七十二、美談
「――クロさん、それ、ホント……? お嬢様が、父親に売られたって……」
震える声で尋ねたのは僕じゃなく、隣室から戻ってきたバジルだった。
よほどショックを受けたのか、手にした衣装がするりと床へ落ちる。
バジルが彼女のために選んだのは、光沢のある淡いピンク色のワンピース。優しげなその色合いは、やわらかな空気をまとう彼女に良く似合うと思った。
僕がそれを拾い上げる間、激高したバジルはベッドに腰かけたままのクロさんへ一直線。大事な雇い主だということも忘れ、今にも胸倉を掴まんばかりに詰め寄って。
「あの“オヤジさん”がそんなことするわけない! オレはずっと南ギルドで、オヤジさんの世話になってきたんだ!」
「バジル、落ち着け。せっかく眠ったオリーブが目覚めちまう」
「……ッ、すみません、だけどッ」
「ひとまず場所を変えようか。キミの兄貴分だって、いつまでも変装したままじゃ窮屈だろうしな。客間で茶でも飲んで待っていてくれ」
唐突に話を振られた僕は思わず苦笑を漏らす。どうやら僕の女装は、バジルの攻撃を逸らす盾に使われてしまったようだ。
僕は手にしたワンピースをクロさんへ渡すと、不服そうに唇を噛みしめるバジルに「ここは一旦引こう」と視線で促して部屋を出る。
樫の扉を閉め、通路のひんやりとした空気を吸い込むうちに、熱くなっていたバジルの頭も冷めてきたようだ。
螺旋階段の手前にある、茶箪笥と白いラウンドテーブルが置かれているだけの小ぢんまりとした客間へと僕を案内し、慣れた手つきで紅茶を淹れながら、僕の知らない過去を語りだす。
「オレは魔力のない“Fランク”の頃から、南ギルドの依頼を……ううん、オヤジさんからの依頼を受けてきた。魔石で成り立ってるこの街で、魔物討伐以外の仕事はホントに少なくて、だけどオヤジさんはあちこちに頭下げて、オレたちのために仕事を探してきてくれたんだ」
バジルたちに仕事を与える代わりに、南のギルドマスターは口を酸っぱくして言い続けた。
『絶対に悪さはするな、盗むなら大人の知恵と技を盗め』
例えば貴族の屋敷で急に人手が必要になったとき、いくら下働きであっても犯罪歴のある人物は紹介できない。
女神に誓って清廉潔白だといえる子ども、そして大人の指示をきちんと理解できる聡い子どもは、南ギルドでも貴重だったんだろう。
彼の言いつけをしっかり守り、独学で読み書きを身につけたバジルは、あちこちの屋敷へ駆り出されたという。中には『家出した貴族の坊ちゃんの替え玉をして欲しい』なんて依頼もあったとのこと。
単なる孤児とは思えないバジルの振る舞いも、冒険者としての矜持も、全ては南のギルドマスターが仕込んだというわけだ。
「オヤジさんとは、オレが本物の冒険者になってから――Eランクに上がってからほとんど顔を合わせなくなった。その頃から街の景気が悪くなってきて、オヤジさんはギルドにいないことも多くなって……だけど受けた恩は忘れなかった。それに、オレは父親の顔を知らないから、あの人のことを勝手に、そんな風に思ってたんだ。だからお嬢様のことも、なんだか他人とは思えなくて、自分の姉貴みたいな気がして……」
苦しげな独白は、尻すぼみに途切れた。
ラウンドテーブルの対面で、しょんぼりとうなだれるバジル。せっかく淹れた紅茶は、一度も口をつけられることなく冷めてしまった。
僕は手を伸ばしてその頭を撫でてやる。いつも僕が年上の人たちにされているみたいに。
……この手のひらに、不思議な力が生まれたらいいのに。身体の傷だけじゃなく、心の傷まで癒せるような力が。
そんなことを考えながら、ふんわりしたレンガ色の髪を撫で撫でしていると、バジルは夢見るようなトロンとした目をして。
「ユウ兄ちゃん、あの……一つ訊いていい?」
「うん?」
「やっぱりユウ兄ちゃんって、ホントは女の子なんじゃ……」
「アホか!」
バジルの脳天に本日三度目のチョップが炸裂したところで、クロさんが到着。
というか、いつの間にか客間のドアにもたれかかり、クツクツと低い笑い声を漏らしている。音もなく忍び込んで、しばらく僕らのやりとりを眺めていたんだろう。
なんか、すげーやらしい。
いくら医療の一環とはいえ、オリーブさんの着替えとか、服で隠れて視えない部分の手当てを当たり前みたいに引き受けちゃう時点ですでにエロいけど、それ以前に性格がやらしい。あのヘンタイ王子と気が合うわけだ。
……という本音は心の中で呟くにとどめ、僕は速やかな『化粧魔術』の解除を依頼。バジルが食い入るように見つめる中、わずか一分でスッキリ和風な少年顔を取り戻す。
そして「詐欺だ……別人すぎる……」とぶつぶつ呟く置物と化したバジルに代わって温かいお茶を淹れ直し、話を再開。
「えっと、今バジルから南のギルドマスターの人柄を軽く聞いたんですけど……正直、自分の娘を神殿へ売るような人には思えませんでしたよ」
何か事情があるんじゃないですか、とバジルサイドの弁護士的な意見を投げかけようとしたものの、細い瞳をギラリと光らせたクロさんにより一刀両断。
「それは彼の“表向き”の顔だ」
「表向き……」
「キミたちだって分かるだろう? ニンゲンは誰しも表と裏を持つ生き物だ。それが立派な人物ならなおさら、裏の顔はひた隠しにするものだ」
なんら感情の篭らない淡々とした口調。
あまりにも正論すぎるその意見には、バジルですら反論することができない。父親のように慕っている人物を侮辱されたというのに。
そんな二人の姿を交互に見つめながら僕は尋ねた。今度は完璧第三者の目線というか、いたってライトな気持ちで。
「その“裏の顔”って、何なんですか?」
「本当に知りたいなら教えても構わないが……先に忠告しておく。かなり重たい話になるぞ」
「もちろん知りたいです。この話は南だけの問題じゃなく、この街全体の問題でもありますし」
今も南ギルドとの交渉へ向けて動いているだろう、北のメンバーの顔を思い浮かべながら答える。
するとクロさんは、腰かけていたチェアを軽く引き、長い脚を無造作に組み替えて。
「彼は周囲から『良い人』だと思われている。実際困っている人がいると助けずにはいられない……そんな性分が招いた悲劇、とでもいうべきかな。まあ簡単に言うと、彼には愛人がいてね」
「愛人、って、その、この国では許されてないんですよね……?」
「そうだ。彼は妻だけを愛する、という女神への誓いを破ってしまったわけだ。そして愛人との間に子どもまで作ってしまった。せめて北のギルド長のように、けじめをつけて一人ずつ交際すればいいものを、それができなかった」
「はぁ……」
思わず僕は、呆れ混じりのため息を漏らしてしまう。
この世界の人にとって、浮気とか不倫が『大罪』なのは分かっているけれど……思っていたよりスケールが小さいというか、元の世界ではありがちなトラブルというか……。
なんて僕の分析は、甘かった。甘すぎた。
「もう察しがついているだろうが、オリーブは愛人の子だ。南のギルドマスターという人物は、後ろ盾のない無知な孤児たちへギルドを通さず仕事を斡旋し、仲介料をごっそり抜いて貯めた裏金でその母子を育てていたんだ」
……。
……。
……それはもしや、さっき聞かされた美談のことですか。
信じられない、といった顔で硬直するバジル。それを気遣うそぶりも見せず、クロさんは淡々と語り続ける。
「実際の彼は、善人というより小心者でね。正妻の方に子どもができて愛人が邪魔になったからといって、殺すような真似はできなかった。だからその母子は人に見つからないように全力で隠していたんだ。特に娘の方は、戸籍を登録させていないから自由に外出させられないし、無駄に自我が育つとマズイ。悩んだ結果、幼いうちから『魔術封じの腕輪』をつけさせて、完璧な“箱庭”で育てたんだよ。世の中の汚いことを何も知らない――自分の境遇に疑問すら抱かない、純粋無垢なお嬢様にね」
そこまで一息に語ったクロさんが、ようやくニンゲンらしい感情を露わにする。
法律上は未成年の子どもである僕とバジルに、これ以上の『醜い裏側』を見せていいのか、という逡巡を。
僕自身も迷った。このまま進むと、とてつもなく“嫌なこと”を知ってしまう気がして。
でも、最後の引き金をひいたのは、幼くも凛とした少年の声。
「教えてください、クロさん。オレは全部知りたい……どんなに辛くても、知らなきゃいけないと思う」
つぶらな瞳の縁に、今にも零れ落ちんばかりの涙を溜めたバジルは、それでもしっかりと顔を上げてクロさんを見つめていた。
小さな身体で兄弟を守り続けてきたバジルの底力を目の当たりにし、僕の胸もじわりと熱くなる。
僕らが腹をくくったと感じたのか、クロさんは唇の端をふっと持ち上げ、真相を一息に語った。
「ユウ君はもう知っている話だろうが……南のギルド長は、神殿側の圧力に屈した。市民を守るために使うべき魔石を、神殿へ供給することにしたんだ。この決定はもちろん予定調和の出来事だった――」
方針転換の理由は、以前僕が推測した通り。
死の霧によって追いつめられる中、彼は抵抗するよりも神殿という傘の下に入ることを望んだ。
ただし、ギルド長には盾が必要だった。その傘の下に入れない市民たちに責められないよう、身を守る盾が。
その盾とは、一つの“美談”。
目に入れても痛くないほど大事な愛娘を暴漢に攫われ、それを『神殿』が取り戻してくれた……その行為に一人のニンゲンとして心を動かされたゆえ神殿側に付く、という陳腐なストーリー。
もちろん娘が暴漢に襲われるという事件は、ねつ造することもできた。
しかし彼の手元には、ちょうどいい駒が残っていた……。
「彼の本音はシンプルだ。邪魔な娘がいたから捨てた。そして、オリーブの母親もほぼ同時期に事故で命を落としている……そういうことだ」
残酷な『余談』を告げると、クロさんは無表情のまま冷めてしまったお茶を啜る。
僕とバジルは、何も言えなかった。バジルは嗚咽を堪えるので精一杯だし、僕の方は頭の中がぐちゃぐちゃで。
……南ギルドはもう終わりだ。少なくとも、そんな『大罪』を犯したヤツと交渉の余地はない。
……神殿はこの件をどこまで意図的に誘導したんだろうか? もしや“愛人”をあてがったところから工作は始まっていたんじゃないか?
……オリーブさんは、もしかしたら“精霊術師”候補かもしれない。
オリーブさんの母親は神殿の手で始末されたに違いない。その現場を直接目撃したかどうかは分からないけれど、彼女の育てられ方は『王都の大神殿』のやり方と似ているし、何より心の傷はそうとう深い気がする。
でも、できるなら精霊術師になんてなって欲しくない。
あの自傷行為がクロさんのケアで治まって欲しい。ちゃんと立ち直って、男の人を愛せるようになって欲しい。
そうじゃなきゃ、彼女があまりにも可哀想だ……。
彼女は今も悪夢の中にいるんだろう。どこへ逃げても追いかけてくる、亡霊みたいな記憶に心を囚われ続けている。
彼女の過去には何一つ救いがない――そう考えかけて、僕は一つの光明に気付いた。
「クロさん、確かオリーブさんには弟がいるはずですよね。バジルと似てるって……今の話には出てこなかったみたいですけど、その子はどうしてるんですか?」
「死んだよ。ずいぶん前に」
「死んだ……」
「錯乱したオリーブが言うには、栄養失調だったらしい。何も証拠は残っていないがな」
「……ッ」
僕はまざまざと思い描いてしまう。食べ物も水も得られずに、干からびて死んでいく苦しみを。
バジルも同じ気持ちになったんだろうか。瞬きもせずに見開かれたままの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出す。
――こんな運命は、絶対間違ってる。
南の街にどんな“美談”が流れたとしても、実際は一人の男が保身に走ったというだけの話。
邪魔になった愛人とその娘を、自分の手を汚さずに始末してもらって、その見返りに魔石を差し出すという最悪の話だ。
本当に汚すぎて、反吐が出る。
この汚物を今すぐ吐き出さないと、僕自身も闇に呑まれてしまいそうだ……。
僕は傷ついたままのバジルをクロさんに託し、ひとまず南エリアを出ることにした。
今すぐ北へ戻って、大好きな人たちの顔が見たかった。




