五十九、妄想
夕闇に包まれる聖都オリエンス。
繁華街を抜けて北門へと向かう馬車の中は、朝とは打って変わって重苦しい空気に包まれていた。
隊長は「もう少し話を詰めていく」と北ギルドに残ったため、乗っているのは僕とマルコさんの二人だけ。
というか、マルコさんが御者をしているから、実質乗客は僕一人だ。
幌を外した馬車の、乾いた風が吹き抜ける荷台の縁に寄りかかり、僕はものすごくやる気のない感じで尋ねた。
「あのさぁ……この街って、終わってるよね?」
「まだ終わっていませんよ、ユウさん。ちょうど今から“終わるところ”です」
涼しげな顔をしたまま、辛辣な意見をさらりと言い放つマルコさん。僕は思わず苦笑を漏らす。
のんびりと馬が走りゆくのどかな道の先には、高くそびえ立つ灰色の城壁。
古の歴史を感じさせるその壁が、ついに崩れ落ちようとしている……そう思うとなんだか切ない気持ちにさせられる。
そもそもこの街は、王都に住んでいるお偉いさんが、魔物の侵攻を食い止めるための時間稼ぎにと用意した『防護壁』だ。
他国からの難民を際限なく受け入れているのも、一人でも多くの冒険者が――自分たちの代わりに戦ってくれる生贄が欲しいからであり、純粋な善意とはほど遠い。
唯一の善意は、アリスという稀有な存在を寄こしたことだろうか。
とはいえ、それはあくまで枢機卿の要請に応じたもの。「敬虔な女神信徒くらいは守ってやろう」という慈悲の心は、冒険者や移民には向けられない。
まあ枢機卿は『信徒増員キャンペーン』を行っているくらいだし、多少は市民のことも考えていそうだけれど、それでも市民たち全員をあの神殿エリアへ匿うなんて土台無理な話だ。
……神殿が、その手で守れる人の数は限られている。
手の隙間から零れ落ちた人々は、街の外へ逃げるか、もしくは全力で敵に立ち向かうしかない。
「僕はこの街の住人じゃないし、単純に『皆で逃げればいいじゃん』と思うんだ。でも隊長たちは絶対諦めそうにないんだよな……まあここが生まれ故郷だし、この街を守るために生きてきた人だからしょうがないけどさ。マルコさんはどう思う?」
「私はあるがままを受け入れようと思っていますよ。生きるも死ぬも、全ては女神様のお導きです」
「そっか……僕はどうしようか迷ってるよ。もともとこの街に長くいるつもりはなかったしさ。ただここにいる間は、できる限り隊長たちに協力しようって決めてるけど、パッと思いつくアイデアって全部対症療法でしかないんだ。何をやったって『泥船を長持ちさせよう』ってだけの小細工にしかならない」
例えば――南のギルドマスターを説得して、神殿との密約をぶち壊せたら、延命措置としては手っ取り早い。
現在隊長とギルマス氏が行っている話し合いは、そのあたりがメインテーマなんだろう。
僕やマルコさんを巻き込まないようにという配慮は、お姉さんの意向も大きい。最終的に打つ手が無くなるまでは自力で頑張るべしと。
……所詮僕は、この街へふらりと立ち寄った異邦人。いずれ離れていく僕と、ここに永住するつもりの人とはモノの考え方が違う。
だけど、旅人だからこそ視えることもある。
「僕は詳しい事情なんて全く知らないけど……南ギルドを説得するのは難しい気がするんだよ。例の事件は単なるきっかけに過ぎなくて、本当は南のギルドマスターもずっと迷ってたんじゃないかって」
死の霧から溢れだす強力な魔物たちと常に対峙している北ギルドは、やはり強い。
それに比べて、弱い魔物しか現れず、弱い冒険者しか集まらない南ギルドは、ある意味『コバンザメ』状態だ。
彼らは今まで北ギルドにくっついていたけれど、ここへきて『やはり神殿の方が強い』とジャッジした。魔石を供給して恩を売っておき、いざ死の霧が迫ったときにはあの強固な建物の中へ入れてもらおうと……。
そこへ僕がしゃしゃり出て「便利な道具で魔物を撃退しますよー」と言ったところで、たいして状況は変わらない。邪竜を密かに葬ったり、魔物を倒しまくったとしても焼け石に水。
結局、すべての元凶は『死の霧』にある。
死の霧とは、いわゆる『龍脈』みたいなものだ。地中から自然と湧きあがる瘴気を封じる方法は、今のところ全く思い浮かばない。
そもそも瘴気の原因が、中央大陸で獣が殺されまくっているせいだとしたら、僕にはどうしようもないし。
「はぁ……これからこの街は、どうなるんだろうな……」
「そうですね。近いうちに神殿は、独立自治を宣言するかと思われます。そして金に物を言わせて食料を買い占めて、信徒だけをあの建物に匿うという『半鎖国』状態になるのでは、と」
相変わらず涼しい顔で、立て板に水のごとく答えるマルコさん。本当にこの人は賢いというか、やたら達観してるというか。
そのポーカーフェイスを横目に眺めつつ、僕は思いつくままに疑問をぶつけてみる。
「半鎖国っつっても、この街が滅びれば食料を運んでくれる商人だっていなくなるだろ? そしたらどうやって生き延びるんだ?」
「それは囲い込む人数にもよりますね。ただ例の腕輪を長時間つけていると、極端に食欲が落ちますから、普通に生きられるんじゃないでしょうか。神殿の外庭には畑も井戸もありますし」
「でもあんな狭い『箱庭』の中で暮らすなんて、精神的にキツそうだよなぁ」
「そのあたりも修行しだいかと。少なくとも“魔石狩り”の方たちは三日と持たず発狂するでしょうね。まあそうなったら壁の外へ放り出されるだけですが」
「なかなか厳しいな……長期戦の籠城みたいなもんか。邪魔なヤツを切り捨てて、自分たちだけが安全な場所に引き籠って……その戦いに終わりは来るのかな」
これは僕にとって答えのない問いかけだった。暗い未来をただ漠然と憂えただけ。
しかしマルコさんは、一秒と置かずさらりと告げた。
「終わりは必ず来ますよ。結末はすでに視えています」
「へぇ、どうなるって?」
「全員死にます。魔物の攻勢に耐えられたとしても、数十年後には老衰で全滅です」
「えっ、でもあの中で『子作り』すればいいんじゃ……」
「例の腕輪は、本来女性には禁じられたアイテムです。ただ女性が腕輪をつけて入り込んだとしても、そのような行為は行われないかと。腕輪は食欲だけでなく性欲も奪いますから」
神殿という組織を熟知しているマルコさんの台詞には、やたらと説得力があった。僕は凛としたその背中に向かい、素朴な疑問をぶつけてみる。
「じゃあ今までマルコさんは、食欲とか性欲があまりなかったってことだよね。腕輪を外したら変わった?」
「もちろんです。あのドーナツには感銘を受けました。あとギルドの受付嬢のむ……いえ、なんでもありません」
瞬く間にポーカーフェイスが崩れ、頬がポッと赤く染まったマルコさん。僕はなんとなく微笑ましい気分になりつつ、チュニックのポケットに入れてあった腕輪を取り出す。
「そうか……これをはめてると、お姉さんにギュッてされても何も感じなくなるのか……」
腕輪に吸い取られる『魔力』とは、人間の欲望の塊なのかもしれない。
だけど、欲望を捨てた人生にはいったい何の価値がある?
人間らしい幸せを何も求めず、ただ生きているだけの人形と化して――
「いや、それでこそ精霊を受け入れる“器”として相応しいのか」
実際アリスはそうやって生きている。この先もずっと塔の上に閉じこもって、魔物たちから信徒を守るだけで一生を終えるんだろう。
……やはりアリスにも、この話を伝えるべきなんだろうか。
神殿が多くの市民を切り捨てようとしていると知ったとき、アリスはどう思うんだろう?
山間に消えゆく太陽に変わり、輝きを増した青白い月を見上げながら、僕は答えのない問いかけを胸の奥でループさせた。
◆
「じゃあ、あとはシュレディンガーが案内してくれるから、今夜は僕の部屋でゆっくり休んでて。僕はちょっと用事をこなして、そのまま南へ行ってくるよ。戻るのは明日の夜か明後日の朝になるかな。それじゃ!」
兵舎玄関の前でくるんと踵を返した僕は、背後からにゅっと伸ばされた手にがっちり掴まれた。
当然、その手の持ち主はマルコさんだ。
「えっと、何か不明な点でも?」
「あの、ユウさん……私もその“用事”に付いて行ったらダメですか?」
「へっ?」
「今夜は風が強いですし、精霊の助力も得られます。けっして貴方の邪魔はしません。どうか私を連れて行ってください!」
馬車に揺られていたときとはまさに別人。マルコさんはやたらと情熱的に、無駄にキラキラした瞳で僕を見つめてくる。
これはもしや『刷り込み効果』ってやつだろうか。僕と離れたくないという、生まれたての雛鳥的な……。
「うーん、困ったなぁ……たぶん付いて来ようとしても無理だと思うよ?」
「なぜですか? もし私が足手まといだというなら――あ」
不自然に言葉を途切れさせたマルコさん。言葉足らずな僕の断り文句から、正解を導き出したんだろう。
「分かりました、今日は大人しく休みます……」
凛としていた背筋を猫背に丸め、くりくりパーマの襟足をいじりながら寂しげに呟くその姿が、散歩を断られたアフガンハウンドみたいで……僕はつい情にほだされてしまった。
「分かったよ、行けるところまで一緒に行こう」
「えっ、本当ですか!」
「うん。隊長には怒られそうだけど、マルコさんには魔石狩りのアレも見られちゃったし、隠し事しなくてもいいかなって。それに僕もこう見えてけっこう『うっかり』なところがあるし、マルコさんが傍にいてくれたら安心できるし」
「お任せください! 私もその場所に足を運んだことはありませんが、知識としてはよく存じ上げておりますので!」
「そっか。それじゃもし僕が死にかけたら、助けてね」
「死にかけ……ですか? それほどまでに激しい行いをされるご予定で……?」
「さあ、どうだろう。前回はすんなり一撃で済ませられたけど、今回はまた別の相手になるから。それに僕の“武器”がすぐに動くか分かんないし」
「なるほど、毎回同じお相手ではないのですね……武器の方も状況によって変わる、と……」
「っと、そうだ。この話は誰にも言っちゃダメだよ? 隊長にもギルマスさんにも。特にお姉さんとノエルには絶対ナイショでお願いします」
「う……わ、分かりました。ご主人様たちに逆らうことは非常に心苦しいですが……私自身も人には言い辛いというか、ほぼ同罪ということになりますし……」
今日の調教がさっそくトラウマ化しているのか、猫背で俯いたままぶつぶつと呟きつつ僕の後をついてくるマルコさん。
月明かりを浴びてキラキラ輝く髪にしっかりとフードを被せ、僕は顔馴染みの門番さんに挨拶をして北門の外へ。門番さんも僕の非常識さにすっかり慣れたのか、大きなお友達を連れだすことにもノーチェックだった。
「ああ、今日は月が綺麗だなぁ」
今から強敵と戦うというのに、僕はちょっとだけわくわくしてしまう。
誰かとパーティを組んで冒険するのはやはり楽しい。特に僕とマルコさんはぼっち仲間だし。
残念ながら今のマルコさんは、僕の背中に向かってぶつぶつ呟くキモキャラだけど、それでも誰かと一緒にいられるってだけで幸せいっぱいだ。
昔のRPGゲームのように縦一列に並んで、街道沿いを城壁から離れる方向へ進んでいく。そしてクルミの木のあたりでカクッと右折。
するとマルコさんが、突然ビクンと飛び跳ねた。
「――ハッ! 私はなぜこんな場所にいるのでしょう?」
「いや、普通に僕の後を付いてきてたし」
「なぜユウさんは街の外へ? 繁華街へ戻られるのではなかったのですか?」
「いや、魔物を狩りに来たんだけど」
首を傾げつつ答えると、マルコさんは眼をぱちくりさせて僕を見つめた後、ぷわーっと完熟トマトのように真っ赤になって。
「わ、私はどうやらとんでもない勘違いをしていたようです。てっきりユウさんが『子作……いえ、なんでもありませんッ!」
……。
……。
……その瞬間、ぴゅうっ、と僕らの間に生温い風が吹き渡った。




