第17話 手がかりと手合わせ
『マジック』には現在、大まかに分けて三つの国が存在する。
まず、世界最大の軍事力を誇る『王国』。賢悟の現在地はここだ。封建制に似た政治形態を持ち、王都に住まう王族、『ハーン』が強固な発言力を持つ。地方の領主たちのほとんどは、かつて覇王に付き従った仲間たちの末裔である。まぎれも無く、軍事力や国民の生活水準も含めて、三国の中で、一番国力が高い。
次に、『王国』から海を挟んで、ぽつぽつと点在する国々が統合されて作られた『共和国』。
政治形態は民主主義であり、国民の選挙によって選ばれた大統領が国家の代表として、国を回している。もっとも、ここ数百年の内に出来上がった新興国家なので、まだ色々と内戦の種が燻っていて、平和とは言い難い。地方によって生活水準は極端に格差があるが、中には、『王国』でさえ到達していない超技術で運用されている場所も存在するらしい。
最後に、世界の極東にぽつんと存在する小さな島国である『皇国』。
この国はかつて、世界が『神』と呼ばれる管理者に統治されていた時代から、現代まで続いている世界最古の国にして、唯一、『神』を信仰する国家である。なので、神を解体した七英雄を生み出した王国とは、とにかく仲が悪い。何度も国家規模で殺し合いを続けてきたほど、仲が悪い。三国の中で一番小さい国であるが、『神』の恩恵を受けているのか、一部の魔物と共存しているという噂も存在し、一筋縄ではいかない国だ。
さて、そんな三国であるが、数百年前……共和国が建国された当時、色々な事件が重なって、世界大戦寸前にまで緊張が高まったことがある。原因は突き詰めればきりは無いが、『とある事件』がきっかけとなり、世界中に戦火が広がりそうになったのだ。
その時、「これはやばい」と思った超越者が四人、特殊な大魔術により『マジック』に大規模戦争禁止の概念制限を敷いた。
超越者四人はいずれも女性であり、各自が神族と類する魔術の使い手だったので、『魔女』という異名で呼ばれることになったのである。誰しも魔法を知り、魔術を扱う世界で、もっとも魔にふさわしいという異名で。
その後、世界の管理者のように彼女たちは、世界規模に関わる事件を解決し続け、やがて、互いに東西南北に別れて、世界の監視を続けた。
『東の魔女』とは、文字通り、世界の東部を担当する世界管理者の異名なのだ。
つまり、エリという邪悪な天才は、世界規模に関わる問題として、呪いを受けたのである。ただ、いかに世界管理者とはいえ、世界を超越して異世界に高跳びするとは、さすがに思っていなかったようだが。
●●●
賢悟とハルヨは、さすがに喫茶店でする話題でもない、ということで場所を移した。
「ホラ、ここなら周りに心配されることなく、お話できますネー」
「…………なぁ、先輩よぉ」
「何カナ? 可愛い後輩」
ふかふかベッドに、豪勢なシャワー付きの個室。
おまけに、映像投影魔導具によって番組も見られる。
フロントに注文すれば、飲み物や食べ物だって用意できる便利施設。
ただ、問題があるとすれば、やけに大人の風船やそれ関係の道具が部屋の中や、部屋の外の自動販売魔導具によって供給されているところか。
「ここまで入ってからツッコミも無粋かもしれんが、ここ――ラブホテルじゃねーか」
「その通り! つまり、防音性能が優れた場所だヨ!」
「ああくそ、もっともらしい理由を出しやがって!」
ぼすん、と荒々しく座っているベッドを殴りつける賢悟。ただし、拳はふかふかのベッドに吸収され、ぼふんと、弾き返されただけだが。
「やれやれ、カルシウムが足りてないのでハ? ミーのおっぱい飲みますカー?」
「出るのかよ、エルフ!?」
「やだなぁ、子供を孕んでるわけじゃあるまいシ、出ませんヨー」
「噛み千切るぞ、テメェ!」
「オー! 異世界の殿方のプレイは過激ネー!」
「うるせぇ! つーか、俺が異世界人だってどこで知った!?」
「心を無断で覗きましタァ♪」
「最低だ、この巨乳エルフ!? つーか、それは出来るのかよ!」
額に血管が浮き出るほど怒る賢悟を、独特の調子でハルヨはからかい続ける。ここが防音設備の整った部屋でなければ、間違いなく隣からクレームが来るほど、騒々しいやり取りだった。
「ぜぇ、ぜぇ……なぁ、先輩?」
「何ですか、ケンゴ」
「俺をからかって楽しいか? ああん?」
「ええ、とってモ! 抱きしめてあげたいぐらいデス!」
結局、ハルヨ相手にまともに相手をしていては精神がもたないと判断した賢悟が、色々と寛容になることで、そのやり取りは決着したらしい。
「で、ケンゴで楽しんだところで、本題に移りまショウ」
へらり、とした笑みを張り付けたまま、ハルヨの声のトーンが変わる。さっきまでのからかい交じりのそれでは無く、凛と張りの感じられるはきはきとしたトーンに。
「ミーは『東の魔女』の居場所を知っていマス。いえ、正確に言えば、『東の魔女』と連絡を取ることが出来るのデスヨ」
「…………王族でさえその行方を掴むことは難しい、神出鬼没な存在とか?」
「イエース」
本当かよ、という疑いの視線を向けるケンゴに対して、ハルヨは含みを込めた笑みを浮かべて答えた。
「では、証拠をお見せいたしまショウ!」
そして、胸の谷間かから――どういう理屈は不明だが――『サイエンス』世界の携帯電話に酷似した魔導具を取り出して、番号をプッシュする。PRRRという、呼び出し音が数回鳴った後、女性の声が魔導具から聞こえた。
『はい、こちら東方に居る魔女……って、この番号はあのクソエルフじゃんか!』
「ハロー、お久しぶりデスネー。今日も貧乳デスカー?」
『今、電話越しでもお前を殺せる呪いを高速で作るから、待ってろや』
「お断りデース! あ、ちなみにこれは何となく電話しただけデスヨ」
『死ね――いや、殺す!』
「バイバイ」
ぶつん、と一方的に通話を切った後、ハルヨは賢悟へ問いかける。
「今の声、聞き覚えあるでショウ?」
「…………」
無言でハルヨを睨みつけ、賢悟は静かに戦闘態勢へと心を切り替えた。その上で、切り込むように問い返す。
「何が目的だ?」
電話から聞こえて来た声……それは、魔導具越しだとしても、はっきりと記憶に残っていた『東の魔女』の物と一致していた。加えて、それ以上に、胸に咲く呪いの文様が疼いたのだ。じくりと、膿むように鈍い痛みを帯びたのである。
呪いを受けたエリの体全てが、あの声が『東の魔女』だと断言していた。
「やだなぁ、優しい先輩が、可愛そうな後輩へ手助けしてあげタ――そんな風に思えませんカ?」
「そんな顔をしている奴が、ただの親切で動くのか?」
「おっと――失礼しまシタ」
悪びれもせずに、ハルヨは口元を手で覆う。
だが、目元がにやけるのは、直そうともしない。わかっていて、ケンゴを試しているのだ。
「そもそも、アンタは何者だ? さっきのやり取り、まるでアレは――」
「古い戦友デスからネー、彼女とは。そう、古い、古い、ネ?」
「なるほど、答えるつもりは無いってわけか。ただ、自分が『尋常』でないことぐらいは、察しろ、と?」
睨むような視線から、賢挑むような視線に切り替わった。賢悟がハルヨに対して、敵意よりも先に、もっと強大な畏れを感じ取ったからだ。実力の彼我は理解していたつもりだったが、どうやら、もう二段ぐらい見通しが甘かったらしい。
「アァ――やはり、いい。ユーは素敵デスヨ、ケンゴ……今の世界に、それほど敏感にミーを感じてくれる存在がどれだけいることやラ。アハハ、これは、暇つぶしにキャラを作って、学園で遊んでいた甲斐がありましタ」
もはや、ハルヨは纏う覇気を隠そうともしない。
存在するだけで、他者を踏みつぶし蹂躙する圧倒的な存在感。それは賢悟が最近味わった、巨人の魔王と類似しているが――規模が違う。
そう、恐ろしいことに、あの魔王よりも、支援を受けた賢悟が全力で殺し合った魔王よりも、目の前の存在は、数段上の覇気を纏っているのだ。しかも、まだ、本気では無い。ただの、お遊びの段階で。
「もう一度問うぜ――アンタの目的は何だ? ハルヨ・スタンフィールド」
「無論、ただの暇つぶし、デスヨ? 田井中賢悟君」
ぺろりと蠱惑的に、真っ赤な舌で唇を舐めるハルヨ。
唇は三日月に歪められ、お道化た仮面が崩れ始めていた。仮面が崩れた後、覗かせた素顔からは、賢悟の肝すら冷やすほどの、悍ましい情欲が鎌首をもたげている。
「ミーと賭けをしませんカ? ケンゴ。ミーが賭けるのは『東の魔女』への紹介と、そこまでの安全にミーがケンゴを送るという保証デス。ミーなら、間違いなくナナシの屑どもを振り切って、安全に『東の魔女』の元まで連れて行ってあげマス」
「それで、俺が賭けるのは?」
「ミーから『東の魔女』の場所を訊く権利。後は、そうダネ――」
ハルヨのおぞましいほどのそれは、蛇の如くとぐろを巻いて、賢悟の体に絡みつく。
「田井中賢悟君、ユーの人生だ」
聖者すら堕落させる蠱惑的な声で、賢悟の魂を誘惑する。
「ただ、一撃でもいい。ミーと手合わせして、一撃でもミーに与えられたら、ミーの負け。駆けはケンゴの勝利。けれど、一撃もミーに与えられたなかったら、ミーの愛人になって一生を尽くしておくレ。アァ――もちろん、勝っても負けても、ミーのツテでその呪いを解いて上げヨウ! 元の体に戻れるかどうかは、別だがネ」
命と人生。
それと、賢悟のプライドを天秤にかける悪魔の誘惑だ。
たった一撃でも入れられれば、何もかも総取りできるという、圧倒的に有利な条件。しかも、賢悟は一撃入れるだけならば、『殴る』だけならば、まさに賢悟の得意分野だ。相手がどれだけ格上だろうが、賢悟自身も一撃だけなら入れられる自信もある。もちろん、今まで修練を積み重ねて来たという、誇りも。
しかも、どちらの結果になろうが『命』だけは補償されるのだ。このような悪魔の誘い、寿命が日々削られていく賢悟に断れるわけがない。
「や、それは断る」
「あっれー?」
そう確信していたハルヨだったが、思いのほかあっさりと断られた。
なんと、一秒にも満たない即答だったという。
●●●
結局、条件を擦り合わせた結果、賢悟が一撃でもハルヨにダメージを与えられたら、ハルヨは賢悟を行きだけ『東の魔女』の居る場所まで連れて行き、現地解散。『東の魔女』との交渉などは、賢悟本人がやること。また、帰りは己の力で帰還しなければならないので、学園からきちんと学外研修の許可を取らなければならない。逆に、賢悟が一撃も入れられずに敗北を認めたのなら、ハルヨは賢悟のファーストキスを堪能することが出来る。ただし、この場合、『東の魔女』の居場所は賭けの対象として外される。
「マァ――ケンゴの初めてを堪能できるのなら、これでも我慢しまス」
「ほざいていろ……そのにやけた面に一発叩き込んでやるぜ」
賢悟とハルヨが手合わせ場所に選んだのが、学園の決闘場だ。
ただし、セーフティが解除され、魔法によるダメージが幻として転化されることは無い。これは、賢悟が己の有利過ぎる条件を緩和させるために提案したことだ。ハルヨは別に、セーフティがあろうが、無かろうが関係ないと主張したのだが、賢悟のプライドがそれを許さなかったらしい。
「一応訊いておくぜ、先輩。『一撃』が入ったという定義は?」
「ハハハ、拳が少しでもかすれば敗北を認めてあげまショウ。ご安心ヲ」
道化のように大仰に肩を竦め、舌を出して見せるハルヨ。
「…………そうかよ」
賢悟はハルヨのふざけた態度に、静かな闘志を燃え上がらせて応じた。
右拳を胸の上で構え、左腕は軽く引く。
攻撃を躱す構えでは無く、何に置いても相手に一撃を喰らわせることを第一とした、諸刃の如き構えだ。
どうやら賢悟は、防御を捨てて、最初から勝負を決めるつもりらしい。
「ほほう?」
対して、ハルヨはろくな構えも取っていない。
ただ、面白げに賢悟の表情を覗き込むように観察しているだけだ。ただ、それだけだというのに、纏う覇気は一切薄れない。
「…………っ」
思わず、賢悟は息を飲む。
足を踏み出すのを、拳を振り抜くのを躊躇ってしまう。
相手はずぶの素人のように隙だらけだというのに、まるで、自分の拳が当たるイメージが湧いてこないのだ。さながら、生まれながらにして盲目な者が、色という概念を思い描くことが出来ないように。
「どうしましタ? 怖いのデスカ?」
「――――るせぇ!」
幸か不幸か、ハルヨの挑発により賢悟は蛮勇を奮い立たせることが出来た。
しぃ、という鋭い呼気と共に、賢悟の右腕が振るわれる。殴るという行動を極限にまで効率化した動きが、距離さえ超えて、ハルヨの元へ打撃と届ける――――
「脈動闊歩」
だが、その打撃は虚しく空を切る。
手ごたえを得る前に、ハルヨの姿が虚空へと掻き消えたのだ。
「天地崩壊」
賢悟がハルヨの居場所を察知したのは、既に己の身が空に投げ飛ばされた後。ぐるぐると、天地が回転して混ざり合う視界の刹那、ハルヨが不敵な笑みを浮かべた姿が。
「打破ぁ!」
ハルヨの拳が、回転する賢悟の体の中心、胸部を打ち抜く。
足から大地の力を得て、そのまま拳から対象へ流す打撃は、賢悟の体を易々と吹き飛ばした。
「がぁっ!?」
賢悟の体は、決闘場の壁に叩き付けられて、ようやく地面に落ちる。決して、狭くない決闘場の約半分の長さを飛ばされ、なお有り余る衝撃をその身に受けたのだ。いくら鍛えていたとしても、元が貧弱なエリの体ではすぐに復帰することは出来ない。胸部に受けた打撃が、体中の気力を全て弾き飛ばしてしまったかのようだった。
「はい、これでミーの勝利デス」
そして、賢悟がもがいている間に、ハルヨの拳が眼前に突き付けられた。やろうと思えば、美しいその顔を粉々に吹き飛ばすことも出来るだろう。
「ああ、俺の負けだ。くそが、強すぎるぞ、アンタ」
「むふふふー、ケンゴも中々いい筋してますネ! 後、百年ほど鍛えれば、ミーとまともに戦えるようになるかもしれまセン」
「そうか、そういや、エルフは長命種だったか…………魔術も使われず負けたとなると、やっぱり俺の修業不足だよなぁ、ちくしょうが」
以前も賢悟はハルヨに挑んで、完全に敗北したことがある。ただ、その時は『遠当て』が数回は当たったような気がしたが、どうやら、あの時は手加減していたようだった。なにせ、今度は完全敗北どころでは無く、足元にすら及ばなかったのだから。
「一応訊くが、先輩。魔術も得意なんだよな、アンタ」
「イエース。少なくとも、ユーの親愛なる友人のレベッカ嬢よりハ」
「…………万能かよ」
「イイエ、ただの年の功デス」
にやにやと、優越感たっぷりの笑みを浮かべたまま、ハルヨは賢悟の体を抱き上げて、己の胸元に抱き留める。抵抗できないのをいいことに、むにゅうと、自慢の巨乳を賢悟の顔に押し付けて、堂々とセクハラ――もとい、サービスを。
「とても頑張って鍛えれば、いずれケンゴもたどり着ける領域デスヨ?」
「そうかよ、んじゃ、頑張ろうかね、先輩」
「頑張るデスヨー、ケンゴ。ユーはもっと、もっと強くなれますカラ……」
さて、とハルヨは年長者としてのアドバイスも終えたことなので、さっくり気持ちを切り替える。武の先人としてではなく、賭けの勝利者として美酒を味わうのだ。
「デハデハ、キスのお時間デース!」
「…………なぁ、先輩。俺も男だ。今更グダグダ言うつもりは無いが、これだけは言わせてくれよ」
「ほう、何でショウ」
既に舌なめずりをして、準備万端なハルヨへ、賢悟は真顔で告げる。
「ファーストキスでディープとか、フレンチだけは勘弁――」
「聞き入れまセン」
情け容赦は欠片も無く、ハルヨは容赦なく舌から入れにいった。
むにゅうと、それはもう、ハルヨの舌は独立した生物の如く、賢悟の口内を蹂躙し、味わうように堪能していく。
「んー! んぅ! んんー!」
じゅるじゅると、艶やかで淫靡な水音が、決闘場に響いていた。
後、賢悟の悲鳴。
戦闘系だったらどれだけ殴られても悲鳴一つ上げない賢悟だったが、さすがに恋愛経験ゼロの上に、その手の経験もゼロな賢悟には耐性が無かったようだ。
「んー! んんー!」
粘膜を侵される感覚に身悶えしながら、『いい加減にしろや!』と都合三十秒以上キスを続けているハルヨに抗議する。うっすら目に涙が浮かんでいるのは、気のせいでは無い。
「んふー♪」
しかし、賢悟の抗議などまったく聞き入れることなく、蹂躙を続けるハルヨ。口を完全に離すまでが、一回のキスなんだという主張である。暴論極まりないが、敗者であり、さりげなく逃げられないように体をがっちりホールドされている賢悟には成す術はない。
「ん……んんぅー!?」
五分四十六秒。
それが、賢悟のファーストキスの継続時間となった。
「うへへへぇー、やっぱり初物は素晴らしいデス! それが、TSした美少女男子となれば、まさに極上!」
「……殺してやる……いつか絶対殺してやる……」
「アハハハ! 敗者の負け惜しみほど気分の良い言葉はありませんネー!」
ハルヨと賢悟は、お互い涎に塗れた口元を拭いながら会話を交わしている。
主にハルヨが恍惚とした表情でキスの感想を良い、賢悟が死んだ目で恨み言を呟いているだけだが。
「つーかよ、賭けが終わった今更だから訊くけどよ、先輩。先輩の容姿なら、男なんざ選び放題だろ? なんで、俺なんかの体を狙ってたんだよ。しかも、最初は一生を愛人として尽くせ、とか。マジで気持ち悪かったんだが」
「オー! こんな美少女に好かれて気持ち悪いとは! もしかしてケンゴはそっちデスカ?」
「例え女の体になったとしても、それはない」
そこだけはきっちりと断言していく賢悟だった。
どれだけ女の体になって時が流れようと、賢悟自身によって譲れない一線らしい。
「ただ、理由の分からない好意っつーか、アンタの情欲がこっちに向いているのか、気持ち悪い。確かにこの体は美少女だが……アンタ、明らかに俺だから狙っていた、って感じだったし」
「…………なるほど。恋愛下手のようで、見るところは見ているのデスネ」
目を細め、何かを懐かしむようにハルヨは賢悟へ告げる。
「特別な理由などありまセン。ただ、そうデスネ……田井中賢悟君」
ほんの数秒だけ、胡散臭い口調と道化の仮面を剥がして、言った。
「君が私の好みなだけだよ」
「…………そうかよ」
賢悟は少し躊躇った後、吐き捨てるように呟く。
「どうせなら、そっちの顔でキスしてほしかったぜ」
「アハハ、女の本音は隠しておくものデス!」
「それもそうだ」
賢悟は負けた、負けたと大の字に転がり、決闘場の天井を見上げた。
「まったく、強くなりてぇなぁ」
「強くなればいいデスよ、ケンゴ。いつか、神様を殴れるくらいに、ネ」
自分にも聞こえないほど小さく呟かれたそれは、ハルヨに拾われて返される。奇しくもそれは、かつて祖父の言葉と同じであった。




