64.老犬①〜メリッサとガル
孤児院には一匹の老犬がいる。
白いふわふわの毛を持つ雄の大型犬。
名をガルという。
7年ほど前から、孤児たちの家族としてここに住んでいる。
その大きな身体は、幼児にとっては優しい子守り役であり、少年少女にとっては楽しい遊び相手であり、メリッサにとっては……命の恩人だった。
あれはまだメリッサが3歳の頃。
その頃のゴッヅ夫妻は店も軌道に乗って、それなりに繁盛していた。
ある日、働きづめだった日々からほんの少しだけ解放されようと、幼いメリッサを連れて小旅行に出かけることを決めた。
馬車を借り、馭者も自分たちでこなしながらアミドニアを少し周って家路につく節約旅行。
大まかな目的地だけ決めて、あとは自由に野営したり、宿に泊まったりと、幾日かの気ままな旅を経て、リフレッシュして帰路に着いていた。
この森を越えれば間もなくテーゼが見えてくるというところで小休止する一行。
多忙な日常からの解放感と、これまでもうすぐ家に着くという安心感と、旅行の終焉の対する僅かな名残惜しさ。
いろいろな感情が頭の中を巡り、そして油断してしまったのだろう。
メリッサから、ほんの少しの間目を離した隙に、その姿が見えなくなってしまった。
もしやひとりで森の中にーーー
夫妻に焦りの色が浮かんだ。
この辺りには肉食の獣がたくさん生息している。
ろくに抵抗もできない幼子など格好の獲物だ。
早く見つけなければ!
夫婦が手分けしてメリッサを探す。
しかし見つからない。
声を枯らして我が子の名を呼ぶゴッヅ。
しばらくするとゴッヅの耳に、遠くで娘が泣く声が聞こえてきた。
「メリッサー!どこだーー!」
ゴッヅが声の方向に走る。
そして彼が泣き声の所在で見たものはーーー
座り込んで泣いている我が子と
彼女に向かい唸り声を立てている3匹の狼と
娘と狼の間で、娘をかばうように狼を威嚇している大きな白い毛の犬だった。
白い犬は傷だらけだった。
至るところに噛み傷が見える。
しかし、自身に襲いかかる狼を体当たりで突き飛ばし、メリッサを狙う狼に激しく吠え立て、明らかにメリッサの盾となって娘を守っているのがわかる。
「テメエら!ウチの娘に何しやがる!!」
ゴッヅが怒号を上げ、足下に転がっていた石を狼に投げつけた。
ビュン!と唸りを上げ放たれた石が狼の一匹の頭を捉え、狼が泡を吹いてもんどり打って倒れた。
他の狼が新たな邪魔者に一斉に警戒する。
「……とうちゃん……」
「メリッサ!父ちゃんが来たぞ!もう安心だ」
狼に向かって仁王立ちするゴッヅ。
「テメエら!よくもウチの娘泣かしやがったな!」
凄まじい怒気を纏うゴッヅに、狼たちが圧せられるように後退りする。
隙を伺うように、唸り声を上げながら徘徊する狼だが、大きく両腕を広げ威圧するゴッヅに、なかなか立ち向かえない。
長い膠着状態。
それを破ったのはアンナの声だった。
「アンター!メリッサー!」
その声が銃爪になって狼たちがゴッヅに襲いかかった。
「デエイッ!」
ゴッヅの左拳が大きく振り抜かれ、一匹をはじき飛ばした。
しかしその大振りが作った決定的な隙。
その間隙を縫うように、もう一匹が猛然と飛び掛かった。
「しまっ……!」
「アンタ!」
その牙がゴッヅの喉笛を噛み砕くーーと思われた瞬間、白い影が飛んだ。
白い犬があわやのところで狼に体当たりし、二匹がもつれ合うように転がる。
邪魔された狼は怒り心頭で白い犬に噛みついた。
白い犬はギャン!とひと声鳴いたが、痛みを堪え狼を振り払って、ゴッヅたちの前に立ち、狼と向かい合う。
その脚は震えている。
もう相当のケガを負っているのは明白だ。
それでも、なぜかゴッヅたちを守ろうと必死に狼を牽制している。
「……おい、オメエ…、ありがとな、もう休んでな……」
ゴッヅが犬の頭をポンと叩き、狼の前に立った。
着ていた上着を半分に裂き、片方を左腕に巻き付け、右拳に石を握り込んで、もう片方で拳から手首までを固く包む。
「さあ、こっからは俺が相手だ!かかって来いや!」
ゴッヅの雄叫びに圧倒されるようにビクリとする狼。
だが敵意はまだゴッヅに向け続け、退却する気配はない。
間合いがジリジリと縮まる。
アンナとメリッサ、それに白い犬が固唾を飲んで見守るなか、双方の間の緊張感が徐々に高まりーー
ついにそれが弾けたーーー
「ガア!」
狼がゴッヅに飛び掛かった。
身構えたゴッヅがその鋭い牙を左腕で阻む。
上着を固く巻き付けた左腕に牙が通らない。
「ウオオオオオ!」
ゴッヅが腰を落とし、左腕にぶら下がる形となった狼の脇腹に、手首まで固めた右拳が飛んだ。
石を握り込んだ拳が力を逃さぬまま1点に打ち込まれ、狼は肋骨を砕かれ、茂みの中に飛ばされた。
「ハァァァァァァァ……」
溜めていた身体中の緊張を息と共に吐き出す。
「アンタ〜!」
「とうちゃん!」
アンナとメリッサがゴッヅに抱きつき、お互いの無事を確認しあう。
メリッサにケガはない。
ゴッヅも、噛まれた左腕に若干痛みがある程度で、その他に目立ったケガはなかった。
その様子を確認したかのように、白い犬がパタリと倒れた。
「オ、オメエ、だ、大丈夫か!しっかりしろ!」
慌てて駆け寄るゴッヅ。
犬は、くぅ~ん、と弱々しい声を上げ、ゴッヅの手をひと舐めし、目を閉じた。
「お、おい、しっかりしろ!おい!」
「あ、アンタ…、その犬は…?」
「コイツは俺がここに来るまでメリッサを狼どもから守ってくれてたんだ。おい!しっかりしろ!」
メリッサがアンナに涙目で言う。
「…ホントだよ、かあちゃん…。そのワンちゃんが守ってくれた……」
「そ、そんな恩人、死なすわけにいかないだろ!
アンタ!その犬、馬車に運んで!とにかくココじゃ何もできやしない!テーゼまで行こう!」
ゴッヅ一家と犬を乗せて馬車がテーゼに向けて疾走する。
馬車の中では、アンナが旅に持参していた薬や薬草を犬に与え、懸命に傷の応急措置をする。
メリッサもベソをかきながら犬の身体を撫で、
「ワンちゃん…ありがと…がんばって……」
「おい、ワン公!あと少しだ!がんばってくれよ!」
馬車が国境の検問所に横付けされた。
その尋常ではない勢いに、警備の騎士団が何事かと気色ばんだ。
「おい、騎士団のダンナ方!ウチの娘を狼から守ってくれた犬がケガしてんだ!手当してやってくれや!」
賊の襲撃かと警戒した騎士団だったが、その言葉に弛緩し、そして困惑した。
…犬の手当…?
娘を守ってケガをした…?
…気持ちはわかるが…
さすがにそれは場違いだろう
必死に治療を懇願するゴッヅとアンナに、皆がなんとかなだめようと四苦八苦する。
そんな中、
「おう、何騒いどんじゃ。うん?ゴッヅか?
何しとんじゃ、こんなトコで?」
押し問答気味のやり取りの渦中に姿を現したのが、たまたま検問所の視察に来ていたゼクスだった。
事情を聞いたゼクスは、
「おい、軍馬の世話係がおるじゃろ。あいつに任せい。ちょいと畑違いとは思うが、動物のケガなら人間の医者より勝手がよかろう」
ゼクスの計らいで白い犬は検問所で治療を受け、一命を取り止める事ができた。
「…よかったね……、よかった……」
メリッサが目を潤ませ犬を優しく撫で、犬もうれしそうに尻尾を揺らしている。
その日から、メリッサと白い犬は大の親友になった。
お読みいただきありがとうございました。
第四章開始です。
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次回タイトル予告「小さな手の焼きパン」




