七十三、休憩
「いったい僕はどうすればいいんだろう……?」
辻馬車が頻繁に行き来する、聖都オリエンスの中央街道。
やりきれない思いを抱えたまま、僕は整備されたその道を駆け抜ける。明るい太陽の下、ローブのフードすら被らずに。
誰かにこの姿を見られたとしても構わないと思った。普通のニンゲンの目にはどうせ残像としか映らない。
僕はたくさんの人たちとすれ違い、黒い“つむじ風”の記憶を植えつけながら、ひたすらに北へと向かう。
……南のギルドマスターの悪行は、広い世界の中にぽたりと落とされた一点の染みのようなものだ。
それほど小さな罪を――誰かの命が奪われることもなく終わった、生温い暴力を見せつけられただけで、やわな心はぐらりと揺れてしまう。
鞭打たれるノエルを見たときにも感じた、独善的な正義感に突き動かされそうになる。
暴力に暴力を返すのはたやすい。でも所詮それは自己満足だ。『復讐代行』なんて言えばカッコイイけれど、そんなことをしても傷ついた人が喜ぶわけじゃない。
なにより、単なる通りすがりの異邦人でしかない僕には、誰かを裁く権利なんてない。
だけど、罪のない人が苦しむ姿はもう見たくない……。
「――とにかく、今の僕にできることを全てやろう」
残酷な終焉へと向かうこの街で、新たな被害者を一人でも減らせるよう先回りして手を打つ。僕の手から零れ落ちてしまう人がいるとしても、できる限りを抱え込む。
そのための“力”を望むことくらいなら、女神様もきっと許してくれるはず……。
◆
「おお、坊主! 悪いがちょっと手伝ってくれ! 猫の手も借りたいんだ!」
固い決意とともに飛び込んだ、北ギルド。
真っ先に僕を出迎えてくれたのは、今にもヨダレが垂れそうなほどに口元を緩めた『北の悪魔』ことギルマス氏だった。
「え、えっと、この状況って……」
「死の霧から魔石が採れたんだよ! まだこいつがほんの一部だってんだから、たまげたもんだ!」
本物のネムス人であるクロさんをして、『握手した相手を妊娠させられるほどの性豪』と言わしめたその手は、現在つやつやした赤い宝石を握りしめている。当然その表情もつやつやだ。
昼時の北ギルドといえば、いつもなら閑散としているはずが、今日ばかりは事情が違った。
この光景はまさしく――ゴールドラッシュ。
広いロビーを埋め尽くすのは、うず高く積みあげられた赤い宝石の山。受付窓口は全て閉ざされ、従業員総出でそれをせっせと木箱へ移している。
仕分けの先頭に立つのがギルマス氏なら、最後尾で指揮を執るのが“影のギルドマスター”こと受付嬢のお姉さん。
長い赤髪をポニーテールに結わえ、ひときわ大きな木箱の上で仁王立ちしたお姉さんは、軍師もかくやという貫禄だった。
「一粒一粒の鑑定をする必要はないわ! 石ころが混じっていても構わないから、どんどん箱に詰めて倉庫へ運びなさい!」
その作業には“Fランク”の冒険者も加わっているようだが、お姉さんがギラリと目を光らせているため、魔石をちょろまかして自分のポケットへ入れようなんて不届き者は現れない。
というより、皆は初めて目にするお宝の山に困惑を隠せないようだ。
もし僕が向こうの世界で、床に溢れた大量の札束をアタッシュケースに詰めまくるというアルバイトをさせられたら、たぶん同じ気持ちになっただろう。
陰鬱な空気に包まれる南とのギャップに戸惑いつつも、僕はギルマス氏の隣にしゃがみ込んだ。
この場所はそこらの町工場以上に騒がしいし、特に周囲を気にする必要はない。一応“猫の手”として足元の魔石を木箱へ放り込みながら、なるべく低い声色で話しかける。
「ギルマスさん、ちょっと報告したいことが……」
「いやー、これも女神様のご加護ってヤツなんだろうなぁ。ぶっちゃけ女神様なんて爪の先ほども信じちゃいなかったが、考えを改めなきゃなんねぇな!」
「あの、実は僕さっき南に行ってきて……」
「そうだ、南だよ! とにかくこれで南ギルドのアホどもに頭下げる必要はなくなったってこった。これからボロい城壁やら物見の塔やらガンガン改築して、南ギルドと神殿のヤツらに『ねぇ今どんな気持ち?』って言いながらお尻ペンペンしてやるぜ!」
ガハハッと高笑いするギルマス氏。ぎょろっとした目玉は邪な欲望まみれというか、完全に『$』のマークになっている。
僕は「落ち着いたらミーティングをお願いします」と十回くらい告げた後、さりげなく場所を移動。
後方のお姉さん……はあまりに忙しそうだからスルー。
よく見ると、仁王立ちしたお姉さんの足元で木箱を組み立てているちみっこい生き物はノエルだった。生まれて初めて釘とトンカチを手にしたのか、やたらと真剣な顔をしているからこちらもスルー。
隊長とマルコさんの姿は見えない。まだ魔石の発掘現場にいるんだろう。
この様子だと、そこは北ギルド以上の混乱状態に違いない……今朝はマルコさんに全てを押し付けてしまったし、そこへひょっこり顔を出したらヤブヘビというか、混乱に拍車をかけてしまいそうだ。
なんて想像を裏付けるかのように、新たな馬車の到着が告げられた。
御者をしているのは、なぜかドーナツ屋のご主人。本来なら砂糖と小麦粉を積み込むはずの小さな幌馬車が、今はお宝でいっぱいになっている。
兵士や冒険者だけでなく、商人までもが魔石運搬作業に駆り出されている……そこから僕は一つの明確な意志を読み取った。
――ギルマス氏と隊長は、今日のうちに魔石を回収してしまうつもりだ。日が沈む前に。
冷静に考えると、確かにこの人海戦術は正しいかもしれない。
いくらマルコさんがついていても、夜になれば魔物が現れるエリアで一般の冒険者に作業はさせられない。死の霧の勢いだって回復するかもしれないし。
「ていうか、さすがに夜になったらマルコさんも倒れそうだよな。代わりにノエルを連れ出すってわけにもいかないし……となると、この騒動が落ち着くのは明日になるか」
ふぅっと吐き出したため息から、体内に溜まった“毒素”が抜けていく。南で吸い込んだ重たい空気が、活気に満ちた北の空気と百パーセント入れ替わる。
考えてみれば、報告を焦る必要はない。
今回の『ゴールドラッシュ』で南との交渉は事実上ストップしたわけだし、彼らだってこっちの状況を知ればまた態度を変えるかもしれないし。
つまり、今の僕にできることは……。
「うん、ちょっと休もうかな。最近僕、働きすぎだし」
念のため『透明人間化』の魔術をかけてから、そろりと修羅場を離れると、途端に疲労感がドッと押し寄せる。
今すぐ柔らかなベッドへダイブしたい……。
しかし、真っ先に思い浮かんだ北の宿舎は、あっさり却下。
あそこは運搬作業の中継地点として使われているだろうし、そもそも道の途中で運搬作業をする人たちとすれ違ったら、また社蓄精神が生まれそうだし。
かといって、近所の宿屋を使うというのもちょっと微妙。
できれば周囲を気にすることなく、何もかも忘れてぐっすり眠りたい――そう考えながらふらふらと北ギルドの正門を出たとき、ちょうど僕の目に飛び込んできたスポットがあった。
雑多な街並みとは一線を画すかのように堂々とそびえ立つ、この街のシンボル。キラキラ輝く太陽へ向かい、にょきっと伸びた物見の塔。
その影に隠れたもう一本、ちょっと背が低い塔の最上階には、極上の『枕』が置いてある……。
……。
……。
……このプランは僕が考えたものじゃない気がする。すべては女神様のお導きだと思う。




