九十、逮捕
「うう……痛い……」
楠の根本にボタッと落ちた僕は、ぶつけた足を撫でさすりながら涙目で“犯人”を見上げた。
強化しまくった足は無傷だけど、僕じゃなきゃポキッと折れていたところだ。軟らかい土の部分に落ちたのも不幸中の幸い。
「お、おい坊……大丈夫か?」
柄の部分にデカい宝石が埋め込まれた、煌びやかな宝剣を手にした王子が、おずおずと遠慮がちに尋ねる。自分のイタズラがやりすぎだったと自覚しているのか、いかにもバツが悪そうに眉を寄せながら。
そして、王子の身体をにゅるっとすり抜けて、必死の形相で飛び込んできた“エア彼女”は。
「待ってて、ユウ! 今すぐ癒しの光を……あら、出ないわ?」
掲げた手のひらを見やり、コクンと首を傾げるアリス。
どうやら『透明化』の状態だと癒しの術を使えないらしい。この時点ですでに光の精霊を働かせているから、術の重ねがけはできないってことか。
動揺したアリスが術を解いてしまったらマズイと、僕は慌てて立ち上がって。
「ご覧の通りピンピンしてますよ、僕こう見えてけっこう頑丈なんで!」
ビシッと言い放った刹那、その場にいた全員が目を丸くしてこっちを見やった。注目を浴びたついでに、僕はぴょんぴょんジャンプして健康体をアピール。
常識人な騎士様たちが、見上げるほど大きな楠と小柄な僕を見比べて「マジか」とか「化け物並だ」とか失礼なことを呟くのをサクッとスルーし、僕は何事もなかったかのようにニッコリと微笑んでみせた。
「それで、いったい僕に何の御用ですか?」
「いや、お前……本当に大丈夫なのか? 落ちたのがうちの爺なら、全身複雑骨折で昇天してるところだぞ?」
「たぶん打ち所が良かったというか、日頃の行いが良かったんでしょうね。これも女神様の思し召しです」
と、テキトーなことを答える間、僕の背後霊ポジションに収まったアリスはひそひそ声で。
「ねぇ、ユウのこと心配してくれるなんて、魔王は意外とイイヤツなの?」
「うん、意外とね」
「それなら良かったわ。もしユウを傷つけようとしたら、邪竜みたいに魂ごと消滅させてやろうかと思っていたの」
「すみません僕の言い方が悪かったです消滅させないでください」
「分かったわよ。それにしても、この魔王の顔はなんとなく見覚えがある気がするわね。私、神官じゃない普通の男の人と顔を合わせたことはないはずなのに。いったいどこで見たのかしら……」
怪訝そうに首をひねったアリスは、僕が止める間もなくふわりと飛んで王子の前へ。ヤンキー漫画の雑魚キャラみたいに、斜め下から王子の顔をガン見する。
しかし、今のアリスは完璧な透明人間。
彫像のごとき王子の美貌はまったく揺るがな……いや、かなり揺らいでいる。
その理由はというと。
「お前、やっぱり頭を打ったんじゃないか? さっきからまるで“誰か”と会話してるように見えるんだが……」
「あー……独り言は僕の癖なんで、気にしないでください」
「そうか、独り言か。それならいいんだが」
軽く引きつつも納得してくれた王子が、握りしめていた宝剣をくるんと回転させ、腰に差した煌びやかな鞘にシャキッと納める。
王子にまとわりついていたせいで、またもや一刀両断されたアリスは、ぷうっと頬を膨らませながら僕の元へ舞い戻って。
「ユウ、嘘をつくのはよくないわ。ここはハッキリと言うべきよ。私と“デート中”だから邪魔しないでって」
「あっ、ハイ……」
反射的にぺこりと頭を下げてしまった僕は、すでにいろいろ終わっていた。
僕が謝った相手は、客観的に見れば木の幹だった。
僕はアリスに「ちょっと離れてて」とお願いし、呆然とたたずむ常識人な王子たちに解説した。
「すみません、独り言と説明したのは嘘です。正確に言いますと、僕は“エア彼女”と会話してるんです」
「エア彼女……?」
「さらにハッキリ言うと、僕は今“エア彼女”とデート中なんで、邪魔しないでいただけるとありがたいです」
その瞬間、楠の太い枝がわさっと揺れるほどの強風が吹き抜け、何枚かの木の葉がハラリと舞い落ちた。これはきっと喜びの発露なんだろう。
僕の中の優先順位は、アリスがナンバーワン。僕自身のことは二の次だ。
だから、もういい。
ヘンタイと名高い王子から『真性のヘンタイ』と思われて、白馬の方へジリジリ後ずさりされても、僕は傷ついたりしないぞ!
……と、うつむいて奥歯を噛みしめながら屈辱に耐える僕の耳に、信じられない台詞が届いた。
「デートを邪魔するのは無粋だが、残念ながらお前は逮捕だ」
ガシャン。
気づけば僕の右手首には、銀の腕輪がはまっていた。
神殿が売りつけている魔力封じの腕輪と似ているようで違う、二つの腕輪が五十センチほどの鎖で繋がったモノ――つまり、手錠。
ふうっと気が遠くなりかけるのを堪え、僕はごつい腕輪がはまった手首をぷらぷらと揺らす。
「……ええと、罪状はなんでしょう?」
「公然わいせつ罪。裸のヘンタイが西地区へ逃げ込んだと通報があった。それはお前のことで間違いないな?」
「ぼ、僕じゃありません……」
「目撃者曰く、犯人はこの街では珍しい黒髪の男だったと」
「すみません、僕がやりました」
上空から『ユウは悪くないわ!』と共犯者の援護射撃が飛んでくるものの、残念ながらその声は僕にしか聞こえない。
まあ軽く手首を一ひねりすれば、こんな手錠ごときバキッと壊せるのは分かっているけれど、一応この街の権力者であり、クロさんの雇い主でもある王子に逆らうのは得策じゃない。
というか……クロさんを使いこなせる人物は、当然クロさん以上に“ハラグロ”なわけで。
「それで、僕をささいな罪で別件逮捕した理由はなんなんですか?」
ため息を吐きながら尋ねると、王子は何のためらいもなく、もう片方の輪を自分の手首にガチャリとはめて。
「今から司法取引をしよう。坊が俺の言うことに従ってくれれば、今回の件は無かったことにしてやる」
腰をかがめて僕と目線を合わせ、不敵な笑みを浮かべる王子。
そういえば、出会った直後もこんな感じだった。
あの日まざまざと見せつけられたのは、この世界に自分の思い通りにならないことなんて一つもないという、傲慢な王者の瞳。獲物をいたぶるライオンみたいな威圧感。
それに負けじと、僕はポーカーフェイスで切り返す。
「なるほど、王子の方こそ計画的犯行ってことですね。それで、僕が断るという選択肢は?」
「無いな」
「せめて明日以降じゃダメなんですか?」
「ダメだ」
ざわり、と楠の枝葉が揺れた。
至近距離でにらみ合う僕らの間を、冷たい風が吹き抜けていく。大巫女様の送って寄越したメッセンジャーの精霊よりも冷たい風は、アリスの心を映す鏡。
しかし、その風は王子が漏らした次の一言で、ピタリと止まる。
「今すぐお前に見てもらいたい“患者”がいるんだ。死にかけの重病人がな」
「……えっと、治癒術師じゃなくて、なぜ僕に?」
「そいつの病は普通じゃない。よって普通の治癒術師には治せない」
そのとき僕は、初めて王子の顔をまっすぐに見つめた。
鍛え上げられた五感が、王子の本音をキャッチする。飄々とした態度や、涼しげな眼差しの奥に、ジリジリと焦げ付くような焦燥を感じ取る。
吹き抜ける風の角度も変わる。強く優しく僕の背中を押してくれる。
「はぁ……分かりましたよ。できれば日が暮れるまでには解放してくださいね」
「了解。ただし治癒が終わるまでこの手枷はつけておく。お前はたまに嘘をつくからな」
手錠のはまっていない自由な左手で、僕の髪をくしゃりと撫でた王子は、顎の先で白馬の方を指し示した。
これから馬に乗って移動する……つまり王子とニケツしろってことなんだろう。
脳内にドナドナの曲が流れだす。悲しげな曲調に合わせて、僕はしょんぼりと歩く。
馬に乗るのは単純に楽しそうだけど、なぜヘンタイ王子にエスコートされて、お姫様みたいに“前抱っこ”で連れ去られなきゃいけないのか……こんなことなら女装でもしていた方がまだマシだ。
すっかり意気消沈した僕は、王子の命ずるがままのロボと化す。
白馬の鞍は想像していたよりも柔らかく乗り心地がよいものの、鐙は一人分しかないし、そもそも足の長さ的に届かない。よって王子の両腕で身体を支えてもらうしかない。
それでもささやかな抵抗とばかりに、僕は手錠で繋がった右手を手綱へ、自由な左手で鞍の縁を掴む。大事な荷袋は、誠実そうな騎士様の一人に預かってもらう。
そうして出発の準備が整ったとき、耳元に王子の美声が。
「なんなら“エア彼女”も一緒に連れていくか? こっちの邪魔をしないなら歓迎するぞ」
「えっ、いいんですか?」
「えっ、いいの?」
獲物を狙う水鳥のごとく、上空からビュンッと飛んできたアリスが、嬉々として僕の首にまとわりつく。その両手が王子の身体を貫いているのがちょっと気持ち悪い。
というか、アリスの『透明化術』は以前より進化している気がする。
前に二人で街を歩いたときは、なるべく人とぶつからないように避けていた気が……とぼんやり考える僕の耳に、王子のいやらしい含み笑いが落とされた。
「ただし修羅場になるのは勘弁だ。行き先は俺の私邸で、お前の大好きな“巨乳の姉さん”も待ってるからな」
ビキッ、と硬直する僕。
首に絡みついていた半透明の腕が、するりと解ける。
そして、七つの大罪における『憤怒』もしくは『嫉妬』の感情を覚えた天使が、射殺さんばかりのジト目で僕を見つめて。
「――ちょっとユウ、今の話って……」
「お気遣いはありがたいのですが今回は遠慮するように言っておきます! 彼女も本当は家に帰らなきゃいけなかったしちょうど良かったです! さあ出発しましょう!」
乗り込んだ白馬の尻尾をぶわんと揺さぶるような、激しい風に追い立てられながら、僕は冷や汗をだらだら流しつつその場を後にした。




