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リアリスフィア ~竜は孤高の花を望む~  作者: AQ(三田たたみ)


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六十五、漆黒

「やっぱどう考えても、焼け石に水だよなぁ……」

 隊長たちに見つからないようこっそり街へ戻った僕は、そのまま城壁沿いに南門へ向かっていた。

 草がワサワサ生えた堀の縁に立ち、危惧されていた城壁の劣化をこの目でしっかり確認。結界の力が弱まった部分をせっせと補修しながら進む。

 手のひらに集めた魔力を、なるべく薄く均一に壁へ塗布しながらの、超高速カニ歩き。気分はすっかり左官職人だ。

 しかし、塗っても塗っても終わらない。

 魔石でパンパンだった荷袋はみるみるうちに軽くなり、南門のはるか手前でストックが切れてしまった。

 残されたのは自分用の魔石数個と、『リンゴ飴』こと邪竜の魔石のみ。先日拾った分と、クレーターの底に残されていた双頭の竜の分、合わせて二個。

「これは万が一のときのために取っておくか……」

 つやつやして美味しそうな二つの魔石を眺めながら、僕はため息を吐いた。

 大地が赤く染まるほど大量の魔石を回収し、ボロボロの城壁をなんとか支え続けたところで、魔物たちの優位は変わらない。

 数日経てば魔物はあらかた復活するし、今までどおりのイタチごっこが続くだけ。

 死の霧だって後退しただけで質量が減ったわけじゃない。精霊術師の力で抑えるにも限界がある。

 何よりキツいのは、邪竜の存在。

 ヤツが今まで以上の力を持って復活し、さらに“知恵”までも得るとしたら……正直僕には対抗できる気がしない。

 かといって、邪竜の問題を放り出してこの街を離れることもできない。

「まあ、邪竜の復活まであと三日は猶予があるはずだし、それまでに『神竜の身体』を見つければいい。あとはアリスと銀髪の精霊術師さんにも協力を仰いで……うん、無駄にできる時間は一秒たりともないな」

 頬をパシンと叩いて気合いを入れ直した僕は、ローブのフードを目深に被ってゴブリンダッシュ。ニンゲンの気配が濃厚になってきたところで『透明化』の魔術をかける。

 そのまま適当な幌馬車の屋根に飛び乗り、コバンザメ状態で街へこっそり潜入。

 北門の二倍以上広く大きな南門は、街道を行き来する荷馬車で埋め尽くされている。商人たちは皆この街のルールを分かり切っていて、鎧を身にまとった門番たちの手を煩わせることもなく、粛々と手続きを行っていく。

 他の街からやってきた商人は所定の税金を納め、通行手形を渡される。ただし穀物や嗜好品ではない物資を持ち込む場合は税金がかからない。

 そして荷物を下ろした空っぽの馬車は、門番から旅の安全を保証するための魔石を一つ渡されて去っていく。

 例外は、やはり『神殿』だ。

 いかつい門番も、神殿お抱えの白い外套ドルマンを着た商人に対してはかなり及び腰。彼らの腕輪をチラッと見やると、荷物の確認もせず「さっさと行け」とばかりに手を振る。

 しかし、彼らはいったい神殿へ何を運んでいるのか……ちょっと気になったものの、好奇心は猫をも殺すと自重。

 二重の城壁を越えれば、その先は活気溢れる市場の風景へと早変わり。食材を仕入れにくる飲食店の人たちを中心に、賑やかな朝市が開かれる。

 僕はお世話になった馬車からぴょんと飛び降り、透明人間状態のまま雑踏の中に紛れ込んだ。人にぶつからないよう注意しつつ、速やかに繁華街を抜けて東側の工業エリアへ。

 職人さんたちもやはり朝には強いようで、まだ早朝だというのに、あちこちからトンカンという小気味良い音が響き渡る。

 ついでに勝手口から朝食のニオイが漂ってくると、僕のお腹もキュルッと……。

 もし僕が普通の観光客だったら、朝市を堪能していたはずだった。手練れの商売人たちと値切りの駆け引きを楽しんで、獲れたてのお肉や魚や新鮮なフルーツにかぶりついて……。

 でもそんなことはできない。

 僕にはやらなきゃいけないことがあるし、なにより――お尋ね者だから。

 神殿の影響力が強いこの南エリアでは、ギルドの掲示板だけじゃなく街のいたるところに『お菓子小僧許さじ!』のビラが貼られていた。

 もちろん僕には似ても似つかない落書きだし、堂々としていれば意外と気づかれないと頭では分かっていても、ついコソコソしてしまう。

「まあ別にいいんだ……僕が悪くないって分かってくれる人はたくさんいるし。それに、お菓子小僧にはリリアちゃんっていう可愛い“ファン”もいるし……」

 目からしょっぱい鼻水を垂れ流しながら、狭く入り組んだ迷路のような路地を駆け抜けているうちに、いつのまにか目的地へサクッと到着。

 そこで僕は、自分の甘さが引き起こした事件の結末を知ることになる。

 工場街の外れにぽつんと佇む赤いレンガ造りの建物――鉛筆みたいに細長い三階建ての一軒家は、あたかも野盗に襲われたかのように荒らされ、今にも崩れ落ちそうなほどボロボロだった。

『世界一の宝飾品工房』

 という立派な看板も、もうなかった。

 代わりに貼られていたのは、百合の花の紋章が入った通達書。

 この建物は大罪人のアジトであり、神殿の独断により差し押さえましたよ、と。

「……お姉さん、ごめんなさい」

 ポツリと落とした台詞は、魔術解除の呪文になった。視界に現れた自分の手はじっとりと汗ばみ、小刻みに震えている。

 ……たぶんお姉さんは、もう二度とあの夢を掲げることができない。

 王子という権力者に守られて、商品を作り続けることは可能だとしても、世界一の名声を得ることはできなくなってしまったんだ。

「そんなの、絶対許さない……!」

 やり場のない憤りは、未熟な僕の理性をあっさりと奪った。

 固く閉ざされた門扉に手を伸ばし、忌々しいその通達書を破り捨てようとした、そのとき。

「あー、ちょっと待て」

「――ッ?」

 突然背後から手首を掴まれ、思わずヒュッと息を飲む。

 ……人の気配を全く感じなかった。

 いくら心が乱れていたとはいえ、この僕が単なる“ニンゲン”に背後を取られるなんて――

「悪いが今は目立つわけにはいかないんだ。キミだってそうだろ、ユウ君?」

 小さな子どもを諭すような声が、肩越しにそっと落とされる。低く心地よいバリトンの声。

 そして、鼻孔をくすぐる仄かな柑橘系の香り。

 それだけで、そいつが何者なのかは分かった。

 小さく頷いてみせると、男の手はすんなりと離れた。僕は野良猫みたいに素早く飛び退り、そいつを真正面から睨みつける。

 僕よりも頭一つ分は背が高い、すらりとした細身の男。年は二十代半ばくらいだろうか。

 けっして目立つような容貌ではない。この世界ではちょっと珍しい一重まぶたの東洋人顔。浅黒い肌を包むのは、ごく一般的な生成りのチュニック。

 しかし、男には何よりも目を引くものがあった。

 長く伸ばした前髪をオールバックにし、後頭部でひとくくりに結わえた、その髪の色は――漆黒。

「ああ、なるほど……妹が懐いた理由が良く分かった。つーか、俺も初めて会ったって気がしないな」

 ハハッ、と軽く笑い飛ばしながら、男はこちらへ歩み寄る。僕はもう逃げなかった。

 にこやかな笑顔と共に伸ばされる骨ばった手のひらは、予想通り僕の頭上へ。被っていたローブのフードがはらりと落とされて、黒髪が露わになる。

 その刹那、男の細い瞳がキラリと光った。薄い唇の端は楽しげにクッと持ちあがる。

 それはたぶん、同族を見つけたという喜びの発露。

 僕にとっても、一つの謎が明かされた瞬間だった。


 この人は――“ノックスの民”だ。

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