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山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


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第1話:銀竜の咆哮は僕にだけ聞こえている

 僕の町には、竜がいる。

 

 きっかけは八年前の衛星写真だった。


 山奥の、当時は整備されてなかった廃鉱山近くの川沿いに写り込んだ、細長い白い影。低画質でもわかるくらいの、脚と尾と、頭の輪郭。全長は六メートル近いらしい。


 ネットユーザーがその写真を掘り当て、ドラゴンだと騒ぎ立てた。テレビが来て、専門家が否定して、別の専門家が肯定した。SNSですぐさま拡散され、町の名前がトレンドに載った。


 ドラゴンの住む町・月銀町。


 地元の人間からすれば、もう昔話だ。


 僕――旭日透(あさひ とおる)は、卒業式の余韻もそこそこに、友人や離れて暮らす両親と別れて、商店街とは少し外れた路地をずんずん進む。


 白銀(しろがね)ベーカリー。


 何度も入った引き戸を開けると、焼きたてのパンの匂いがふんわりと香る。棚には真っ白でもちもちした白銀パン、この店の看板商品が積まれている。その隣に見慣れない形のパンがいくつか。可愛らしい竜を象った、妙に凝った成形パン。


「おう、透くんじゃないか。今日は卒業式じゃなかったか」


 カウンターの奥から、こわもての店主が顔を出した。ごつい体格に人を威圧するような眉、黒岩恒一(くろいわ こういち)さん。なのに店で見せる笑顔はいつも軽快で、その威圧感を裏切っている。


「お腹空いたから、パン買いに来ました」


「おお、うちのパンを選んでくれるとは、嬉しいねえ!」


 黒岩さんは棚から竜の成形パンを取ると、紙袋に入れて差し出した。


「新作、というか試作品なんだが。卒業祝いだ」


「え、いいんですか」


「あいつには内緒だぞ。こいつ原価かかりすぎてるんだからな」


 奥の事務スペースから「聞こえてるわよ」と、おっとりした声が飛んできた。声の柔らかさとは裏腹に、黒岩さんが一瞬だけ首をすくめたのが見えた。


「……まあいい。持ってけ。高校でもうちのパン買いに来いよ」


「ありがとうございます」


 僕は紙袋を受け取り、それからクリームの入った菓子パンと、……少しだけ迷って、固めのライ麦パンもトレイに追加する。


「お、そっちもいくか。渋いな」


「なんか気分で」


 嘘だ。あいつが好きなのは固いパンだから。


 パンを買って店を出て、路地を抜けて通りへ出ると平日の昼間だというのに人だかりがあった。先に春休みへ入った他所の家族連れ、カメラを提げた年配の夫婦は、廃鉱山のツアー参加者だろうか。


 屋台風の店先では竜の焼き印の入った饅頭が湯気を立て、土産物屋のガラス戸には『ドラゴンの里・月銀町』と書かれたのぼりが揺れている。もともと廃鉱山をなんとか観光資源にしていたくらいの町が、UMAブームに乗っかって有数の観光地にまで成長してしまった。


 銀色の鱗を模したキーホルダー。ドラゴンの爪を象ったペーパーウェイト。山積みにされた『ドラゴンまんじゅう』。

 

 通りを歩けば、望遠カメラを提げた観光客が山のほうにレンズを向けている。あの山のどこかにドラゴンがいるんだって、と興奮気味に話す声が聞こえる。


 僕はそれらを横目に通り過ぎた。


 いるんだ、ほんとうに。


 でも、あの人たちが探している場所にはいない。


 住宅地を通り過ぎ、畑の脇を歩く。舗装された道がやがて砂利に変わり、砂利が落ち葉に変わった。杉と檜の匂いが濃くなると、獣道のような斜面を踏みしめて登り始めた。


 息が白くなる。三月の山はまだ冬の匂いがする。


 観光客が来る廃鉱山とは別の山。岩と灌木に隠れた、人ひとりがようやく通れる隙間。見つけたのは小学二年生のときだったっけ。あれからもう八年になる。


 僕は隙間に体を滑り込ませた。


 視界が暗転する。小さな懐中電灯で照らし、しばらく進むとそれも不要になる。壁に埋まった銀の鉱脈が、ほのかに脈を打つように光っている。白とも青ともつかない、銀色の光が通路を淡く照らしていた。


 鍾乳石が天井から垂れ下がる広い空間を抜けて、途中にある古い祠で隠された、さらに奥へ進む。


 やがて、通路が広間のように開けた。


 天井は高い。見上げると、銀の粒子が無数に散りばめられた岩肌が、夜空のように頭上に広がっている。ここに来ると毎回、星を間近に見ているような感覚になる。


 そしてその空間には、いくつか不釣り合いなものが転がっていた。


 電池式のLEDランタン。漫画の単行本が十数冊、平たい岩の上に積まれている。小さな座布団。目覚まし時計。国語辞典。それらが銀色の光に照らされて、非現実的な絵画のように見えた。


 広間の奥、ひときわ大きな岩に腰掛ける人影がある。


 銀色の、長い髪。


 白を基調にしたシンプルなワンピース。裸足の足先が岩の表面で揺れている。膝の上には開かれた漫画の単行本。


 彼女の名前は、銀華(ぎんか)


「透」


 顔を上げた銀華が、こちらを見る。僕と同年代の女子とそう変わらない華奢で小柄な体つきだが、その銀色の瞳には洞窟の光が映りこんで、深さを湛えていた。


「よう」


 僕は座布団の上に腰を下ろした。銀華の居場所から三メートルほど離れた定位置。近すぎず遠すぎない距離感は、なんとなく初めの頃に定まったものだった。


「それ、また読んでたんだ」


「十六巻。読み返していた」


 銀華は日焼けした単行本の表紙を僕に向けた。カードゲームを題材にした少年漫画『闘利王』。実家から持ってきた全巻が洞窟の岩の上に積まれている。


 僕は大好きだけど、人間の世界を見たことがない銀華でも楽しめる漫画だったかというと、かなり微妙。


「何回目?」


「わからない」


 銀華は表紙を閉じると、平たい岩の上に本を戻した。


「内容はよくわからない部分が多い。この人たちは何をしているのか、どうして負けたら命を奪われるのか」


 それは僕もわからない。


 やっぱりこの漫画は選択ミスだったな。


「ただ」


 銀華の視線が、積まれた単行本の背表紙をなぞった。


「十六巻で、相手が召喚する竜がいるだろう。銀色の、細長い竜」


「《金剛竜ダイヤモンド・ドラゴン》ね」


「あれは私に似ている」


 言い切った。


「だから、やはり面白い」


 彼女はこのドラゴンがお気に入りだった。そんな理由でいいのか、とは思うけど、口元が緩むのは止められなかった。


「また、別の漫画持ってくるよ」


「待つ」


 短い返事だった。けれどその声に、ほんの少しだけ弾みがある気がした。


「で、今日はなんかあったのか。いつもより早い気がする」


「あー、うん。報告っていうか……」


 僕はリュックから紙袋を取り出した。白銀ベーカリーの袋。


「今日、中学の卒業式だった」


「そつぎょうしき」


 銀華が言葉を反芻するように繰り返した。その響きを確かめるように、口のなかで転がしている。


「学校の、修了を意味する儀式」


「まあ、そう。中学っていう三年間の学校が終わって、四月から高校っていう別の学校に行く」


「学校が変わると、どうなる?」


「んー、あんまり変わらないかも。でも、ひとつの区切りみたいな感じ」


 月銀町の中学と高校は隣接している。クラス替えはあっても、顔ぶれの大半は変わらないだろう。それでも「卒業」という区切りには、なんとなく特別な重みがあった。


 銀華はしばらく黙って、それから小さく頷いた。


「一瞬なんだな、学校というのは」


 その一言に、僕は喉が詰まった。

 

 銀華は、この洞窟で何千年も暮らしているらしい。

 

 長い時間を生きた存在にとって、三年という時間がどう映るのか。僕が「長かった」と感じた三年間が、銀華にとっては呼吸ひとつぶんの間でしかないということかもしれない。


「……そうかも。でも僕にとっては長かったよ」


「そうか」


 銀華は素直に受け取ったようだった。長いとか短いとか、議論するつもりはないらしい。


「で、これ。お祝いって、パン屋のおっちゃんにもらったからあげるよ」


 紙袋から竜の成形パンを取り出す。こんがりとした焼き色のついた生地が、翼を広げた竜の形に成形されていた。手足の先まで丁寧に作り込まれた、職人のこだわりがわかる仕上がりだ。


 銀華の視線が釘付けになった。


「……まるい形」


「そう。新作だって。竜を象ったパン」


「これが、竜、なのか」


 銀華は僕の手からパンを受け取り、目の高さまで持ち上げた。眉をひそめている。


「翼がある」


「あーまあ、一般的な竜のイメージだからかな」


「それに、茶色い」


「パンだから……」


「何より、お腹がポッコリ出ている」


「一番気にするところ、そこなんだ」


「私も《金剛竜ダイヤモンド・ドラゴン》も、こんなにお腹は出ていない」


 銀華はパンをくるくると回して、なおも不満げな顔を崩さなかった。竜としてのプライドなのか、あるいは別の感情なのか。ただ、その真剣な横顔を見ていると、ふいに可笑しさがこみ上げてくる。


「食ってみなよ。味は美味しいかもよ」


「…………」


 銀華はしばらくパンと睨み合ったあと、おもむろに竜の頭の部分をかじった。


 サクッと軽快な音が響く。


 咀嚼する。二度、三度。


 動きが止まった。


 銀色の瞳が、見開かれる。


「――透」


「ん?」


「これは……良い」


 声の温度が変わった。さっきまでの平坦な口調に、はっきりと色がにじんでいた。銀華の頬がわずかに上気して、二口目を頬張る速度が明らかに上がる。もぐもぐと口を動かしながら、それでも言葉を発しようとしている。


「外が、硬い。噛むと……ぱりっ、と……中は、柔らかくて甘くて……香ばしい」

 

「気に入った?」


 僕が聞いた瞬間、銀華の体が揺らいだ。


 輪郭がぶれる。少女の形がほどけるように崩れ、銀色の光が膨れ上がった。岩の上にしゃがみ込んでいた小柄な体は、一瞬で洞窟の天井に届くほどの長い首へと変わる。


 銀の鱗が洞窟の光を弾いた。


 大きな体躯を持つ、ほっそりとした竜。


 翼はない。


 純銀の鱗がうねるたびに、洞窟全体が白く明滅する。


 そして銀華は、天井に向かって吠えた。


 声、というには原始的すぎる。空気そのものを捻り潰すような振動が広間を揺さぶった。岩壁が軋み、積み上げた漫画の単行本がばらばらと崩れ落ちる。


 咆哮。


 歓喜と興奮がそのまま塊になったような、凄まじい音だった。


 僕は軽く耳を塞ぎ、笑った。


 やっぱりこれだよな。


 銀華の竜の姿。あの銀色の巨体が洞窟の光を浴びて輝くのを見るのが、僕は何より好きだ。町で見かけたキーホルダーやせんべいのドラゴンとは比べものにならない。本物の竜は、こんなにもきれいでカッコいい。


 咆哮が残響として洞窟に染みこみ、やがて静寂が戻った。銀華の長い首がゆっくりと下りてきて、巨大な頭部が正面に据えられる。銀色の瞳が至近距離で僕を映した。竜の吐息が前髪を揺らす。


「うまかったかー?」


 竜の形で声は出ない。けれど銀華は、鼻先でそっと僕の肩を押した。ゆっくりと、二度。


「そっかそっか」


 僕は銀華の鼻先に手を置いた。純銀のような鱗はひんやりとして、触れた指先から体温を吸い取られるような感覚がある。けれど不快じゃない。もう慣れた温度。


「春休みに入ったから、明日も来るよ」


 銀竜がまばたきをした。


「漫画と、パンもまた持ってくる。別のパンになると思うけど」


 銀竜が尾を揺らした。


 もともと竜である銀華は、少し前まで言葉を知らなかった。それがある日から急激に言語を覚えだして、今では意思疎通も完璧だ。何千年の静寂に閉じ込められた知性が、いまスポンジのように世界を吸収している。


 それがどこへ向かうのか、僕にはわからないけれど。


 今はただ、この銀色の光に満ちた洞窟で、銀竜の友人が嬉しそうに尾を振っている。それだけで充分だった。


 洞窟の外では、今も観光客がドラゴンを探しているのだろうか。


 本物のドラゴンが、パンひとつで大喜びしていることを、僕以外は誰も知らない。

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