第16話:銀華と桜
あたしはドラゴンがいる町に引っ越してきた。
それだけで、もう勝ちでしょ。
電車を乗り継いで、トンネルをくぐった先にあったのは山と川と、やたら竜推しの商店街。お土産屋の軒先にデフォルメされた竜のぬいぐるみがぶら下がっていて、自動販売機にまで「ツキゴンちゃん」のステッカーが貼ってある。正直最高。
名和澄香、十五歳。今日から月銀高校の一年生。
親の転勤で都会から来ました。友達にはめちゃくちゃ心配されたし、「田舎で大丈夫?」とか「虫出るよ?」とか散々言われたけど、むしろめっちゃ楽しみだった。だってこの町、あの衛星写真の町だ。山の中に本物のドラゴンがいるかもしれない場所に住めるなんて、ファンタジー好きのあたしにとっては夢みたいな話で。
制服は昨日もう試着したけど、鏡の前であと三回くらい回った。紺色のブレザーにチェックのスカート。田舎の高校だからダサいかなって覚悟してたのに、案外ちゃんとしてる。リボンの結び方は動画で予習済み。アレンジは二日目からにしよう。初日はおとなしくしておく。
おとなしくしておこうと、思ってたんだけど。
校門に向かう坂道を上っていたとき、あたしの目は釘付けになった。
桜並木の途中に、一人の女の子が立っていた。
制服を着てる。同じ月銀高校のブレザーだから同級生か、もしかしたら先輩かもしれない。でもそんなのはどうでもよくて、ただ立っているだけのその子から目が離せなかった。
桜を見上げている。
銀色がかった長い髪が風に揺れて、そこに花びらが一枚、二枚と落ちてきている。白い横顔。睫毛の影。細い指先が制服のスカートの裾のあたりで静かに揺れていて、桜の木の下に置かれた人形みたいに動かない。でも人形なんかじゃない。桜を見上げる目が、ときどき不思議そうに瞬きをする。花びらが鼻先に触れたとき、かすかに首を傾けた。
それだけの仕草で、なんかもう、呼吸するのを忘れた。
綺麗すぎる。
あたしだってそれなりにおしゃれには気を遣ってるし、インスタで可愛い子もたくさん見てきた。でもこの子は次元が違った。だって加工なしのリアルだよ? しかも雰囲気が独特で、同じ制服を着ているのにこの子だけ纏っている空気の密度が違う。なんて言えばいいんだろう、お嬢様ともギャルとも清楚系とも違う、どのカテゴリにもはまらない浮世離れ感。
声をかけたい。
あたしは基本、こういうとき迷わない。迷ったら負け、が都会で学んだ処世術。
「あのっ」
駆け寄って声をかけた。女の子がゆっくりとこちらを向いた。
銀色の瞳。
え、カラコン? いや、違う。深さが違う。光の反射がカラコンのそれじゃない。なんなのこの目。
「おはよう」
すごく穏やかな声だった。敵意も警戒もなさそうな、まっさらな声。
「お、おはよう! あの、一年生? 同じ制服だよね?」
「……?」
「あたし! 名和澄香、引っ越して来たの。よろしく!」
勢いで手を差し出した。女の子はあたしの手をじっと見て、それからおずおずと握り返してくれた。握手の仕方がぎこちないのに、手のひらの感触はすべすべで体温があんまりない。ひんやりしてる。
「名前、聞いてもいい?」
「……銀華」
「ぎんか。めっちゃいい名前! ね、銀華ちゃん、この桜すごくない?」
「すごい?」
銀華ちゃんは首を傾けた。
「すごいと言うより……不思議だ。一つの木から、同じ色のものが咲く」
言い方が独特だった。言葉はちゃんとしてるのに、感想の切り口が変わっている。帰国子女なのかな。
「確かに! 言われてみればそうだよね、不思議って思わなくなってるだけで」
「あなたは、この花を以前から知っていたのか?」
「そりゃ、前住んでたところにもあったもん、桜。でもこんな近くでゆっくり見たのは初めてかも」
銀華ちゃんはふっと目を細めた。笑っている、ような気がした。表情の動きが少ないから確信が持てないけど、空気が柔らかくなった。
「……良いものを見た」
風が吹いた。桜の花びらが一斉に舞い上がって、銀華ちゃんの銀色の髪に絡まった。彼女は気にする素振りもなく、もう一度桜を見上げた。
気がついたらスマホを取り出していた。
「ねえ、銀華ちゃん。よかったら写真撮ろうよ、ツーショット!」
「つーしょっと……?」
「二人で一緒に撮るの! 桜もすっごく綺麗だし、初登校の記念にね」
「……今の姿を、残す」
銀華ちゃんがこくりと頷いて、少し不器用な動作であたしの隣に並んだ。
「じゃあいくよ。はい、チーズ!」
シャッター音とともに、画面に桜をバックにしたあたしたちが映し出された。加工なし、フィルターなしのノーマルカメラなのに、隣に写る銀華ちゃんは信じられないくらい綺麗だった。
「ほら、見て」
画面を見せると、銀華ちゃんは身を乗り出してじっと見入った。
「……きれいだ」
銀華ちゃんが小さくこぼした。自分の写真を見て「きれいだ」って言える子、初めて見た。でも嫌味じゃないのが不思議だった。本当にただ、目の前の画像に対する純粋な感想みたいな。
入学式の呼び込みのチャイムが鳴って、あたしたちは校舎に向かった。途中で銀華ちゃんとはぐれた。どこかに案内されたらしく、「こちらへ」という大人の声が聞こえたあと、もうその姿は見えなくなっていた。
一年三組の教室に入ると席順表が貼ってあって、あたしの席は窓から二列目の真ん中あたりだった。前の席にはもう誰か座っている。二股のおさげの女の子が振り返って、「隣?」と聞いてきた。
「前後だね! よろしく、あたし名和澄香」
「虹林あおい。よろしくね」
虹林さん──あおいちゃんは、見るからに人がよさそうな子だった。地元の子みたいで、制服をきちんと着ていて、幼なじみの話とか、お昼におすすめの定食屋とか、色々教えてくれる。いいな。転校初日にこういう子と当たるのは運がいい。
入学式は長かった。校長先生の話が特に長かった。途中で挨拶した教頭先生だけ妙に短くて、でもその人だけ空気の圧が違った。神無月先生、と言ったっけ。
式が終わって教室に戻ると、あたしは早速あおいちゃんに食いついた。
「ねえ、あおいちゃん。あたし今朝すっごい子に会ったんだけど」
「すごい子?」
「桜の木の下にいた女の子。同じ制服着てて、銀色っぽい髪で、ほんっとに綺麗で──あたし普段そんなに他人の見た目で驚かないんだけどさ、もうレベルが違ったの。モデルとか女優とかそういうのじゃなくて、なんか、存在自体が綺麗っていうか」
あおいちゃんは怪訝そうな顔をした。
「そんな子いる? この町の子はだいたい知ってるけど、そんな目立つ子いたら噂になってると思うけどなあ」
「いやいや本当に! 銀華ちゃんって言うんだけど──」
「銀華ちゃん? 聞いたことない名前。その子も転入生じゃないの」
「かもしれない。でもほんとにすごかったんだって。写真見せよっか」
あおいちゃんは「ふうん」と軽く流した。嘘だとは思ってないだろうけど、あたしのテンションが上がりすぎて話半分にされている感じがする。まあ仕方ない。見てないものを信じろって方が無理だし。
今朝撮った写真を見せようと、スマホに手をかけたときだった。
教室のドアがノックされた。担任の先生が「はい?」と応えると、扉が開いて、あの教頭先生──神無月先生が入ってきた。
「失礼します。入学式に事情があって出席できなかった生徒がいます。このクラスへの配属になりますので、紹介します」
教室がざわついた。あたしは椅子から身を乗り出した。まさか。
廊下から一人の女子生徒が教室に入ってきた。
銀色の髪。静かな足取り。あの桜の下で見たのと同じ、空気の質が変わるような存在感。
「岩見銀華です。よろしくお願いします」
教室が騒然となった。あたしはあおいちゃんの肩を掴んだ。
「ほらね! ほら! あの子! あの子だよ!」
「……ほんとだ。すごい」
あおいちゃんが目を丸くしている。でしょう? 言った通りでしょう?
銀華ちゃんが席に着いた。教室の奥の方、あたしからは少し離れた位置だ。周りの席の子たちが明らかにそわそわしている。でも銀華ちゃんは落ち着いた様子で、隣の男子に小さく何か言った。距離が遠くて聞こえなかったけど、知り合いなのかな。
◇
ここが、どうしてこうなった、の始まりだった。
ホームルームが終わった直後のことだ。
神無月先生が教壇からまっすぐ銀華の席に来て、「岩見さん、これからの話があるから。ついてきなさい」と言った。
教室が一瞬しんとなった。入学初日に、しかも今来たばかりで話題の生徒が教頭に呼び出される。周りの生徒たちはざわざわと顔を見合わせる。「何かあったのかな」「えっ怖くない?」という小声が飛び交った。
銀華はきょとんとした顔で先生を見上げた。不安そうな顔じゃない。むしろ「何の話だろう」という純粋な疑問の表情だった。でも素直に立ち上がって、神無月先生の後ろについて教室を出ていった。
まったく状況がわからない。
「透、飯どうする?」
直也が声をかけてきた。
「あ──ごめん、ちょっと用事思い出した」
「用事ぃ? 初日から?」
「うん、先帰ってて」
直也が首を傾げた。慧士がちらっと僕を見たけど、何も言わなかった。
教室を出て、廊下を早足で歩いた。神無月先生と銀華が向かった方角を見ていたからおおよその見当はつく。管理棟の方、職員室の並びだ。
生活指導室。
その扉の前まで来て、足を止めた。中から声は聞こえない。防音がしっかりしているのか、それとも静かに話しているだけなのか。ドアノブに手を伸ばしかけて、やめた。教頭と生徒が話しているところにいきなり入っていく新入生。どう考えても変だ。
でも離れられない。
廊下を行ったり来たり、壁にもたれたり離れたり。傍から見たら完全に不審者だった。自覚はある。自覚はあるのに足が動かない。
「きみ、だれ?」
背後から声がした。
びくっと振り返った。
長い髪を明るめに染めた女の子が、きょとんとした顔でこっちを見ていた。制服のリボンを少しだけ崩して結んでる。知らない子、いや、見覚えがある。さっき教室にいた気がする。
「あたし名和澄香。同じクラスだよね? ちらっと見た気がする」
人懐っこい声だった。距離の詰め方が速い。
「あ、うん。旭日透」
「旭日くんね。よろしく!」
あっさり距離を詰められた。というか、この子もなんでこんなところにいるんだ。
「で、旭日くん。どうしてこんなところにいるの?」
にこにこしながら聞いてくる。純粋な好奇心の目っぽいけど。
「いや、別に、ちょっと……」
「もしかして、銀華ちゃんと知り合いなの?」
心臓が跳ねた。
「そうだ、銀華ちゃんの隣の男子だ! さっき教室で、銀華ちゃんが隣に座ったとき何か話してたよね。で、銀華ちゃんが呼び出されたらすぐ教室出てきた。ってことは──」
「い、いや、違くて」
「違うの? じゃあなんでここにいるの?」
にこにこが崩れないのに、追及が止まらない。ど真ん中に直球を投げてくるタイプだ。
「あたしは銀華ちゃんが呼び出されたとき、気になって追いかけてきちゃった。旭日くんも同じ?」
にこにこが「ね?」と同意を求めてくる。
同じと言えば同じだ。でもその気になっての中身が全く違う。
「……まあ、僕もちょっと気になっただけ」
名和さんの目が、すっと細くなった。さっきまでのにこにこが消えて、品定めするような視線に変わる。
「ふうん。男子が、あの子のこと『気になった』ねえ」
声のトーンが下がった。
「ちょっと待って。まさか旭日くん、そういう? 入学初日から?」
「は? ち、違う違う、そういうのじゃなくて──」
「ほんとに? あたしよりも早く部屋の前にいるのに?」
まずい。完全にナンパ目的の軟派野郎だと思われている。弁解しようにも本当の理由なんか言えるわけがないし、否定すればするほどドツボにはまっていく。
名和さんは壁にもたれて「出てこないねー」と呑気に言った。
「あの教頭先生、なんの話してるんだろ。銀華ちゃん、何か悪いことした?」
「してないと思う」
即答してしまった。
「へえ、言い切れるんだ。やっぱ知り合いでしょ」
またど真ん中。心臓がうるさい。
返す言葉を探してたら、背後でドアの取っ手が音を立てた。
ガチャリ。
振り返ると、生活指導室のドアが開いていた。隙間から神無月先生の顔が覗いている。あの静かな目が、まっすぐ僕を捉えていた。
「旭日くん」
呼ばれた。
「入って」
名和さんが「えっ」と声を漏らした。状況が読めていない顔だ。それはそうだろう、僕にだってわからない。
でも神無月先生の目は、拒否を許さない静かさを持っていた。
名和さんの視線を背中に感じながら、僕は生活指導室の中に足を踏み入れた。ドアが、背後でゆっくりと閉まった。




