第49話 無念
勇者黒髪の部隊が城塞の調査に入った頃、人間諸国の連合軍はバンシー軍人が拠点としていた町に入城していた。諸国の王や有力者が指揮するこの集団は戦闘員だけで三万、その他付随する人員を含めれば倍以上の膨大な集団であった。怪物達が本能的に恐れるこれ以上ない人間の群れであった。
解放された捕虜たちの動きによって勇者からの手紙を受け取っていた河向こうの国の王は他国の王を誘って別同部隊を編成し、勇者黒髪を直撃する事を目論む。つまり、黒髪が王に送った手紙の結果は攻撃、で終わるのだ。人間の軍、それも別動隊が迫っている事を知った黒髪は無念であったろう。結局、庶王子に託した「思い」と「手紙」は無駄になったのだ。
「閣下、私が言った通り、無駄に終わったでしょう」
そう皮肉を言うヘルメット魔人に返して曰く、
「一兵卒よりも、自分の息子に伝えられれば王への説得も言葉の重みも増すかと思ったのさ」
「思いを有効にするには、圧倒的実力差が必要です。他者を屈服させ得る力がね。今の閣下には足らんと言うことです。後学になさってください」
しかし気落ちはするのだ。民に圧された結果とはいえ自分に『勇者』の称号を与えてくれた王が、今や自分の討伐に動いているのである。これが勇者の取った戦いを避けるための第一の手段、つまり手紙の顛末だ。
黒髪は人間諸国の連合軍が心中密かに持っていた野心の量を見誤ったのである。諸国の指導者たちは確かに、怪物の魔の手から人間を救うために帝国領に入った。しかし、報酬も欲したのである。軍を起すには金も掛かるし場合によっては人も数多く死ぬ。その費用を回収する目途が立たねば、軍を発する事は誰にも出来ない。それは勇者の遠征であっても同じだ。あの時の都市エローエの出資者たちは、交易都市を掌握する事で事実十分に儲けを得ていたのだから。今回、利益をだす対象は、主催者が消えた帝国領……のはずだった。なのに勇者黒髪は、解放地を帝国傍流の皇族に勝手に返還してしまった。諸国の指導者たちはみな大いに不満であったろう。
帝国に居座った怪物達はバンシー軍人の群れ、独眼マッチョの群れなど容易な相手ではなかった。故にこれを打ち破り不幸な人間を解放するという彼らの初志は本物であったろうし、その為に諸国をまとめた連合軍が編成されたのだから。
だがいつの間にか、本格的な戦いを交える前に二つの大きな群れが黒髪の手によって消滅した。連合軍の兵らはみなホッとしただろうし、緊張の糸も緩んだことだろう。一方、諸国の指導者たちは、大領を得た勇者黒髪から如何にしてそれを吐き出させるかを考え始めていた。これはある意味当然で、婚姻関係を結んでいる王侯貴族間で、中産階級出身の黒髪は王国の庶娘を妻に迎えたとはいえあくまでアウトサイダーであったからだ。
それがどうだ。勇者は諸国の指導者たちに一切計らずに領地を返還してしまった。さらに怪物の軍を率いているという。それに黒髪には、魔王の都から怪物の流出を抑えきれなかった罪があるではないか。人間世界に仇名す恐れがあるのでは?人間世界の秩序から勇者黒髪を排除してしまおう。それでは、彼に擁立された皇族はどうする?奴も除外だ、全ての秩序を人間世界の指導者たちで再構築しよう。
話がこう進むのは自明であったのかもしれない。
それでも黒髪は、衝突回避を諦めない。指導者たちはともかく、戦に狩りだされた兵士たちの気持ちはまた異なると考えたためだ。だから、既に二日の距離にまで迫ってきたその別動隊に対して『弁解』の使者を送った。勇者黒髪の軍事活動はあくまで人間を救出するためのものである、と。
河向こうの国の王は、自分の娘婿の性格を読んでいたのかもしれない。そのような工作がある事を事前に恐れ、王侯貴族やそれに連なる上層の民のみによる部隊を送り出していたから、説得は全くの無駄に終わった。この貴き別動隊は返事として、
「怪物の軍を率いている事実に対して諸侯の間で疑義が持ち上がっている為、出頭してその上で弁解をするように」
と冷たく伝えさせた。
黒髪が出頭すれば殺される事は無いだろう。上手く弁論を駆使すれば、勇者の称号と立場もそのまま保持できるかもしれない。
「しかし―」
「そうです。その場合は、魔人と怪物の部隊兵五百体を見殺しにする事になり、さらに未来都市は再び怪物のみの手に堕ちるでしょう。それはすなわち、貴方様の事業は無駄だった、と宣告されることに他なりません」
こう現実を語るのはヴィクトリアではなく、ヘルメット魔人である。
「連合軍に見つからないように、未来都市へ帰還する道はあると思うか」
「相手は戦闘員だけで三万です。なお、追撃してきた別動隊は騎兵が主力の二千騎の部隊です」
行動力で勝る騎兵が相手では、戦い無しでの帰還は不可能ということだ。悩む黒髪の側には、ヴィクトリアとヘルメット魔人が居る。が、ヴィクトリアは沈黙し、ヘルメット魔人が雄弁に語るという、常とは逆の風景だ。これを見た勇者の兵達は、戦いが近いのだと言うことを、誰もが予感していた。
「モストリアの総督閣下でもなく、勇者でもない、人間黒髪殿に申し上げますがね」
少し冷たく、ヘルメット魔人が黒髪に語り掛ける。
「諸国の指導者だろうが貴方に勇者の称号を与えた王だろうが、奴らは貴方から全てを取り上げるために来ているのです。成功も、名誉も、なにより未来も!場合によってはその命すらも。誰よりも人間世界のために働いてきた貴方から。なぜって、王侯らはその秩序を脅かしかねない力を持った貴方を恐れているからです。仮にこの場を切り抜けたとして、あの連中から与えられた未来に希望を持つことができるのですか。できるはずがないでしょう。そして貴方は既に人間世界と怪物世界の境に立っている。その貴方を人間世界の都合で律する事など神々は決して認めないはずだ。つまり、人怪融和が時代の流れであるならば貴方が破滅しても後に続く者が必ず現れる。それならば」
ヘルメット魔人は黒髪の目を強く射る。
「貴方があの連中に対して引導を渡してやることは、慈悲深い行為であるというわけだ」
黒髪はヴィクトリアを見る。
彼女は考えていた。唯一勇者を受け入れる事が出来そうなグロッソ洞窟はトカゲ軍人の掌中だ。リモスの金も使えない。未来都市に逃げかえれば、力が全ての怪物達に足元を見られ生きてはいけなくなるだろう。都市エローエだって、リモスの金がなければ弱体な一辺境都市でしかない。河向こうの国の王ははっきりと勇者を切り捨てた。
ヴィクトリアは美しい瞳に力を込めて言った。
「シュタール氏(ヘルメット魔人の名前)の申し上げた通り、他に道は無いように思われます。ですがこの場合、忘恩の限りを尽くしているのは先方です。勝利する事と、その勝利を広く正確に広報することで、人間世界の誤解を説く事もできるでしょう」
座して破滅を待つことはなく戦う、と言う事は決まった。魔人たちはともかく、怪物達は大いに同意してくれた。やはり同じ怪物相手に戦うよりも、人間相手に戦った方が士気はあがるのであった。
対する人間たちは、大いに油断をしていた。まず『勇者』ともあろう者が本当に怪物兵を率いて攻めてくるとは考えなかったし、別動隊とはいえ兵の数は人間の側が多かったのだ。それに、怪物の有力なコロニーはすでに当の勇者が壊滅させている。何を恐れる事があるだろうか。宿営地にしていた焼け落ちた集落跡地でたっぷりと兵糧を消費していた。
「次の戦いの相手が勇者殿だって噂は本当なのかな」
「噂だろ。アルディラ王国でも、ここでも、怪物をぶっ倒しているのは事実だし」
「この国から怪物どもを追い払えば、俺たちもたっぷり金を貰って家に帰れる。それにしても、勇者のおかげで俺たちも楽ができるぜ」
これら下々の兵らの考えは、その間に起こっていた戦いの結果によって打ち砕かれる。
勇者は戦闘技術には優れているが、戦略にはあまり長けていないという自覚があった。しかし、敵の宿営地を攻めるとなると、彼の戦術の才は如何なく発揮された。魔人隊はヘルメット魔人に委ね敵退路に配置させたのち、自らは怪物隊を率いて敵宿営地に夜襲を仕掛けた。
繰り返すが、訓練された人間たちは怪物よりも高い戦闘能力を発揮する事が多い。この時の人間兵は貴族たちで構成されているから、騎兵能力は突出していただろう。その力の発揮を防ぐための、攻勢であり夜襲であった。夜では、暗闇になれた怪物の方がやはり動きやすいのだ。
おせっかいなところのあるヘルメット魔人は、戦闘開始前に、黒髪に向かって昔話をした。
「都市エローエで人間相手に倒れた翼軍人は、敵対していた相手に同情を持っていたといいます。しかし、結果は翼軍人の敗北で終わっている。あなたにこの種の感情があるかは知りませんが、戦場で慈悲は無用です。味方に侮蔑されるという点で、時に有害になりますからな」
黒髪にこの忠告を容れる必要があったかは分からないが、殺戮が繰り広げられた。騎兵戦になれた貴族たちは、馬が活かせなければ普通の戦士に過ぎなかった。また、乗馬できた騎士も、迫りくる怪物の群れに恐れをなし宿営地を脱出するが、要点をすっかり押さえていたヘルメット魔人の部隊に逃げ道を抑えられ、尽く殺されていった。
夜明けとともに、宿営地を陽の光が照らす。人間の屍が山と為し、二千の人間兵を五百の魔人・怪物兵で皆殺しにする快挙を達成した勇者黒髪は怪物兵へ、一時間と区切り、敵人間達の死体を食料とする時間を許し、それが終わるとすぐにバンシー軍人の拠点であった町へ向かい進軍を開始した。強行軍をもってすれば、三日後の夜には到着できるはずだ。
そしてそれは、黒髪の『勇者』としての最後の戦いになるだろう事を、随行するヴィクトリアは予感していた。では『勇者』でなくなった黒髪は何になるのだろうか。ヴィクトリアは考え続けたが、人間世界と対局を為す役職名しか、彼女の思考には浮かび上がってこないのであった。




