第33話 魔王と舞台装置
じゅうじゅう、と肉の焼ける音が店内に響く。
肉が焼けた香ばしい匂いと、香味野菜、あるいは塩辛いたれの匂いが食欲をそそる。
「さて、まずは元魔王として、魔王連中と、マクガフィンの正体……後は、何を目的に行動しているのか? などをお話しましょうか。既に魔王の一角も討ち果たし、マクガフィンを何度も退けた貴方たちならば、この情報がどれだけ貴重なのか分かっていただけるでしょう?」
「…………いや、それはわかるし、とても助かるんだがな?」
網の上に肉を並べつつ、真剣な表情で語る執事服のシルベは非常にシュールな光景った。その隣で、「我はホルモンな! ドラゴンのホルモンな!」とはしゃぐマホロの姿は実に店内に合っているのだが。
「なぜ、わざわざ焼肉屋で話す必要があるんだ?」
「これはこれは、賢悟様らしくありませんね。これは我が主が必死に考えたアイディアなのです。自前の屋敷はどこかの誰かに壊され、かといって、ホテルや喫茶店などのあからさまは場所ならば、人の目や耳が気になってしまう」
「そこで! 焼き肉店なら、肉が焼ける音で色々誤魔化せるし! 大人数で集まっても違和感は無いということだ! ははは、どうだ、我が知略は! 恐れおののけ!」
むふん、と無い胸を張るマホロ。
場所が場所である上に、ワンピースの上からタレが服に掛からないように前掛けを着用しているので、威厳が皆無どころか、マイナスに振り切っているのは気にしていないらしい。
「まぁもっとも! 我が皆で肉を食いたかっただけなのだがな!」
「我が主は基本的に、学校でもボッチなので、こういう団らんに憧れておられるのです」
「…………その気持ちは分かるし、俺は別に構わないのだが、他の連中は……あ、大丈夫みたいだな、うん」
ちらりと賢悟が視線を向けた先には、ギィーナとルイスがさっそく肉を焼いている姿が。
「おいテメェ、俺の前でドラゴンの肉を食うとか、嫌がらせか!? ああ? それなら俺だって、猿の脳みそ焼くぞ、ああん?」
「あ、お願いするよギィーナ君。私、猿の脳みそ大好きー」
流石にこんな場所で真面目な話はどうかと思っていた賢悟だが、男二人は仲好く焼き肉に夢中だったので、問題無いようだ。あるいは、問題しかないかもしれないが、それはそれで賢悟たちらしいとも言えるだろう。
ちなみに、リリーは店内に入ってからずっとむっつりと黙っているので、少なくとも男子二人よりは話を聞く態勢にあった。
「とりあえず、食いながら話そうぜ。焼き肉に夢中の奴らも、腹がある程度貯まったら、話に参加してくるだろうさ」
「そうでございますね」
では、とシルベは肉を焼く手を止めて、語り始める。
「まず魔王とは何か? についてご説明しましょう。恐らく、王国の中でも、古株以外は魔物のなんか凄いバージョンとしか、思っていないようですし」
「違うのか?」
「違わなくはありません。ただし、魔王という存在には魔物と違い、ちょっと違う意味があるのです。そうですね……賢悟様、何故魔物が生まれたのか、その理由はご存じで?」
「ん? そりゃ、七英雄が神様殺した時に、呪いが産まれたのが原因じゃなかったのか?」
魔物とは神が生み出した人類の敵対種族であり、呪い。
それは、王国だけでなく、全世界共通の認識であると言っていい。
「いいえ、違います」
けれど、シルベはその認識をあっさりと否定して、言う。
「魔物は呪いから生まれた存在ではありません――死に際、神が最後に人類へ送った祝福の産物なのです」
「…………は?」
半口を空けて、賢悟は怪訝そうに眉をひそめた。
なぜなら、エリの記憶や知識の中に――少なくとも、閲覧が可能は範囲では、そのような話や逸話など、まったく無かったのだから。
エリは賢悟自身にとって許しがたい怨敵ではあるが、エリの知識は『マジック』を過ごす上で非常に役立っていた。エリの知識に間違いは無く、まず、何かを知ろうと思えば、勝手に脳裏にその事柄が思い浮かぶほどの博識ぶり。そのエリの知識に、何もヒットしない上に、全世界の共通認識を覆す言葉を告げられたのだ、それは眉も一つも動かすだろう。
「どういう意味だよ? なんで、魔物が人類にとっての祝福なんだ?」
「そうですね、例えばの話をしましょうか」
シルベはひょいひょい、と焼けた肉をさらに移し、主であるマホロの前へ。
「わーい、お肉だぁ!」
そして、マホロが肉に箸を付けようとした瞬間、ひょい、と動かす。
「…………あっれー?」
当然の如く、箸は虚空を切り、何も掴めないまま。
そして、焼けた肉を乗せた皿を持ったまま、シルベは言った。
「今からこの肉は全て私の物なので、あしからず」
「裏切られた!? こんな場面で従者に裏切られた!?」
「テメェ! 俺たちが焼いていた肉まで!」
「許せないね! 私、そういうのとっても許せない!」
どうやら、ギィーナとルイスが焼いていた肉も、シルベはさりげなく取っていたらしい。そのため、今やこのテーブルの中でシルベは親の仇の如く、大多数の怒りを集めている。
「賢悟様、今の状態が『魔物』です」
「いや、どちらかと言えば鬼か、貴様? という話なわけだが?」
ぎゃあぎゃあと、肉を取り返そうと掴みかかる野獣どもを華麗に避けながら、シルベは微笑んだ。
「では、これならどうでしょう?」
そう言うとシルベは、あっさりと肉の乗った皿をテーブルへ置き、ぱんと柏手を一つ。
「わかりました、そこまで欲しいのならばどうぞ――早い者勝ちで」
シルベの言葉で、当然の如く醜い奪い合いが勃発。
「うぉおおお! この世全ての肉は、超覇王たる我の者よ!」
「黙れガキぃ! キャベツでも喰ってろ! こちとら肉食獣だ!」
「ギィーナ君、ギィーナ君! 前に良質な筋肉を作るには、植物性タンパク質だ! とか言ってたでしょ? 私がもらってあげるよ――全部!」
ああ、かくも焼き肉とは人の心を乱してしまうのだろうか? 肉を求める野獣と化した三人は、醜い争いを続けている。
「これが、『魔物のいない世界』です、賢悟様。お分かりいただけたでしょうか?」
「…………あー、なるほど、共通の敵か」
「ええ、その通り」
涼やかな笑顔でシルベはさらに肉を焼きはじめ、野獣たちを鎮静化させていく。
「人類は争う生物です。それは遺伝子に刻まれた本能であり、忌避すべき終末を招く物。人類の管理者である神が居なくなれば、万物の霊長となった人間たちは生を謳歌するでしょう」
そして、と言葉を繋いでシルベは断言した。
「果ての無い闘争と進化――そして、世界の終点に辿り着いてしまう。全てを、破滅に追いやってまで」
「…………それは、俺の世界……『サイエンス』の事を言っているのか?」
「さて、異世界に関してはまた別の『管理者』が居るようなのでわかりません。ですが、原初の神であり、管理者であった存在はそう判断したそうですよ。限り無く正確に、未来を読み取る権能を使って」
解体されし神の予言。
魔物が存在しなければ、共通の敵対者が存在しなければ、人類は世界を巻き込んで滅びへ向かうと言う。負け惜しみにしては、あまりにも大げさな物だ。
けれど、賢悟は、否、エリの頭脳は知っている。
「…………世界管理者による『戦争禁止』の大結界か」
「ええ、魔物が存在する現在でさえ、人類はより強靭に進化し、争うことを止めなかった。故に、世界管理者と呼ばれる超越者たちによる、国家の戦争を制限する大結界が張られました。いやぁ、あの時は我々魔王、苦笑が止まりませんでした」
世界管理者――東の魔女などの超越者たち四人によって発動した『戦争禁止』の大結界があるからこそ、世界は平穏を保てている。それが破られれば、再び闘争の日々が待っていてもおかしくは無い。
「だからこそ、我々魔王が存在していたのです。たった一体でも、人類を滅ぼしうるだけの可能性を秘めた祝福体――それが、『十大魔王』の起源です」
もっとも、既に一体が討伐されて、私も裏切って八大魔王なのですが、と愉快そうに言葉を付け足すシルベ。
「魔物が共通の敵であるのならば、魔王は人類に対する天敵です。例え、人類が互いを殺し合う大戦争をしていたとしても、それを強制的に止めざるを得ないほどの存在です。というか、止めなければ人類を滅ぼしますから、我々」
「うおい」
呆気からんと言うシルベに、思わずツッコミを入れる賢悟。
「いや、だってそういう生物ですし? 元々、我々が産まれるように仕組んだ神だって『まぁ、滅びるならそこまでだよねー』とか言いそうな人格だったらしいですし」
「適当な神だな、おい。だから七英雄に討伐されたんじゃねーの?」
「一理ありますね。しかし、あるいはわざと討伐されたのかもしれませんね。己の権能で、世界の終点を見てしまったが故に」
シルベが苦笑すると、先ほどまで肉を貪っていたマホロが抗議の声を上げた。
「馬鹿を言うな! 超覇王である我が存在する限り、人類に敗北は無い! 我がいずれ支配する世界が、そんなに簡単に滅びるわけが無かろう!」
「まったくいつも通りの何の根拠も無い戯言ですね、我が主――ですが、流石です。その戯言には、クソ神の諦観よりも百理ありますよ」
「ダメだこいつ」
基本的にマホロの意見には毒舌を吐きつつ、笑顔で全肯定のシルベだった。
「なんですか? 文句ありますか? 私が神から与えられた人類への殺戮衝動に打ち克ったのは、我が主への忠義があったからこそですよ」
「いや、別に構わない……というか触れたくない話題だ、それは」
「本当に我が主がロリだったことに感謝してください。そうでなかったら、今頃、私に乗っ取られていてもおかしくないのですから」
「おい、マホロ。お前の従者の頭がおかしいぞ」
「それは仕様だ、諦めろ」
ため息と共に口をへの字に曲げるマホロ。
どうやら、ロリコンカミングアウトした毒舌執事に色々と手を焼いているらしい。
「―――それで、マクガフィンの正体はなんでしょうか?」
と、話が横道に逸れ掛けたのを戻すように、リリーが発言した。
「それこそが、魔王よりも賢悟様にとって重大な事でしょう?」
淡々と、切り込むように訊ねるリリーの言葉に、シルベは涼やかに頷く。
「然り、ですね。そこのメイドの言う通り、一番厄介なのがマクガフィンと言う存在です。ナナシという魔導ネットワークを作り上げ、貴方の魂を狙う宿敵、その正体とは」
すぅ、と笑みを消し、シルベは賢悟へと告げる。
「文字通りのマクガフィン。神が作り上げた、舞台装置。世界という物語を演出するための、代替可能な道化師ですよ」
悲しくも滑稽な、宿敵の存在理由を。
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マクガフィンとは?
何らかの物語を構成するために用意される仕掛けの一つ。
登場人物の動機づけや、物語を進めるために用いられて、登場人物たちにとっては重要な要素ではあるが、別の物に置き換えることも可能な物である。
つまり、物語を紡ぐ『神』とって、都合の良い存在というわけだ。何らかの物語を紡ぐ上で、このマクガフィンという仕掛けは非常に重宝され、愛用されている。
この仕掛けの名を冠せられた憐れな犠牲者が、一人、『マジック』には存在していた。
原初の神により産みだされたのか? あるいは、無数に存在する候補者たちの中から運悪く選ばれたのか? とにかく、『そいつ』はマクガフィンとしての役目を背負わされてしまうことになった。
そう、人類の敵対者としての要素を代替するために。
「彼、あるいは彼女は、我々のように、人類に対して絶対なる悪意を持つようにプログラムされています。もしくは、刻み付けられたのでしょうか? とにかく、マクガフィンは神の力の一部を扱い、なおかつそれを人類に対して悪意を持って扱う存在です」
「…………俺の敵が、まさかその名の通り、世界の仕掛けそのものだとはな。こりゃ驚きだ」
シルベの言葉に賢悟は肩を竦ませた。
一方、その話を、肉を焼きながら聞いていたルイスは、納得したとばかりに頷く。
「なるほどね。この王都の守護結界の機能を騙せるはずだよ。かつて存在した神様の力を持っているなら、流石に分が悪い」
マクガフィンが扱う幻想の霧。
それはあらゆる存在を騙し、装い、覆い隠してしまう神の権能である。
例え魔術に秀でた存在でも、霧を濃縮され、マクガフィンが本気で術中に嵌めようと思えば、逃れることは難しい。
だからこそ、それを打ち払った賢悟の拳の異常さが際立つのだ。
「でもな? 神様の力を持っているってんなら、俺程度あっさりと捕獲できるんじゃね?」
「いや、出来るはずだったんですが…………なんでできてないんでしょうね、あいつ。というか、貴方の拳は何ですか、あれ? なんで、権能の霧を殴り飛ばせたんですか?」
「え、気合い?」
「凄いですね、気合いって」
恍けたような賢悟の答えに、シルベはため息を吐く。
冗談のような出来事だったが、実際に起こってしまったのだから仕方ない。王国に住まう英雄共と同類だと考えることにした。
「ともあれ、そんなマクガフィンは貴方の魂を使って神世の住人を解放。世界管理者が維持している大規模結界の破壊が目的です。少なくとも、王都に入ってやり取りをした中では、あいつはそう言っていましたよ」
「そこはそのまま、人類を神世の力で滅ぼすとかじゃないのか? なんでそんなわざわざ?」
「まぁ、理由の一つは人間同士の争いで人間自身が滅びろ、という悪意。けれど、大部分の理由を占めているのが、英雄の存在です」
英雄。
その言葉を聞いたマホロが目を輝かせて、説明を始める。
「うむ! 英雄とは文字通り、この魔導具が発達した現代においてもなお、一騎当千と呼ばれる超人たちだ! 我らが王国の『御三家』に、これからお前たちが向かう皇国では『十二神将』などという者たちも居る! 彼らは例え神世の住人相手だったとしても、決して引けを取らない強者なのだ!」
「えー、つまり力づくでやろうとすれば、物凄い抵抗されて失敗するから、やらない?」
「でしょうね。なにせ、あいつほど英雄の恐ろしさを知っている存在は中々いません」
かつて神が居た時代。
原初たる神であり、管理者と七英雄の戦い。その戦いの中には、当然の如く神によって創られたマクガフィンも参加していたらしい。
「私は何代目かの『影の魔王』なので、詳しい話は知らず、言い伝えを知っているだけなのですが、最終的には神が嵌め殺しされて、手も足も出ない連中だったとか……」
「なにそれ滾る」
「だよなぁ!」
「だよね! だよね!」
「その通りである!」
七英雄の逸話を聞き、はしゃぐ男子三人と幼女一人。
場所が焼肉屋だけに、その様子を傍から見れば完全に調子に乗った遊び人たちである。執事とメイド姿の二人が居るだけに、まともな精神性だと思われるのは難しいだろう。
「ちなみに、貴方もその英雄の素質があるわけですが、どう思われていますか、賢悟様?」
「んあ? そんな柄じゃねーしなぁ。ただの不良で、喧嘩屋だったし」
シルベの問いかけに、釈然としない答えを返す賢悟。
それもそのはず。何だかんだで『マジック』において大立ち回りを繰り広げている賢悟ではあるが、元は『サイエンス』の男子高校生。多少なりとも頭のおかしいレベルの武術家と戦ってきた過去はあるが、だからと言って英雄の素質があると言われても、だからどうした? という反応しかないのだ。
けれど、賢悟の周りの人間は違う。
「賢悟が英雄になったら、私も伝説になれるかな!? ほら、『支援支配』様みたいな!」
「馬鹿野郎。そこは、俺たち自身も英雄になってからの話だ。誰かのおまけで英雄になるなんざ、俺は御免だね」
ルイスとギィーナは賢悟に英雄の素質があることを疑わず、むしろ、自身もそうなりたいと望む会話をするほど。
それも仕方ないだろう。
なぜなら、彼ら二人は絶望的なまでな戦力差でも諦めず、巨人の魔王相手に殴り掛かった賢悟の姿を知っている。蛮勇とも呼べるその在り方を見てしまえば、否が応でも認めざるを得ないのだから。
「まぁ、でしょうね」
「ふふふん! 我の見込みに間違いはない!」
それはシルベとマホロも同様だった。
実際に鎬を削ったシルベは当然の如く、マクガフィンの権能を打ち払う場面を見ていたマホロも認めている。
田井中賢悟は紛れも無く、英雄の器であると。
けれど、ただ一人。
「…………そんなこと、ありません」
消えてしまいそうなか細い声で、リリーが呟いた。
「賢悟様は、賢悟様です。ちょっと乱暴だけど、お人よしの馬鹿です」
その声は肉が焼ける音にかき消されてしまうほど、小さなものだったけれど。
「なんだ、分かっているじゃねーか」
肯定の言葉と共に、ぽんと背を叩かれた感触が、リリーの救いになった。
―――胸の中に、ちくりと残る罪悪感の針が疼き始める。
いつか来たる贖罪の時まで、その痛みが癒えることは無いだろう。




