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リアリスフィア ~竜は孤高の花を望む~  作者: AQ(三田たたみ)


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八十九、魔王

 ――最後の試練。

 その単語でイメージするのは、石碑が見せてくれた光景だった。

 名もなき乙女を無人の街へ置き去りにするという、残酷な人柱の儀式……。

 だけど、もう『遷都』はないはずだ。

 以前隊長たちがそう言っていたし、そもそもこの街には、故郷を離れて逃げ延びてきた移民だってたくさんいる。

 たとえこの街が沈みゆく泥船であっても、逃げ場なんてどこにもないって分かってる。

 だからこそ皆は必死なんだ。隊長たちだけじゃなく、南のギルドマスターや、神殿の奴らでさえも。

 きっとこの気持ちは、王都へ逃げた貴族には分からない。

 そして、異邦人である僕にも……。

 木立の合間に整然と並ぶ、結界に護られた無人の豪邸を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていると。

「ユウ、待たせちゃってごめんなさい」

 全身に光の礫をまとわりつかせた、天使のごとき美少女が、空からふわりと降りてきた。

 僕は立ち上がり、両手を伸ばしてその身体を優しく受け止める。

 気づけば周囲を渦巻いていた不自然な冷気は消え、元の穏やかな空気が戻っていた。

「大巫女様との話は終わったの?」

「ええ、あまり詳しいことは聞けなかったけれど、もう精霊の力が持たないから……」

 よほど体力を消耗したのか、肩で息をしながら僕の胸へくたりともたれかかるアリス。どうやら精霊術による通信は、電話やメールほど気楽なものではないようだ。

 ひと仕事終えたアリスを親愛のハグでねぎらい、僕らは再び楠の根っこへ座り込む。

 そして、ちょっとドキドキしつつ『最後の試練』について尋ねてみると――

「さあ、何でしょうね?」

 ……と、あっさり返されてしまった。興味のカケラもないって感じで。

「でも、アリスは気にならないの? 『最後の試練』だなんて仰々しいこと言われて」

 僕がしつこく食い下がると、アリスはふっくらした頬に手を添え、一秒だけ考えるフリをして。

「そうねぇ。あまり気にならないわね」

「なんで?」

「さっきも言ったけど、私の方から大巫女様へ質問を返すことは許されていないのよ。それに、今までの“試練”もそれなりに厳しかったけれど、私は受け入れることができたしね。いずれにせよ、大巫女様のおっしゃることに間違いはないわ」

 心配無用とばかりに、ニッコリ微笑んでみせるアリス。その笑顔が、僕の目にはひどく危うく映る。

 アリスの洗脳は、解けそうで解けない。

 というか、今大巫女様と通話したことで、開きかけていた心の扉がピチッと閉ざされた感じだ。

 それを無理やりこじ開けることは、できなくもないけれど……今はまだその時じゃないってことなんだろう。これも『女神様の思し召し』だ。

「分かった。それで、大巫女様は他になんて?」

「それがね……この街へ着くまでの間、神殿の塔に籠っていなさいって」

「えっ、外出禁止令?」

「ええ、困ったわ。それが“試練”のために必要な条件だとしたら、私は今すぐ塔へ戻らなきゃ……」

 塔のある東の方角を振り仰ぎながら、唇をへの字に曲げて考え込むアリス。

 その姿を見て、僕は前言撤回。

 ピチッと閉ざされた扉を強引に開くべく、肺胞がはちきれんばかりに大きく息を吸って。

「ふはぁぁぁぁぁ……っ」

「ゆ、ユウっ?」

 突然の巨大ため息に驚いたアリスが、公園の鳩みたいにビクッと身体をすくませる。

 僕はしょんぼりと肩を落とし、今にも死にそうなほど弱弱しい声で呟く。

「その命令を守るとしたら、死の霧へ行くのも無理ってことだよね……アリスが邪竜を退治してくれるなら、この街の人たちも安心できると思ったんだけど……」

 チラッ。

 と、流し目を送ると、追い詰められたアリスがわたわたと手足をバタつかせて。

「違うの、私だってこんなことになるとは思わなかっ」

「それに、今日は僕と一日“デート”するはずだったのに……」

「ううっ」

「デート……」

「えっと、そうね、今日くらいは自由にしても大丈夫だと思うわ! ひとまず今日はのんびりして、どうするかは明日考えましょう!」

 と、問題先送りの術を唱え、額に浮かんだ冷や汗を法衣の袖口でぐいっと拭うアリス。さっきは本物の天使にしか見えなかったけれど、今はだいぶニンゲンっぽく見える。

 大巫女様には申し訳ないけど、やっぱりこっちのアリスの方がナチュラルで可愛いなぁ……。

 なんて呑気なことを考えてる場合じゃない!

「そうだ、アリス。大巫女様はもう王都を出たんだよね。僕がここから向かって、途中で合流することってできるかな?」

 本来の目的を思い出した僕が、胸のリングに手を触れながら尋ねると、アリスはふるふると首を横に振って。

「難しいと思うわ。私から口添えすることは可能だけれど、大巫女様がどちらにいらっしゃるか分からないと、精霊を飛ばすことができないのよ」

「ってことは、大巫女様が旅に出ている間は、連絡を取り合うことができないの?」

「大巫女様の方からは可能よ。私が聖都の神殿にいると分かっているから。ただ緊急の用事がない限り、精霊を飛ばすことはないとおっしゃっていたわ。それに、大巫女様が立ち寄られる小さな町の神殿では神気が不安定だから、会話らしい会話ができるかも分からないし……私もユウに協力してあげたいとは思うけれど」

「いや、こっちこそ無理言ってごめん。じゃあ大巫女様がこの街へ着いたら、すぐに紹介してもらえるかな」

「ええ、もちろん。……でも、ユウのことなんて説明すればいいのかしら? 大巫女様から、普通のひとには近づかないようにって厳しく言いつけられていたのに……でもユウは普通のひとじゃないし……」

「なんなら神官のフリでもしよっか?」

「ダメよ、大巫女様に嘘はつけないわ! ああ、いったい私はどうしたら……そうだ、この件も明日考えましょう、それがいいわ」

 本日二度目の『問題先送りの術』を発動し、ため息を吐きながら楠の幹に寄り掛かるアリス。精霊による体温調節が追い付かないのか、法衣の胸元をつまんでパタパタと動かす。

 今度アリスの服も作ってあげよう。もうちょっと露出度の高いヤツを……と若干ヤラシイことを考えつつ、僕は最後の質問を。

「それで、大巫女様がここへ来るまで、時間はどれくらいかかりそうだって?」

「寄り道せずにまっすぐ進めば、一月くらいかしら」

「となると、僕は一ヶ月足止めってわけか……これも女神様の思し召しなのかな。僕に『ちょっと休め』って言ってるのかなぁ……」

 張りつめていた糸がぷつんと切れると同時、疲労感が一気に増していく。軟体動物みたいにぐんにゃりする僕を見て、アリスはクスッと笑って。

「ユウ、さっきの約束、する?」

「約束って……あ」

 アリスが太もものあたりをポンと叩いた瞬間、僕の視界はピンク色に染まった。

 ――そうだ、メンドクサイ事は全部後回しだ!

 まずは一眠りして旅の疲れを癒しすべし!

 ご褒美を待ちきれない駄犬と化した僕が、アリスの膝枕という名の天国へ向かってダイブしかけたとき。

「……ん? なんだ、アレは」

 敏感すぎる強化耳がキャッチしたのは、不穏な物音だった。

『ドドドドド……』

 という重たげな地響きが、西の方角からまっすぐにこの場所へ向かってくる。

 たぶんアレは、馬の蹄の……。

「どうしたの、ユウ。眠らないの?」

「いや、そうしたいのはやまやまなんだけど……」

 わずらわしいノイズは一秒ごとに大きくなり、僕の危機感を煽りまくる。

 問題先送りの術で得られた、たった一日しかない貴重な休みを邪魔するアイツは――魔王だ。

「ごめんアリス。ちょっと姿隠して、木の上に上ってて。僕もすぐ行くから」

「えっ?」

「今からここに魔王が来るんだ。戦うのは得策じゃない、一緒に隠れよう。さあ早く!」

「分かったわ!」

 どっしりとそびえ立つ大楠に、手足をかけられるような小枝はない。僕は魔力を指先へ集中させながら、太い幹をロッククライマーみたいにガシガシとよじ登り、一番低い枝に腰かけた。

 そのまま静かに息を潜める。念のため透明化の魔術もかけておく。

 僕の脇にちょこんと座って、同じように息を詰める“エア彼女”なアリスの瞳は、あたかも『ロボごっこ』のときのようにキラキラ輝いている。

 実際かくれんぼでもしている感覚なんだろう。僕の方はちっとも楽しくないけれど。

 ――女神様、精霊様、お願いします、どうか悪い鬼から僕たちを守ってください!

 両手を組み合わせて祈る間にも、乱雑な足音は着実に近づき……ついには僕らの隠れる大楠の前へ到着。

 やってきたのは、七頭の馬に乗った逞しい騎士様だ。

 彼らをまとめるリーダー――金髪碧眼の美青年は、そのままドドドドッと通り過ぎようとする騎馬隊を「待て!」の一声で制止し、自身が乗る白馬のたてがみを撫でながらひょいっと地面へ降り立った。

 そして、なぜかこの大楠の幹へスタスタと近づいて。

「おい、坊。そこにいるんだろ?」

「……」

「返事しねーと、この木ごと切り倒すぞ」

「……い、いません」

「あっそ、いないのか。んじゃさっそく」

「ダメッ!」

 そう叫んだのは、誰よりも慈悲深い天使だった。

 水面下の魚を狙う水鳥のごとき素早さで、アリスは大剣を掲げる王子の真正面へ――

「アリスッ!」

「魔王よ、罪なき生命を傷つけるのはやめなさい!」

 ――スカッ!

 何の躊躇もなく振り下ろされた鋭い刃は、幹の一センチ手前でぴたりと止まった。最初からこの木を傷つけるつもりなどなかったと、王子のイヤラシイ笑みが語る。

 そして、刃渡り一メートル以上の大剣の前へ、迷わず立ちはだかったアリスは。

「……あら、切られたのにちっとも痛くないわ」

 胴を横なぎに真っ二つにされながら、血を流すこともなくふわふわと所在なさげに飛んでいた。

 どうやら“エア彼女”に物理攻撃は一切通じないらしい。

 だけど、そのシーンを目撃してしまった僕のダメージはデカかった。僕は完熟した木の実みたいに、ボタッと地面へ落ちた。

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