第47話 人間世界の恨み
勇者黒髪の戦闘時の能力はやはり抜群であると、拠点に巣くう怪物たちを次々に蹴散らす事で証明している間、それを見ていた独眼マッチョの怪物は、とても勝ち目はない、と降伏を求めて城外に出てきていた。会談が行われる前、それぞれの側近が下準備を行うものだが、その間に、勇者の陣営で暗殺騒動が発生したのである。怪物陣営にとって衝撃であったのは、人間が勇者黒髪を襲撃したらしい、という話が流れてきたことだ。襲撃者は、かつて勇者の遠征を支援した河向こうの王国の庶王子である。モストリアで袂を分かったのち、各地で同士を集いながら、勇者打倒の機会を狙っていたというのだ。暗殺者たちを鼓舞した言葉は以下の通り。
「勇者の称号を保持していたかつての黒髪の姿は魔に染まった。今や占領した魔王の都の主人のように振る舞っており、その行いは人間に対して有害である。私は妹を通して彼の親族でもあり、身内の不祥事は身内が処理しなければ面目が無いという物。故に、この戦いにおいて、私も前線で戦う。皆には私の背に映る勇気を、感じ取ってもらいたい」
庶王子は十数名の部隊で勇者暗殺を狙った。黒髪は廃屋となった場所を掃除して本陣を設える習性がある。本陣を出るときは、ヘルメット魔人や怪物達が身辺にとりつくため、事は本陣内で行われなければならない。しかし、人間世界救済の希望に燃える庶王子の作戦は稚拙そのもので、目視で本陣内の怪物達が少なくなったと思われるタイミングで突撃を仕掛ける、というものだった。部下たちに彼が伝えたように、火花を切るのは彼だ。だから、彼の突撃に合わせて部下たちも仕掛けるのだが、息があっていたとは言えなかったのである。異常に気が付いた怪物達が急ぎ防衛に入ったため、本陣に突入できた暗殺者は全体の半分にも満たなかった。
そして、黒髪は手練れであるし、武器を常に携帯している。就寝時も、買い物時も、入浴時ですら装備を外さない。戦闘能力を持たないヴィクトリアや要人らを守りつつ敵を撃退するなど朝飯前であったのだ。
勇者の本陣に敵の侵入を許してしまったヘルメット魔人が急ぎ戻ってきて目撃したのは、尽く地に伏せた暗殺者たちの姿である。一人、庶王子のみ、銀の剣を突き付けられて立ちすくしていた。ここで勇者黒髪は庶王子に詰問するのである。なぜ、このような挙に出たのか、と。追い詰められた庶王子息をきらせて曰く、
「あなたの振る舞いが人間世界を損なうものになっているためです」
「嘘つけ。それだけではあるまいが。お前ら騎士たちの名誉のためだろう。くだらない」
無言を貫く勇者を差し置いてヘルメット魔人が横槍を入れると、庶王子は目をいからせて曰く、
「もちろん、家名を守るという事もある。私の妹、つまり黒髪の妻は、黒髪の勝手な行動によって河向こうの王国で公的な立場を全く失ってしまったのだ。王国で王族が公的な立場を失うということがどういう事か理解できるか。彼女らが生きる社交界でも相手にされず、今や軟禁されているのだぞ。勇者の称号を持つ黒髪が、怪物を率いて人間世界に出てきているという揺るぎない事実のために」
「勇者黒髪を殺せば、お前も妹も立場を回復するということか」
「そうだ。黒髪の首を持参すれば、我が父も考えを改めてくれるだろう」
「勝手なことを!かつて黒髪が、河向こうの王国領内の怪物達を退治した恩を忘れて、よくもそういう恥知らずな事ができるね」
ヘルメット魔人の非難に耳を傾けたくないというように、庶王子は黒髪に向かい合う。その話を聞いていた黒髪は既に剣を下している。そして、誤解を説くべく語り掛ける。
「私の軍事活動は、魔王の都からあふれ出た怪物たちを『帰宅』させるためのものであって、人間世界の現体制を覆そうと目論むものではない。信じてほしい」
「人間世界を仇為すものではないというのか」
「もちろん」
これに庶王子は舌鋒鋭く、
「では、人間世界のために怪物たちを皆殺しにするべきであろう。『帰宅』などまどろっこしい。奴ら怪物は、無残冷酷に人間たちを殺し食べ、故郷から追い払っているのだ。あなたが真に勇者であるのなら、人間のために怪物を討伐しなければならない。弱き民が願う復讐の呼び声が、聞こえないのか。かつて我が祖国でそれを行ったのはあなたではないか」
この指摘に黒髪は有効な弁論を持ちえない。なぜなら、怪物全てを皆殺しにする事など不可能であって、共存をしていくしかない、というのは魔王の都を統治してこそ生まれ得る発想であったのだから。事情を知らない者にその必要性を伝えるのは至難の業である。だから、勇者は庶王子を説得し得なかった。だが明言もする。
「この山を越えた先の帝国領内の怪物達を『帰宅』させることができるのは、私しかいない。そのためにも、この首を君に差し出すわけにはいかない」
死をも恐れぬ庶王子は激昂して、
「それでは私の妹がどのような苦境にあっても見て見ぬふりをするというのだな。あれは私の妹である前に、あなたの正式な妻なのだぞ」
これには黒髪も胸を痛めた。冷酷であったことは一度も無い黒髪は、庶王子の暗殺未遂があるまで妻の事を失念していたことは間違いなく、その事にも忸怩たる思いであったから、妻の立場の改善に力を尽くす事をここで誓う羽目になる。そのために何をするか、であるが、彼は河向こうの国の王に手紙を書き、それを庶王子に託して彼を解放する事にした。ヘルメット魔人や怪物達はそれに反対した。
「身勝手な復讐に捕らわれた人間が、承知するとは思えません」
「それに、怪物を皆殺しにせよと絶対に不可能なことを言い立てるとは、精神が病んでいるのでは」
というのがその理由だが、黒髪は短く、
「そのうちに、理解が得られるのを待とう」
と言って反対を遮った。庶王子は、
「そんなものを貰ったって裏切りを疑われるだけだ。むしろ、その怪物が言うように私を殺してくれ、そうすれば、妹を初めとして、家の者たちが皆救済される」
そんな事が出来るはずもない黒髪は、やはり手紙を認めて、それを庶王子に渡した。できれば王に届けてもらいたいが、判断は委ねる、として。
解放された庶王子は、
「また必ずあなたの首を討ちに戻ってくる」
と宣言して去っていった。
庶王子が去った後、黒髪は見るからに気落ちしていた。傷心の勇者を慰めたいヘルメット魔人や怪物たちだが、その役目はヴィクトリアにしかできない、として、情報収集から戻ってきた彼女に事情を全て話した。ヴィクトリア、すなわち妖精女は、勇者黒髪の事業を成功させるためにも、時に運命に弄ばれてブレがちな彼の指針を中心に戻す事こそが自分の役割だと自認していたから、慰めるよりも提案をする。頭を働かせることで、気分を高揚させるつもりでいたのだ。曰く、
「生き残っている暗殺者たちを治療し、解放して、庶王子に持たせたのと同じ内容の手紙を与え、王の陣営に届けさせるべきでしょう」
黒髪は驚いて聞きなおす。
「王の陣営だって?」
「はい。人間諸国の連合軍の重鎮として、河向こうの国の王も参陣していますから」
「ああ、頭が痛い」
「ですが、まだ、あなた様が毛嫌いされていると決まったわけではありません。河向こうの国の王の出陣は、怪物の流入に対する処置としてのものであって、あなた様と敵対する事を目的とはしていないのですから」
「怪物側を代表して申し上げればね」
とヘルメット魔人間を割って曰く、
「遮る者を全て切り倒せばよろしいのです。墓場の平和というのも、存外悪くはないのでは。あなたに躊躇いがあるのなら、この私が先発を務めましょう」
無言で困った顔をする勇者だが、彼には人間の軍と対決するつもりはなかった。黒髪はヴィクトリアの献策を容れて、襲撃から生き残った暗殺者たち、庶王子は彼らを見捨てる形で解放されたのだが、彼ら全員に王への手紙を持たせて、食料も与えて解放した。
そうこうしている間に、独眼マッチョの怪物が、おそるおそる勇者の本陣を訪ねてきた。暗殺騒動が起こったと聞いた時、この怪物は騒動に乗じて勇者を殺すつもりでいたのだが、あっという間に勇者黒髪の手によって暗殺者が倒されたと聞いて、もはやこれまで、と恭順を誓ったのである。
ヘルメット魔人、皮肉に笑って言い放つ。
「ここのボスは分からず屋の人間よりも、ずっと現実感覚に優れていますな」
黒髪がこの怪物に命じたことは一つだけである。怪物の群れをまとめてモストリアへ『帰宅』する事。もはや治安も安定し、戦乱の去ったモストリアであれば生活をするのに不自由はない、と明言して。
この怪物は恭順を誓わせられたこの会談におけるある一場面で、すっかり勇者黒髪に好意を持つことになった。独眼マッチョの怪物は恐ろし気であるだけでなくそれなりに強靭な肉体を持っているのだが、何より恐ろしいのはすこぶる強烈なその体臭にあったのだ。面と向かって息を吸えばそれこそヘルメット魔人曰く、
「まず身動きが出来なくなる。そしてめまいを覚えて、手に力が無くなり、明瞭な判断力も低下して、言葉が出なくなる。つまり、確実に体調が悪くなる」
それ程のもので、この怪物が他の群れを統率していたのは、この特殊能力によって競争に勝利してきたからだった。だから、側近たちですら、独眼マッチョに近寄ることを避けていたのだが、黒髪は全く気にせず、恭順を約束した後の怪物に対して進んで握手のため手を差し出し、自ら抱擁し、椅子を薦めて、ヴィクトリアに命じて飲食まで共にしたのである。驚異的な忍耐力であった。同席したヴィクトリアは耐えかねて、言い訳をこさえて席を外したが。
むき出しの力にのみ従う怪物達だが、それに敬意とか尊重とかの感情がプラスアルファされれば、人間と同じように強く心を通わせるものである。独眼マッチョの怪物は、勇者が示してくれた丁寧な対応に、それを感じたのである。彼は勇者への好意をむき出しにして曰く、
「この群れの帰宅については全て信じて頂いて結構。俺が責任を持ってそうさせます」
近年、人間とよりも怪物と上手く行くことの多い勇者も、
「大いに期待している」
と励ましの言葉をかける程だった。かつては怪物を討伐していた男のこの変わりように、人間達も黒髪に命助けられたとはいえ釈然としない思いを抱かずにはおれない。怪物陣営に針が大振りし始めた勇者黒髪を、妖精女は心配げに見つめる。勇者は自分が人間であることを、たまに忘れているのではないか、と彼女は気にしているのであった。
ここまでの事情を、トカゲ軍人らはモグラの怪物からの偵察情報で把握した。
「危惧するべき事は」
魔少女が口を開く。
「勇者黒髪が人間世界での評価を下げ、怪物世界での評価を上げつつあること。これでは我々の、閣下を魔王へ推戴する、という基本方針が崩れてしまう。それは黒髪を殺す事で、むしろ怪物世界からの名望を失い、人間世界からは逆に感謝されてしまう、ということ」
「勇者殺害に、慎重を期した方が良いのかな」
そう尋ねるトカゲ軍人に、異形の怪物も魔少女に同調して曰く、
「少なくとも、勇者が人間諸国の連合軍とどのように対峙するか、見てからが良いのかもしれません。基本的な見方として、勇者が連合軍を撃退すれば殺す価値も高まり、敗れればそれまでのこと。むしろ厄介なのは人間どもの軍隊でしょう」
独自の地下ネットワークを持つモグラ曰く、
「ここまで六日の距離まで迫っている人間の連合軍は、戦闘員だけで総勢三万体にも達します。勇者黒髪は戦闘の名手であっても、戦争ではしくじりも多かったということ。ここは同士討ちを期待したいところです」
その言葉を聞いて瞠目したトカゲ軍人は、
「同士討ち、させる事はできるかな」
魔少女一歩進み出て、
「勇者黒髪よりも、人間陣営の猜疑心を煽り立てれば、勇者に向かわせることができるかもしれません。準備は欠かせませんが、急げば間に合うかもしれません」
後先の事よりも即断即決が信条であるトカゲ軍人は、実行を魔少女に任せた。命令を受けた魔少女は、この拠点に居る足の速い怪物を脅して服従させ、グロッソ洞窟へ急行した。人間の心理に影響を与えうる作戦となると、やはり金を生み出すリモスの協力が欠かせないのであった。
魔少女に陣頭指揮をされることに抵抗のあったリモスも、トカゲ軍人がトップにいるのであれば作戦の立案者が魔少女であっても異存は無かった。その権威に従っていたためだ。魔少女の指揮で、グロッソ洞窟の金が洞窟外へ運び出されていく。運び出すのはがいこつ作業員たち、彼らに人間っぽい装いを施すのは魔女であった。
「洞窟は上手く機能している。猿が指揮をしていた頃よりも、ゴブリン軍人が生きていた日よりも、あたしが猿の代理をしていた時よりも。強力な武力がある、という状況は、これほども一本芯が通るものなのね」
特にリモスが動いてくれる。愛人である妖精女が、彼を心酔する猿が帰ってこないのに、むしろ生き生きしているように見える。
「最近、調子が良いみたいね」
とリモスに問うても、多忙さを楽しんでいる。まるで心配事などないかのように。彼から魔少女に返ってきたのはトカゲ軍人の指令の再確認であり、それを聞いて魔少女は篤信がいった。
「ああそうか、リモスはトカゲ軍人に必要とされる事で高揚しているのか。妖精女はリモスが求める一方であるだけ。猿はリモスの理解者でしかない。今のリモスは理解される事ではなく、必要とされる事をこそ求めているのね」
少女は深く自省する。比較して己はどうなのだろうか、と。彼女も活躍の場を与えてくれたリモス一党のために汗を流す事に満足を覚えているが、高揚はその先の領域で感じていた。それは、自分自身の策略によって、都市エローエに経済危機を発生させた時だ。
「あの時感じた胸の高鳴りを思い起こせば」
この作戦もまた、魔少女の胸にときめきを去来させる。おぼろげにしか掴めないが、より大きな時代のうねりに手が届きそうな気がしていた。




