五十三、襲撃
穏やかな朝の光に包まれる早朝の聖都オリエンスは、意外と危険に満ちている。
透明人間化によって楽々と神殿を脱出し、ゴブリンダッシュで北門へ向かおうとしていた僕は、奇しくも『ヤツら』と同じルートを選んでしまった。
もっとも警備の手薄な北側の出入口からこそこそと抜け出し、腕輪を外してボロボロのローブを身に付け、小汚い幌馬車に乗り込んで「ヒャッハー!」しようと目論む……魔石狩りチームの皆さんと。
まあこうして鉢合わせしたのも何かの縁だしと、僕はその馬車に同乗させてもらうことにした。焦茶色の幌の上にぴょんと飛び乗る形で。
そして念のため泥まみれのゴブリンコスプレをして、お尻の下で繰り広げられる会話に耳をそばだてていると。
「……そうか、ようやく“南”も堕ちたか」
「ああ、ギルドマスターの娘をちょっと拝借してな」
「ハハッ、それちゃんと返したのかよ」
「もちろん返したに決まってんだろ、おいしくいただいてからな」
「ひでぇなぁ。だがそれも全部握りつぶしてくれるとは、神殿様様だぜ」
「残すは“北”だけか。ヤツらはさすがに手ごわいな」
「まあ時間の問題だろ。どうやら最近ギルドに妙なガキが入り込んでるっつー話だ。ソイツを狙えば――」
……まあ、そのガキが誰なのかは推して知るべし。
僕はため息を吐きつつ、幌の上でゴロンと横になった。せっかくアリスに『告白』してイイ気分だったのに、最低な会話を聞かされたせいですっかり興が削がれてしまった。
「さて、これからどうするべきか……」
御者の男に聴こえない程度のボリュームで、僕は独りごちる。
今僕がコイツら数人をどうこうしたところで大勢に影響はない。それこそ魔物が再生するのと同じだ。クズはより醜く狡猾になって増殖するだけ。
――この世界は、『穢れ』に満ちている。
アリスを神殿から切り離して、普通の女の子みたいに街で暮らせるようにしてあげたいけれど、この手の輩から護る術はない。ニンゲンは誰しもそういう一面を持っているものだし。
ノエルや銀髪の女性は、それなりに過酷な目にあって耐性がついているからいいとしても、アリスは別格。無菌室で育てられた本物の箱入り娘にはキツすぎる。
ただ上手くいく可能性がゼロってわけじゃない。実際、僕のセクハラにも耐えられたわけだし。
「いきなりじゃなくて、じわじわ攻める方がいいかな。まずは僕という『穢れ』にゆっくりと慣れさせて、いずれはどこを触っても大丈夫なように……フフフフフ……」
というキモイ呟きは、さすがに神様も看過できなかったらしい。
――メキャッ!
と残念な音を立てて、僕が寝転んでいた幌の骨が折れた。当然僕は、幌の布ごとヤツらの上へボタッと。
「……ッ、何者だ!」
「刺客かッ?」
「ぶち殺せ!」
ドスのきいた恐ろしげな叫びとともに、荷台から飛び出してくる魔石狩りチーム。その数は合計六人。
この手の裏稼業は下っ端が行うものと相場が決まっているのか、メンバーは二十代の若者ばかり。
めいめいがローブの下から取り出した、刃渡り一メートル強の両手剣と合わせれば、一人の重量は百キロ以上。これを引っ張る馬さんも大変だ。
一人だけ混じっている髭面のオッサン――御者台に座ったままの男がリーダーというか、実質的な管理者なんだろう。
さほど人相の悪くない地味なオッサン風のソイツは、怯えて動けないそぶりを見せながら、抜け目なく周囲へと視線を泳がせる。
まずはうらぶれた旧街道の周りにぽつぽつと建ち並ぶ集落から、人が出て来ないかを確認。
そして刺客である僕のことはもちろん、いきり立つ若者たちをも観察する。たぶん『トカゲの尻尾』として切り捨てるかどうかを見極めるために。
……潰すなら、まずはアイツから。
崩れた幌の上から飛び降り、大地を蹴りかけた僕のスニーカーは、その直前に急停止。
興奮する馬をなだめるべく伸ばされた男の腕の先に、嵌められたままの銀の腕輪を見つけて。
「……なぜアレをつけたままなんだ?」
と呟く間にも、僕を取り囲む魔石狩りチーム。
魔物と違って連携の取れたその攻撃はなかなか手慣れているというか、実にいやらしい。目配せ一つで全員が頭上へと長剣を振り上げ、四方八方から同時に襲い来る。
ブォンッ!
獲物の血を求めて唸り声をあげた六本の剣は、全て空を切った。
円陣の中心をめがけて突っ込んだ刃先が、ガチンと鈍い音を立てて絡み合う。当然、六人の視線も。
驚愕に見開かれるその眼が、僕の姿を捉えることは無かった。僕を探そうと考える間もなく、彼らはすでに意識を狩りとられていた。
泡を吹いて昏倒した男たちの姿を、僕は冷ややかな眼で見下ろす。
対人戦の覚悟はとっくにできていた。だから動揺も罪悪感も一切ない。
それに今回はかなり手加減をした。拳を使って身体に風穴を開けてはマズイからと、みぞおちや首筋に軽く手刀を落としてみた。
熟れた果実を潰さないように、というイメージを浮かべてみたところ、どうやら上手く行ったようだ。死んでしまった人間は今のところいない。
でも、もし殺してしまったとしても、さほど罪悪感は覚えなかった気がする。
「僕が言うのもナンだけど、これは因果応報ってヤツだろうな」
コイツらに攫われたという女性が、実際どれほどの苦しみを味わったのかは分からないけれど……たまたま僕と鉢合わせしたことも、忌わしい犯罪を笑い話のように語ったことも、全て神様の導きなんだろう。
そして一人残された御者台の男は……逃げ出すこともなくぼんやりと僕を見ていた。
完全に放心状態というか、むしろ恍惚とした眼差しをしている気がする。
怪訝に思いつつ近づくと、彼は腕輪をつけた手で口元を覆い、涙混じりの掠れ声で何かを呟いた。
普通のニンゲンにはけっして届かないその声を、僕の耳はしっかりと拾ってしまった。
それは以前ノエルが言ったのと同じ台詞で。
――オガミサマ。
僕はそのとき初めて、頭に被ったフードがはらりと落ちていることに気づいた。




