8.守った約束
朝、孤児院の庭に年少組の子供たちが集まっていた。
木漏れ日が地面にまだらな影を落とし、風が葉を揺らす。
リンとメリッサもその列に並ぶ。職員が明るい声で呼びかける。
「は~い、みんな。今日は楽しみにしていたピクニックです。メリッサちゃんとリンちゃんがお昼のパンを届けてくれましたよ~。みんな、メリッサちゃんとリンちゃんにお礼を言って下さ~い」
子供たちから一斉に「ありがとう!」の声が上がる。メリッサとリンはうれしそうに頰を赤らめた。
「それじゃ、出かけますよ」
意気揚々と森へ向かう一行。木漏れ日がキラキラと差し込む小道を、子供たちははしゃぎながらも秩序だって進む。
足元の落ち葉がカサリと音を立て、時折、小鳥のさえずりが木々の間から聞こえてくる。
「わあ、きれいなお花!」
「リンちゃん、メリッサちゃん、これ見て、見て!」
リンとメリッサは、楽しそうな笑顔で子供たちに応えていた。
手を取り合い、時折立ち止まりながら、穏やかな朝の森を進む。
森を抜けた先には、緑の丘が広がっていた。風が草地を撫で、遠くに薄い雲が流れていく。
「さあ、お昼にしましょう」
子供たちがわぁっと歓声を上げ、群がる中にメリッサが届けたパンとミルクが配られる。
「おいし~」「もっとちょうだい」
リンはパンを両手で持ち、幸せそうに頰張った。柔らかい食感が口の中でほどけていく。
「やわらかい……おいしい……」
笑い声の輪の中で、リンとメリッサは穏やかな時間を過ごしていた。
陽の光が二人の髪を優しく照らし、風がパンの匂いを運んでくる。
❖ ❖
昼、アルベルトの執務室。
ソファに座るアルベルトとゼクス、そしてフリッツの従者が会談をしていた。
窓から差し込む光が、部屋の空気をやや重く感じさせる。
「数が合わん……じゃと?」
「はい。この地に到着してすぐに、直近で行方不明の子供のリストと、保護された子供との照合を行わせておりまして、その結果、6人が依然行方不明と」
アルベルトは思わず立ち上がった。
顔色が変わる。
椅子がわずかに軋む音がした。
「……しまった! 別働隊かっ……!」
苦渋の表情で続ける。声は低いが、芯が通っている。
「別なグループが、貴国ではこれ以上続けるのは危険と判断し、急ぎこの地に逃げ込んだのでしょう。
捕まった連中が攫った子供は14人。
これが連中にとって十分な数だったと思われます。だが、逃げ込んだグループは、おそらくそこまで商品を集められていない。
つまり……」
ゼクスが凄まじい殺気を放つ。
空気が一瞬で張り詰めた。
従者は慄くほどに身を硬くする。
しかしアルベルトの怒りは、ゼクスとは真逆の、凍てつくようなものだった。
静かに、だが確実に場を凍らせる。
「最後の急ぎ働きを、ここでやるつもりです……!」
後ろに立つ事務官に叫ぶ。
「孤児院に急使を! 子供たちを外に出すな!」
場の空気が一気に緊張する。
アルベルトはソファの背に手をつき、焦燥の表情を浮かべた。
指先に力が入っている。
そのとき、伝令が大急ぎで駆け込んでくる。息を切らし、ドアを乱暴に開け放つ。
「孤児院では……今日ピクニックが! 既に出発しています!」
アルベルトの全身が総毛立つ。血の気が引く音が、自分の耳に聞こえるようだった。
「至急行き先を確認!騎士団を向かわせろ! 急げ!」
❖ ❖
午後、森の中。
リンたちは帰路についていた。
一団に固まって歩みを進める。
木々の影が長くなり始め、午後の陽射しがやや傾いている。
森の半ば辺りで、メリッサはリンがモジモジしているのに気づいた。
(これは……)
そっとリンの耳元でささやく。
「リンちゃん、もしかして……“お花摘み”?」
リンが顔を少し赤らめて頷く。メリッサはクスッと笑い、引率の職員に声をかけた。
「先生、ごめんなさい。“お花摘み”に行きたい」
「あらあら、いいわよ。ここで待ってるから、行ってらっしゃい」
「ありがとう。リンちゃんも行く? 大丈夫?」
「わたしも……行ってくる」
メリッサとリンは手をつなぎ、森の草むらの中に入っていく。草の匂いが鼻腔をくすぐり、足元で小さな虫が跳ねる。
用を済ませたリンが戻ると、メリッサが声をかける。
「じゃあ、帰ろうか」
道に戻ろうとしたそのとき——背後に人の気配を感じた。
振り返ると、男が二人、こちらを見ている。
粗野な印象。剣呑な雰囲気。下卑た笑い方。ニヤニヤしながら近づいてくる。
靴音が草を踏みしだく音が、不自然に大きく聞こえた。
メリッサの胸に、嫌な感触が広がった。
(嫌な目つき……。周りの大人たちとは全然違う。
あれは……子供を見る目じゃない……。
獲物だ……いい獲物を見つけた……
そんな、嫌な感じが……)
脳裏に危険信号が走る。背筋が冷たくなる。
(こいつら……! こいつら、人攫いだ!)
咄嗟にリンの背中を押して叫ぶ。
「リンちゃん! 逃げて!!」
同時に、向かってくる男たちの前に立ちはだかった。
足が震える。それでも、動かない。
「少しでも……少しでも時間を稼ぐんだ!」
両手を広げ、さらに大声を上げる。声が森に吸い込まれていく。
「誰か来てー! 助けてーー!!」
(あたしはお姉ちゃんだ!
父ちゃんと約束した!お姉ちゃんは妹を守るんだって!
きっと先生にも聞こえてるはず。もうすぐ来てくれる。
リンちゃんは逃げ切れる!)
メリッサは男たちを睨みつける。拳を握りしめる。
(あたしはこいつらを、ここから先に行かせない!)
「このガキ、大声出しやがった! 近くに親がいんのか!」
「こいつとあのチビで8人だ! とっとと攫うぞ!」
ヒゲの男がメリッサの横を抜き、リンに迫ろうとする。
「ダメ、行かせない!」
メリッサはその男の足にしがみつく。爪が土に食い込む。
ドザァァッ——。
ヒゲ男が顔から倒れ込み、顔面を鼻血で濡らす。土埃が舞い上がる。
「こ、このガキ!」
ボウズ頭が怒鳴りながら手を伸ばす。メリッサは掴まれた。腕に食い込む力が強い。もがいても離れない。手元の土くれを掴み、男の顔に投げつけた。
「うわぁ! 目が……!!」
(やった! うまく目潰しになった!)
安堵した次の瞬間、視界が逆転する。
掴まれたまま持ち上げられ、怒号とともに背中に強い衝撃を受けた。
地面が体に叩きつけられる。息が一瞬詰まる。
肺の中の空気が押し出される感触。
(グッ……地面に叩きつけられた……?)
目の前が暗くなる。耳鳴りがする。
木々の向こうから、職員が走ってくるのがぼんやりと見えた。
(……あ、先生だ……リンちゃん逃げ切れたみたい……よかった……)
意識が遠ざかる。視界の端が白く滲む。
(……父ちゃん……あたし……)
消える意識の中、少しだけ誇らしげに父に呟いた。
(……妹を……守れたよ……)
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