第48話 好意より
すでに勇者黒髪の帝国領進入以後、当地では怪物の大きなコロニー二つが消滅した。これは人間世界に対して大々的に宣伝されたから、帝国領内の人々や、すでに進入を開始している人間諸国の連合軍には知れ渡っていた。だが、これがすぐに逃散していた住民たちの復帰にはつながらない。連合軍が勇者黒髪を討伐する、という噂が頻りに流れており、どちらにせよ戦乱は免れないと考えられてもいたからだ。
三万人も動員した連合軍に対して、五百体の兵力しか持っていない勇者は一方的に不利な状況にある。よって、人間世界に対して三つの手を打っていた。一つは、先に述べた、河向こうの国の王宛ての手紙の発信であり、その顛末については後に記す。
次いで、この山を越えた先の帝国の本来の支配者層である人々への働きかけだ。帝国の統治機構はズタズタになっていたから黒髪としては誰でも良かったのだが、独眼マッチョの拠点付近に、皇族の一人が潜伏しているのを発見する。この人物は、かつて行われた勇者の遠征に際して最初の障害となった、あの皇族の端に連なる人物だ。黒髪も恨みが無いわけでは無いが、とりあえずこの人物宛てに人間の使者を送る。すなわち、
「帝国に流入した怪物の群れを討伐・追撃の為に当地へ入った私こと勇者黒髪は、二つの怪物が支配していた領域を奪還した。これを、本来の統治者である帝室へ返還するため、これを受けてほしい。繰り返すが、勇者黒髪の目的は怪物の乱虐から人間を救い出す事にあり、帝国領に何らの権利を主張するものではない。勇者の称号に誓って宣言する旨、承知されたし」
この皇族は前に勇者に対して行った自分の嫌がらせをしっかり覚えていたが、
「勇者たる者、人間社会へ奉仕せねばその名が腐る」
として、当然とばかりに黒髪からの提案を受けた。この傲慢さに黒髪の使者は辟易したが、ともかくこうして、勇者が取り返した地は、公式にはこの皇族の担当領域に入る。さらに続けて黒髪は、
「奪還地の治安維持については、帝国救出に来ている連合軍の諸侯と打ち合わせされたし。私は次の怪物を討伐するために出発する」
として、人間諸国の連合軍と折衝を持つ義務と責任を、この皇族に押し付けた。その上で、次の怪物のコロニー目指して出発したのである。黒髪が選んだ方角は、連合軍が迫る方角と真逆であった。勇者が統治権譲渡に選んだ皇族は、帝室の主たる人物ではなかったが、傍流にいるが故の野心と欲望には不足していなかったから、交渉のため勇んで連合軍へと向かっていく。ここまでが勇者が打った二つ目の手段だ。
最後の三つめは、その皇族が統治と平和を守りはじめている、と帝国領内に広く喧伝し始めた事だ。怪物の攻撃から逃げ切ったまでも、山野に隠れ住んでいた少なくない人間たちが、この布告を持って故地に帰還を始めたのである。それは勇者の実績によるものだから、平和のために為した事績を強調し民衆に味方を得る事で、人間世界からの敵意を躱そうという狙いだ。
このような段取りを踏んだうえで、黒髪は次の怪物の拠点へ向かった。そこは町や村の廃墟ではなく、城塞である事が厄介な点であったがヘルメット魔人が攻略に自信を見せていたので、一同、心配も攻城の準備もそこそこ下見も兼ねての進行であった。が、予想外の出来事が起こる。城塞の門は開かれており、怪物の長が勇者を待ち受けていたのだ。そして述べる。
「我々は黒髪の命令に従う事を決めました。戦闘は不要です」
驚く一同、やる気満々のヘルメット魔人は残念そうに変顔をするが、この怪物の長がある怪物を勇者に紹介する。それは彼にとって懐かしい顔である猿の怪物であった。猿がこの拠点に対して、勇者に立ち向かう不利と無意味を伝えて降伏を説得したのであった。
その日、勇者黒髪は猿と会談を持つ。黒髪は無表情を崩さず曰く、
「実に懐かしい。私が遠征に出発する前にグロッソ洞窟で会って以来。とはいえ、会うのはこれで三回目でしかない」
対する猿は笑顔を見せながら、勇者黒髪の胸に拳を置いた。
「それでもお前の武勲はグロッソ洞窟まで伝わっていたから、俺は懐かしさを感じないぞ。大した事をしたな」
それでも勇者は笑みを見せない。無論理由がある。
「情報には通じているようだから言うが、あまりお前と会話をしたくない」
猿は頷いて曰く、
「お前と俺がグロッソ洞窟で締結した決まり事を、誰も知らないとは思うが、どこから情報が洩れるかわからん。不要な接触は避けたい、ということだろう。それはこちらも同じ。今俺は故あってこの地に居るが、グロッソ洞窟とは無関係に動いている。だから、お前に会いに来たことは、純粋に俺の意志による」
「ほう、それは?」
「お前を見たいという興味を満たすため、あとは情報提供のためだ。この城塞を明け渡すよう説得したことは、お前に会う為の下準備というわけだ」
黒髪は相変わらず猿の目を見ながら話す。
「弁舌には大した自信を持っているようだ。この城塞を明け渡すよう仕向けてくれた事は素直に感謝しておこう。我々も無用な犠牲を払う事が無かったのだから。今後起こり得る大きな戦の前に、時間も節約できた……では、お前はどのような情報を私に提供するつもりでいるのかね」
「二つある。どちらもお前にとってありがたい情報に違いない。一つは、この城塞より南にある怪物のコロニーだが、そこの長は何を隠そうこの俺だ」
勇者はやや驚いて、
「それは初耳だが、だから何だというのか。宣戦布告でもするつもりかね」
猿は笑って曰く、
「連中もお前が怪物世界に向けて掲げる方針に沿って『帰宅』させよう。実行には俺が責任を持つ。だから、連中への攻撃は無用だ、ということ。進軍はしたって良いが、手出しは一切しないでほしい。人間の奴隷や捕虜も連れず、全て置いていく。それに大した規模ではないのだ。お前は既に上から数えて三つの集団を解体しているが、六、七番目といったところなのだから」
勇者は少し考え、部屋の外に居るヘルメット魔人を呼び、猿のコロニーには手出しは不要だ、と命じた。魔人部隊を統率するヘルメット魔人は、猿と勇者を見比べてから微笑んで曰く、
「ではそのように指示をだしてきます」
と言い部屋から去っていった。その間、勇者は猿から目線を離さぬままであり、
「二つ目の情報を聞こう」
と話を促した。猿はそれに応えて曰く、
「二つ目は、お前の命を狙う暗殺計画があるらしいということ。それも異なる者が二つだ。随分、憎まれたもんだな。心当たりはあるかね」
「一つはある。私の捕囚から脱出したバンシー軍人だろう。既に追跡は命じている」
「その通り。彼女はお前の攻撃の後遺症で下半身が動かなくなったままだ。恨み骨髄なのだろう。素性は不明だが人間の戦士が彼女を助けて活動しているらしい。流動的ではあるが、この帝国領内で潜伏しながら怪物を編成しつづけているという。隙を突いて、お前を殺すつもりだろう。せいぜい気を付ける事だ」
「わかったよ。それで、もう一つについては?正直に言うと全く心当たりがないのだが」
「こいつとお前はこれまで二度戦っている。かつて魔王の都で軍歴を重ねたトカゲ軍人という怪物だ」
驚いた勇者だが、堪えて眉一つ動かさない。猿は続ける。
「魔王の都崩壊後は魔王とその近衛を守護していたが、今はなんとグロッソ洞窟の長に収まっている。つまり、こいつは洞窟の潤沢な金を武器にしている、ということだ。お前の命を狙ってすでに帝国領内に入っているが、動機は不明だ。お前に恨みがあるのか、お前を殺して名声を高めたいのか……ただ、この情報はたまたま知り得た物で真偽のほどは不明だ。信じる信じないも、お前の勝手にすればいい」
勇者は立ち上がり、一人と一体分の茶を入れ始めて曰く、
「そちらも信じるに足る。実はあの怪物とはすでに三度会っていて、最後は魔王の都で戦っている。深手は負わせたのだが、生きていたようだな」
猿は驚いて曰く、
「お前はあんな化け物に傷を負わせたのか……どちらも化け物だな。これは単なるおしゃべりだが、今、俺がグロッソ洞窟に戻り難いのも、洞窟の体制が前と変わってしまった事にある。どんな事情にせよ、あれほどの手練れが辺境の洞窟に再配置されているのだから、誰かが深い考えを持ってしていることなのかもしれない」
黒髪は猿に茶を勧めて曰く、
「これは情報提供の礼だ。お前があの洞窟を出た事情を深く尋ねる事はしないが、やはり洞窟が恋しいかね。あそこが故郷なのか」
片手で茶をすすりながら猿曰く、
「生まれは全く別の土地だ。流れてあの洞窟に棲みついたんだが、あそこには気になる奴がいてね。弱っちいやつで、先方がどう思っているかはしらないが、その頼りない奴を助けてやりたいんだよ」
「ところで」
ここで勇者は振り返って初めて笑顔を見せて、
「その左腕は誰にやられたのかい」
猿は少し考えて曰く、
「洞窟における権力闘争の末に失った。見ての通り、俺は戦い向きの怪物ではないのでね」
「ほう刑罰ではなく、戦いで失ったのか。勇敢なことだが、ではその左腕を切断した輩が、今グロッソ洞窟にいるのだな」
茶を飲む黒髪の目を見据えて猿は情報を提供するつもりで語る。
「俺の腕を切断したその鬼はグロッソ洞窟にはいない。お前の遠征が始まる前後で、魔王の宮廷に召還されているからだ。奴がこの帝国領内に居ないのであれば、魔王について逃げ回っているか、モストリアに潜伏しているか、どちらかだ。奴は実に卑屈な性格をしており下卑たる生き方を選択しているが、戦いは滅法強いのだ。お前も会う事があれば気を付けるが良い」
黒髪はインポスト氏に会ったことも見かけたこともない。だが、グロッソ洞窟にいるインポスト氏という名の鬼については洞窟に侵攻した時に流れた噂を聞いていた。この情報を心に留めた黒髪は、
「情報提供には感謝しよう。しばらくすると、この地は戦場になるかもしれない。お前も去るならば今の内だが、また機会を見つけて遠慮なく会いに来るがいい」
と猿に安全を提供する。勇者は自分には偽りを言わないとほとんど確信していた猿は、この助言を素直に受け、城塞を去っていった。彼が次に向かうのはモストリアであった。革命なった魔王の都を目にしたい、という知的好奇心からの動機による。
ところで、勇者に侍るヴィクトリアは見知った猿が帝国領内に居る事に些か驚いていた。彼女を勇者の元へ隠密裏に送り出したのは、何を隠そう猿なのであるから。だが、事態がここまで変化を遂げた今、彼に任務の是非を問うても意味のない事、と判断した妖精女は猿が去るまで身を隠しつづける。その心には、これで猿の指示から解放された、という思いが去就していた。あるいはリモス一党との友誼もこれで終わったのかもしれない、と。
猿が去ったのちも勇者黒髪はさらに進軍を行い、怪物達のコロニーを解体し、『帰宅』を命じる事を続ける。この時、勇者の部隊全員が肌に感じていた緊張感があった。人間の連合軍との対峙が迫っていたのだ。この時既に、連合軍の別動隊が、黒髪を追跡し続けていたのである。




