九十一、球体
「――どうだ、坊。なかなかいい家だろう?」
荷物みたいに僕を抱えてひょいっと馬を下りた王子が、愛馬のたてがみを撫でつつ尋ねる。
僕も『凍てつく風』から逃れようと頑張った馬さんの背中をナデナデしつつ、素直にうなずいた。
「そうですね。王子の私邸っていうからには、もっと成金っぽいゴテゴテした家かと思ってました」
厩舎から伸びる小道の先、雑然と生い茂る木立に囲まれてひっそりと佇むのは、蔦の絡まる古めかしい洋館だ。
周囲に立ち並ぶ高級住宅とは違う、飾り気のないその館には、遠目にも心惹かれるものがある。
「お前はずいぶんと正直なヤツだな。一応俺は『お偉いさん』なんだし、もう少し言い方ってものを考えたらどうだ?」
「では言い直します。王子の派手な言動にそぐわない、とても素敵な家ですね」
「……そうか、お前の俺に対する評価はそんなもんか」
「一応褒めてるんですよ。こんな家なら僕も暮らしたいです」
将来アリスと暮らす新居をイメージしつつ、僕はその館を観察した。
レンガ色の屋根に、どっしりとした分厚い石壁。無機質なその壁を彩るモスグリーンの蔦。敷地全体を包む冷涼な空気。
一見すると、貴族に捨てられ長い間放置されてきた避暑地の別荘――悪く言えば『肝試しに最適なオカルトスポット』という雰囲気を醸し出しているけれど、よく見ると隅々まで手入れが行き届いていることが分かる。
場所的には、西エリアのやや中央寄り。
政を行う役所や神殿にも、またクロさんの隠れ家である高級娼館にもほど近い。整備された公道へも出やすく、館の周囲に細い道がクモの巣のように張り巡らされているのも面白い。
「この家って、もともと王族の暮らす“隠れ家”だったんですかね?」
何の気なしにそう尋ねると、王子がぴくんと眉を動かした。
そのしぐさだけで、僕は『当たり』だと察する。
「……なぜそう思う?」
「地下ですよ」
トン、とスニーカーの先で地面を叩いてみる。
普通の道を踏んだときとは明らかに違う、音と感触。重量のある馬が踏めばもっと分かりやすい。
「何本も隠し通路があるし、かなり広い地下室もありそうですね。神殿の地下牢には繋げないような罪人を入れておくのか、もしくは単純に偉い人が身を隠すための部屋なのかは分かりませんけど」
「……悪いがその話は他言無用で頼む。俺の部下にもだ。爺以外は館の中に入ったことがないからな」
深いため息を吐き、頭痛を堪えるかのようにこめかみへ手を当てる王子。ため息混じりに「この魔術技師め」という声が聞こえた気がするけれど、まあスルーしておこう。
◆
「――じゃあ、お前らはここで待機しててくれ。鳩が来たときに限り扉を叩くように。あと周囲の警戒は怠るなよ」
大事な荷袋を受け取り、白馬が厩舎へ連れて行かれるのを見送った後、僕はドナドナ状態で薄暗い小道を進み、館の門をくぐった。
やたらと威圧感のある、分厚い一枚板の扉を開けると――中は別世界だった。
クロさんのいる高級娼館もすごいと思ったけれど、この家は格が違う。
視界のどこを切り取っても、芸術的な絵画のように映るほど洗練されたロビー。天窓から降り注ぐ光が、艶のある大理石の床に反射し、壁際の調度品をより美しく演出する。等間隔でぶらさがるシャンデリアは、高級感というより温かみを感じさせるデザインで、“成金臭さ”をさりげなくマスキングする。
「スゴイ……」
意図せず漏らした感嘆のため息に、王子がしてやったりという笑みを浮かべる。
悔しいからポーカーフェイスを作りたいのに、顔の筋肉が動かない。圧倒されすぎて頭がくらくらしてくる。
はたしてこのまま土足で上がっていいものか、と逡巡する僕を尻目に、王子は塵ひとつない廊下をスタスタと歩き出す。
鎖に引っ張られた僕は、再びドナドナ……。
「ん?」
うつむいた視界の中に、なにやら不思議なものが映った。
自由になる左手でゴシゴシと目を擦り、颯爽と歩く王子の足元をガン見する。純白のジャケットとマッチする、革製のロングブーツを。
その踵が汚れているのは、僕も王子も同じだ。
王子のブーツと違って、僕のスニーカーは今までに何万匹もの魔物をぐちゃっと踏み潰してきた……という点はさておき、土がこびりついているのは同じ。
なのに、ピカピカに磨き上げられた象牙色の床の上に足跡がつかない。
というより、土が落ちた瞬間、キラキラ輝く光になって消えていく……?
「あのー、ちょっとお訊きしたいことが……」
「何だ?」
「この家ってすごく綺麗ですけど、誰が掃除されてるんです?」
「住み込みのメイドが一人いる。彼女は優秀な魔術師だ。料理も美味いぞ」
前を向いたまま、気のないそぶりで答える王子。僕はもう一つの疑問を口にしてみる。
「あと、この家って結界が張ってなかった気がするんですが……」
「あの扉を開けるのはコツがいるらしい。俺自身は気にしたことはないが爺は毎回苦労している。力任せでも開かないから結界を張る必要はない」
「なるほど……“魔法の家”ってわけですね」
「やはりお前も気づいたか、この館の秘密に」
興が乗ってきたのか、こっちへチラッと流し目を送ってくる王子。
涼やかなアイスブルーの瞳が、悪戯を思いついた悪ガキみたいにキラリと光る。
「実は、この館には“本物の主”がいるんだ。今から一千年の昔、無実の罪で捕えられた哀れな王子がな」
「えっと……それって、王子のご先祖様ってことですか?」
「歴史書が改ざんされていなければそうなるな。彼はこの館に幽閉され、狂った末に自死したと言われている。それ以降ここは“呪いの館”と呼ばれるようになった」
「呪いの館……」
「この話は嘘じゃないぞ。不思議なことに、どれほど長い時を経ようともこの館はまったく古びない。そして館の主の意に反する人物は容赦なく弾き出される。そもそも悪意のある者は、道に迷って館を目にすることさえできない。邪竜の炎ですら弾くんだから、そうとうなモンだろ?」
「それはスゴイですねぇ。無実の罪で追われている人を匿うには最高の隠れ家です」
さっきよりも深い感嘆の息を漏らしながら、僕はこの館に感じていた畏怖の理由を悟った。
罪人の街の石碑と同じように、この館には『精霊』が憑いている。千年前に亡くなった不遇の王子は、付喪神となって館を守り続けているんだ。
つまり僕は今、神様の体内に入り込んでいる……そんなのビビらないわけがない。
でも、それ以上に安心する。僕自身も主様に守られていると感じる。
「……なんだ、怖がらないのか」
チッと舌打ちする王子。僕が「いやだなー、こわいなー」と棒読みしたところで、廊下の突き当たりに到着。王子は苛立たしげに壁のタペストリーを蹴り、隠し扉を出現させる。
その先に現れたのは、地下へ進む階段だった。
耳を澄ませなくても、階下からニンゲンの息遣いが聞こえてくる。
今にも消えてしまいそうな弱弱しい呼吸音が一つ。その傍らで大きなため息を吐く気配が一つ。
そして、こっちへ向かってくる乱雑な足音が一つ……。
「……それにしても、館の主様はよくあの人を受け入れてくれましたね」
「ああ、たぶん新しいシャンデリアが気に入ったんだろうな」
僕と王子が顔を見合わせる中、その人物は馬並みのスピードでドドドドッと石段を駆け上り、最後は踊り場から十段抜かしの大ジャンプ!
「ユウくーーーーんッ!」
「――うわっ!」
「うおっ?」
餌を待ちきれない犬みたいに飛びついてきたのは、僕の大好きな“巨乳のお姉さん”ことアクセ屋のお姉さん。名前はローズさん。
僕は彼女をしっかり受け止めようとした……はずが、あっさり床へ倒されてしまう。手錠が仇となり、王子までもが無様に倒れ伏す。
その理由は、僕の腕にボインとぶつかった、やわらかな感触のせいで……。
「あの……ローズさん、もしかして、ちょっと」
「言わないで! でもユウ君がいけないんだからね! すぐ来るって約束したのに、ちっとも遊びに来てくれないから!」
仰向けに倒れた僕の胸にぐりぐりとおでこを押し付けて『マーキング』する姿は、やはりどう考えても年上には思えない。というか、完全に幼女レベル。
ただし、アリスとは決定的に違うモノが……という邪念を振り払い、僕はローズさんの姿をしっかりチェック。
エキゾチックな雰囲気を醸し出すショートの黒髪は、耳につけたピアスを隠すくらいに伸びた。
長い睫と大きな瞳が涙に濡れて艶めいているけれど、それは単に興奮しているせいだろう。浅黒い肌はつやつやだし、呼吸も鼓動も安定している。メンタル面を除けば、ローズさんは健康そのものだ。
ホッとした僕が軽く微笑むと、その意図を誤解したのか、ローズさんはマシンガンみたいにガーッとまくしたてる。
「笑わないで! 自分でも分かってるのよ、どーせ『太った』って言いたいんでしょ! でもしょうがないの、ここに閉じこもってたらストレスが溜まって、唯一の楽しみが美味しいご飯だったんだから! 確かに胸は育ったわよ、もう“魔法の下着”が要らないくらいにね! だけどッ」
「お、落ち着いてください、ローズさん」
「落ち着け、アホ女」
イモムシみたいに転がったまま、僕と王子は口を揃えて説得する。それでもローズさんはマウントポジションを譲らず、ぶんぶんと首を横に振るばかり。
その動きに合わせて、薄手のチュニックに包まれた本物の胸が、ふるふると……。
……。
……。
……うん、悪くない。
僕は抵抗を諦め、ヨガでいう『死者』のポーズを取りながら、荒ぶる女神へ淡々と語りかけた。
「ローズさん、思い出してください。前から言ってるじゃないですか、僕は女性のことを見た目で判断したりしないって」
「ユウ君……」
「それに、女性は少しぽっちゃりしてるくらいがカワイイですよ?」
「今ぽっちゃりって言った! ぽっちゃりって!」
僕の失言を引き金に、完全な暴れ馬と化したローズさん。
その手綱を引っ張ってくれたのは、この館にいる中でもっとも乗馬に慣れている人物だった。
「――何をしとるかこのバカ娘が!」
突然鳴り響いた雷と、疾風のごとく階下から躍り出る純白のサーコート!
殺気を感じるや、瞬時に後方へ飛び退ったローズさんは、両腕を顔の前でクロス!
そこへ容赦なく振り下ろされる、老騎士の鉄拳!
クロスした腕をものともせず、ローズさんのつむじへガツン!
「うう、痛いよぉ……」
「大丈夫ですか、ユウ殿?」
頭を抱えてしゃがみ込むローズさんをスルーし、老騎士は寝転がる僕の元へ。
床に片膝をつき、スッと手を差し伸べて――持ち上げようとした僕の右手から煩わしい鎖が伸びているのを見つけるや「少々お待ちを」と呟き、すぐさま手刀で一刀両断!
……ヤバイ、このお爺さん、ちょー強い。
つーか、なんで人の手で鉄の鎖が砕けるんだ? これってもしや魔術……?
千切れた鎖の先を見つめながらぽーっと呆ける僕の前に、ラスボスである王子が立ちはだかった。
「おい、爺。それは坊が逃げないように保険として」
「――喝!」
ブォンッ!
老騎士の短い叫び声に合わせて、空気が震えた。
否、あきらかに強い熱風が吹きつけた。燃え盛る炎の精霊が――
「なにが保険ですか! お嬢様の命を救ってくださる方に不自由な思いをさせるなど、人としてあるまじき行為! たとえ女神が許そうとも、この爺が許しませぬ!」
あまりの剣幕に、王子は「爺には敵わん……」とあっさり白旗を上げる。
そして、無事救出された『お姫様』ポジションの僕は。
「さあユウ殿、行きましょう。下でお嬢様がお待ちです」
強烈な眼光を緩め、立派な口髭の下の唇を持ち上げて僕に微笑みかけてくる老騎士。いかつい顔立ちだからこそ、笑顔の破壊力は抜群。
……ヤバイ、このお爺さん、ちょーカッケー。
僕も年をとったらこういう人になりたい……。
と、不老不死かもしれない己の事情を忘れ、ほのかな憧れを抱きつつ老騎士の後をついていく。背後にはドナドナ状態になった王子とローズさんが。
四人パーティで階段を下りていくうちに、僕はまたもや奇妙な気配に気づいた。
それは静けさの中に波紋となって響く、かすかな水音。
まるで深い森の奥で泉が湧いているようなその音は、僕の耳にしか聴こえないくらい小さく、しかし見過ごせないほどの存在感を放っていた。
「あの、なんか水が流れてる音がしますけど……?」
戸惑いつつ尋ねると、王子が真っ先に反応した。僕を追い越し、老騎士の肩をグイッと掴んで。
「爺、今アイツは?」
「先ほどまで“殻”の中で眠っておりましたが、殿下とローズ殿が騒がれたおかげで目覚めてしまったのかもしれませんな。急ぎましょう」
その後は、パーティ全員が無言となった。
先頭に立った王子の案内で階段を駆け下り、迷路のごとき複雑な地下通路を抜けた先。
ランタンの灯りを必要とせず、自ら光を放つ不思議なその部屋へ足を踏み入れた刹那――
「……王子、いったいコレは何の魔術で……」
かすれ声でそう呟くのがせいいっぱいだった。
あまりにもファンタジックなその光景に心を奪われ、身体の自由をも奪われる。
がらんとした広い部屋の中央に、直径二メートルほどの球体が浮かんでいる。
あたかも遠い惑星のように煌めく球体――その中に詰まっているのは、透き通った青い水と、一人の美しい女性だった。




