第19話:銀華と登校
月曜日の朝、スマホのLINEにて。
透『ごめん今日先行ってて』
直也『透ぅ、どうした』
慧士『生きてるか』
直也のはまだいい。慧士の「生きてるか」は、冗談に見えて本気で心配してる文面だ。いつもは三人で登校して教室に入るのが暗黙のルーティンになっていたから、急に「先に行ってて」なんて言い出したら怪しまれるに決まっている。
『大丈夫 ちょっと用事あるだけ』
ぽちぽち打って送信する。直也の返信は『用事って何』、慧士は既読スルー。ほんとごめん。
スマホの時計は七時十分。
エントランスのオートロックを開けて、305号室のドアの前に立つ。
チャイムを押そうとして、止めた。
チャイムの音を銀華が知っているか怪しい。昨日もこのマンションに来て色々教えたけど、チャイムまで教えた記憶がない。鳴ってもよくわからなそうだし、最悪驚いて変なことになっても困る。
合鍵を刺した。
「銀華、入るよ」
ドアを開けると、制服姿の銀華がソファに座っていた。
ぱっと顔が上がる。
「透」
嬉しそうだった。窓から差す朝の光が銀色の髪を白く照らしていて、真新しいブラウスとリボンも皺ひとつない。着こなしは完璧、というより服そのものが変身で再現されているのだから変な皺なんかつきようがない。
「ちゃんと制服に着替え──変身してるじゃん。偉い」
「昨日練習した」
胸を張る銀華。つい前までは白いシンプルなワンピース姿だけだったのに、今ではブラウスの第一ボタンの有無まで再現できるようになっていて、正直すごいと思う。
ただ。
「靴までは変身しなくていいよ」
「そうだった」
銀華が自分のつま先を見下ろした。フローリングの上に、茶色の革靴を履いた足がぺたりと並んでいる。
「靴は実物を履いていかないと。人間からしたら靴を脱がないのはすごい違和感だから」
「忘れていた」
数秒の沈黙ののち、足元に意識を集中するようにじっと見つめて、するりとローファーが消えて白い靴下姿になる。
「よし。それじゃ行く前に最終確認」
ドアの前に立って、銀華と向き合った。
「昨日決めた三か条、覚えてる?」
「覚えている」
「じゃあ言ってみて」
銀華が姿勢を正した。国語辞典の暗唱でもするような真面目な顔。
「一つ。人前では変身しない」
「二つ。洞窟や竜の話は絶対しない」
「三つ。困ったときは『内緒だ』と言ってごまかす」
「完璧」
我ながらざっくりした約束だと思う。でも複雑なルールを課しても消化しきれないだろうから、シンプルなほうがいい。
「あともうちょっと。もし誰かに『どこから来たの?』って聞かれたら」
「他の町から引っ越してきた」
「『家族は?』って聞かれたら」
「教頭先生が親戚で、今は一人暮らし」
「うん。バッチリ」
銀華はこくりと頷いた。目が真剣だ。洞窟で動画を見ているときの好奇心とは質が違う。人間社会に溶け込むために覚えたことを、ひとつも間違えまいとしている。
健気だ、と思った。
マンションのエントランスを出た瞬間、銀華の足が止まった。
「……音が多い」
山奥の洞窟とは何もかもが違う。通勤途中の車がエンジン音を響かせて通り過ぎ、自転車に乗った主婦が角を曲がり、向かいのコンビニからは出勤前のスーツ姿の男性が出てくる。四月の朝の、ごく普通の風景。でも銀華にとっては、これがまるごと未経験だ。
「大丈夫?」
「大丈夫だ。町は音が多いが、木の声がしないな」
「木の声、風で葉が揺れる音か」
「あれがないと、少し落ち着かない」
代わりにあるのは排気音とシャッターが上がる金属音と、どこかの家から漏れるテレビの音。銀華の銀色の瞳が、ひとつひとつの音源を探るように左右にゆれた。
「慣れるよ。たぶん」
「たぶん、か」
「うん、たぶん」
通学路に入った。
ここから校門まで十五分くらい。途中で月銀高校の生徒がちらほら合流してきて、歩道が学生の制服で埋まり始める。
やばい。
銀華が目立つ。
予想はしていた。入学式の時点で教室がざわついたのだ、目立たないわけがない。でも心構えの問題で、予想と実体験はまるで違った。
すれ違った上級生の男子二人組が、振り返った。露骨に。通学路の反対側を歩いていた女子のグループが、全員同時にこっちを見て、ひそひそ話を始めた。自転車に乗った男子が銀華を見て電柱にぶつかりそうになって慌ててハンドルを切った。
銀華は気づいていない。周囲の視線の意味を理解していないのだ。町をきょろきょろ見回して、通り過ぎるパン屋の看板を読んだり、路地裏の猫を見つけて足を止めかけたりしている。
僕はさりげなく半歩、銀華から距離を取った。
せめて「たまたま同じ方向に歩いているだけの無関係な男子」に見えてほしい。二人並んで歩いていると完全に「一緒に登校している」と取られる。
しかし半歩空けた隙間を、銀華がするりと埋めた。自然に。僕との距離を保つように元の位置に戻ってくる。
もう半歩開ける。また弾むように銀華が寄ってくる。
銀華にしてみれば、いつも通りの間隔に過ぎないからなあ。
諦めた。
結果として通学路を歩く構図は「銀髪の美少女を連れた男子」という、どう見ても目立つ絵面になっていた。刺さる視線が背中から腰から肩から、もう全方位。胃のあたりが重い。
「透、顔色が悪い」
「気のせい」
「嘘が苦手だな」
竜に看破された。
◇
校門をくぐって、昇降口で靴を履き替え、階段を上がる。
一年三組。教室の前のドアに手をかけた。
開けた瞬間に後悔した。
「岩見さん、おはよう!」
「ねえねえ、髪ってそれ地毛なの?」
「カラコン? すっごい綺麗な色」
女子が四、五人でわっと囲む。後ろから男子が数人、さりげなく──全然さりげなくなく覗き込んでいる。
先頭に、見覚えのある怡然とした笑顔があった。
瀬田廉人。
背が高くて爽やかで、中学からバスケ部のキャプテンで、女子人気が高い、僕にとっては「クラスの陽キャ」以外の形容詞が出てこないやつ。
久我陽司。
瀬田くんの隣にいる、がっしりした体格の男子。瀬田くんを止めているところをたまに見るけど、今日は制動する気がないらしく、二人揃って最前列に陣取っていた。
「名前なんていうの? 入学式の日、ちゃんと聞けなくてさ」
廉人が気安い声で話しかけた。
「岩見銀華」
「銀華ちゃんか。きれいな名前。ねえ、どっから引っ越してきたの?」
「他の──」
銀華が一瞬だけ僕のほうをちらりと見た。
「他の町から」
「へえ、どこの町?」
「それは──」
明らかに詰まっている。
三か条、困ったら「内緒」と答えるルール。銀華は短い間を置いて、律儀に言った。
「内緒だ」
その言い方があまりに真面目で、周囲がざわっと色めき立った。ミステリアスな転入生の完成だ。狙ったわけじゃないけど、ちょっと面白い。
瀬田くんは笑って「秘密主義か〜」と流したけど、久我くんのほうは何故か銀華の視線の先の僕をちらりと見た。目が細い。
「透ぅ」
自分の席に座ろうとした僕を、横から直也が捕まえた。椅子のそばに慧士も立っている。二人ともジト目だった。
「お前、なんで岩見さんと一緒に登校してきたんだよ」
「え?」
「窓から見えてたんだわ」
この教室、窓が通学路に面してるんだった。
「たまたまだよ。知り合いで、方向が一緒だったから」
「はー? 知り合い? いつからよ」
直也が顔を近づけてくる。慧士は腕を組んで無言。無言のほうが圧力がある。
「ちょっと前に、その、引っ越してくるときに色々あって」
「色々って何」
「色々は色々だよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「お前が嘘つくと右目が泳ぐの知ってるぞ」
これだから嘘が苦手な人間は不便だ。
「右目泳いでるってなんだよ。泳いでないだろ」
「いや泳いでる」慧士がぼそっと補足した。「いま泳いだ」
ひどい。
言い訳を重ねる僕と、納得しない二人のやりとりがループし始めていた。直也が「だから何で知り合いなんだよ」とか言って、僕が「だからたまたまだって」と繰り返して、慧士がたまに「怪しい」と呟いて燃料を投下する。
そのとき、教室の向こう側から声が飛んできた。
「透!」
銀華の声だった。クラスメイトの輪の中心から、周囲の雑音を突き抜けて届くはっきりした声。
「ばすけとは何だ?」
教室が静まった。文字通り、しんと。
三十人以上の視線が一斉に僕を向いた。直也が口を半開きにしている。慧士はもう呆れた顔をしていた。
ばすけ。バスケ。バスケットボール。
三か条にはない「わからなかったら透に聞く」という洞窟時代からの習慣がそのまま発動したんだな。
「わからないことがあっても教室で僕の名前を呼ぶな」もルールに入れておくべきだった。
「あ、えっと」
何か言おうとした。何を言えば正解なのかわからなかった。ただひとつ確定したのは、「岩見銀華」と「旭日透」がただのクラスメイトではないということが、いま教室全体に知れ渡ったという事実。
「旭日くん」
瀬田くんが笑顔のまま言った。
「仲いいの? 岩見さんと」
答えに窮していると、教室の後ろのドアがガラッと開いた。
「銀華ちゃん! 旭日くん、おはよー!」
名和澄香が戸を勢いよく開けて飛び込んできた。長めの髪を揺らして、目をきらきらさせている。
「あの日教頭先生と何があったか教えてよ! ずっと気になってたんだけど!」
僕は机に突っ伏した。
平穏な高校生活は、まだ何も始まっていないのに、完全に終わった。




