第17話 推しの晴れ舞台
叙勲式の日取りが決まったのは、セリアの謹慎が明けた翌日のことだった。
「五日後、駐屯地の中庭で行われるそうです。王都からの正式な承認も、昨日届きました」
夜明けの訓練場で、千回の素振りを終えたセリアが教えてくれた。
今では、僕は覗き窓ではなく、通用門から中に入れてもらえるようになっていた。門番さんが「どうせ毎朝来るんだから」と、勝手に通行許可を出してくれたのだ。
「町の人たちも、見に来ていいそうです。部隊長が、ハルネを守った騎士の顔を、住民にも見せたいと」
「じゃあ、僕も見に行っていいんだね」
「……あなたが来ないはずがないでしょう」
セリアは、少しあきれたように言った。それから、ふっと目をそらす。
「その……一番前で、見ていてくれますか」
「もちろん!」
僕は、即答した。
当たり前だ。推しの晴れ舞台を、見逃すわけがない。
そのとき、ふと、頭の中にひとつの考えが浮かんだ。
前世で、ことりちゃんのワンマンライブに行ったとき。客席のファンたちが、手作りのうちわを掲げていた。推しの名前と、応援の言葉を大きく書いたうちわ。
ステージの上から、推しがそれを見つけて、嬉しそうに手を振ってくれる。
あれは、推しに「あなたを応援しています」と伝えるための、ファンにできる精一杯の表現だった。
――作ろう。
◇
それから五日間、僕は毎晩、屋根裏の部屋にこもった。
まず、材料集め。
うちわの骨組みには、細く削った竹がいい。でも、ハルネの近くには竹林がない。代わりに、父さんに頼んで、薪割りで出た柳の細い枝を分けてもらった。
表に貼る紙は、ギルドの資料室整理のときに出た、使わない羊皮紙の切れ端を、ポーラさんに頼んで譲ってもらった。
絵の具は、パン屋の娘のアンナに相談すると、染物屋の叔母さんから余った染料をもらってきてくれた。
「レオンくん、何を作るの?」
「うちわっていう、応援の道具」
「うちわ? おうえん?」
アンナは首をかしげていたが、それ以上は聞かなかった。
柳の枝を削って、骨組みを組む。羊皮紙を丸く切って、両面に貼る。
前世の印刷会社の経験が、ここでも生きた。紙の扱いには、少しだけ自信がある。
問題は、文字だった。
何を書くか、三晩悩んだ。
ことりちゃんのうちわには「ことり 最高」とか「笑顔ちょうだい」とか書いていた。でも、セリアには、もっと彼女らしい言葉がいい。
あの日、市場で見た一太刀。音も、姿も、置き去りにする速さ。
四日目の夜、ようやく決めた。
大陸の文字で、大きく、太く。
表には、「セリア」。
裏には、「神速」。
縁には、金色の染料で、細い線をぐるりと引いた。彼女の推し灯と、同じ色。
完成したのは、叙勲式の前夜、夜が明ける少し前だった。
ろうそくの光にかざして、出来栄えを確かめる。
形は少しいびつだし、文字の太さも揃っていない。前世の、プロが作ったような綺麗なうちわとは比べものにならない。
でも、気持ちだけは、誰にも負けないものができた。
「……よし」
僕は、二枚のうちわを胸に抱えて、ほんの少しだけ眠った。
◇
叙勲式の日は、よく晴れていた。
駐屯地の中庭には、朝から町の人たちが集まっていた。公開模擬戦のときよりも、ずっと多い。ハルネの住民の、半分は来ているんじゃないかと思うほどだった。
「ハルネを守った騎士様の晴れ姿だからな」
「大鬼を一太刀で斬ったんだろ?」
「アルヴェイン家のお嬢様だって。すごい人だったんだねえ」
ほんの数週間前、模擬戦でセリアを笑っていた人たちと、同じ人たちだ。
でも、それでいいと思った。
誰かを見る目が変わるのは、その人が変わったからだ。セリアは、自分の力で、みんなの目を変えた。
僕は、最前列に陣取っていた。父さんと母さんも、少し後ろで見守ってくれている。
手には、二枚のうちわ。
隣には、母親に連れられたティムがいた。
「おにいちゃん、それなあに?」
「うちわ。応援するための道具だよ」
「おうえん?」
「そう。大好きな人に、『頑張れ』とか『すごいね』とか、伝えるためのもの」
ティムは、目をきらきらさせてうちわを見つめていた。
やがて、ラッパの音が鳴り響いた。
◇
中庭の正面に、騎士団の全員が整列した。
その中央を、ひとりの少女が歩いてくる。
セリアだった。
いつもの訓練用の軽鎧ではない。磨き上げられた白銀の儀礼用鎧。亜麻色の髪はいつものポニーテールではなく、きちんと結い上げられ、銀の髪飾りで留められている。
腰には、市場で大鬼を斬ったあの剣。
背筋をまっすぐに伸ばし、前だけを見て、一歩ずつ歩いていく。
中庭が、しんと静まり返った。
誰もが、息をのんでいた。
――綺麗だ。
僕は、言葉を失っていた。
夜明け前の訓練場で、ぼろぼろの手で剣を振っていた少女。模擬戦で五戦全敗して、木剣を見つめて震えていた少女。
その少女が今、白銀の鎧をまとって、町中の人々の前を歩いている。
胸の奥から、熱いものがこみ上げてきた。
セリアが、ゴードン部隊長の前で立ち止まり、片膝をつく。
部隊長が、騎士団の旗を背に、朗々と声を響かせた。
「セリア・アルヴェイン。汝、ハルネの町を襲いし双頭の大鬼を討ち、民の命を守りし功により、ここにグランリーフ王国正騎士の位を授ける」
部隊長が、セリアの肩に、剣の平をそっと当てる。
「その剣を、民のために振るうことを誓うか」
「――誓います」
セリアの声は、凛として、中庭の隅々にまで響いた。
部隊長が、正騎士の証である銀の徽章を、セリアの胸元に留める。
「立て、騎士セリア」
セリアが、ゆっくりと立ち上がった。
そして、中庭に集まった人々のほうへ、向き直った。
その瞬間。
僕は、両手のうちわを、高々と掲げた。
「セリアーーーっ!!」
◇
中庭中の視線が、僕に突き刺さった。
最前列で、何やら丸い板を二枚、頭上でぶんぶんと振り回している男。
しかも、泣いていた。
ぼろぼろと、涙を流しながら、うちわを振っていた。
自分でも止められなかった。
推しの晴れ舞台だ。八年間、誰にも見てもらえなかった努力が、ついに報われた瞬間だ。泣かないわけがない。
「セリア! おめでとう! かっこいい! 最高! 神速!!」
うちわを振るたびに、表の「セリア」と、裏の「神速」が、交互にひらひらと翻る。
「……な、なんだ、あれは」
「何をしてるんだ、あの坊主は」
「あれは……何かの儀式か?」
町の人たちが、ざわざわとささやき合っている。
「あの板に、騎士様の名前が書いてあるぞ」
「裏には『神速』だと」
「なんで泣きながら振ってるんだ……?」
騎士たちも、困惑した顔でこちらを見ていた。ゴードン部隊長だけが、顎髭をなでながら、面白そうに目を細めている。
そして、壇上のセリアは。
真っ赤になっていた。
耳の先まで、首筋まで、熟れた林檎のように真っ赤になって、両手で顔を覆いかけ――でも、覆わなかった。
セリアは、指の隙間から、まっすぐに僕を見ていた。
僕のうちわを。
自分の名前を。
その瞳が、うるんでいた。
やがて、セリアは、胸の前で小さく、本当に小さく、手を振った。
僕だけに向けて。
「…………っ!」
ファンサだ。
推しから、ファンサをもらった。
僕は、その場に崩れ落ちそうになった。膝ががくがくと震える。前世で、ことりちゃんに初めて指さしをもらったときと、まったく同じ衝撃だった。
「と、尊い……っ」
思わず、口からこぼれた。
隣で、母さんが「あらあら」と笑っていた。父さんは、何とも言えない顔で空を見上げていた。
◇
叙勲式が終わると、町の人たちが、僕の周りに集まってきた。
「おい、坊主。その板は何だ?」
「なんで騎士様の名前を書いてるんだ?」
「振ると、何かご利益があるのかい?」
質問攻めだった。
「え、えっと、これは『うちわ』っていって……好きな人とか、すごいと思う人に、応援してるって伝えるための道具で……」
しどろもどろに説明すると、町の人たちは「ほう」「なるほど」と、妙に感心したようにうなずいた。
そのとき、くいくい、と服の裾が引っぱられた。
ティムだった。
「おにいちゃん。ぼくも、うちわ、つくりたい」
「え?」
「ぼくも、きしさまに、すごいねって、いいたい」
ティムの目は、真剣だった。
僕は、思わず笑ってしまった。
「いいよ。一緒に作ろう」
ティムの顔が、ぱっと明るくなった。
――その日の夕方。
小麦亭の食堂で、僕はティムと一緒にうちわを作っていた。
ところが、いつの間にか、ティムの友達が三人、四人と集まってきた。さらにその子たちの兄弟が加わり、気づけば食堂のテーブルは、子どもたちで埋め尽くされていた。
「レオンにいちゃん、ぼくのも!」
「わたし、セリアさまのうちわつくる!」
「おれは、ゴードンぶたいちょうのにする!」
柳の枝と、羊皮紙の切れ端と、染料。母さんがどこからか古い布まで持ってきてくれて、子どもたちは夢中になってうちわを作った。
数日後には、ハルネの町のあちこちで、手作りのうちわを持った子どもたちの姿が見られるようになった。
騎士団の巡回の列に向かって、うちわを振る子どもたち。
セリアが通りを歩くと、「セリアさまー!」と、うちわが一斉に揺れる。そのたびに、セリアは顔を真っ赤にして足早に通り過ぎていく。
辺境の町ハルネで、ちょっとした「うちわ」の流行が始まっていた。
それが、やがて大陸中に広がっていく文化の、最初の一歩だということを。
このときの僕は、まだ知らなかった。




