第35話 出発の朝に
『ゲート』と呼ばれている転移装置がある。
それは都市間、あるいは国家間における長距離かつ、大規模な転移に用いられる専用魔導施設だ。転移魔術の権威と、エンチャンターたちが技術と叡智を集めて作られた物。
それは物流の要でもあり、また、安全に人材を他所へ運ぶために必須な交通機関である。
「……ほぉ、こりゃ見事な」
賢悟は目の前にそびえ立つ、群青色の門を見上げ、感嘆の吐息を漏らした。
それは、巨大だった。
全長百メートル超の巨大な門。まるで己が小人になったかと錯覚するような巨大さではあるが、群青色の門へと施された装飾はどれも細やかで、意匠が凝らされている。
さらに、この巨大な門を保護するためのドームもまた巨大である。野球ドームのように。けれど、それよりもずっと規模を巨大にしたドーム。おおよそ、半径数キロすらすっぽり包む白の蓋。それが、巨大な『ゲート』をあらゆる障害から守っているのだ。
「うわぁ、こんな巨大な『ゲート』を使うの、私初めてだよ」
「俺に至っては、国外に行くのが初めてだ」
巨大な『ゲート』に見入っているのは賢悟だけでは無く、ルイスやギィーナたちも、その凄まじいまでの存在感に圧倒されていた。
いや、彼らだけでは無い。
賢悟たちの他にも『ゲート』を利用する者たちもまた、多くが『ゲート』を見上げていた。
『ゲート』の存在感に圧倒されないのは、もうすでに何度もこの『ゲート』を利用し、物品を郵送する職業の者たちだけだろう。ただ、そんな職業の彼らでさえも、『ゲート』に対する畏敬のような念は消えていない。
「えーっと、それじゃ。全員揃ったかな?」
皆が『ゲート』を呆然と見上げる中、引率役である太郎が声をかける。
太郎自身は、魔王を討ったパーティの中に入っては居なかったものの、地元に帰郷するという体を取って許可は簡単に降りたらしい。
「おう、準備万端だぜ!」
「ちゃんと武器とかも許可取って、封印したしな」
「テロ対策のために、すんごい厳重な封印だったねー」
賢悟、ギィーナ、ルイスのトリオは太郎の声に元気よく応じる。
太郎も含めた彼らは皆、一週間程度の宿泊に備えた準備をしてきており、己の武器なども、検閲を通して封印済みだ。
「うひょひょ! 皆は私に感謝してほしいなぁ! 私の開発した特殊なバックにより、旅の荷物もコンパクトに収納ぅ! しかも、重さも軽減! 超素晴らしいぜ、私ぃ!」
しかも、ヘレンの技術提供により、荷物の持ち運びは非常にスムーズに行われていた。伊達に学園の発明王と呼ばれてはいないのである。
「うるさい。黙れ、痴女!」
「ぴう!? ケンちゃんが異様に辛辣だぁ!?」
もっとも、功労者であるヘレンに対する賢悟の好感度は底辺に等しい有様だが。原因は言うまでも無くもちろん、お風呂場での暴挙だ。
「だーかーらー! あれは超ごめんってぇ! だって、だってぇ! ケンちゃんがあんなにエロいとは思わなかったんだもんさぁ! 私の理性が消し炭だったのだよ!?」
「うるさい、変態、馬鹿」
「ごーめーんー」
涙目で縋りつくヘレンに、不機嫌そうにそっぽを向く賢悟。
二人のやり取りを横目に、太郎は密やかにルイスと会話をしている。
「…………正直、賢悟君も隙があり過ぎだと思うんだよ、僕」
「あー、分かるわ、私。だって、一緒に遊んでいる時とか、ふとした仕草があれだもん。妙にこっちのエロスをくすぐるよね、あれ」
「そうそう、たまに無自覚に胸を押し付けてくるし」
「え、いいなぁ、それ。私、そうなる前に大抵ギィーナ君が止めやがるから……」
「ギィーナ君ってば、口調が乱暴な割には品行方正だよね」
そんな男子二人の下世話な会話を聞き取ったのか、控えていたリリーが動く。
「お二人とも。賢悟様に対して、もしもの不貞があれば…………お分かりいただけますね?」
素早く二人の背後に回り込み、そっと両手の人差し指を、それぞれの背中に突き付ける。本来ならば、銃口を突きつけたいところだが、場所が場所だけに自重したリリーだった。
「「はい、肝に銘じておきます」」
けれど、その分、声に乗せられた『本気で殺すぞ』というオーラは本物だ。男
子二人は背筋を寒くしつつ、揃って返事をした。
「…………」
そんな騒々しくも愉快なやり取りを、少し離れたところから見守っている者がいる。
立場により、賢悟と共に皇都へ行くことが叶わない、レベッカだ。
「あの、ケンゴ」
「ん? どうしたんだよ、レベッカ。そんな遠くから」
遠巻きに声をかけてくるレベッカに賢悟は手招きをする。その動作に少しレベッカの猫耳が揺れるが、結局、そのままの位置で会話を続けた。
「大丈夫? ちゃんと準備は出来た?」
「おうともさ。任せておけよ」
「ちゃんと生理用品も持った? 生理の周期がそろそろだったでしょう?」
「…………持ったよ」
著しくテンションの下がる賢悟。
確かに、もしもの時のために生理用品はかなり重要なアイテムなのだが、それを理解できてしまう自分に賢悟は凹んでいるのだ。
生理の痛みは肉体的な物だけでなく、精神的にも賢悟としての男性部分を削るようで、非常に辛いのであった。特に、生理用品を使用している間は、軽く泣きたくなるほどに。
「ケンゴはそういうことを面倒だと思うかもしれないけど、ちゃんとしなさいよ」
「わーってるって」
「一人の女性としての嗜みを忘れちゃいけないわ!」
「忘れる以前に、俺は男だぁ! 魂は男だぁ!」
「…………ケンゴ」
どこか悲しげな瞳を湛えて、レベッカはゆっくりと賢悟へと歩み寄った。
「ちゃんと、呪いを解いて帰ってくるのよ?」
そして、そっと賢悟の頬へ手を添える。
賢悟が病床に伏せていた時と同じように。慈しむように。
「貴方の場所はちゃんと私が守っていてあげるから。ちゃんと、呪いを解いて、何も心配しない体になって。後は、馬鹿なテロリストを全員倒して。そうしたら」
レベッカの碧眼は、賢悟を真っ直ぐに見つめている。
「しばらく、ゆっくりとするのも悪くないと思わない?」
「…………ああ」
賢悟は頬に添えられた手に、そっと触れ、応えた。
「必ず、俺は戻ってくるよ、レベッカ」
淡く微笑む賢悟。
それはいつも浮かべる物とは違い、儚げであったが、決意が秘められた微笑だった。
「…………」
賢悟とレベッカのやり取りを、無表情にリリーは眺めている。
羨ましいと嫉妬したのか? それとも、二度と会えない主と重ねて、悲しんでいたのか? それは、リリー自身にも把握できていない。
ただ、
「みょーん、みょーん!? なにこの胸のざわめき!? はっ、まさかこれがシィットォ!? 馬鹿な、この私が!? おのれぇ!」
己の隣で悶絶するヘレンの様には成りたくない、と思っていた。
なにせ、奇声を上げながら転がり回ったり、ブリッジを決めてりしているのだ、この白衣の美少女は。流石のリリーでもドン引きである。
「ハイハーイ! それでハ、準備は出来ましたカ?」
ぱんぱん、と手を叩いて賢悟たちへ声をかけるのはハルヨだ。
ハルヨは学園側からの見送り担当ということになる。レベッカは私的な見送りだが、ハルヨの場合は、学園自体の代行という意味合いだ。
「皆さんはこれから、エルメキドン学園の顔として皇都に――――アァ、面倒だかラ、この辺は省略しテ…………」
ハルヨは賢悟たちパーティを眺めて、頷く。
「諸君、皇都は混沌の坩堝ダヨ? 精々、死なないように楽しんできたまエ」
ハルヨの激励が終わると共に、『ゲート』の施設内でアナウンスが流れ始めた。
『只今より、王国首都より、皇国首都への転移門を繋ぎます。ご予約の方は、案内員の指示に従って、指定の席まで――――』
これより、賢悟たちの物語は王都を離れ、皇都へと移る。
そこは、差別と宗教が現存する極東にして、神が降り立った土地。
首都――否、魔都・九頭竜である。
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神聖皇国首都――九頭竜。
巨大な木造建築がビルディングのように立ち並ぶ都心を離れ、郊外へ。そのさらに外れに、誰も使わなくなり、朽ちた教会が一つある。
朝の美しい陽が差し込み、欠けたステンドグラスが神秘的に朽ちた場所を演出していた。
そして、その教会には三つの人影が存在している。
「うーん…………まーちゃんからの呼び出しを受けて来たんだけど、遅いわねー」
一人は、その場に合ったシスター服の少女。
年の頃は十代半場程度だが、妙に身長が高く、胸も大きい。鴉濡れ羽色の長髪が艶やかに、そして、真紅の瞳が静かに輝きを湛えている。顔立ちこそ穏やかな美人であったが、それ以外の要素があまりにも色気を孕み過ぎ、シスター服さえも淫靡な物へと変えている。
「あー、だっるいわー。だっるいわー。これもう、帰っていいかなー?」
一人は、黒衣のローブを纏い、とんがり帽子をかぶった低身長の少女だった。灰のようにくすんだセミロングに、こげ茶色の瞳。目つきが悪く、内面のひねくれた性格が良く顔立ちに現れていた。どう見ても小学生か中学生にしか見えない…………だが、それにしてはあまりにも、彼女の瞳は荒んでいた。さながら、人生に絶望した老人のように。
「まぁまぁまぁ。ゆっくり待ちましょうよ、ね? あの人が待ち合わせに遅れるのは、何時もの事じゃないですか」
一人は、中肉中背で着流しを纏う青年だった。シスター服の少女のように美しい黒では無いが、男子にしては長いそれを後ろに束ねてまとめている。
顔立ちは至って普通の好青年。人の良さそうな笑みを浮かべている。腰には刀が一本差してあり、足元にも木製の下駄……という、いかにもな浪人という風情である。だが、武器を扱う者特有の尖った部分がまるでなく、ただのコスプレだと言われた方が納得できるような佇まいだった。
「おやおや、私が最後ですか。いやぁ、どうも申し訳ありません。少々、野暮用を済ませて来まして」
そして、最後に四つ目の人影が現れて、三人へ恭しく礼をする。
「遅いですよー」
「死ねよ、屑」
「まぁまぁ」
三者三様の反応を受けて、四つ目の人影――――マクガフィンは苦笑した。
「あははは、しかし、本当に三人そろってくれるとは思ってもみませんでした。ナナシの実働部隊『ジョン・ドゥ』が、こうして三人とも集まってくれるとは…………具体的に言うのであれば、『僧侶』さんが集まってくるとは思っていませんでした」
「あらあら、酷い言われようね? 私はただ、必要な時に必要な分だけ働いているだけだというのにねー?」
『僧侶』と呼ばれたシスター服の少女は、困ったように笑みを浮かべる。
頬に手を当てて、小首を傾げる仕草は愛らしい。碌に女を知らない少年がその仕草を見てしまったのなら、恋に落ちてもおかしくないほどに。
「…………どうか、気まぐれで全てを壊すのだけは勘弁していただきたい」
けれど、愛らしい『僧侶』の仕草に対して、マクガフィンは冷や汗を流すのみ。
ときめきなど微塵も感じず。胸が高鳴るのはひたすら、恐怖の所為だ。
「うふふ、そんなこと言われたら、私……泣いちゃいそうよ?」
「ちっ、ババァがうるせぇんだよな……年を考えろってーの」
「あら? 何か言ったかしら、『魔術師』ちゃん?」
『魔術師』と呼ばれた黒衣の少女は、不機嫌そうに唇を曲げて応答する。
「あー、つれーわぁ。耳の遠いババァが、若さを妬んで来て、つらいわぁ」
「うふふふ、妬まれるような存在かしら?」
「あー? 売られているって奴ですかー?」
一瞬にして場の空気が険悪に変わっていく。
「ちょ、お二人が喧嘩すると、リアルにやばいんですが!」
「うるさいですよ?」
「ちょっち、黙っててくれませんかねぇ?」
慌てて止めようとするマクガフィンであったが、まるで相手にされていない。
とことん人望の無いマクガフィンであった。
「まぁまぁまぁ! お二人とも、喧嘩は駄目だって。そんな、ね? 折角久しぶりに会ったんだから、もっと仲良くしようよー」
険悪な二人の間に入るように、着流しの青年は制止の声をかけた。
それはマクガフィンの言葉よりも、緩やかな呼びかけであったが、
「…………ふむ」
「…………ちっ」
二人は大人しく矛を収めて、あっさりと口論を止めた。
人望の差を見せつけられたようなマクガフィンは、一瞬唖然と口を開けていたが……気を取り直して、青年へお礼の言葉を言う。
「毎回、ありがとうございます、『剣士』さん。貴方が居てくれるおかげで、辛うじて組織として成り立っているのです……」
『剣士』と呼ばれた青年は笑顔で首を横に振る。
「いやいやいや、俺なんて二人に比べたら『ジョン・ドゥ』のおまけみたいな存在だからさ。こうやって、間を取り持つことしか出来ないだけだよ」
謙遜するような物言いは、その平凡な佇まいに良く似合っていた。
けれども、何故かそんな『剣士』を見る三人の表情には畏怖のようなが混じっている。もしくは『お前は何を言ってんの?』という、呆れだろうか。
ともあれ、『剣士』によって口論も収まったので、マクガフィンがいよいよもって話を切り出す。
「お三方に集まっていただいたのは、他でもありません――――そろそろ、本気で『神器狩り』の方を始めようと思いまして」
マクガフィンの言葉に、「あらあら」と『僧侶』は穏やかに微笑む。『魔術師』は「めんどくせぇ」と舌を出し、『剣士』は静かに頷いた。
「先に異世界人の魂を確保しようとしましたが、いかんせん、私の不甲斐なさにより行動限界になってしまいました。なので、先にこちらの方を進めていこうかと」
「あら? まーちゃんが手を焼くほどの存在なの、その彼」
「…………」
『僧侶』の問いかけに、マクガフィンは一度沈黙した後、重苦しい声で答える。
「彼の七英雄…………我らが神へ止めを刺した怨敵。魔拳と同じ魂を所有している可能性が、非常に高いです」
「―――あらぁ♪」
重苦しいマクガフィンの声とは裏腹に、『僧侶』の声が甲高くなった。
「それはそれは」
『剣士』もまた、嬉しそうに顔を綻ばせている。
どうやら、この二人は思わぬ強敵の出現に対して、恐れよりも喜びを感じてしまう気性のようだった。
「故に、私はもう油断も慢心も、遊びもしません」
マクガフィンは言葉と共に、虚空をなぞるように右手を動かす。
すると、何も無かったはずの虚空から、ころん、とマクガフィンの手のひらの中に何かが転がり込んできた。
それは、球体であった。
それは、本来、人の内部に埋め込まれているものであった。
肉の一部であるはずだった。
けれども、醜悪な肉の塊であるはずのそれは不思議と陶器のような硬質的な滑らかさがあり、白色と緋色によって鮮やかに彩られている。
「既に一つは回収しました。残りは十一…………皆さん、張り切って行きましょう」
それは、左の眼窩に埋め込まれているはずの眼球であった。
されど、普通の眼球では無い。
なぜならそれは、
「我らが神の遺骸を、今こそ取り戻しましょう」
全てを見通す、原初神の左目なのだから。
こうして、静かに闇は動き出す。
全ては神聖皇国にて始まり、そして収束するのだ。




