに加えて、色とりどりの装備品に身を固めた様々な種族のプレイヤーが闊歩している。まるでカルミナに存在する種族の見本市のようだ。


「たまには街に出るのもいいと思うよ? リョウちゃんは村に籠りすぎだってばー」

「でも、あんまりファームを空けたくないし」

「NPC雇ってるんでしょ?」

「人任せにするとインプレッションが下がるから……」

「ああ、そっかー。大地主は辛いねー」


 カルミナオンラインのメインコピーは、『君よ、英雄たれ』。


 プレイヤーは英雄候補である『キーウェス』という特殊階級として世界に生を受けているという設定だ。そのため、プレイヤーには怪物の討伐や集落の防衛、未開地の踏破、異種族または集落間の紛争調停など、英雄と呼ばれるに相応しい振る舞いが求められる。


 そういった行為の多くは、システム上の『クエスト』として設定されており、クリアすると経験点やゲーム内通貨やアイテムなど各種ボーナスが得られる。また、クエストの集合体であるシナリオや、シナリオの集合体であるシークエンスによっては、クリアすることで上位ジョブ、レベルキャップ、一部使用アイテムが解禁になるものもある。プレイヤーはクエストをこなすことで、真の英雄に近づいてゆく訳だ。


 そんな中で、涼は村の開拓と農業・畜産業・林業などの第一次産業に精を出す少数派プレイヤーである。


 辺境の開拓も立派な英雄行為なのだが、あまりにも地味であり、時間がかかり過ぎ、単純作業の連続で面白くないという点から、プレイヤーの注目度は低い。


 涼とてモンスター狩りやボス戦に参加することもある。仲間との共同プレイは楽しいし、未知の土地の風景には心が躍る。しかしゲームの中とはいえ、長年の夢である田舎暮らしを手に入れた涼にとって、所属村での農民ライフは何物にも代えがたい。手塩にかけたファームは、手入れを怠ると生産効率が下がったり、荒れ地に戻ってしまう。可能な限り離れたくないのだ。


 従業員NPCを雇ってファームの世話を任せることも可能だが、昔の大地主と小作人の関係をモデルにしているのか、長期間従業員に任せっぱなしにすると集落での印象値であるインプレッションが下がる。インプレッションが低いと作物を買い取ってもらえないだけでなく、村人が他人行儀になったり、陰口を叩かれたりする。マイナスになると村八分の扱いだ。


 涼は和を重んじる典型的な日本人である。陰口や村八分を受け流がせるほどの鋼の心臓は持ち合わせていない。インプレッションの低下は精神衛生上、非常によろしくないのだ。


「あ、そうだリョウちゃん。新シナリオの情報が出てたよ」

「早いね~。どんなの?」


 涼が尋ねると、明はゲームウィンドウを呼び出した。外部のカルミナオンライン攻略サイトの掲示板を表示し、涼の目の前に移動させる。


「ん~……、『揺れる灯影のリドル』『響く虚ろのデマゴーグ』『乾いた顎のゴシップ』? 変な名前だね。どんなクエなんだろ」

「スタートキーはまだ未確定みたい。情報あるかなあ?」


 涼の目の前で、複数のウィンドウが高速スクロールする。


 カルミナオンラインのクエストには、『スタートキー』と呼ばれる受注条件がある。レベルやジョブやスキル、特定クエスト・シナリオ・シークエンスのクリアなどが条件として設定されている。


 スタートキーについて、運営は一切情報を公開しない。プレイヤーは外部の攻略サイトに情報を書き込んで共有し、確定作業を行う。スタートキーの確定はカルミナオンラインの醍醐味の一つだ。中には面倒くさいと言うプレイヤーもいるが、概ね好評である。


「あれ? 『リドル』のスタートキーが」

「どうしたの、メイちゃん?」

「BBSには『大草原の小さな穴』クリアか? ってあるけど、わたしまだそのシナリオクリアしてないんだよ。なのに『リドル』が出てる。他のクエストやスキルレベルも関係あるのかな……。ちょっと待って。『リドル』の条件の方、報告するね」

「うん」


 明はウィンドウを涼の頭上に移動させると、仮想キーボードでタイプを始める。


 カルミナオンラインでは思考入力も音声入力も可能だ。むしろ、そちらがメインである。しかし、こと文章の入力となると、旧来のキーボードに軍配が上がる。


 思考入力の場合、思考がそのまま文字になってしまう。音声入力も同様に、声に出した言葉がそのまま文字になる。これは利点のようで欠点だ。


 読みやすい文章とは、口語ではなく文語である。思考・音声入力では、主語が複数出現したり、句読点がなかったり、「えー、あー」などの間投詞が挿まれてしまったりと、文章として非常に読みづらい代物が出来上がってしまう。思考・音声入力はまだ未完成な分野だ。


「OK、報告完了」

「メインキャラの方がスタートキーの情報がたくさん入りそうだけど……今回はメインキャラじゃなくて良かったの?」

「んー、まあ、ちょっとね」


 明が珍しく口ごもる。


 涼は内心、首を傾げた。


 明のメインキャラクターは、レベル99のホーリーナイトだ。長剣と大盾で前線を支えつつ、回復系の白魔法をも操る騎士である。


 所属ギルドはカルミナオンラインにおけるトップギルドの一つ、『ブッチャーズブルーム』。今回は新シナリオが3つも実装されるという大型アップデートである。クエストクリアに血道を注ぐ攻略派ギルド、『ブッチャーズブルーム』は、早期クリアのためギルドメンバーに召集をかけていただろう。涼もてっきり、明はメインキャラクターでログインすると思っていた。


 しかし明は、サブキャラクターの『メイ』でここにいる。


 『メイ』が所属するギルドは、『バー・クラープラ』。日本語で『居酒屋・二日酔い』の意味があるこのギルドは、その名の通りカルミナオンラインに存在する酒や肴を楽しみつつ、プレイヤー同士の交流を楽しむのんびりしたギルドだ。未知の美酒を求めて未踏破地に挑むことも多いので探検派ギルドにカテゴライズされるものの、各自都合の良い時に気ままに楽しむのがモットーなので、大型アップデートの後とはいえ、ログインを強要することなどない。


 涼は、自分には想像できない複雑な事情があるのだろうと考えて、他の話題を探した。


「今回も生産系の新シナリオ出なかったかあ……」

「生産系シナリオは出尽くしてる感があるから難しいと思うよ? 新しい生産アイテムが実装になれば祭りになるんだろうけど。加工系クエなら出てるみたい」

「運営さんは生産系に冷たいと思う」


 涼が不満を隠さない声色で言うと、明はくつくつと笑った。


「仕方がないよ。カルミナはヒロイックサーガなんだもん。もっと戦闘系も上げれば? リョウちゃんはヴァンダ・モンクだから、裸クエだと大人気だよ」

「うーん……」


 涼は渋面を作る。


 涼が数あるジョブの中から『モンク』を選んだのは、「他のジョブに比べてやることが少なくて、覚えやすいから初心者向き」という明の薦めからだった。


 明が言うとおり、モンクの仕事はただひたすら敵を殴り、蹴ることだ。


 徒手空拳が基本のモンクは、他の戦闘職のように武器の耐久度に気を使う必要があまりないし、魔法職のように詠唱・発生のタイムラグや、再詠唱可能時間(リキャスト)までの複雑な計算をする必要もない。むろん周囲との連係は重要だが、それでも他のジョブに比べると圧倒的に負担が少ないのだ。それゆえ、涼のように戦闘でミスをして他プレイヤーに迷惑をかけるのが怖い、と萎縮してしまうタイプには適職と言えた。


 そして『リョウ』はカルミナオンラインにおけるキングオブパワー、ヴァンダという種族である。


 南方メレディエス発祥の人族であるヴァンダは、男女共に180cmを超える長身を誇り、褐色の肌の下に分厚い筋肉と驚異的な体力を蓄えた屈強な戦士の一族だ。


 その設定はプレイヤーキャラクターにも反映されており、8種の基本ステータスである器用度、敏捷度、筋力、知力、幸運度、魅力、体力、魔力のうち、筋力と体力の2種において全種族中最高値を誇る。


 それゆえか、公式サイトのコピーは、『我が拳に打ち砕けぬものはない』。


 この一文でカルミナにおけるヴァンダのポジションを推して知るべしであろう。


 筋力と体力が高いなら、全身武装に身を固めて味方の盾になればいいんじゃないか、という意見もある。しかしモンクのアビリティには筋力依存のものが多い。他種族のモンクとヴァンダのモンクでは、同レベル帯ではアビリティ攻撃の威力が比べものにならないのだ。ヴァンダはまさに、モンクのために作り出されたような種族である。


 攻略サイトの掲示板でも、


【武器?】ヴァンダスレ STR45【なんぞそれ?】

【ファイアボールは】ヴァンダスレ STR46【クラッカー】


 などの男気溢れるスレッドが名を連ねている。


 が、しかし。あふれ弾けるパワーの反面、他のステータスは全種族中最低である。


 特にひどいのが魔力だ。


 『魔法を使う際に消費する数値』であるMP(マナポイント)は魔力を元に算出される。しかしヴァンダの場合、初期ステータスでは白魔法の初歩の初歩である『ヒール』すら唱えることができない。


 カルミナオンラインでは、MPが最大値の20%を切ると疲弊状態(詠唱時間の増加、威力・クリティカルパーセンテージマイナス)、10%を切ると気絶状態(一定時間操作不能)になる。ヴァンダが『ヒール』を使うには、レベルを上げて魔力が上がるのを待つか、レベルアップ時のボーナスポイントを魔力に振り続けるという種族特性に逆らったビルドを行う必要がある。


 さらに魔法の威力は知力によっても左右される。もちろんそれらの値も最低値のヴァンダは、致命的に魔法職には向いていない。


 つまるところ、ヴァンダの活躍場所は敵に肉薄した前衛のみとなる。ヴァンダが『脳筋』『肉壁』と揶揄される所以である。


「でも狩り場に行くと、みんなに見られて恥ずかしいし……」

「だから今日は男装してるの? みんなが見るのは、リョウちゃんが格好いいからだってば。わたしはリョウちゃんのキャラ、好きだよ?」

「そう言ってくれるのはメイちゃんだけだよ。ありがとう」


 涼は首をねじって肩の上の明を見上げると、照れくさそうに笑う。涼が己の体格を卑下すると、明は必ず励ましてくれる。慰めだと分かっていても、涼は明が味方してくれることが嬉しい。


 実は、涼こそが『メイ』のように小柄で可憐な女性キャラクターを演じてみたかったのだ。


 しかし、涼の体格がそれを許さなかった。


 涼の身長は180cm。


 同年代の女性の平均身長を、実に10センチ以上も上回っている。


 生まれた時から4000gを超えるジャンボベイビーだった涼だが、小中高とバレーボールで青春の汗を流しているうちに、雨後の竹の子のようにすくすくと成長してしまった。もっとも、家族全員が大柄なので、遺伝の要素も強いだろう。


 涼にとってこの身長は、コンプレックス以外の何物でもなかった。


 小学生時代のあだ名は『ガリバー』。長身をからかわれ、猫背が癖になった。バレーボールに出会ってからはアスリートとしての誇りに変わったものの、怪我での引退後に逆戻りしてしまった。平均的な日本人男性より高い身長と、丸みのない体は、どう言い繕っても女性としての魅力に欠けるのだ。


 カルミナオンラインで自分の分身たるキャラクターを作成するにあたって、涼は悩みに悩んだ。しかし、結局はヴァンダを選択した。


 身長を偽るのが困難なVR技術の特性以前に、小柄で可憐な女の子など恥ずかしくてロールプレイできそうにないな、と思ったのだ。そして何より、ヴァンダの自分を見たら明が驚くだろうと閃いたのが決定的だった。体を張った一発ギャグである。そういった意味で、涼と明は思考回路が似ている。


 しかもちょうど良いことに、ヴァンダの規定身長は男女ともに180cm以上だ。人族の一種であるヴァンダは、『全体的に大柄』という設定を持つ種族であるため、最低身長制限が設けられている。他の種族は最高身長がいくらまで、という制限を持つ。制限がないのは人族ヒューマだけだ。小柄な日本人にとってヴァンダは狭き門だが、涼には福音だった。


 しかし初心者である涼は知らなかった。女性ヴァンダは最もプレイヤー人口が少なく、クローズドβテスト時代から最不人気種族の地位を独走していることを。


 男性ヴァンダは欧米サーバを中心に人気があるが、女性ヴァンダについてはこの限りではない。何故ならばヴァンダは男女共に筋肉質で、厳つい容貌となる補正が消せず、女性でもテノールボイスなのだ。


 綺麗になりたい、美しくありたいという女性の願望は、どの時代のどの場所でも変わらない。他種族ならば顔グラフィックや自分の顔を元にカスタマイズして見目麗しいキャラクターを作成できるのに、なぜわざわざヴァンダを選ばなければならないのか。多くの女性はそう考える。


 そういった乙女心事情もあり、女性ヴァンダの涼は、身長性別詐称のメイほどではないがレアな存在である。否応なしに狩場では注目の的になる。


 かくして大柄な体に反して気の小さい涼が、村に籠りがちになってしまうのだ。


「ねえ、今回のアップデートで新シークエンスも出るっぽいし、色々やってみない?」

「とりあえず、加工系クエやる」


 明は盛大なため息をつく。


「まったくもう。えーっとね、加工系の新クエは……錬金だ!」

「ええ~!? 錬金術なんて上げてないよ~!」

「わたし上げてるー。あ、でもレベル足りない。60以上かあ。厳しいなー」

「じゃあ、今回のアップデート、私は新しいクエなしなんだ……」


 涼はがっくりと肩を落とした。


 カルミナオンラインにはモンスターとの戦闘に必要な戦闘系スキルの他に、生産系、加工系にカテゴライズされているスキル群がある。代表的な生産系スキルは農業、畜産業、鉱業などで、加工系では調理、鍛冶、錬金術などが挙げられる。錬金術には知力と魔力が必要なため、ヴァンダの涼はほとんど手をつけていない。


「あ、ほら、でも新しい料理が出てるみたいだよ。リョウちゃん、調理スキル上げてるよね? 【冷燻】ってできる?」

「うん。覚えてる」

「じゃあ生ハムやスモークサーモンが作れるよ。あとは揚げ物でベニエとかが出てるかな。素材、買出しに行かない?」

「……うん」


 小さくうなずくと、涼はのしのし歩き始めた。


 悲しいかな、どれほど落ち込んでいても、ヴァンダにはとぼとぼ歩くという肉体表現ができないのだった。







 2時間後。


 げっそりした表情で屋台のカウンターに突っ伏す涼をよそに、明はほくほく顔でレモネードを飲んでいた。


「うーん! 今日はいい買い物ができました!」

「私、疲れた……」


 涼はもともと、あまり人ごみが好きではない。そして、特に目的もなく街をぶらぶらするのも苦手だ。目当てのものを購入したらさっさと帰宅する。明も現実では涼と同じタイプなので、2人で買い物に出かけても非常にスムーズに行動できるのだが、カルミナオンラインの中では違うらしい。


 店舗ごとの底値チェックに始まり、目標を定めたら値切り交渉に移る。値切る手段は価格交渉ではなく、泣き落としである。商人NPCは一般人NPCより『ずる賢い』が、基本が善人なことには変わりない。彼らのキーウェスに対する尊敬と、幼い外見のメイに対する庇護欲的な甘さを最大限に利用しているのだから、なかなか性質が悪い。


「新デコも買えたし。満足満足」


 言いながら、明は首のチョーカーに触れる。


 立て襟のような幅のあるレースのそれは、デコレーションと呼ばれるアイテムの一種だ。明が身に着けているエプロンやヘッドドレスもデコレーションに含まれる。デコレーションに防御力や付加効果はない。キャラクターの外見を飾るためだけのアイテムである。


 デコレーションには、リアルマネー、ゲーム内通貨、ゲーム内アイテムの3つの取引方法が設定されている。ゲーム内通貨やアイテムが不足しがちな中低レベルプレイヤーでも、リアルマネーを支払えば購入可能なので人気がある。


 現実の服はカジュアル系の明だが、カルミナオンラインの中ではまるで女子のように可愛いデコレーションを買い漁る。『メイ』にはとてもよく似合うのだが、従兄弟は一体どこに行こうとしているのだろうか。涼は少し不安になる。


「一通り見て回ったけど、変なアイテムとかってなかったよね。デコの値段も適正だったし。イームと運営、和解したのかな?」

「ん? それってどういうこと?」

「イームと運営がもめてるっていう噂があったんだけど、知らない?」

「うん。同じ会社なのに、何でもめるの?」


 涼は首をかしげた。


 涼が知る限り、カルミナオンラインはEEEM(イーム)という会社からリリースされているVRMMORPGで、制作・運営は社内のスタジオ9というチームが担当しているはずだ。


「んー……とね。もともとカルミナって、クローズド時代はParchPairっていう会社が制作・運営してたんだよ。ほら、キーウェスの宿屋って『パーチハウス』でしょ。英語で『止まり木の宿』って意味らしいんだけど、会社の名前から取ったんだって」

「へ~。パーチハウスってそういう意味だったんだ」

「そうなの。でもParchPairは、何かの大人の事情でイームに買収されてね。カルミナは開発運営チームごとそのまま移動して、イームのコンテンツとして残ったの。ParchPairには他にもいいゲームがあったんだけどなあ。もう続編は出ないんだろうなあ……」


 明は遠い目で明後日の方向を眺めた。


 涼は己のトラウマを刺激されて、複雑な気分になる。


 小さな頃から筋金入りのゲーマーである明は、涼にも様々なゲームをプレイさせた。旧時代のローカルで動くブラウザゲームだけでなく、古式ゆかしきコンシューマゲームまで、実に幅広い。涼も明にすすめられて夢中になって遊んだのだが、クラスの男子生徒に面白さを語ったところ、「お前、平成から来たんじゃね?」などと散々にからかわれた。『ガリバー』という仇名に『ばばあ』が混ざって『ガリババア』となった瞬間である。小学生は仇名の付け方に容赦がない。


「あーっと、そうそう。カルミナの話に戻るけど、なんかね、よくある話なんだけど、いいモノを作りたい運営と、お金を稼ぎたい経営陣との間で意見が食い違ったらしくて。課金装備の実装とかPvPイベントの実装とか。色々な噂があってね」

「デコや時短アイテムじゃなくて装備? え~……それってやだなあ」

「わたしも嫌だよ。お金の問題じゃなくて、課金装備実装してゲームバランスめちゃくちゃになって、ユーザが離れて潰れたゲームなんて腐るほどあるもん」


 明は頬を膨らませて不満を表明する。


 涼は思わず指を伸ばすと、明の頬をつっついた。


「でも、和解したっぽいんでしょ? ならいいじゃん」

「まあ、今は一応ね。アップデートも予定通りだったし、斜め上すぎる新デコもあったけど、そんなのスタジオ9の平常運転だし。でも将来的にどうなるか分からないのが怖いんだよね。ほんと、いつになったら経営陣は賢くなるのかな。慈善事業じゃないんだから利潤を求めるのは当然だけど、行き過ぎた拝金主義でガチャとか無制限課金コンテンツがどんどん規制されてきた歴史を知らないわけじゃないだろうに。もっと中長期的展望に基づいてコンテンツの運営を考えて欲しいよ」

「ん~、よく分かんないけど、世知辛い話だね」

「まあね。ユーザには分からないような色々な事情があるんだろうけど。でも、納得できないなあ」


 明は両手でカップを挟み込むと、ふう、と息を吐いた。


 可愛い集めたがることといい、今の愚痴めいた言葉といい、『メイ』でいる時の明はいつもと少し違うな、と涼は思う。もしも現実で同じ質問をしたら、一言二言適当な言葉を返すか、自分で調べてみろと言うだけで、こうも雄弁に語ったりしないだろう。


 これは『メイ』のロールプレイの一環なのかもしれない。しかし、対等に扱ってもらっているようにも感じられる。涼は思わず頬を緩めた。


「あ、そうだ。メイちゃん、私のポーチに入れたアイテムどうする?」

「忘れてた……。わたしの方を空にしなきゃ受け取れないよね」


 キャラクターの携帯アイテムは、アイテムポーチと呼ばれる物に収納されている。見た目は皮袋やウエストポーチやポシェットなど様々だが、機能は同じだ。ポーチには重量制限があり、キャラクターの筋力に応じて決まる。非力な風妖精族カエリムであるメイのポーチは容量が少ない。入りきらなかったものは、涼のポーチに預けている。


 携帯用のポーチに対して、設置式収納はアイテムボックスと呼ばれる。アイテムボックスには収納数の制限こそあるが、重量制限はない。英雄殿やパーチハウス、個人宅であるプライベートホーム、ギルドの拠点であるギルドホームなどに設置されている。


「じゃあ、英雄殿まで行く?」

「リョウちゃん疲れてるんでしょ? 1回空にしたら受け取れるし、ここで待ってて」

「分かった」

「何かあったら呼んでね」

「うん。いってらっしゃ~い」

「はーい」


 明はちょこちょこと駆けてゆく。


 涼はそれを見送った後、ゲームウィンドウを開いてファームの状況を確認した。


 涼のプライベートホームはグレード9に達している。MAXである10まであと一歩だ。建築素材と涼の保有スキルの関係で見た目こそ巨大なログハウス群だが、規模は大邸宅。畑や畜舎も専門事業者並みの広さがある。


 カルミナオンラインは、中世をモデルにした剣と魔法のファンタジー世界だ。トラクターやコンバインなどの農業機械は存在しない。一人で管理するには大きすぎるファームだが、作業のほとんどはシステムで簡略化されているし、従業員NPCも雇っている。力仕事も、ヴァンダの有り余る筋力と体力を持ってすれば容易い芸当だった。


 現在、主に作付しているのはデュラム小麦だ。リアル時間で12時間後には収穫できる。トマトとセロリも同時に作付しているし、塩、コショウ等の各種調味料も仕入れた。ハーブ類、赤ワイン、豚肉の在庫もあるので、ボローニャソースのスパゲティを作るつもりだ。


 システム的には一定レベルの調理スキルと素材さえあれば、『ミートソーススパゲティ』を選択するだけでアイテムとして完成する。しかし涼は、あえて手作業で料理を作る。


 VR世界での手先巧緻の訓練、手作業におけるシステムの限界、味覚エンジンの確認など様々な目的において、料理はうってつけな作業だ。それだけでなく、ボローニャソースは叔母である明の母直伝で、涼も明も好物なのである。自家製の赤ワインと、たっぷりの粉チーズを一緒にテーブルに出して、明の度肝を抜いてみたい。


 涼は驚く明を想像してにやにやしながら、街行く人を眺めた。


 そうしているうちに、睡魔に襲われる。


 再びパネルを開いて時計を見ると、リアル時間は午後11時42分だった。いつもの涼ならとうの昔に就寝している時間である。今日はアップデートに備えて昼寝をしていたとはいえ、祭りではしゃいでしまったのと、慣れない人ごみで疲れたのだろう。キャラクターの肉体は疲労や睡眠とは無縁だが、プレイヤーの脳が休息を欲すると自ずと引きずられる。


 ――メイちゃんが帰ってくるまで、少し寝ようかな。


 涼は頬杖をつき、うとうとしながら考える。


 現実世界ならば、年頃の女性が往来で居眠りするなどとんでもない行為だろう。しかしカルミナオンラインの中では別だ。それは涼が性的魅力に乏しいヴァンダだからでも、男装しているからでもない。


 カルミナオンラインでは、モンスターとの戦闘以外でキャラクターが危害を加えられることはないからだ。


 それだけでなく、キャラクターもモンスターと破壊可能オブジェクト以外を傷つけることはできない。これはVR機器に基本搭載されている倫理規約であり、一般的には『加害禁止コード』と呼ばれている。


 ハラスメント行為に関しても、『ハラスメントコード』という規定がある。肉体的接触については、他キャラクターを、撫でる、揉む、軽く叩く(ツッコむ)程度ならば可能だが、性的な意図をもって接触することはできない。そもそも、キャラクターの胸部および腰部に関しては露出および他プレイヤーの接触が禁止されている。


 人種や宗教、性別などの精神的なハラスメント行為については、GMコールで対応されている。セクシャルハラスメントの加害者は、キャラクターネームやHP・MPのバー、ゲームウィンドウがピンク色になる。他のハラスメントについてはパープルだ。犯罪者の烙印を押されるのである。


 セクシャルハラスメントの加害者、通称『汚ピンク』は、『パープル』よりも、集落の印象値であるインプレッションがマイナス値の『オレンジ』よりも酷い蔑視の対象になる。


 『パープル』はゲーム内社会貢献活動を、『オレンジ』は集落に貢献することで即時の回復が可能だが、『汚ピンク』はそう簡単にはいかない。


 被害者がGMコールを行うと、数日中に裁定AIによる判決が下される。ハラスメントが確定すると、加害者には罪状によって異なる執行猶予期間が科せられる。執行猶予期間を清く正しく過ごせば『汚ピンク』は消える。しかし猶予期間に再びセクシャルハラスメント行為を行い、有罪になってしまうと、即座にアカウントを剥奪される。また、セクシャルハラメントペナルティは3アウト制で、3度目の有罪が確定するとアカウントを剥奪される。


 新しいキャラクターを作成して復帰しようと考えても、基本的には不可能だ。


 なぜならば、カルミナオンラインの登録にはVMJAK系大手クレジットカード会社の個人名義カードが必要だからだ。今現在、大手クレジット会社はクレジットヒストリーとクレジットスコアを共有しており、そこにはVR世界でのハラスメント行為によるアカウント剥奪の情報も含まれている。倫理観の欠如は、負債化する恐れのあるマイナススコアという訳だ。新キャラクターを作成しようとしても、履歴が残っている以上、登録時に弾かれてしまう。他者の個人名義カードを使用すればアカウントを作れるという抜け道はあるが、無限ではない。


 旧時代を知る者は厳し過ぎるとこぼすこともあるが、現在は全世界的に強い倫理観を求める風潮がある。また、勤労や学習の意欲を削ぐと敵視されがちなVRMMORPGでは、より厳しい基準を設けないとあっという間に世間の非難の対象になってしまうのだ。カルミナオンラインが英雄的行為、すなわち人としての模範的行為をゲームの基本に据えたのも、そういった裏事情があると噂されている。


 この世界では、法はまさに『厳正に適用』されている。


 NPCは紛うことなき善人だ。


 貴族や商人などの一部NPCには悪事を働く者もいるが、現実に比べれば可愛らしいものだ。


 他のVRMMORPGよりも強くプレイヤーの模範的な行動を推奨しているため、あるいはそうしなければ強くなれないため、プレイヤーにも気のいい人が多い。


 現実の肉体の安全さえ確保してしまえば、カルミナオンラインはどこよりも優しい世界だ。


 温かく幸福な気分の中、小さなあくびをしてから、涼は眠りに落ちた。




 しかし、夢の世界に入った涼は知らない。


 約15分後の午前0時、彼女の楽園であるカルミナオンラインの世界が変質してしまったことを。


 全プレイヤーを混乱の渦に叩き込んだ、最後のシークエンスが実装されていたのである。







 【一部追記】 6月25日 大型アップデートメンテナンス終了のお知らせ


 カルミナオンライン運営チームです。

 いつもカルミナオンラインをお楽しみいただき、誠にありがとうございます。


 6月25日大型アップデートvol9「クラウィス・リベラ」終了をお知らせします。


 今回のアップデートでは、新エリア「リベルタ」の実装をはじめ、

 待望のレベルキャップが開放(99→128)。

 3つの新シナリオ、複数の新クエスト、数々の新アイテム、新装備などの

 各種要素も追加いたしました。

 →大型アップデートの詳細はこちら


 ※6月26日追記


 6月26日 0時をもちまして、新シークエンス『おわりのはじまりのジレンマ』を実装しました。

 シークエンス実装に伴い、ゲームシステムの一部を変更します。


 ・ワンダラーMobの実装

 ・全Mobの行動アルゴリズム変更

 ・一部アイテムの機能停止

 ・外部へのインターネット回線接続の停止

 ・公式サポートの停止

 ・ログイン/ログアウトの停止

 ・ハラスメントコードの撤廃

 ・加害禁止コードの撤廃(一部エリアを除く)

 ・各種センスアブソーバのレベル引き上げ、または引き下げ


 よりリアルな世界へと生まれ変わったカルミナオンラインを、ぜひお楽しみください。






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