百四、病状
……病んでた。
恋愛映画かと思ったら、中身はホラーだった。
甘々かと思ったら稲妻だった。
あそこにいたのが女装バージョンの僕なら、たぶん笑顔でナイフ突き立てられてた……。
いや、彼女の戦闘力そのものは別にたいしたことないんだ。
でも僕、女の子と戦ったことないし。魔物とか悪者でも手加減が難しいのに、あんな華奢で可愛い子に暴力とか無理だし。
手足を捕えて拘束したところで、泣かせそうだし。ギャン泣きしそうだし。泣きながら死ぬほど罵倒されそうだし。
つまり――
「逃げるが勝ちッ!」
長身のクロさんをひょいっと小脇に抱えて、僕はオリーブさんの部屋を飛び出した。
鍛え上げたチート腕力なら、この程度の獲物を運ぶくらい楽勝。巨大トカゲやら巨大イノシシとは比べ物にならないくらい小さくて軽い。
ただし魔物たちは絶命していて、クロさんは生きている、という差があった。
「ユウ君ッ?」
唐突な拉致に焦ってじたばたするクロさんは、獲れたてのマグロみたいだ。僕はチート腕力で胴体をミシッと締め付けておとなしくさせる。
身じろぎするたびにミシッ、というハードな調教を施した結果、ぐったり無抵抗になった荷物。僕はこれ幸いとばかりにゴブリンダッシュ。
長い回廊の途中に置かれた絵画や花瓶が、残像さえも映さずに消えていく。すれ違ったメイド姿の女性は、屋内を吹き抜ける疾風に首を傾げる。
一見ただの壁にしか見えない隠し扉を開け、地下室に通じる通路に入ったところで、僕はクロさんを解放した。
「ここから先は歩いていきましょう。時間は押してるけど、ちょっと話したいことがありますし」
落ち着いたトーンで告げると、冷凍マグロ状態だったクロさんもあっさり解凍。お腹のあたりを手のひらでさすりつつ歩き出す。
光のない世界でも、不思議と僕にはクロさんの表情がハッキリと見える。クロさんも僕をまっすぐ見つめているから、きっと同じなんだろう。
僕は無意識に、クロさんは意図的に、両目に魔力を集めている状態。もし魔力に敏感な人がこの場にいれば、僕らの瞳は魔物のように赤々と輝いて見えるに違いない。
妖しく煌めく赤い瞳を細め、やわらかな笑みを浮かべたクロさんが僕へ問いかける。
「それで、話というのは?」
「えっと……ちょっと待ってください、少し整理します」
いきなり地下室に放り込んだらクロさんもショックを受けるだろうし、せめて三匹の人外については説明しておいた方がいい……と思ったものの、いざ口にしようとすると言葉に詰まる。いったいどこから話せばよいのやら?
うーんと唸る僕に、クロさんはボソッと。
「そうだ、今のうちに一つ言い訳させてくれ。さっきのアレはただの“マッサージ”だから」
「……え?」
「マッサージだから」
「……だいじなことなのでにどですね、わかります」
「なぜ棒読みなんだ?」
「……いえ、べつに」
「あのな、さすがに真昼間から盛るほど俺も若くないぞ? まあ、彼女の服を脱がせてあちこち触ったのは事実だが」
「……でも魔力を下半身に集めれば自由自在って」
「キミは俺を買い被りすぎだ。俺の余剰魔力はそこまで多くない」
逸らされることのない真っ直ぐな視線。呼吸が荒くなることも、鼓動が早まることもない。ツッコミを入れたところで、揺れ動く柳の枝のようにさらりと躱される。
――なるほど、これがクロさんの『浮気魔術』か。
ドア越しに気配を感じただけじゃダメなんだ。きっちり証拠を掴まなきゃごまかされる。それどころか、会話しているうちにだんだん「僕の勘違いかな?」と思わされて、結局クロさんの言うことが正しいって……。
ああ、なるほど。これは一種の催眠術なのかも。
こんな怪しい術を無詠唱でナチュラルに発動させるとは、クロさんマジ黒い。きっと王子が女装させられたときもこんな感じで言い包められたんだろう。
間一髪、術から逃れた僕がジト目で睨みつけるや、クロさんはすぐさま話題をチェンジ。
「それより今の状況を説明してくれないか? 俺はバジルに殿下を迎えにいくよう指示したんだが、なぜキミが単身で乗り込んでくるんだ?」
「バジルは恋の病で倒れました。王子はランタンに護らせてます。水龍が護ってる女神はお宝量産中です」
「スマン、まったく意味が分からん」
「実際に見てみれば分かります。ていうか、今のうちに覚悟しといてください」
なるべくショックを与えないように丁寧な説明をしてあげよう……なんて気がすっかり失せた僕は、最低限の情報だけを並べてツンとそっぽを向いた。
そんな僕を横目に見やり、クロさんは弟をからかう兄貴の顔でクツクツと楽しげに笑う。
まあその余裕は地下室に着くまでだ。空飛ぶランタンを見て腰を抜かして真珠を大量摂取することになっても僕は知らないぞ!
と、ツンモードなまま地下通路をサクサクと進み、そろそろ到着するというとき。
唐突に、クロさんはその歩みを止めた。
「ユウ君……すまないが、一つだけ訊きたいことがある」
「なんですか?」
「俺のことを気遣わなくていい。感じたとおりに答えてほしい。……キミは“彼女”のことをどう思う?」
暗闇に浮かび上がる赤い瞳が、ふっと光を失った。クロさんが目を閉じたのだ。
その瞬間、強い信念を持った大人の男の人というクロさんの像がぶれる。どこか頼りなげな少年みたいに映る。
そして、僕は何を求められているかを理解した。
クロさんが欲しがっているのは第三者による冷静な意見。今だけは、クロさんの代わりに大人を演じろということだ。
「では正直に言います。今までクロさんが、たくさんの女の人を立ち直らせてきたってことは分かってます。でも彼女は……危うい、気がする」
――クロさんの手におえるような相手じゃない。
決定的な一言を、僕は胸の中に飲み込んだ。皆まで言わずとも伝わると思った。
男に襲われたというだけなら、クロさんの力で癒せるかもしれない。でも彼女は生まれたときから軟禁という形で虐待されてきた。弟を餓死で失うなんて普通じゃない状況で。
歪な環境で作られた純粋さは、巫女となるための欠かせない条件。
だからこそ、クロさんの与える優しさや疑似恋愛による誤魔化し――普通のニンゲンによる治療行為が、焼け石に水のような気がしてならない。
その懸念は当たっていたようだ。クロさんは数秒の沈黙の後、苦しげに眉を寄せて。
「キミになら、彼女の傷が治せるか……?」
初めて耳にする、縋るような掠れ声。僕は首を横に振ることしかできなかった。
残念ながら、『魂再生魔術』は彼女には効かないだろう。
王都で奴隷として生きている巫女たちにさえ、僕は希望を捨てていないというのに……彼女の魂はそれくらい穢れてしまっていると感じる。
それでも、彼女がクロさんに救われつつあることは事実だ。
「彼女の傷は深いだろうけど、いずれは癒えると思います。長い時間がかかるかもしれないけど……少なくとも、僕は彼女が立ち直るのを応援したいし、何かできることがあるなら協力します」
「ありがとう。それが聞ければ充分だ。……すまない、余計な時間を取らせてしまったな」
「いえ、お役に立てなくてすみません」
しょんぼりと俯いた僕の頭をくしゃりと撫でつつ、クロさんは明るい声で言い放った。
「急ごう、わがままな殿下がそろそろ痺れを切らしてる頃だ。それに俺も日没前に戻らなきゃ、あのベッドがまた血の海になる」
「僕も日没前に戻りたいです。さすがに“エア彼女”に怒られちゃいます」
「なんだよ、エア彼女って」
「世界一かわいい女の子ですよ。誰にも見えないけど、僕にだけは見えるんです」
「へぇ、やはりそれは“例の力”のせいか?」
「はい、愛の力です」
「愛?」
「そうです、アリスへの愛が僕を突き動かしたんです」
「はぁ、なるほどな……お前さんはやっぱり本物なんだな」
「はい、本気です」
と、どこかで聞いたことがあるような軽快なトークを続けているうちに、僕らは地下室へ到着。
事前に僕が「覚悟してくださいね」と念を押したというのに、クロさんは深呼吸もせず、余裕綽々の笑みで扉に手をかける。
その姿が、ホラー映画にありがちな『好奇心のままに肝試しをして開けてはいけないドアを開いてしまう若者』にしか見えず……。
「すまない、だいぶ待たせ……あ……なんだ、これ……?」
扉の中には、イメージ通りの光景が――いや、想像の斜め上を突き破るような混沌があった。
部屋の中央にいるのは、くるくると宙を舞い太陽のごとき眩い光を放つ、一匹のランタン。
そのランタンにしがみついた女神が、遊園地の空中ブランコみたいにぐるぐる回転し、喜びの涙をぶわっと撒き散らす。
女神の寵愛をすっかり奪われた水龍は、悔しげに冷気を吐き、うねらせた尻尾でバシバシと床を打つ。
バシバシ打たれた床のあたりには、大の字に寝ころんだまま昇天するバジル。
そんなバジルを介抱するべく、無造作に真珠を掴んではその口にぶちこむ、一体の雪だるま。
唯一理性が残っていた雪だるまは、雪に覆われた顔の奥から呪詛のような何かを呟きながら、僕らの方へゆらゆらと歩み寄り……。
……。
……。
――バタン。
一歩下がったクロさんが、無言のまま扉を閉じた。そっ閉じだった。
※昨日の活動報告でお伝えしましたが、「竜キス」の歌ってみた動画がアップされました! キュンとくる素敵な歌声なのでぜひ聴いてみてください。下のリンクの『歌ってみた(みつはさん)』からどうぞ☆




