020 はじめまして
「に、人形? これが、人形?」
すっかり最初に踏み入った時のうらびれた廃病院に戻った室内で、朋幸は大いに困惑し椅子に座る真李亜を――否、真李亜そっくりな人形を凝視した。
いつの間にか玉座はただのウッドチェアになっていて、拘束していた茨や黒薔薇もただの縄に変わっている。魔法が溶けたのだ。すっかりと、室内を支配していたエドガーの魔法は破壊されたのだ。
だというのに人形だけは元と変わらぬ姿で、精巧どころか生き写しの有様で、そこにいる。
魔王は人形の前へ回りこむと、真李亜の顔とを交互に見つめてから呟いた。
「やっぱり見分けがつかない。生命力の色までそっくりだぞ」
「うわ、血色がいいと思ったら心臓動いてるじゃないこれ」
「本当に……人形、なのか?」
「……ヤー。その通りデス」
ため息混じりにエドガーが肯定する。その顔は蒼白だったけれど、取り乱している様子は無かった。
はぁ、と朋幸が此方は感嘆の息を吐く。
「人形師エドガー、だっけ、桜花が言ってたの。知る人ぞ知る優れた魔女、って、確かにこんなもん作れちまうなら相当すげぇよ」
そういえばけしかけられた黒いのも魔力を奪ってみれば全部人形だった。もっとも、真李亜人形とは違いひと目でそうと見て取れる木細工の人形だったが……。
「これも魔力無くなったら実は木で出来てたりすんの?」
「いえ……魔力を奪われれば心臓が停まり、腐るだけデス。それは、そういう人形デスから」
「そういう人形って……あっさり言うけど目茶苦茶すごくね?」
ほとんど人間のようなものではないのか。
「魂が入ってイマセンから、どれほど精巧であろうと、所詮は人形――デスよ」
「ふぅん」
「そんなことよりも、よくも私を拐ってくれたわね、エドガー」
ぴしゃんと真李亜が本筋へと話題を戻した。一気に空気は氷点下だ。その声の冷ややかさときたら、エドガーだけでなく魔王や朋幸の居住まいまで正してしまうほどの鋭利さである。
その双眸が、すぅっと半ばまで据わった。
「人形の事は、一先ず置いておきましょう。等身大の生き人形とか勝手に作られてぶっちゃけキモいとかドン引きだとか、そういうのは脇へ置いといて、まずは現状の話をさせてもらうわ。よくも、私を、拐ってくれたわね?」
暗がりの中、エドガーの顔から残っていた血の気が一気に引いた。たらりと朋幸の頬を冷や汗が伝う。
「あ、あのな、マリア」
「朋幸は黙ってて」
「はい……」
撃沈。
「私の事だけじゃないわ。私の事だけでも十分に腹が立つというのに、貴方ときたら、私の大事な朋幸にまで手を出したわね?」
ひたり、ひたり、
ほとんど無音で真李亜は悠然と歩を進める。靴下を履いただけの脚で廃墟を歩く行為を朋幸などは止めたかったのだけれど、黙れと言われた手前、口を開くことなど出来なかった。本気で怒った真李亜は朋幸にとって恐怖の代名詞なのである。二歩三歩と後退したのは、邪魔にならないようにという配慮も僅かにあったが、ほとんど気圧されただけだ。
「しかも聞いていれば、何? 好き勝手に話を迷走させてくれちゃって、馬鹿じゃないの」
ゆっくりと、歩を進めながら真李亜は言う。
「私が、いつ怯えたっていうのよ。怯えてないわよ。ストーカーなんかに怯えるほど、私可愛い女じゃないわ。傷つけた? 確かに傷ついたけれど、とりかえしがつかない程だなんて誰が言ったのよ。貴方がストーカーだって気づいて、それで私、責めるようなことを言った? 二度と顔も見たくないって、言われてから暴走しなさいよ」
先程までと比べれば比べるべくもなく狭くなった室内で、真李亜は十歩もかからずエドガーの真ん前までたどり着く。仁王立ちで腕を組み、真李亜は俯くエドガーを見上げながら見下ろした。
「心が欲しい? 愛されないなら憎まれたい? 随分カッコイイこと言うじゃない。私にフラれるどころか、告白すらしてない癖に」
馬鹿じゃないの、と吐き捨てて、鉄槌の如く声を振る。
「私は貴方を許さないわ、エドガー」
言葉の重みで相手を圧し潰すように一語一語を明瞭に発音して、宣告する。
「貴方は、私の信頼を裏切ったのよ、エドガー。私の言い分を聞きもしないで、私の意思を無視して、蔑ろにして、私を誘拐した。酷い裏切りよ」
恬淡と、感情を押し殺し平坦に均された声音がエドガーを打つ。
「私の意見なんてどうでもよかったの? 私の考えなんて、どうでもよかったの? 私の気持ちなんて、どうでもよかったっていうの? ――私は、貴方の何なのよ」
語尾が震えている。
それでも平坦な声音を真李亜は自身に強いて崩さない。
「私の心を最初から全部否定して無いもののように扱っておいて、私を愛しているだなんて言わないでちょうだい」
そう断罪して、
作られていた無表情が苦く歪む。
「私の気持ちを勝手に決めるな」
吐き捨てられた言葉だけが無残に軋んでいた。
傍で見ていた朋幸は真李亜が泣くのかと思ったけれど、真李亜は深く呼吸するとまた表情を、激情を、押し殺す。
断罪する。
「私は、貴方を、赦さない」
処断する。
「私はこの事を、ずっと忘れない。ずっと貴方のことを、恨んでやるわ。私、執念深いのよ。根に持つタイプなの。いつまでもグチグチグチグチと恨み言を言ってやる」
あれ、と引っ掛かりを覚えて朋幸が目を瞬いた。
エドガーは微かに震えるほど打ちのめされている。
真李亜は――
苦笑した。
「だから……貴方は私の隣で、それをちゃんと受け止めなさい」
は、とエドガーの口が驚きの形で開く。
「お望み通りに恨んであげる。だから今度はちゃんと、きちんと、私と向き合いなさい。それが約束できるなら、今回はチャラにしてあげるわ」
腕組みを解いて、硬い声音も解して、無表情を綻ばせて、呆けた顔をしたエドガーに悪戯っぽく笑いかける。
エドガーは言葉を飲み込めずに目を白黒させた。
「ちゃ、チャラ、って」
「赦さないし、恨むけれど、嫌いにだけは、ならないでいてあげる」
私はね、と真李亜はなんだか困ったように苦笑のまま小首を傾げ、
「貴方のこと、結構ね、好きなのよ。ストーカーされてた事も、貴方がそうだって気づいて、どうしようか考えて、悩んで、傷ついたけれど許しちゃおうと思っちゃうくらいには、好きだったのよ。だからこそ、こんな仕打ちは許せないし、ムカつくし、酷いと思うし、だからマイナスにまで評価を下げたいところだけれど……でもプラマイゼロくらいで勘弁してあげるわ」
――だから、
真李亜は、右手を前へ差し出した。
「初めまして、私は月代真李亜っていうの」
呆けたままのエドガーをまっすぐ見つめて、真李亜は言う。
「日本生まれの、日本人よ。OLをやっていて、趣味は裁縫かしらね。バツが一つ付いていて、その上コブ付きよ。貴方は?」
「あ、わ、私は……」
しどろもどろと視線をあちこち彷徨わせてから、エドガーは、恐る恐るといった様子で真李亜の右手に右手を重ねた。
そっと、握る。
握り返される。
「私は、エドガー。エドガー・ヒュー・ウェルテル・フェルディナント、と言いマス」
「へえ、長い名前ね」
「あ、う」
「カッコいい」
「そ! そうでショウか」
「えぇ。ドイツ系の名前ね」
「ヤー。あ、その、ハイ。その通りデス」
「ご職業は何を?」
「……人形を、作っていマス。それから、魔女をしてマス」
「そうなんだ。魔女の知り合いは貴方が初めてよ」
ふふっ、と真李亜が笑う。釣られてエドガーの強ばっていた表情も明るくなる。
それから、握手を解くと真李亜は笑顔のままで、
「まずは、お友達になりましょうか」
そう、判決を下したのだった。




