第34話 研究者への報酬
ヘレン・イーグレスが科学について興味を持ったのは、異世界からの漂流物が原因である。それは異世界の言語とイラストで構成された漫画――正確に言うのであれば、漫画が詰まった本棚の一部――であったが、ヘレンの頭脳であるのならば、異世界の言語を解読するのも容易かった。例えそれが、幼い頃のヘレンであっても。
そんなわけで、『サイエンス』でも世界中を浸食するジャパニーズオタク文化がふんだんに詰まったその漫画をヘレンは何度も熟読し、異世界『サイエンス』に興味を持った。
異世界の存在は過去の来訪者たちによって証明され、また、現在の研究者たちによって存在が確認されていたが、世界間の境界を渡る術については謎が多かった。たまに、何者かの手によって、『サイエンス』に存在する物質がこちらに召喚されることもあったが、その多くはゴミクズと判断され、あえなく歴史の闇に葬られてきた。
異世界である『サイエンス』の文化に興味を持ったヘレンは、漂流物を集め始めた。漫画で見たような機械類に首を傾げ、分解してみて、その原理を推測してみたり。
そうしていく内に段々と、ヘレンは科学の文化にどっぷりと嵌ってしまい、いずれは己の手のよって数多の機械を生み出そうと考えていた。
具体的には、巨大ロボットとか作りたいと思っていたようだ。
けれど、幼いころから魔術の天才であり、魔導具技術の鬼才であったヘレンは常に、己が求める物と違う研究を求められ続けた。
魔術で動く自動車よりも、燃料で動く自動車を作りたかった。
魔術で鉛を打ち出す銃器よりも、火薬で鉛を打ち出す銃器が作りたかった。
万物の最小単位であるマナを動かし、あらゆる現象、物体を導き出す魔法は、ある意味万能だ。今だ、世界の根底原理を解明できていない科学には、魔術に比べて、色々な面で劣っている。科学の発展に伴う環境汚染など、紛れも無く科学のデメリットだ。限りあるリソースを削り潰す以外に、高度文明を支える手段が無い。対して、魔術は世界の循環に添ったリソースの管理を徹底しているので、今の所、エネルギーに関しては問題が無い。
どちらが優秀かはともかく、どちらが扱いやすいかは比べる必要も無いだろう。
けれど、だからこそヘレンは科学という文化に心を奪われていた。
デメリットがあり、危険があるからこそ、実験者というのは燃え上がるのだ。魔法のように、最初から世界の原理を扱うような物はつまらない。ささやかな疑問から生まれた自然現象への興味。現状に不満を持つ者の渇望。そう、分からないからこそ、不自由だったからこそ、科学は発展した文化である。
そこが、ヘレンはたまらなく好きなのだ。
難題だからこそ、不自由だからこそ、研究され、発明が産まれるのだ。
荒れ地を切り開くような勇気と、途方もない努力、そして才能が合わさって科学はやっと一段階進む。発明が産まれる。大切な物を犠牲にして、時に取り返しのつかない事態を引き起こして、それでもなお――前に。
愚直なまでの行進はさながら、風車に挑む道化騎士の如く。
愚かで、けれど美しい。
その美しさにこそ、ヘレンは魅せられたのである。
いつか自分も、科学に挑む研究者として末席を汚したい。その願望はずっとヘレンの心の中で燻っていて、ついに燃え上がることになった。
異世界人、田井中賢悟出現によって。
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「えっと、それでニュートンの方程式が……」
「ふむふむぅ! なぁーるほどぉ!」
「後は、あー、そうそう、確か原子記号は……」
「ほうほうほう!」
学園の地下。
煩雑に物が溢れている……けれど、ある一定の法則に基づいて整理された、奇妙な実験室。それは、学園の発明王であるヘレン専用の研究室だ。ほとんどの時間を一人でこの研究室に籠っているヘレンであったが、今は別だった。
最近知り合った、異世界人である賢悟が訪ねて来たからである。
なんでも、律儀なことに皇国に出発するより前に、自分が覚えている科学の知識をヘレンへ伝えておこうと思ったかららしい。
ヘレンにとっては嬉しいこと限りない提案だが、それでもしも、「知りたいことは分かったから、もう行かない」などと約束を反故にしたらどうするのだろう? などと冗談交じりにヘレンが訊ねれば、賢悟は今気づいたと言わんばかりの惚けた顔で答えた。
「ああ、そういえばそうだったな。そうなったら、困るな、うん」
「そこは殴るとは言わないんだぁーね?」
「や、流石の俺でもそれはねぇよ。戦闘の時とか、相手が心底気に入らない時ならともかく、お前を殴るのはなぁ」
気分が悪くなるから、きっと殴らない。
でも、そうなるとかなり困るから勘弁してくれ。
美少女の顔で苦笑する男は、ヘレンの心を妙にくすぐっていた。
惚れた、とまでは行かないが、こう……ヘレン自身も自覚をしていることではあるが、珍しく真っ当な好意が生まれたのである。
正直、ヘレンは驚いた。
確かに賢悟は異世界人だ。待ちに待った、己の悲願の一部を担う男である……男である。多少体は女であるが。それでも、三度の飯よりも研究。色恋沙汰など笑止千万。一生を研究に捧げ、交友関係は奇特な友人が少しばかり。それが己の人生だったはずだ。
そんなマッドなサイエンティストである自分が、胸がこそばゆい気分になるような好意を持つとは……「これは良い研究対象だ!」とヘレンは大いに喜んだ。
そして、折角の二人きりという場面を活かして色々やってみようと思ったのだった。
「…………んー、後は何かあったっけか…………って、おい?」
「ほむん? どーしたのだい、ケンちゃん?」
「いや、お前がどうした?」
一生懸命に科学知識をひねり出す賢悟の背中。そこに、ヘレンがびったりを張り付いている。それは、恋人同士がじゃれつくというよりは、新手の寄生生物にくっつかれているような有様だった。なにせ、時折ヘレンが賢悟の首筋を吸ってくるのだ。
「え、何お前? 俺から何を抽出しようとしてんの? やめろよ、不安になるだろうが」
「何も吸ってないよぅ。強いて言うのなら、こう? スキンシップみたいな? んにゅー」
「やめろ……やめろ。ゾンビに襲われたような気分だぞ」
「ひっどーい! うひゃひゃ!」
とりあえずいちゃついてみたヘレンであったが、いまいちロマンスは得られなかった。どうにも、一度ディープキスしたのが衝撃的過ぎて、ヘレンに対しては色々と麻痺してしまったらしい賢悟なのだった。
加えて言うのなら、賢悟の体は女である。頭の中、頭脳も、エリの物であり――悪魔によって移植された魂と精神のみが男だ。
強靭な魂と精神性のおかげで、賢悟は何とか男性としての人格を保てているが、やはり、時間経過で削れて来ている物もあるのだろう。本来、女子に密着されて、首筋にキスでもされれば、賢悟は普通に慌てふためき驚くはずだった。というか、普通の男子はたいていそうだ。けれど、それが無いと言うことは男子としての真っ当な何かが削れて来ているということである。
「にゅーん」
ならば、ささやかな好意を示す行動として、その削れてきた部分を補うのはどうだろうか? そんな風にヘレンは思いついた。
俺は男だ、と頑なに貫く賢悟のために、ひと肌脱いでやろう!
「レッツ! すっぽんぽーん!」
「うわ、お前何やってんの!? え、正気!?」
思いついたら有言実行がモットーのヘレンは、文字通り脱いだ。脱衣した。瞬く間に、下着の縞パンまで脱ぎ散らかして、すっぽんぽんだ。
「ええい、さっさと服を着ろ」
「……ふぅむ」
慌てて目を逸らす賢悟の姿を見て、ヘレンは頷く。
研究による不摂生な生活のためか、肉付きが悪く、軽く肋骨が浮くような貧相さではあるが、一応の効果はあるらしい。
よろしい、ならば次のステップだ。
「一緒にお風呂入ろうぜ、ケンちゃん!」
「何だこいつ、意味がわからねぇ」
ヘレンのあまりの唐突さに軽く戦慄を覚える賢悟であったが、ちゃんと、ヘレンにも考えという物がある。
「ケンちゃん……これには深い理由があるんだぁーよ」
「何? 俺の体でも観察したいのか? 魂は異世界産でも、この肉体は現地産だぞ?」
「…………違うんだよ、ケンちゃん」
「えっ」
わざと重々しくため息を吐き、首を横に振るヘレン。
「ケンちゃんは気づいていないと思うけど、最近のケンちゃん、凄く女の子化が進んでいる。多分、魂が肉体に慣れてきて、適合が始まっている所為だと思う。何か心当たりはない? 例えば、以前と比べて趣味趣向が変化してきた、とか」
「はっ。確かに、前は可愛い熊のぬいぐるみを抱き枕にして寝るなんてやってなかったぜ! というか、なぜ抱き枕なんて使っているんだ、俺!? うわ、なにこれ怖い!」
いつの間にか、思考が女性化しつつあることに恐怖を覚える賢悟だった。
やはり段々と削れていく男性部分があるのだ、とヘレンは己の予測は間違っていなかったと確信。そして、改めて提案する。
「一緒にお風呂に入るんだよ、ケンちゃん。いいかな? ケンちゃんは男性、けれど、体は女の子。だから、魂は入れ物である肉体に合わせて精神の形を変えようとする。それを防ぐためには、己が男性だと強く意識して、精神を引きもどしてやらなきゃいけない……」
「つまり、そうか。裸の女性と共に風呂に入る……それはつまり! 俺の男子力を取り戻すための工程!」
「そのとぉーりぃ! だけど、油断をすると『女の子二人が一緒にお風呂に入るだけ』になってしまう。故に、恥じらいを忘れずに入浴するのだ!」
「おう! わかったぜ!」
全裸のヘレンに恥じらいを要求された上、あっさり説得された賢悟である。
はっきり言って馬鹿なことこの上ないが、一応、本人たちは真面目にやっているのだから、仕方ない。
「レッツ、ニュウヨーク!」
ヘレンは得意の空間魔術によって、賢悟と共に自宅の浴室まで転移。
さらに、バスタブに向かってぱちんと指を鳴らすと、瞬く間にお湯が沸き上がる。時間にして三秒にも満たない間に、バスタブは並々と湯が張られた。
「便利だなぁ、その魔術」
「みゅふーん。一応、魔術の天才だからねぇ、私ぃ!」
貧相な胸を張るヘレン。
当然、色々と局部も隠さないわけなので、賢悟は顔を赤くして伏せた。後は、出来るだけヘレンを見ないようにと、黙々と服を脱いでいく。
「眼鏡キャラが眼鏡を外すことにより! いつもの違うギャップを演出ぅ! 賢悟ぉ! 私は全裸になるぞぉ!」
「お前、さっきまで全裸じゃないつもりだったのかよ」
「眼鏡はお洒落!」
「いや、お洒落とか気にするタイプかよ……」
ぶつぶつ言いながら、スポーツブラやボクサーパンツなど言った下着までを脱ぎ、ふぅ、と吐息を一つ賢悟は漏らず。頬も上気していて、どうやら、今更ながら状況を理解して、緊張してきたようだ。
もっとも、
「はぁ…………」
あんぐりと口を開けたまま、ぼぅと賢悟を見つめるヘレンほどでは無いが。
賢悟の肉体はエリという絶世の美少女の物だ。元は、雪女の如く純白で、恐ろしささえ覚えるほどの美しさを纏った肉体であったが、今は違う。
適度に賢悟が運動し、肌を焼き、肉を付けたおかげで、その異常な美しさは失われたが、代わりに健康的な美しさとエロスが生まれたのである。すらりと伸びた手足と、きゅっとしまった肢体。所々に薄く浮かぶ筋肉と、女性らしさが強調される胸部。
まさしく、十代の少女としてはほぼ理想形の肉体が、そこにあった。
「ほふぅ…………」
嫉妬を通り越して、心酔してしまいそうなヘレン。
人間としての美しさや、色気などといった物には全く興味を示さなかったヘレンだが、目の前の物は別だった。
同性の体だとしても、気を抜けば何をしてしまうか分からない色気。
なんで中身が男性で、こんなにエロいのか、とヘレンは色ボケた頭で考える。いや、男だからこそ、そのアンバランスさがエロスを自分に与えてくれるのもしれない。つまりはあれだ、ちょっとぐらいセクハラをしても合法だろう。仕方ない、裁判で勝てば問題ない。
などと、明晰な頭脳が変に空回りしていると、ヘレンの視線に賢悟が気づく。
「…………おい、あんまり見るなよ」
ヘレンに言われた通り、恥じらいを隠さず、胸を隠し。そして、ちょっと上擦った声で、賢悟はそっぽを向いた。
その動作に、ヘレンは胸を乱暴に鷲掴みされたような衝撃を覚え――――なんとか、自制心を発動させて、耐えきる。大丈夫だ、自分はまだ道を外れたりはしない。外れるのであれば、科学者として人の道を先に外れたい。何が悲しくて、女としての道を先に外れなければならないのか、と。
「鉄の心を忘れない……そぅ! 私は科学の戦士ぃ!」
「うるせぇ」
誘惑に耐えるヘレンと、羞恥に耐える賢悟。
二人とも何となく気まずい空気のまま、浴槽へと入って行く。
「…………」
「…………」
無言だ。
水音と、体を洗う音のみが、浴槽に響き渡る。
幸いなことに、この浴槽は二人が同時に体を洗っても問題ない広さではあったが、時折、互いの手や肘が当たったりはする。その度に、ヘレンはびくりと体を跳ねさせて、賢悟は気まずそうに俯く。
もはや、お互い一派一杯だった。
提案したヘレンも、くらくらとくるような色気に当てられて限界が近い。
男としての性質を取り戻そうとする賢悟だったが、よく考えなくてもこれはひたすらに恥ずかしいだけの所業ではないかと気づいた。どうせだったら、肉とかを馬鹿食いして、男らしさを取り戻せばよかった。男性ホルモンが増加するような食べ物を食べればよかった、などと後悔しても、もう遅い。
結局、二人は体を洗った後、状況に流されるまま共に浴槽に入る。
「…………ふぅ」
ようやく一息ついた、と賢悟はほっと安堵の吐息を漏らす。
ヘレンもまた、ゆっくりと目を閉じて、無心に湯のリラックス効果に浸っていた。
互いに触れないように、気を使って入っているので、少々狭く感じるが、問題ない。
この浴槽のバスタブは広く、二人で入っても充分に温まれる余裕があるのだから。
「…………あのよ、ありがとな」
二人が浴槽に入ってしばらく経った後、ぽつりと賢悟が呟いた。
「んにゅう? なーにーがー?」
ゆっくりと瞼を開き、ヘレンは首を傾げる。
今の所、お礼を言われるようなことはしていないつもりだった。少なくとも、お礼を言うのは、異世界の知識をわざわざ前払いで教えてもらったこっちだと思っていた。
けれども、賢悟は当然のように言う。
「俺が俺である助けをしてくれて。結構無茶なお願いを聞いてもらって。お前があの時、頷いてくれたおかげで、多分きっと、俺は助かったんだ」
「べっつにぃ? 正当な取引の結果だぁーね」
「そうだな。けど、それでも、嬉しかった。俺が俺であるための一部分を歓迎してくれて。肯定してくれて……少し、安心したんだ」
はにかむような微笑み。
赤くなった頬は、湯の所為だろうか?
けれど、どちらにせよ、ヘレンにとって要因など、あまり意味は無い。ただ、賢悟がそういう笑みを自分に向けてきた。ひそかに好意を感じていた相手に、好意と感謝の混じった笑顔で返された。
それが、新鮮で、あまりにも心が乱れてしまったから。
「あ――――うん」
ついつい素の表情で返してしまった。
お道化た演技無しの素の声は、自分でも笑えるほど震えていて。
「んじゃ、俺はもう上がるぜ。風呂、ありがとうな」
だからかもしれない。
ヘレンは、湯から上がろうとする賢悟の一部――ちょうどへその部分に目を奪われてしまった。うっかり、魅了が心の深いところまで届き、魔が差したのである。
「あ」
水滴がへその形をなぞり、美しい足先へと流れていく。
それを見てしまったら、もう駄目だった。
「ちょぉ!?」
気づくと、ヘレンの体は勝手に動いていた。
バスタブから出ようとする賢悟の腰回りにタックル気味に飛びつき。そのまま、押し倒すように賢悟の柔らかな腹部に顔をうずめてしまう。
「はぁ――ふはぁ」
目の前には、賢悟のへそが。形の良いへそが。それを見た瞬間、ヘレンは訳も分からず『舐めたい』と思った。だから、実行した。有言実行が己のモットーだったから。
「ひゃあ!? や、テメェ! やめ――――うひぃん!?」
つい高い声で、賢悟が悲鳴を上げる。
予想外の場所に、予想外の感触。ナメクジが這うが如き、粘着質な動きで、ヘレンの下が賢悟のへそを蹂躙する。
もはや、ヘレンは止まれなかった。
明晰な頭脳を持ち、ずっと己の研究欲のために没頭し続けていたヘレン。それ故に、己の欲望を抑えるということは不得意だ。一度没頭してしまえば、もう止められない。
「ん……はぁ、んっ、ちゅ……ちゅぱ……はぁ」
「――――ぁ」
ヘレンの唾液が舌先から賢悟のへそへ伝わり、粘着質に覆っていく。
舌先から伝わってくる柔らかさ、熱さ、肌の味がヘレンの脳髄を冒す。どろどろに思考が融けて、人間という形の獣へと堕ちて行ってしまう。
だから、へそで物足りなくなってしまったヘレンの本能は、もっと深い場所を探ろうとして――――
「いい加減にしろぉ! このど変態がぁ!!」
「むぎゅ!?」
堪忍袋の緒が切れた賢悟によって、強制的にシャットダウンされる。
賢悟、涙目のチョークスリーパーだった。
後日。
賢悟から犯行を告げ口されたヘレンは、レベッカの手によって地獄の関節技めぐりの刑の処せられたのだが、それはまた別の話である。




